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一話完結


PM10時50分
 病院の椅子に座る女性の手には、3時で止まってしまっている血塗られた時計が握られている。

 3時で止まってしまった時計。あれから、何時間が経っているのか、女性にはわからない。わからないが、興味はなかった。
 女性は血塗られた時計を、止まってしまった時計を握りしめている。動きを止めてしまった時計。

 ただ時計を握りしめて居る。

 女性は、時計に向けて何を祈っている。
 その祈りを止める事は誰にもできない。

★☆★

PM2時40分

「沙織!早くしないと塾の授業に間に合わないわよ!」
「大丈夫!ママ。送ってよ。夜には雨が降る予報だよ」
「しょうがないわね。車で待ってるから、早くしなさいね」
「はぁーい。着替えたら行く!」

 母子家庭。
 娘の沙織(さおり)と家の主人である朱音(あかね)が二人で住むには広い家だ。

 死別した旦那の実家だった所に住んでいる。旦那のご両親もすでに他界しており、沙織と朱音は二人だけでの生活になってしまっている。旦那は、交通事故だった。免許取り立てで酒を飲んで暴走した車に跳ねられた。自賠責にも入っていない車だったために、雀の涙ほどの保険金が支払われた。
 幸いな事に、持ち家だった事や、旦那の両親が経営していたマンションがあるために、生活が困窮する事はないが、朱音はそれらに頼ることなく、娘の沙織を育てる考えでいた。2棟あるマンションの収入は、娘の将来のために全部貯蓄にまわしているのだ。

 娘の沙織も父親の死から立ち直りつつ有る。
 今年高校3年になる。将来の夢もしっかりと見定めた大学に行こうと思っている。母親に内緒で、奨学金が出る学校に行こうと考えて居る。そのために、自分でバイトしてためたお金で塾に通いだした。

「沙織!」
「はい。もうちょっと。パパに挨拶してから行くよ」
「わかった。早くしなさいね」
「うん。わかっている」

 沙織は、仏壇で手を併せて、父親に塾に行ってくると挨拶をした。

「あっそうだ。ママ。今日、30分位遅くなる」
「そうなの?」
「うん。それで、いつもの塾の前じゃなくて、駅に来てくれると嬉しい。後、帰りにバイト先に行きたいけどいい?」
「そう?わかった。ママも仕事の後だから、早くついたら、近くで車停めて待っているわね」
「うん!」

 塾まで、車で10分程度だ。

「あっそうだ。ママ!塾の前に、イオンによって欲しい」
「いいけど?」

 朱音は車の時計を確認した。
 塾に行く時間には余裕はないが寄る位なら大丈夫だと判断した。

「何か買い物?」

 買い物なら時bんがやっておこうと思って聞いたが、娘からの返事は違っていた。

「ううん。頼んでいた物が届いたから受け取り」
「1階?」
「ううん。二階」
「それじゃ屋上で待っているわね」
「わかった」

PM2時45分

 朱音は慣れた道を走って、ボーリング場が併設しているイオンの屋上駐車場に車を停めた。
 丁度エレベータホールの近くに駐車スペースを見つけて、朱音は車を滑り込ませた。

「早く行ってきなさい」
「わかっている!」

 沙織は、助手席から降りて階段で二階に走った。

 5分後に、沙織は戻ってきた。

 イオンから塾までは、道が混んでいても10分位で到着できる。
 朱音は、十分に間に合うと考えて、少しだけ安心した。

 手荷物が増えた感じがしないことを不思議に思った。

「荷物は?」
「ん?カバンの中に有るよ」
「そう。もういいの?」
「うん!後は、帰りにバイト先に行けば大丈夫」

 学校の事や塾の事や友達との会話を、沙織は車の中で朱音に離して聞かせている。
 そんな他愛もない話をして居ると、駅の横にある塾に到着した。

 車は、いつものように塾の前にある。駐車スペースに停めた。助手席から、沙織が降りていった。

PM2時58分

 沙織が受講する授業の10分前に塾に到着できた。

 いつもと変わらない風景と時間の流れ。

 しかし、この日はここからが違っていた。

 塾に入っていく沙織を見送った。
 朱音が、車をスタートさせるためにパーキングからドライブにギアを替えた時に、塾の方から悲鳴が聞こえた。

”キャァ”
”逃げろ”
”ナイフを持っている!”

”誰か刺された!救急車!警察を呼べ!”

 塾が慌ただしい。
 朱美は、エンジンを停めた。胸騒ぎがして、塾の中に駆け込んだ。

 何かとすれ違った感じはしたのだが、沙織を探す事を優先した。

「沙織!沙織!無事なの?どこに居るの!」

「マ・・・マ・・・。よかった・・・。マ・・・マ・・・」

 朱音は、どこから声が聞こえたのか解っていたが、頭では理解しているが信じたくなかった。
 沙織が今日着ていた服は覚えている。

 (背中にあんな赤いシミはなかった)

 沙織が倒れている場所に、何かを引きずった跡があり、赤い線が引かれているようだ。

 (沙織。沙織。沙織。沙織)

 朱音と沙織の周りだけ時間が止まって居るようだ。
 静寂の中に居るようで、二人の息遣い以外は何も音が聞こえないようだ。

「さ・・・お・・・り?」
「マ・・・マ・・・」
「沙織?何寝ているの?授業に行かないとダメでしょ?」
「ご・・・め・・・ん。立てない・・・」
「しょうがない子ね。ママが起こしてあげるよ」

 沙織の血で汚れた床に跪いて、沙織の身体を触る。
 刺された跡に手を置いて止血するかのようにしてから、ゆっくりと沙織の身体を起こす。

「マ・・・マ・・・。私のバッグどこ?」
「あるわよ」
「中に、とけいやの箱があるから取ってほしい」
「わかった。わかったから、喋らないでお願い」
「だ・・・め・・・いまじゃなきゃ・・・」
「これ?」
「そう・・・ママ。右手出して・・・あれ?うまく・・・」

 袋は、イオンに店舗がある時計屋の物だ。
 沙織は、薄れゆく意識のなか、力を振り絞って、袋から朱音のために購入した時計をと出した。
 けして高い物ではない。数ヶ月まえに見つけて、店に頼み込んで取っておいてもらった物だ。

「ふぅ・・・で・・・き・・・た。マ・・・マ・・・。ちょっと早いけど・・・お誕生日おめでと・・・う。あれ?とけい・・・。動いて・・・い・・・な・・・い?」

 朱音は今日が誕生日だ。
 沙織は、母親の誕生日に向けてバイト代を貯めて、時計をプレゼントしたのだ。

「沙織!沙織!嘘よね。沙織。お願い。目をあけて、お願い。沙織。ほら、貴女がはめた時計よ。見てよ。貴女が買ってくれた時計。似合う?沙織。沙織!」

「お母さん」
 救急車と警察が到着して、救急隊が朱音に声をかけた。

「誰!あ!沙織を沙織を助けて!お願い。何が必要!命?命なら、私の命を使って!私の全てを・・・お願い。沙織を。沙織を・・・。まだ17歳なの。お願い」
「・・・」
「私が悪いの?私が、私が、沙織を塾につれてきたから?イオンによったから?塾に・・・あぁぁぁぁぁ沙織!沙織!沙織!」

 救急隊は、沙織をストレッチャーに載せた。救急車の運搬に邪魔になると言われて、朱音は警察官に車の鍵を渡した。車なんてどうでも良かった。沙織が助かればそれ以外は何もいらない。自分の命さえ・・・。

 救急隊は母親である事を確認して一緒の救急車に載せた。
 救急隊は、母親から話を聞いて応急処置を行っている。病院に受け入れ申請が通った。救急車は、塾から高架横の通路を通っていく。
 そのまま市役所の横を抜けて、海岸沿いの道路に出た。そこから救急車が加速した。救急隊は、焦っている。今までの経験から、娘が助からない可能性が高い事を・・・。でも、1分でも1秒でも早く処置を行う為に、救急車を飛ばす。大型ショッピングセンターの横を抜けた。救急隊は、沙織に必死に声をかける。先程から、沙織の脈拍が弱っているのがわかる。朱音は、手を握って離さない。何に祈っていいのかわからない。

「あなた。義母様(おかあさま)義父様(おとうさま)。お父さん。お母さん。お願い。沙織を連れて行かないで、お願い。沙織を助けて、お願い」

 朱音が呼びかけるたびに脈拍が振れる。

「お母さん。娘さんは頑張っています。声を、声をかけてください」
「はい。はい。沙織。沙織。沙織。沙織。沙織。沙織」

 車は、まっすぐの道を走っていく。
 普段なら車の通りがあるが、今日は車が少ない。

 信号待ちをしている車が左側に寄る。

『救急車。信号を直進します。直進します』

 信号で速度を落とすが、4車線ある道路が静寂に包まれて、救急車のサイレンだけが鳴り響く。道路を通過中に、サイレンが止む。

 救急口には連絡を受けた担当医が待っていた。
 救急車が停車した。

「患者は?」
「田口沙織さん。17歳。O型。背中を刺されています。心拍・・・」

 救急隊から医師に引き継ぎが行われる。

「お母さんですか?」

 沙織の手を離そうとしない。朱音の手を、看護師の女性が優しく離す。

「あ・・・」
「娘さんは、今から手術をします。お母さん」

 後ろでは、医師が引き継ぎを終えて、手術室に沙織を連れて行く。
 緊急手術と怒鳴っている。準備はできているようで、そのまま病院のストレッチャーに載せられて、消えていく沙織の姿を、朱音はスローモーションでも見るかのような感覚で見送った。

「さ・・・お・・・り。あなた・・・お願い。連れて行かないで・・・。沙織を守って・・・お願い」

 朱音は、それだけ言って、座り込んでしまった。
 病院には、他にも数名運ばれてくる。医師も看護師も、命の危険性がない朱音にいつまでも関わっていられない。

 戦場になる事がわかっている。
 全部で、29名が切られたり、刺されたりしている。すでに死亡が確認されている被害者も居るようだ。犯人は、まだ逃げている。付き添っていた警官から看護師が情報を収集している。警察も救急隊も病院もこれからが本当の戦場だ。

 区内にある病院に割り振ったが、比較的軽症な者は、区外の病院に割り振られた。
 塾の前に停めてあった朱音の車は、塾の講師が責任を持って、講師陣が使っている駐車場に移動した。すでに、塾には事件の一報を聞いたマスコミが集まり始めている。そのために、朱音の車がマスコミに傷つけられるのを避けるための処置だ。

『午後2時30分頃に・・・犯人と思われる男性は・・・』

 待っている朱音の耳に、塾で発生した事件の第一報を伝えるニュースが聞こえてくる。

 沙織が腕に巻いてくれた時計を握りしめながら、朱音は必死に祈っている。
 死んでしまった旦那に、事件に巻き込まれた義父と義母。同じく事故で死んでしまった父と母。全ての者に、頼み込んでいる。
 まだ17歳の娘を連れて行かないで欲しいと・・・。助けてほしいと・・・。
 娘の代わりが必要なら、自分の命を差し出すから、娘は・・・。娘だけは・・・と、全ての神に祈っている。

★☆★

 沙織の手術は、まだ終わっていない。
 病院に到着してから、10時間・・・。背中の刺し傷が多数の血管や神経を傷つけていた。

 10時間経過するが犯人はまだ逃げているようだ。

 時間の経過とともにいろんな事がわかってきた。

 犯人は、去年この塾を受講して、難関大に挑んだ。塾の判定では、A判定。よほどの事がなければ落ちる事はない。
 男は受験に失敗した。失敗したのにも理由がある。判定で安心した男は努力を止めたのだ。

 男は酒と薬に手を出した。部屋から一歩も出ない生活が続いた。世間から取り残されたと思った男に、同級生がGWで帰省してきたが自分には一切連絡をしてこなかったとわかって気落ちが弾けた。自分が悪いのではなく”しっかりと教えなかった塾が悪い”と考えて通販で買ったナイフを持って復讐に向った。

 塾では、判定の説明をした講師を呼び出して、八つ当たりをした。
 講師の態度が気に入らなかったのだろう、持ってきたナイフで首を刺した。講師は即死に近い状況だったようだ。

 血の匂いと自分の行為で男は興奮した。
 ナイフという武器と周りの視線で男は狂喜した。自分が認められた、自分はやはり天才なのだ、ナイフを持つ手が震えなくなった。たった二本のナイフで自分は何でもできる天才で、最強なのだと・・・・。

 男は凶行に出る。
 このダメな塾で学んでいる奴等を救う事ができる唯一の人間が自分で、方法は殺すことだと考えて実行に移す。

 実習室にいた10人を次々と刺した。
 講師の部屋に移動して、授業の準備をしていた講師3人を刺した。

 悲鳴を聞きつけた警備員と揉み合い。警備員の1人を刺した。

 逃げ遅れた、生徒たちを次々と切りつけていった。沙織も、この逃げ遅れた生徒の1人だった。

 沙織は、悲鳴を聞いてすぐに逃げようとした。しかし、逃げてくる男子に突き飛ばされて、壁に頭をぶつけてしまった。その時にバッグを踏みつけられてしまっていた。
 起き上がった時にはすでに遅く、犯人の男が目の前に迫っていた。慌てて逃げようとバッグを拾った所で背中を刺された。屈んだ状態を上から刺された為に、思った以上にナイフが身体を傷つけた。
 逃げ遅れた生徒で沙織だけが唯一刺された生徒だ。切られた生徒は、傷が深い生徒は居るが命に別状がない者が殆どだ。

 最初に刺された10人は4人が心臓を刺されて、ブラックタグが付けられた。他の6人もレッドタグの状態だ。
 講師の3人は全員にブラックタグが付けられた。救急隊が到着した時には、手遅れの状態だった。自発呼吸がなく意識もなく気道の確保もない状況だった。

 切られた生徒の14人にはイエロータグがつけられている。沙織だけがレッドタグだ。

 朱音は、沙織から贈られた時計を握りしめている。
 踏まれたのかわからないが、3時で止めてしまった時計を、沙織の血で汚れてしまっている時計を握りしめている。

 手術が始まってから11時間が経過した。
 今は、AM2時・・・。手術はまだ続いている。
 他のトリアージでレッドタグがつけられた生徒の手術が徐々に終わっていく。

 沙織以外の手術が終わった。
 今わかっているのは、首を刺された講師の女性。実習室にいて心臓を刺された4人。レッドタグで手術を受けていたが、そのうち女子の1人。講師の3人の死亡が確認されている。すでに9人の尊い命が奪われた事になる。警察も沙織が10人目になると思っていた。

 警察も、救急隊も、この時間まで手術をしているとは思っていなかった。情報が入ってこないわけではない、自分の職務に忠実なだけだった。
 そして、看護師も被害者の母親が救急窓口の前で手術が終わるのを待っているとは思っていなかった。
 非日常の中の空白がその場所には流れていた。誰の目にも、朱音は写っているが、朱音の事を認識しないでいた。

AM2時50分
 救急から、病院に入電。同時に、警察から入電した。
 ”・・・塾・・・犯人。確保。犯人の男性19歳。逮捕時に、ナイフで自分の腹部を刺す”

 病院への受け入れ要請が入った。病院は、この受け入れを了承する。
 犯人の傷の状態を確認している。

 (さ・・・お・・・り・・・を、刺した奴が来る?)

 朱音は、腕時計を握ったまま。幽鬼のごとく、立ち上がった。朱音は、病院の売店に向った。閉まっている時間だったが、構わず店内に入って、雑貨の中に置いてある目的の品物を手に取った。レジに持ってきた自分の財布を投げた。

 何もなかったかのように救急口に戻って、時計を握りしめる。
 先程までと違って目には何かを決めたかのように、光が戻ってきている。

 救急車のサイレンが聞こえる。

 (後少し、沙織を刺した奴が来る。沙織の代わりに、刺した奴を殺せば、沙織は助かる。沙織は助かる。沙織は助かる)

AM2時57分
 サイレンの音が止まった。

 朱音は、自分の心臓の音が早くなるのがわかる。
 (沙織。もう少し待って。奴を刺せば、殺せば・・・)

AM2時59分
 病院の救急口が明るくなる。
 救急車が入ってきたのだろう。

 (ふっふふふふふ)

AM3時
 ストレッチャーが見えた。

 (沙織!もう大丈夫!)

 朱音が、売店から持ってきた、果物ナイフを手に取る為に、握っていた時計を離した。

 (え?時計が・・・。動き出した?沙織が呼んでいる?それとも・・・。沙織!)

 朱音は、沙織が教えてくれたのだと思った。
 沙織からもらった大切な時計が、止まっていた時計が、止まっていた時間が、動き出した。

 止まっていた時計が音を出して動き出したのだ。
 止まっていた心臓が動き出すように・・・。

 (沙織!沙織!沙織!)

 朱音は、ナイフを投げ捨てて、手術室がある場所に急いだ。

 12時間にも及んだ手術が終わった。

 手術室の灯りが消えて、先生がフラフラになりながら出てきた。

「先生?沙織は。娘は・・・」

 担当医は、疲れ切った顔で椅子に座って、マスクを外した。

「田口さん。娘さんを褒めてあげてください」
「え?」
「もう。大丈夫。手術は成功です。娘さんは助かりますよ」
「・・・」
「田口さん?」

 朱音は、声にならない鳴き声を上げながら床に座り込んでしまった。

 腕にはめられた時計は、娘からもらった誕生日プレゼントの時計は、心臓のように規則正しく時を刻んでいた。

AM3時5分
 この時間は、朱音が娘の無事を確認した時間であると同時に父親が息を引き取った時間でもある。

★☆★

 沙織が意識を取り戻したのは3日後だ。
「ママ?」
「沙織?良かった・・・」
「痛いよ。ママ。私、助かったのだね」
「そうだよ。沙織。もらった時計が、貴女が無事な事を教えてくれた」
「え?」
「ほら・・・。時計、動いているよ」

 朱音は、腕にはめた時計を娘に見せた。
 病院は難色をしめしたが、朱音は頑として聞き入れないで、血塗れた天板が割れた時計をしていた。目が覚めるまでは、付き添うと言って聞かなかったのだ。

「ママ。ごめん」
「何を謝るの。沙織は何も悪くない。悪いのは、あの男だけ」
「そうだ、犯人は?」
「捕まったわよ」
「そう」

 二人の間に沈黙が訪れるが、嫌な沈黙ではない。
 お互いがお互いの事を思っているのがわかる沈黙なのだ。

 朱音は、沙織が無事だった事を喜んだ。
 沙織は、母親が自分を心配してくれた事が、そして母親を1人にしなくて済んだ事を喜んだ。

「あ!」
「どうしたの?ママ?」
「あのね。沙織のバイト先の店長さんが来て、シューケーキを置いていったわよ」
「え?」
「私の誕生日ケーキを頼んでいたでしょ?」
「うん」
「いいわよ。でも、日持ちしないからって店長が毎日同じ物を作って持ってきてくれたわよ」
「え?本当?」
「うん。そうだ。チョット待ってね」

 朱音は、手を叩いて立ち上がって病室を出た。

 看護師と担当医に朱音が意識を取り戻したと告げた。
 看護師と医者が来て容態を確認して、警察が話をしたいと言っていたが、朱音はその前にやることがあると言ってケーキを持ってきた。

「沙織。3時のおやつを食べよう。少しならいいという話だからね」

 近くにいた看護師と担当医も、苦笑しながらうなずいている。
 点滴が入っている上に4日間食べていないので、胃が弱っているが、ケーキを少し食べる位なら問題は無いと言われている。
 それに、娘が母親の為に用意した誕生日ケーキを、当日に食べられなくなったからと、バイト先の店長が毎日注文と同じ物を作って見舞いに来てくれていた。そんなケーキを食べるなと言える者は居ないだろう。

「うん。ママ。少し遅くなっちゃったけど、誕生日おめでとう!」

 4日遅れの誕生日ケーキを3時のおやつとして母娘で一緒に食べた。
 二人はこのときのケーキの味を忘れる事は無いだろう。

 朱音は、沙織には長いリハビリが待っている事を知っている。
 沙織は、足が自由に動かない可能性を感じていた。でも、そんな事は些細な事だと思っている。動かないのなら、動かせばいい。あの時に、3時に止まってしまった時計がまた3時に動き出したように、動かなくなった足なら動かせばいい。自慢の母親にできた事なら、自分にもできると感じている。

fin.

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