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第8話 ゴシップ紙

 イザベルはクリームを乗せたビスケットを美味しそうにかじった。自然と顔に笑みが浮かんで来る。

「イザベルったら。ビスケットくらい、いつも食べてるじゃない」

 フィオナが呆れたように言って来る。イザベルは肩をすくめた。

 甘くて美味しいビスケットを食べ終わり、野菜のサンドイッチを二切れ食べてから、大好物のファラゴアの砂糖煮を小皿にたっぷりとる。

「そんなに食べると太っちゃうわよ」

 ビューラのいじわるな言葉も今のイザベルには柳に風だった。

 イザベルがえへへ、と笑うとビューラは気味の悪いものでもみたような表情になる。

「どうしたの、イザベル? 妙にご機嫌じゃない?」
「そう?」

 砂糖煮をほおばりながら平然と返す。

「『そう?』じゃないわよ。理由を聞かせなさいよ、理由を!」

 ミュリエルの言葉にテーブルにいた他の三人が一斉にうなずく。

 イザベルは困り果ててしまう。本当の事を言ったとして誰が信じてくれるというのだろう。生きてるのが嬉しいんだ、などと言っても一笑にふせられるだけだろう。

 でも生きているのが嬉しいのは嘘ではない。昨日は殺されそうになったのだ。今、イザベルが生きているのはイザベル自身にも奇跡だとしか思えない。

「イザベルっ!」
「んわぁ? な、何?」

 アシュレイの声に驚いて変な声を出してしまう。

「何じゃないわよ。さっさと言いなさいよ。もったいぶってないで」
「別にもったいぶってるわけじゃ……それより本当に言わなきゃダメなの?」
「当たり前でしょ!」

 四人の声が重なる。イザベルは小さく肩をすくめた。

 どこから話したらいいのだろう。その上嘘までまじえなければいけない。

「えっと……デイヴィス様が、ね」

 小声だったが、しっかり耳を澄まされていたせいでみんなには聞こえたらしい。ビューラは呆れたように首を振り、アシュレイは苦笑し、フィオナは意外そうな顔をし、ミュリエルは面白い事を聞いたというような興味津々の表情をした。

「めずらしいね、イザベルがのろけるなんて」

 最初に口を開いたのはフィオナだった。

「いや、別にのろけているわけじゃ……」
「で、どうしたの? デートでもしたの? まさかキスでもされたとか?」
「きゃー! キスとか凄い!」
「私まだ何も言ってないよ。勝手に話を作らないで!」

 興奮していく友人達に慌てる。少し場がざわざわし始めた。やめてと言いたい。

「昨日、イザベルが見知らぬ人に絡まれててね」

 近くから聞こえて来た声に驚く。今のはアシュレイでも、フィオナでも、ミュリエルでも、ビューラでもなかった。それどころか女の声ですらない。

「私が通りかからなかったら今頃はどうなってたか……。まったくイザベルは向こう見ずだから困りますよ」

 デイヴィス、と小さな声でつぶやく。確かに彼は自分のテーブルの人たちに話している。だが、ミュリエルたちに聞こえるような音量で話しているのだ。これはフォローをしてくれているという事だろうか。

「あなたが追い払ったんですか?」
「それはそうですよ。目の前で恋人が絡まれていて平静でいられる男がいたらみてみたいものですね」

 そう言いながらそっとイザベルに向かってウインクをしてくる。貸し一つだからな、と言われているような気がしたが、気づかない振りをする。そのかわり無言で笑顔を浮かべた。ありがとう、という意味だ。

「何? そういう事なの?」
「だって殺されるか、人買いにでも売られるかと思ったんだもの。怖かったわ。今、こうやってここにいられる事が嬉しかったの。……で、ついはしゃいじゃって」

 あらためて話しかけて来たミュリエルの方を向いて返事をする。どこかから『なんだ。つまらない』という声が聞こえた。何を期待していたのだろう。

「デイヴィス様もそういうときは男らしさを発揮するのね……」
「ちょっとミュリエル!」

 あんまりな言い草だ。そういうイザベルも、もし三ヶ月くらい前だったら同じ事を言ってただろうな、と思う。

「ああ、デイヴィスって意外に強いよね。喧嘩をさけているだけで」

 その言葉にテーブルにいた残りの四人は驚いてフィオナの方をみる。

 何でそれをフィオナが知ってるの、とイザベルは焦った。

「それ本当?」
「本当。デイヴィスは結構強いわよ。前に喧嘩ふっかけられた時、あんまり攻撃しなかったのに圧勝してたもの」

 そんな事言っていいのだろうか、とイザベルははらはらしたが、みんなはあまり気にせずに次の話題にうつっていく。

「そういえば今日の『グラス』見た?」
「見た! ああ、あれは傑作だったわよねー」

 アシュレイの出した話題にミュリエルがのってくる。「デイリー・ルッキンググラス」の愛読者である二人はともかく、あとの三人には何の話だかさっぱりわからなかった。

「何? 何か面白い記事でも載ってたの?」
「見た方がはやいわよ。後で家にいらっしゃいよ」
「いや、ここは私の屋敷なんだからお茶会が終わったら部屋に来れば? ベスに借りてくるからさ」
「本当? 行く行く!」

 きっとデイビッド絡みに違いない。イザベルはちょっとわくわくした。

「えー? イザベル来れるの?」
「ちょっとビューラ、それはどういう意味かしら?」

 馬鹿にしたように言われ、イザベルは少しむっとした。

「だってイザベルはお茶会終わったらデイヴィス様と帰るんでしょ?」

 デイヴィスという名を聞いてはっとする。デイヴィスはゴシップ紙が嫌いだという話は有名だ。本人からも本当だと聞いている。噂話全般が嫌なのだそうだ。こっそりと読もうかと考えたが、先ほどと同じ音量で話しているのだ。デイヴィスにこの会話が聞こえていないはずがない。

「まあ、聞いてみるだけ聞いてみるわ。案外いいって言ってくれるかもしれないし」

 そう言って小皿に残っている最後の砂糖煮を口に入れた。


****

「あの、デイヴィス様、お願いが……」
「駄目」

 即答される。できるだけ可愛くお願いしようとしたのだが、言葉を遮られてはどうにもならない。

「話だけでも聞いてはくれないの?」

 これでは納得がいかない。どうしても説得してやるという気持ちがイザベルの中にわいて来た。

「駄目といったら駄目。さ、帰るよ、イザベル」

 そう言って、イザベルの手を取り玄関に向かおうとする。まるでだだっ子のおもりだな、とイザベルは思った。

「お願い」

 甘えた声を出す。デイヴィスがそんな事で許してくれるわけがない事はわかっていたが、使える手段は全部使ってやるつもりだった。

「あのくだらない記事ででしょう? 絶対に駄目!」
「何で『くだらない』って知ってるの?」

 確信した。デイヴィスはその記事を読んだのだ。だからこそこれだけ頑にイザベルに読ませるのを阻止しようとしている。

「使用人が広げたまま置いてったのを見ちゃって……」

 ばつが悪そうにそう言う。

 これはきついと思った。デイヴィスにはちゃんと読ませたくない理由というのがあるのだ。説得などしない方がいいのかもしれない。

 そんな事を考えているとデイヴィスは何を思ったか、大きなため息をついた。

「わかったよ! 許可すればいいんでしょう! 許可すれば!」
「え? 本当?」

 説得するのは無理かもしれないと考えていたぶん、あまりに許可をくれるのがはやかったので逆に面食らってしまう。

「僕は馬車で待ってるから行っておいで」
「え?」

 先に帰ってて、と言うつもりだったので驚く。

「女の子の一人歩きは危ないでしょう?」

 さっきのフォローの話の続きだ、と気づいた。イザベルにまた変な人が絡む事がないように、という意味だろう。

 小さな声でお礼を言う。デイヴィスは小さく笑い、イザベルの耳に口を近づけた。

「そのかわり、記事を見たあと、俺の顔を見ても絶対に笑うなよ」

 イザベルがぽかんとしてる間に、デイヴィスは彼女の耳のそばに小さく口づけをし、顔を離す。

「じゃあ、後で」

 そう言ってイザベルから離れる。

「ありがとう」

 もう一度小さな声でそう言う。それから、ミュリエルたちのところへ向かった。


****

 笑った罰を与えてあげよう。これを読んだらすぐに俺のアジトに来るように。
D


 明らかに急いで書きましたという雰囲気の手紙を読み、イザベルは苦笑した。

 きっとイザベルを待っている間に書き、イザベルが笑ったのを見た後、そっと懐に入れたのだろう。つまり必ず笑われるであろう事は予想していたのだ。だからイザベルにあの記事を見られたくなかったのだろう。

 イザベルも笑うつもりはなかったのだが、ついデイヴィスの顔を見たとたんに吹き出してしまった。デイヴィスが苦い顔をしてたのを思い出す。

「『変態泥棒、女中の服を脱がす』だもんね……」

 また笑いがこみ上げてくる。きっとその服は変装に使ったのだろうが、「変態泥棒」と書かれてはデイヴィスもたまらないだろう。

 そっとカーテンを引き、使用人を呼ぶ。そして着替えを手伝ってもらい、いつものようにベッドに横になる。もちろん眠ったふりだ。

 使用人が部屋を出たのを確認してから、ベッドから起き上がり、こっそりとかくしてある黒の動きやすいドレスと、同じく黒のショートブーツを取り出し、着替える。

 着替えているあいだ、イザベルの頭は「グラス」の記事の事でいっぱいだった。とは言っても「変態泥棒」の記事ではない。その横にあった小さい記事だ。そこにはデイビッドによってスティーブン・ホワイトが大怪我をしたという話が載っていた。

 もちろん殺されたわけではないが、爆発を引き起こす魔道具で攻撃された、と書いてあった。新聞によるとマロリー伯爵による魔術治療を含めた上で全治一か月半、だそうだ。という事は相当酷い怪我なのだろう。引退かもしれないとまで書かれていた。

 イザベルは全く知らないので、意識を失った後だろう。しかし治療に当たるのが「マロリー伯爵(デイヴィス)」とは、と苦笑する。御愁傷様、と言った所か。

 昨日した取引はあっさりと終わりになってしまったが悪い気はしない。

「デイヴィス……」

 小さな声でつぶやく。彼の言う所の「生意気な小娘」など放っておけばいいのに、わざわざスティーブンを攻撃してまで助けてくれたのだ。

 それを考えると彼には感謝してもしきれれないな、と思う。

 こっそりと部屋から出て、廊下を歩きながら、今日は絶対にデイヴィスにお礼を言おうと心に決めた。


****

 いつものお気に入りの椅子に座り、本を読みながら、デイヴィスは自分が無意識に微笑んでいる事に気づいた。

 もうすぐイザベルが来る。手紙を読んでいる所は確認した。だとしたらイザベルは必ず来るだろう。イザベルが手紙を開いたのを確認してからすぐにこの場所に急いだのだ。イザベルは支度をしなければいけないから、まだまだ時間に余裕はある。

 机の上のグラスに手を伸ばす。これは庶民の間で売られている安酒だ。毎回、盗みが成功したら勝利のお祝いとして高級なファラゴア酒を一瓶飲む事にしている。だが、最近負けが続いたせいでちっとも飲めないのだ。残念なのでとりあえず安酒で誤摩化しているというわけだ。

「それにしてもあれはないよな……」

 酔いがまわったせいだろうか。つい口から自然に独り言が漏れる。

 もちろん「あれ」とはデイリー・ルッキンググラスの記事の事だ。

 毎朝新聞を六紙——アトミス・セミットのイシアル語版とアイハ語版、ティーズベリー・ポスト、デイリー・ソサイティー、ザ・ピープル、そしてデイリー・ルッキンググラス——を読むのがデイヴィスの日課だ。

 デイリー・ルッキンググラスは大嫌いだが、自分についてある事ない事ない事書かれているので、一応目を通している。幸い、従者のロバートが愛読しているのでこっそりと見る事が出来る。

 今朝、いつものようにこっそりとデイリー・ルッキンググラスをみて、思わず怒りのあまり声を上げそうになった事を思い出す。飛び込んで来た言葉が「変態泥棒」では自分でなくたって腹が立つだろう。あの茶会ではイザベルのいた以外のテーブルでもあの記事の話題で持ち切りだった。どれだけの人があれを読んだのだろう。あんな新聞が何故人気なのかデイヴィスにはさっぱりわからなかった。

 噂を流したのはスワンストン伯爵夫人だろう。

——みんなの前で恥をかかせてやりますわ!

 盗みの時に吐かれた言葉を思い出す。あれはこういう事だったらしい。

 今度から使用人に変装するための服を借りるなら絶対に執事のコートにしようと考える。少なくとももうメイドのエプロンは借りない。

 今日はきっとイザベルにからかわれるだろうな、と思い、苦笑する。なにせ馬車に乗り込み、デイヴィスの顔を見るか見ないかの所で吹き出されたのだ。笑うな、という約束は無駄になる事はわかっていたが、やはりいい気はしなかった。手紙には「罰を与える」と書いたが、彼女はそんなもの気にしてはいないだろう。

 だから見せたくなかったのだ。なのにイザベルはデイヴィスが表では『気の弱い青年』を演じているのを知っていてみんなの前で交渉をしたのだ。『あのずる賢い小娘が!』と悪態をつく。

 それにしても昨日は焦った。イザベルには『ただの痺れ薬』と話したが、あれはイザベルにとっては『痺れ薬』ではすまない代物だったのだ。

 イザベルは自分が苦しめるのだ。ぽっと出の賞金稼ぎに殺されるわけにはいかなかった。手袋の件は誤解でも、あの事を『忘れている』というのが彼女の罪だ。

 昨日確かめた所、彼女はある程度自分に懐いて来ているらしい。殺そうとした男に懐くというのがデイヴィスには理解出来ないが、ありがたい。

 いずれあの強い目は絶望と悲しみに染まる。そうしてそれを自分は最期まで楽しんでやるのだ。

 でもしばらくは『ライバル』でいてやる。もう少しは遊んでやるのだ。そうして彼のとりこにさせる。素のデイヴィスがイザベルの好みだというのはとても都合がいい。

 グラスを口に運びながら意地の悪い笑いをもらす。

 三杯目を飲み終わった所で魔力がかすかに動いた。

「来たか」

 そう一言つぶやき、イザベルを迎え入れるために通り道に魔力を流し込んだ。

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