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7話 謎は全て解けました。ユリとマリは塀の高さマニアです。

 海堂警部は警視庁の射撃訓練場で的の前に立って銃を向けていた。
 マリが手を振りながら大声で呼びかける。
「おーい、おっちゃーん」
「おおっ、来てたのかい」
 海堂警部がホルダーに銃を仕舞って振り返る。
 さっきまでの険しい顔が一転して、穏和な笑顔へ変わる。
「何も動きはない?」
「そうだね。特に何も無いね」
「キョウさんの両親はどうなの?」
「もちろん当たってみたよ。だけど、遠方に住んでいてアリバイもあってね。だから、事件に関与している可能性は低いと思うよ」
「友達とか会社の人達は?」
「片っ端から聞いてみたよ。けれど、こちらも成果は無かったよ」
「第三者の方はどうなってんの?」
「そっちの線も何人か調べてみたけどね。今の所、確たる証拠は掴めてないよ」
 第二の事件から数日が経過したというのに、目立った進展は無しか。
 やっぱり、タカヒロさんが犯人なのか? 
 そうは思いたくないけど、今の段階ではその可能性が高い。
「そうだ。おっちゃん、撃たせてくれる?」
「ああ、構わないよ」
 海堂警部は、あっさりと頷く。
 いいんだ。けっこう緩いんだな。いいのかな、こんなんで。
「ユリ、ベレッタ貸して」
 マリはユリに向かって右手を差し出す。
「うん。いいよ」
 ユリが左腰に装着したホルダーからベレッタを抜いて手渡す。
「よーし」
 マリは舌なめずりをしながら的の前に立つ。
 両腕を伸ばして的に銃を向ける。
 数秒の間隔を置いて、五発の銃弾を撃ち込んだ。
 耳が痛い。これが本物の銃声か。
 やっぱり、ばきゅーんじゃなくて、ぱーんなんだ。
「ああ、一発しか当たらなかったわ」
 悔しそうに顔を歪めながら舌打ちする。
 真ん中を捉えたのは一発だけだったらしい。
「ねえ、ユリも撃たせてもらえば?」
「警部さん、いいんですか?」
「ああ、もちろん」
 ユリが振り返って確認を取ると、海堂警部は快く首を縦に振った。
 いつもこんな感じなのかな。
 いくら事件解決に協力してもらっているからって、本当にこれでいいのかな。
「では、お言葉に甘えて」
 マリからベレッタを受け取ると、ユリは的の前に仁王立ちした。
 真っ直ぐに両腕を伸ばして的に銃を向ける。
 柔らかな微笑が消え失せ、凛々しい狙撃手の顔へと変貌を遂げる。
 次の瞬間、五発の銃声が立て続けに耳を突き刺した。
 僕の耳鳴りが悪化した。
 聴覚テストでもないのに、きーんと音が鳴っている。
 左利きのガンウーマンは銃口に息を吹きかけて硝煙を消した。
「すごいわね」
「さすがだね」
 マリと海堂警部の口から感嘆の声が漏れる。
 僕はというと、呆気に取られて言葉も出ないでいた。
 これが左利きのガンウーマンの実力か。
「全部、真ん中だったんじゃない?」
「ううん。一発外しちゃった」
「相変わらずユリ君の腕前は一級品だね。うちの連中よりも上手いよ」
「さすが左利きのガンウーマンよね」
「どういたしまして」
 ユリが笑顔で返礼をして、ベレッタをホルダーに収めた直後だった。
 携帯電話の着信音が鳴った。
 振り返ると、海堂警部がズボンのポケットに右手を突っ込んでいた。
「ん? 電話か」
 スマホを出して左耳に当てる。
 誰からだろう? 警官の人かな?
「もしもし、私だ。なーに?!」
 海堂警部の表情は一瞬にして険しくなった。
 スマホを切ると、僕らを振り返った。 
「警部さん?」
「おっちゃん、まさか……」
 海堂警部が何を言おうとしているのか、ユリもマリも感じ取っているらしい。
 僕はユリとマリの後ろで生唾を飲み込む。
「ああ……」
 海堂警部が重々しく頷く。
 そして、声を絞り出すようにして、三人目の被害者の名を告げた。
「舟木も殺されたよ……」

 二度あることは三度あるということわざの通り、今回も現場に手掛かりはなかった。
 だけど、聞き込みによって有力な目撃証言を得ることができた。
海堂警部は玄関先で警察手帳を開くなり、目撃者の女性に質問を投げかけた。
「どういう状況で目撃されたんですか?」
「コンビニで買い物した帰り道です。隣なので自転車で通りかかったんですよ」
「何時頃でしたか?」
「えっと、7時半でしたね」
「何か特徴はありましたか?」
「そういえば、背が高かったですよ」
「この子より高かった?」
マリが僕を指差しながら尋ねる。
「高かったですよ」
 女性は迷うことなく頷いた。
「このおっちゃんよりは?」
僕の次は海堂警部を指差す。
「さあ、同じくらいか高いか。はっきりとは分かりませんけど」
 女性はさっきとは違って、今度は自信なさげに首を傾げる。
「そうよね。一目見ただけで何センチかなんて分かんないわよね」
 マリは腕組みをしながら足元に視線を落とす。
「何か目安があればいいんだけどね」
 ユリは小首を傾げながら、左手の人差し指を顎の下に当てる。
「そういえば、あの塀よりも高かったですよ」
 女性は徐に右腕を挙げた。
 後方にそびえ立つ自宅のブロック塀を指差している。
 僕らは振り返って闇に埋もれた塀へ視線を送る。
 ユリが左手をかざして確認を取る。
「あの前にいたんですか?」
「そうです。頭が少し突き出てましたよ」
「普通に立っていたんですね? 背伸びしたり、台か何かの上に乗っていた訳じゃないんですね?」
「はい。こうやって普通に立ってましたけど」
女性は自分の足下を見下ろしてから再び顔を上げる。
「あの、メジャーってお持ちですか? あの塀の高さを測りたいんですけど」
「ありますよ。持ってきますね」
 女性は踵を返して家へ駆け込んでいった。
 それから、一分も経たないうちに戻ってきた。
 右手に円形の物体を握っている。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ユリはお礼を言って受け取り、丸い入れ物の中からメジャーを引っ張り出す。
「マリ、ちょっと下押さえてて」
「うん」
 マリは腰を屈めると、右手の親指でメジャーの先端を地面に押しつけた。
 ユリが真っ直ぐにメジャーを伸ばして塀の頂に目盛りを合わせる。
「ユウちゃん、照らしてくれる?」
「ああ、うん」
 ユリの頼みを受けて、僕はポケットから携帯を出した。
 ユリが押さえている部分に近づけて照らす。
「ユウちゃん、いくつ?」
「えっと、175センチだよ」
「175……?」
「ねえ、マリ。これってさ……」
「妙よね……」
 ユリはメジャーの先端を押し当てたままマリを見下ろす。
 マリは両手の親指でメジャーを押さえたままユリを見上げる。
 二人とも奇妙な顔で見つめ合っている。
 何が妙なんだろう? 
 何か合点のいかないことがあるのかな?
 ユリとマリが何を考えているのか、僕なりに推理してみた。
 右手をフレミングの法則のような形にして、顎に当てながら俯く。
 答えはすぐに見つかった。
 謎は全て解けました。
 そう、ユリとマリは……
「ねえ、ユリとマリってさ。塀の高さマニアなんでしょ?」
「えっ?」
「はっ?」
 ユリはきょとん。マリは僕を睨んでいた。
 どうして睨まれなければいけないのだろう。
 僕は普通の質問をしただけなのに。
「うーん、塀の高さマニアってわけじゃないんだけどね……」
「うん。塀の高さマニアじゃないけど、ちょっとね……」
 ユリは右手の人差し指を顎に当てながら首を傾げていた。
 マリは目を瞑りながら溜め息をついていた。
 どうやら、的外れな質問をしてしまったらしい。
 肩身が狭いけど、しょうがない。どうせ、僕はワトソン役だ。
 口を開けば頓珍漢な推理しか出てこないだろう。
 でも、何気ない一言がヒントになることが推理小説ではよくある。
 だから、思いついたら何でも言ってみよう。
 僕だって少しくらいは役に立ちたいんだ。

「警部さん……」
 扉の隙間から顔を覗かせた瞬間、カズミさんは切羽詰まった声で海堂警部を呼んだ。
 僕らの来訪に驚いているというより、何か言いたげに唇を震わせている。
「どうされたんですか?」
「昨日から主人が帰ってこないんですよ」
「帰ってこない? どういうことですか?」
 カズミさんの口から衝撃発言が飛び出したものだから、海堂警部はかっと目を見開いた。
 一歩前へ、大きく踏み出す。
 僕とユリとマリも後ろで一斉に息を呑む。
「私、昨日の昼に買い物へ出掛けたんです。それで帰ってきたらいなくて」
「家を出たのは何時頃ですか?」
「確か、11時くらいですね」
「ご帰宅されたのは?」
「12時前後だったと思います」
「それで、ご帰宅されたら姿が見当たらなかったと?」
「最初はもちろんどこかに出掛けたのだろうと思ったんです。でも、夜になっても帰ってこないのでキョウさんに連絡を取ったんです。でも、家にも来てないし電話もない。何も知らないと言ってたんです」
「他にどこか電話は掛けられたんですか?」
「会社の皆さんにも連絡を取って聞いてみましたよ。けれど、家にも来てなければ電話も掛かってきてないと。口を揃えて、そうおっしゃるんですよ」
「ここの家にもタカヒロさんから一切、電話は掛かってきてないんですね?」
「ええ、何の音沙汰もありません」
「何か、なくなっている物はありませんか?」 
「そういえば、黒いニットキャップがありませんでした。以前、ユリさんが見てらした物です」
「第一の事件の時ですね」
「そうです。テーブルの上に置いてあったじゃないですか」
 ユリとカズミさんの話を聞いて、僕の記憶も蘇った。
 黒がお好きなんですかと、ユリがタカヒロさんに質問をしていたことを思い出した。
「もしタカヒロさんから連絡があれば、すぐに知らせてください。お願いしますよ?」
「はい。分かりました」
 海堂警部が念を押すと、カズミさんは小さく頷いた。
 カズミさんの顔は酷く強張っていた。

 僕らは吉野家の門前で輪になって、タカヒロさんの失踪について話し合っていた。
 白いカーテンから漏れる二階の窓明かりを見上げながら、海堂警部が呟く。
「捜査の手が伸びていると思って、それで逃げたのかもしれないね」
「それかさ、あいつらが殺したんじゃないの? やられる前にやってやるって思ったのかもしれないわよ」
 マリは顔を歪めながら声を落とす。
「おいおい、マリ君。縁起でもないことを」
 マリの物騒な予想に対して、海堂警部は苦笑している。
 だけど、なきにしもあらずと考えているような顔だ。
「もしかしたら、近所の人たちが何か知ってるかもしれないわよ。聞き込みしてみない?」
「そうだね。行こうか」
 幸運なことに、僕らは一軒目で早くも有益な目撃証言を得ることができた。
 僕らはサラリーマン風の男性と玄関先で立ち話をしていた。
「吉野さんのことですがね。何か変わった様子は無かったですか?」
「変わった様子というか、怒鳴り声なら聞きましたよ。庭で車を弄ってたら聞こえてきたんですよ。何か、言い争うような声が」
「それはいつの話ですか?」
「昨日ですよ。たぶん、昼の12時頃ですね」
「相手は何歳くらいだと思われますか?」
「若い男の声でしたよ。10代か20代の」
「それで、その後はどうなったんですか?」
「いえ、その後は知りません。家に入ったので」
「男の姿は見てないんですね?」
「見てませんね。声だけです」
「他にタカヒロさんのことで、何かご存知だったら教えていただけますか?」
「どうでもいい話ですけど、庭でゴルフの素振りをしてる所を見たんですよ。ドライバーを持ってやってましたよ」
「日付と時間は覚えてらっしゃいますか?」
「15日の昼頃でしたね。肩を押さえて踞ってましたよ」
「肩を? どっちの肩ですか?」
「右ですよ。素振りをした後、こうやって押さえて痛がってましたよ」
 男性は左手で自分の右肩を押さえながら再現してみせる。
「その時、タカヒロさんと話はされたんですか?」
「いえ、会話はしてません。遠くから見てただけです」
「15日の昼頃。ユリ、てことはさ……」
「うん。そういうことだよね……」
 隣を振り返ると、ユリとマリは唖然とした顔で見合っていた。
 そういうことって、どういうことだろう? 
 タカヒロさんは誰と何を言い争っていたのだろう?
 そして、今どこにいるのだろう?
 三つの疑問が頭の中で、いつまでも回り続けていた。

 これまでの冷静沈着な態度とは対称的に、キョウさんはソファーの上で錯乱状態に陥っていた。
 さっきから鼻を掻いたり、膝の上でしきりに両手を開閉している。
 タカヒロさんが行方不明となったとあっては、さすがに落ち着いていられないようだ。
「キョウさん、本当に何もご存じないんですね?」
 海堂警部は身を乗り出して厳しい顔で問い質す。
「僕は何も知りませんよ。こっちが聞きたいくらいですよ」
 キョウさんは溜め息をつきながら頭を振る。
 それから、両手で頭を抱えながら踞る。
「カズミさんとは電話でどんな話をされたのですか?」
「昨日から帰ってこないと電話があって、心当たりはないかと聞かれたんです。何もないので分かりませんと答えて。それだけですよ」
 海堂警部が二つ目の質問をぶつけると、キョウさんは頭から手を放して体を起こした。
 記憶を呼び覚ますように天井を見上げる。
「できれば速やかに我々に知らせていただきたかったですね」
「きっと、お義母さんも取り乱していたんですよ。でも、なぜ、お義父さんはいなくなったんですかね?」
「どうですかね。何か事情があるのかもしれませんがね」
「まさか捜査の手が及んでいて、それを感じ取って逃げたと?」
「正直に申し上げれば、その可能性もあると思いますね」
「そんなはずないですよ。お義父さんが死神だなんて、そんなはず……」
 キョウさんは激しく首を横に振る。
 まるで、自分に言い聞かせるかのように。
「ユリさん、お義父さんは犯人じゃないですよね?」
「分かりません。今の段階では何とも言えません」
 ユリは目を小さくしながら首を横に振る。
 滑らかな髪が僅かに揺れる。
「そういえば、キョウさん。ゴルフバッグを買われたんですよね?」
「ゴルフバッグ?」
「この前、タカヒロさんに聞いたんですよ。デパートでゴルフバッグを購入している所を見たって。そのゴルフバッグって今はどこに置いてあるんですか?」
「もう捨ててしまいましたよ。買ったはいいものの、興味が失せてしまって。やっぱり、僕にゴルフは向いてないですね」
「あと、結婚指輪のことですけど。タカヒロさんとカズミさんに伺ったら、キョウさんはずっと付けているとおっしゃっていたんですよ。それなのに、たまに外すと話されていたので」
「ああ、最近はたまに外すんですよ。お義父さんとお義母さんは知らないんですね」
 ユリは未だにゴルフバッグと結婚指輪に関する矛盾にこだわっているようだ。
 辻褄の合わないことは気になって仕方ない探偵の性だろう。
 だけど、二つともマリの言っていた通りの回答だった。
 やっぱり、気にする程のことではなかったようだ。
「そうだ、警部さん。お義父さんの家でも凶器の捜索はされたんですか?」
「探しましたよ。しかし、不審物は見つかりませんでした」
「ほら、やっぱりお義父さんは無実ですよ」
それ見たことかとばかりに、キョウさんは両手を横に広げる。
「しかし、どこかに隠してあるかもしれませんからね」
 だけど、海堂警部は頭を振る。
「また、お話を伺うことがあるかもしれません。何度もすいませんが、その時はよろしくお願いしますよ」
「お義父さんの疑惑が晴れるのなら、いくらでも協力させていただきますよ。いつでもお越しください」
 海堂警部が帰った後も、ユリとキョウさんは話をしていた。
 話題はサクラさんのことへと移っていった。
「サクラさんって、どんな人だったんですか?」
「本当に優しい女性でしたよ。僕にはもったいないくらいの」
 さっきまでとは違う穏やかな笑顔で、キョウさんは話す。
 懐かしむように目を細めながら。
「どこでお知り合いになられたんですか?」
「大学の同級生だったんですよ。最初の授業の時、教室で見て一目惚れしてしまって」
「よろしければ、詳しいお話を聞かせていただけませんか?」
「ええ、いいですよ」
 キョウさんは笑顔で頷く。
 遠い眼差しで天井を見上げると、静かに言葉を紡ぎ始めた。

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