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29.忍び寄る魔の手

 国境線を越えた俺たちを、遥か上空から眺める男がいた。
 その人物は黒いタキシードで身を包み、見えない足場をしっかりと踏みしめて立っていた。
 俺たちはその視線に気付かない。何者なのかも知りえない。
 一度は疑念を抱いたはずなのに、いつの間にか記憶の片隅に追いやってしまっていた。
 わかっているのは、彼がモルクという使用人だったということだけだ。

「どうやら無事に国境を越えられたようですね」

 モルクは優しく微笑みながらそう言った。
 暖かく穏やかな表情は、一変して冷酷な表情へと変わる。

「やれやれ……地獄の力というものは、予想以上に厄介なようですね」
 
 表情が変化した直後、モルクの容姿も一変した。
 先ほどまでとは別人に、否、人でない存在へ変貌したのだ。
 尖った耳と腰から伸びる尻尾、そして背中から伸びる邪悪な翼。
 人々は彼のような存在を――悪魔と呼んでいる。

「さて、彼らが向かった方向からして……なるほど、目的地はおそらくあの国ですね」

 悪魔はニヤリと笑いながら、俺たちが向かう先に目を向けた。

「ならば丁度良い。奴に動いてもらうとしましょうか」
 
 魔王軍の手は、俺たちの知らないところから忍び寄っている。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 国境を越えた俺たちは、無数の岩が転がる大地を歩いていた。
 見渡す限り薄黄色な岩が並んでいて、この先数キロは同じ風景が続いていく。

「ルークよ。次はどこへ向かうのじゃ?」

「アニマットだよ」

「それって獣人族の国だよね?」

 俺の隣にぴったりとくっついているルリアが言った。
 彼女が言った通り、アニマットは獣人族の国。
 もっと厳密に言えば、獣人族のみで構成された国なのだ。
 この岩石地帯を抜けた先には森が広がっていて、さらに森を抜けると目的の国がある。
 俺たちはアニマットを目指して進んだ。
 そして、ちょうど岩石地帯を抜ける手前で、ルリアが俺に質問してくる。

「アニマットってどんな所なの?」

「さぁな。どんな所なんだろ」

「えっ?」

「何じゃ、前回の遠征で訪れんかったのか?」

「いや、行きはしたんだけど門前払いされちゃったんだよね」

 獣人族は亜人種の中でも非常に警戒心が高い。
 おそらく過去の戦争の影響か、人類種と魔族には特によく思われていないのだ。
 前回訪れたときも、国の前まで行ったら兵を出されてしまった。
 やむなく通り過ぎることになったけど、あの時は魔王軍の手もアニマットには及んでいなかったし、それでも特に問題はなかったんだ。

「だが今は違う。戦力は一人でもほしいからな」

「まぁそうじゃな。身体能力だけなら悪魔すらしのぐ奴らじゃ。しかし主よ、そう上手くいくかのう?」

「交渉次第だろうね。こんな状況だし、前よりは協力的になっててくれると思うけど」

「そういうことではないぞ」

 岩石地帯を抜けたところでプラムが立ち止まった。
 ここから先は広大な森が続いている。
 緑豊かな自然は、生命と調和し成長している――が、それはもう過去の話だった。

「なるほど……」

「酷い……」

 現在は魔王軍の侵攻に踏み荒らされ、見るも無残な有様になっていたのだ。
 俺が以前ここを通ったときには、まだ自然溢れれる豊かな森だった。
 おそらくこうなったのは、俺とプラムで殲滅したあの大群の所為だろう。

「ワシの言いたいことはわかったじゃろ。友好的かどうかの問題ではなく、そもそも国がまだ存在するかが問題なのじゃよ」

「この有様からして……絶望的だな」

 あの大群に攻め込まれて無傷で済むはずがない。
 滅んでいるか、占領されているか……どの道あまり良い状況ではなさそうだ。

「最悪の場合、あちらの軍門に下っている可能性もあるのじゃ。そうなれば交渉どころではないぞ」

「獣人族の性格上、たぶんそれはないと思うけどね。それに魔王軍は戦力には困ってないだろうし、奴隷として捉えられている可能性のほうが高いと思う」

「どちらにせよ、この先は注意して進んだほうがよさそうじゃな」

「そうだな」

 俺たちは荒れ果てた森を進んだ。
 嫌でも視界に入ってくる爪痕が、俺たちに悪い予感を煽る。

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