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31.二人はきっと、似た者同士。

 久遠寺(くおんじ)は再び語り始める。

「それで分かった。あの時伸びたのは、誰か知らない人が、私のかいたやつをみて、ポイントを入れてくれたからじゃないって。まあでもそれだけならまだいいよ。元を正せば、悪いのはあいつ(鷹瀬)だからな。問題はその後だ」

「その……後?」

 疑問形。しかし天城には何となく予想がついていた。そして同時に、嫌な予感もしていた。

 久遠寺は続ける。

「そう。この間部室に行こうかと思ってた時だ。何か見覚えのない顔が入ってくんだよ。私はそんなこと聞いてなかったし、なにより誰だか分からないやつがいる部室に入ってく訳にはいかないからな。だから、外から様子を伺った」

 予感は完全に的中した。つまり天城が気になった物音というのは、

「それからはまあ、説明するまでもないよな。会話が終わって、人が出てきそうになったときは流石に焦ったけどな」

 つまりはそういうことだ。

 赤川への事情聴取を終えた後、微かに聞こえた物音は、天城が気になって仕方のなかった気配の正体は、久遠寺だったのだ。

 天城は未だに温度差を埋めきれず、

「……ってことは、あの時の物音は久遠寺だったわけか」

「そう」

「一応俺、軽く人が居ないか探してみたんだけどな」

「階段の下も?」

「……そこは軽く覗いただけだな」

「じゃ、分からないだろうな。一階まで降りてたから」

 気が付かなかった。あんな短期間で階を移動しているとは思っていなかったし、足音がすれば分かるものだと勝手に決めつけていた。足音がしないように歩くことも、天城が来る前に上の階へと移動してしまうことも、そんなに難しいことではないのにも関わらず、最初からないものとして考えてしまっていた。そこまでの慎重さをもって、部室の外から会話を盗み聞きする相手が、天城の頭には全く思い浮かんでいなかった。

 久遠寺は先ほどよりは柔らかな口調で、

「まあ、とはいってもさ。どっちも、ルール上は問題ない、んだよね」

 星生が冷静に、

「どちらかといえば、違反に近かったのは紫乃(しの)のほう」

「そう、だね。だから、まあ、問題ない。問題無いんだけどさ」

 ふぅっと深く息を吐き、天城の方を向く。その顔は恐らく今まで一度も見たことのないもので、

「なんだろうな。これ。そりゃ、結果的には皆凄い評価してくれたんだよ。それは分かってる。分かってるんだけど、違うんだよ」

 言いたいことは痛いほど伝わってきた。

 久遠寺と鷹瀬の書いた作品に投じられた評価ポイントの過半数は、恐らくどちらかの知り合いが投じたものだ。もちろん、「Novelstage(ノベルステージ)」にアカウントを作ったのはつい最近で、しかもそれ以前の活動とは全く関係の無い名義で、更にはアカウントに対するフォローも殆どしていなくて、SNSでの関わり合いも全くない、知名度ゼロの状態からスタートしたという事実は、それだけ、そういった「身内票」が多くなりやすい土壌となっていたことは間違いない。そんなことは久遠寺だってよくよく理解しているはずである。

 それでも、久遠寺は、そんな票を「水増されたもの」だと理解した。その考えも分からなくはない。天城や星生であれば、顔見知りかどうかなど全く考えるための資料にもせず、ただただ作品だけを見て評価を入れるだろう。

 そしてそれは、恐らく二木や、赤川にも言えることだ。だがその「こいつは信頼出来る」という判断はつまり、その人を知らなければ基本、あり得ない。天城にとっては既に見知った相手でも、久遠寺からすれば、「身内だからと高評価を入れるやつ」という可能性を捨てきれないのだ。

「それでも、さ。やってることはほら、間違ってないだろ?バランス調整っていうか、そういう感じのさ。でも、それだったら言って欲しかった」

 久遠寺はなんとも不格好な笑顔を作り、

「編集者の人とか、赤川(あかがわ)とかにさ、結果的に見せることになったんならそれでいいよ。でも、それを言って欲しかった。宣伝してくれるなら嬉しいし、それで相手も面白いって思ってくれるならもっと嬉しい。けど、言って欲しかった。教えて欲しかった。でも、それは無かった」

 天城は力弱く、

「でも、あれは鷹瀬のグレーなやり方に対して、」

「分かってる」

 遮られる。

「分かってる。それはちゃんと」

 沈黙。

 やがて久遠寺がゆっくりと、

「私な、最初はお前と手を組むつもりなんて無かったんだよ」

「……まあ、そうだろうな」

 ところが久遠寺は首を横に振り、

「多分分かってないと思う。私からしたらさ、天城って怖い存在だったんだよ」

「……怖い?」

「そう。まあおっかないとかそういう意味じゃないけどな。なんていうか、一定の距離を置いておかなきゃいけない相手っていうか。そういう感じで。だから、協力なんてもってのほかだと思ってた」

 言葉を切って、星生の方を見て、

「でも、天城と同じようなことを葵も言ったでしょ?だから、もしかしたらって思いもあって。それで、力を借りようって思った。その選択自体は、多分、間違ってなかったと思う」

「それじゃあ」

 久遠寺は再び天城の方を向き、

「でも駄目なんだ、やっぱり。多分、これは、私の問題、だから」

 天城は未だに、事態の半分も理解できずにいる。

 久遠寺が天城を「怖い」と表現した理由も、一定の距離を取った理由も、それだけの判断をしていてなお、天城と協力する道を選び取ったその選択の意味も、何一つ理解出来てはいなかった。

 そして、

「ごめんね、葵。多分、少しの間顔出さなくなっちゃうと思う」

 星生はやはり淡泊に、

「構わない。何かあったら連絡してほしい」

「ん」

 天城は考えもなしに、

「えっと」

「そういう、事だから。多分、暫くここには来ないと思う。うん。それだけ」

 それだけなはずがあるものか、と思う。

 久遠寺は間違いなく自分と同じ人種だ。しかも天城の後を歩いている。その道は獣道であり、歩けば必ず躓いて転んでしまう道だ。そこを歩いてはいけない。そう思ったからこそ天城は久遠寺にわざわざちょっかいまでかけて”忠告”したのだ。

 そのはず、だったのだ。

 ことここに至って天城は漸く自らの過ちに気が付く。

 逆、だったのだ。

 だとすれば久遠寺がやってきたことは、天城に対する当たりの強さは、時には暴力もちらつかせるその態度は、クラスで見せるのとは全く違う顔は、全て天城はきっと大丈夫という信頼感が作り出していたものだったのではないか。そして、天城のしてきたことと言えば、

 必要な言葉は何一つ思いつかない。

 事実だけを並べてしまえば、本当に些細なことなのだ。

 天城が久遠寺に、報告しておくべきことをしなかった。たったそれだけだ。

 もっと言ってしまえば、その内情も大したことではないのかもしれない。

 久遠寺は少しの間、恐らくは今学期中は部室には表れないだろう。その後は分からない。しかし、天城はまた顔を出すような気がする。久遠寺にとってそれだけここは居心地のいい空間になっていたはずだ。その認識はきっと間違っていない。ついでに言うならば、葵と会えるのも基本ここだけだ。そうなればやはり、全く現れなくなる、ということは多分ないだろう。

 天城に対しての接し方は分からない。ただ、口をきいてくれなくなったりはしないはずである。元々そこまで仲が良かったわけでもないのだから、気にすることもない。もし、何か変化があるとしても、それは今まで通り、数か月前の状態に戻るだけ。それはきっと些細な変化で、当事者以外、誰にも分からないはずで、

「……そういう訳だから。まあ、ほら、試験勉強とかもしなきゃいけないし。天城もやりなよ、勉強」

 嘘に決まっていた。

 試験勉強などここでやればいい。部活動は確かに試験一週間前から活動禁止となっている。しかし、部室で試験勉強をするくらいなら問題はないだろうし、そもそも久遠寺は部員ですらない。部員でない以上厳密には部活動に参加もしてないことになるわけだから、ここでやればいいのだ。コーヒーを入れて、いつものように。

「んじゃ、まあ。そういう事、だから。今日はそれだけ」

 久遠寺は、それだけ言って翻る。

 部室から、学校から家に帰る。たったそれだけだ。

 なのに、

「あ、」

「んじゃ」

 鍵を開け、扉を開け、外をゆっくりと確認してから、部室を出る。その姿は普段と全く変わりない。しかし、

「…………待て……って言おうとしたんだがな」

 その言葉は、受け取り手を失って虚空に消える。出し損ねた右手がだらりと下がる。

 静寂。

 耳をすませば微かに足音が聞こえる。その歩く速度だってきっと、今までとは何ら変わらないはずなのだ。

 天城はくるりと振り返って、いつもと何一つ変わらない顔で肩をすくめて、

「失敗、だったな」

 星生は感情も混めずに、

「そうかもしれないな」

「しかし、あれだな。まさか久遠寺が星生にそんなことを聞いてたとは思ってなかった」

「自分も、文音に話していないとは思っていなかった」

 間。

「何故?」

「ん?」

「何故、話さなかったんだ?」

「んー……」

何故話さなかったのか。その納得がいくような理由を、天城は未だに自分の中から見つけることが出来ずにいる。

 その場しのぎの回答ならいくつでも思い浮かんだ。

 久遠寺は間違いなく、鷹瀬のやったことを糾弾するだろうし、バランスを取った後もなお、承服する事は無いだろう。もしかしたら直接彼女の元に行って文句をつけにいくかもしれない。しかしながら鷹瀬がそんな文句を受けて頭を下げるような素直な性格であることは最早いうまでもないし、口論になった末、何一事態が進展しないであろうことは何となく見えていた。だからこそ、無駄な波風を立てるようなことはしない。そういう判断であったと説明することは出来る。

 あるいは、こうも考えられる。久遠寺は評価ポイントが入ったことを、大いに喜んでいた。そこに偽りはないだろう。そして、彼女はそのポイントが、まさか鷹瀬のグレーな行動に対するバランス取りの結果生まれたものだとは全く思っていないはずだ。

 もちろん、二木はきちんと、公正に判断し、ポイントを入れてくれたはずである。しかし、その認識はあくまで彼と直接あった天城にのみあるもので、久遠寺にはない。全くのぬか喜びということはないだろうが、水を差すような行為になってしまうことも否定出来ない。だからこそ言わずにおいたのだ、と。

 それでも、

「なんでだろうな?」

 そう、答える。いくらでも思い浮かぶ回答は、ここで述べていいようなものではない。そんな気がするのだ。

 星生はそんな胸中には全くの無関心であるらしく、

「そう、か」

 深追いはせずに、

「話は変わるが」

「なんだ?」

「飲み物を買ってきてくれないか?」

「飲み物?」

 意外だった。

 あまりに意外すぎて、思わず繰り返す。

 星生はあくまで淡々と、

「そう。飲み物。例の自販機で“抹茶コーラ”を一つ、お願いしたい」

「……それ美味いのか?」

「面白い」

 美味い、とは言わなかった。

「今ちょっと手を放したくない。代わりといっては何だが、余分に金を渡すから、天城も何か一つ、買ってくるといい」

 そう言って、星生はちょいちょいと手招きする。天城が近寄ると手を差し出してくる。つられるように手を出すと、

「これで、お願いしたい」

 五百円玉だった。

「分かった。んじゃ、買ってくるわ。おつりは」

「いらない」

「や、でも」

「大丈夫。なんなら色々買ってみるといい」

「……それは遠慮しておくよ」

 天城は受け取った五百円玉をポケットに突っ込み、

「んじゃ、ちょっと行ってくるわ。えーっと……」

「そこの階段」

「ん?」

「そこの階段を降りた先にある」

「え、マジで?」

 初耳だった。

 前に一度、自販機に寄ってから来たときは、そんな事はしなかったと思うのだが。

「そこは一応、非常階段のような扱いになっているから、あまり目立たないようになってる。だから文音も知らなかったんだと思う」

「なるほどな……」

 非常階段と言われて、数日前の出来事を思い出す。そういえばそんなランプが点灯していたような気がする。

「んじゃ、今度こそ、行ってくるわ。なんだっけ、抹茶コーラだっけ?」

「そう」

「了解。ちょっと待っててくれ」

「別に急がなくていい。ゆっくり言ってきてくれ」

「ゆっくりって……階段降りて、買って、上がってくるだけだぞ?」

「転んだら大変」

 天城は思わず笑い、

「分かった。気を付けて行ってくるよ」

 部室を後にする。


 非常階段を降りた先にある。

 そのフレーズを聞いた時から天城の頭にずっとちらつき続けていることがある。

 可能性でしかない。学校の敷地内外にはざっと二桁の自販機がある。しかもそのどれが「買った人に礼を言う機能が実装されている」かを天城は知らない。もしかしたら、学校の敷地外にある自販機にもその機能が付いていて、しかも音量設定がやけに大きくて、学校の校舎内からでも聞こえるレベルである。そんな可能性も決して少なくはない。

でも、と思う。

 あの時聞こえてきた声は確かに“あの自販機“だったような記憶がある。別にそんなに注意して聞いていたわけではない。しかも天城がそれを聞いたのは、久遠寺たちと一緒に行った一回のみである。聞き間違え、覚え間違えという方がよっぽど筋は通っているはずである。

 それでも、と思う。

 あの時聞こえたのは確かに“あの自販機”の声である。久遠寺が部活動に来る前に飲み物を買ってくる自販機であり、星生もまた愛用している自販機であり、天城がこれから飲み物を買いに行く自販機の声に他ならない。そんな予感が確かにしていた。
 そして、その予感は見事に的中する。

『お買い上げ、ありがとうございました!』

 飲み物が落ちてきた後、元気のよすぎる声に礼を言われた。


 同刻。現代文化研究部室に目を向けてみれば、そこはかつてと変わらない静寂に支配されている。ここ数か月間は何だかんだで人の活動する気配がその勢力を大きくしていたが、また元に戻ったような格好だ。

 その主である星生は目下、締め切りという絶対悪と格闘している。別に自分で決めたわけでもないのに、サボったってペナルティがあるわけでもないのに、また機会はいくらでもあるはずなのに、それでも星生はそのにっくき時限爆弾と戦い続ける。

 星生が顔をあげた、タブレット端末を少し操作して首を傾げる。納得がいかないのだろうか。やがて、休憩とばかりにペンを机に放り投げるようにして置く。その後、鞄の中をガサゴソと漁っていたが、すぐに目的のものは見つかる。紙パック飲料だ。星生はストローを取り出し、飛び散ったりしないように、念入りにパックの挿し口に穴をあける。その紙パックにはこう書かれている。“抹茶コーラ”と。
 

 同刻。天城は自販機とにらめっこしていた。好きな飲み物を買っていいと言われ、金まで渡された反面、やはり何かは買うべきだろうと思ったのだが、なかなかいいものが見つからないらしい。抹茶コーラが外れ値ならばよかったのだが、どうやらそれが中央値くらいにあるらしいことを天城は今日初めて知った。ゲテモノと表現するのが正しい飲み物の数は過半数を超えており、支配権を確保して我が物顔だ。そんなマジョリティに抑圧されるように細々と存続している、いわば「まともな飲み物」を探しながら、天城は自販機とのにらめっこを続ける。

 やがて天城の視線は一つの缶飲料に吸い寄せられる。

 “どろっと絞ったオレンジ”

 一つのフレーズから、絡まった糸が解きほぐされるように記憶が蘇っていく。

 久遠寺はこれが好きだったはずだ。少なくとも嫌いではありえない。その後好みが変わったかもしれないが、少なくとも天城が知る限りでは好きだったはずなのだ。

 この自販機はマイナーで、使う人間も少ない。だからこそ、恐らくはその補充もそこまで頻繁ではないだろう。もしかしたら、誰かが高頻度で買っている飲み物は、売り切れになっている期間がそこそこあるのではないだろうか。事実、めぼしい「まともな飲み物」は結構な頻度で売り切れていた。そして、


 星生は既に一息をつきおわり、ただゆったりとしている。やがて、ふうっと息を吐いて一言、「難儀だね、どっちも」と呟く。

 天城はぶん殴ると触るの中間くらいの力で、どろっと絞ったオレンジのボタンを押す。やがて一言、「……何やってんだよ」と呟く。


 そこに立ち止まっている場合ではないのだ。

 数日前、ここにいたはずの久遠寺は、今はもういない。きっと、驚いたはずである。ここを通ればずっと気軽に利用できると思ったかもしれない。そして、それはもう無駄な知識だと判断したのかもしれない。そして、きっと、ずっと張りつめていたから何か飲み物が欲しいと純粋に思ったはずである。何を選択したのか。それを、今の天城が知る由はない。ただ一つ、分かるのは、久遠寺が押したかもしれないボタンが、天城が押そうとしたボタンが、無情にも「売り切れ」の表示にかわっているということくらいだった。

しおり