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 私(わたくし)の名は、山葉凛子。旧士族の娘にございますの。この地域一帯の土地を治める大地主のお父様と、優しく教養があるお母様の元に生まれ、沢山の使用人たちに、身の回りのお手伝いをして頂きながら、私は、何不自由なく幸せに暮らしておりました。

 ですが、そんな私にも唯一、悩みがございます。それは、お父様のどうにもならない浮気性。所構わず、女性をおつくりになっては、中々家に帰って来て下さいません。お母様は、それに対して同情して下さいます、周り近所の方や使用人に、気丈に振る舞っておいでになりますが、時折り、堪えきれず涙をお流しになられることもございます。

 そんな我慢も限界に達したのでしょうか。

それとも、家で雇う使用人に、お父様がお手をつけられたことが、自尊心をお傷つけになられたのでしょうか。

 ある日突然、お母様は家を出て行ってしまわれました。全く、どこに行かれたのやら。

 その行方すら分かりませんの。どこかで、無事に元気で、お過ごしになっていらっしゃれば良いのだけれど……。

 あら……。

私のお部屋に面したお庭に、マンホ―ルの蓋を被せただけの、穴のようなモノが見えるのだけれど、あれは一体、いつからあそこにあるのかしら。




 「このお話は、あまりにもつまらないわ」

 私が、畳に寝転がりながら独り言を呟いていると、障子の向こうから、藤枝の声が致しました。藤枝というのは、私の世話を一番良くして下さる家政婦にございます。

 「お嬢様、失礼致します。」

 「どうぞ。」と返事を致しますと、静かに障子が開き、藤枝が部屋に入って参りました。

開けた障子を閉めて、振り返った藤枝は、私の姿を見て、目をまん丸にしております。

 「なんと、凛子お嬢様。

 そのような格好で読書をなさいますのは、大変お行儀が悪くございますよ。」

 「大袈裟ねぇ。貴方だってこの前、お部屋を散らかしていたじゃありませんの。

 私だけに注意なさるなんて、少しずるくってよ。」

 私は、これ以上お小言を言われないように、居ずまいを正して座り直しました。

 「ななな、なんと。

 また、私のようなものの、汚い部屋にお入りになられたのですね。

 そのようなことが、奥様に知られでもしたら、私も凛子様も、大変なお叱りを受けてしまいます よ。」

 「まぁ、藤枝ったら、口五月蠅くて、お母様みたい……。」

 「めめめっ滅相もございません。私のようなものが、凛子お嬢様の奥様のようだなんて。」

「そう慌てずとも良いでしょう。

 お母様も貴方も、私からすればそう変わりないもの。

 それより、ねぇ、藤枝……お母様は……どちらに行かれたのかしら。

 私を置いて、どこに行ってしまわれたのかしら。」

 少し俯きながらそう溢すと、藤枝は私を抱き締め、優しく、繰り返し何度も、背を撫でて下さいました。

 「確かに、奥様は、凛子様を置いてどこかに行かれてしまいましたが、必ず戻って来て下さいますよ。

 貴方様みたいに、使用人一人一人をよく見ておられる優しいお嬢様を残したままで、どうして平気でいられるのでしょう。

 こんなに可愛い凛子お嬢様を一人にして、いつまでも平気でいらっしゃれるはずがございません。

 それに、凛子様に口五月蠅く仰られますのは、奥様が凛子様を大切に想い、因果応報の報いをお受けにならないようにするためにございますよ。」

 「因果応報……。お母様がお好きな宗教の言葉ですわね。

 自分の行いは、どのようなことでも自分自身に返ってくるというものよね。」

 「左様にございます。

 ただ、奥様が恐れておいでなことは、自分自身にお巡りになってきた報いが、自身で清算おできにならなかった際、凛子様や旦那様にも飛び火してしまうことです。

 この因果応報というものは、何もご自身だけの問題ではございません。その家族に影響を及ぼすことがございます故に、あのように、いつも行いについては厳しくなさるのです。     

 それを、私共使用人にまで、きつく仰っている奥様が、自らでそれをお破りになるはずがございません。

 時間はかかりますでしょうが、必ず凛子様の元に戻って来て下さいますよ。

 ですから、そのようなお顔をせず、私と一緒にお待ち致しましょう。」

 他の使用人は、お母様出て行ってからというもの、私を哀れな同情に満ちた目で見つめております。ですが、藤枝は違いました。いつだって、私に寄り添い、傍観なんて無能なことは致しません。とても、とても、温かいヒトの血が通った藤枝。そのような藤枝が、私は大変好きでいますのよ。

 「そうね。

 そうですわよね。

 私ったら、いけないわね。

 気長に、お母様を待ちますわ。

 長いご旅行に行かれたのだと思いながら。でも……。」

 「如何なさいました、お嬢様。」

 「私、お母様の言いつけを沢山破ってしまいましたの。

 さっきだって、寝転がって本を読んでしまいましたし、それに、おやつもいつもより多く食べてしまっていますの。

 叱られてしまうかしら。」

 お怒りになるお母様を思い浮かべ、不安になる私を見つめ、藤枝はクスクスお笑いになります。

 「お嬢様、それは、私とお嬢様以外、誰も知らないことにございます。

 ですから、私とお嬢様との秘密に致しましょう。

 その代り、お嬢様が私のお部屋に来たことも内緒にしておいて下さいね。

 でないと、使用人の部屋に凛子様を入れてしまったお咎めを受けてしまいますから。ね、このようにすれば、誰もお叱りを受けませんよ、凛子様。」

 「まぁ、藤枝ったら。」

 つい先ほどまで、真面目な顔でお話なさっていたのにと思うと、少々呆れてしまいそうになりましたが、それでも名案だと言わんばかりの藤枝を目に、私もおかしく思え、声をあげて笑ってしまいます。

 「お嬢様、はしたないですよ。」

 「だって貴方、とてもおかしいのですもの。 

 」

 「それもそうにございますね。」

 それから、私と藤枝は他のお方が耳になさっても、詰まらないことに思えてしまうような、他愛もないお話をしておりました。藤枝と過ごすこの時間は、私にとって、いつも大変早く過ぎ去ってしまう時間にございます。




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