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欺瞞

 焔を吐く。

 左右に、そして上下に頸を振り、魔焔を渦のごとくに撒き散らす。

 鬼どもの壮絶な悲鳴が焔の向こう側から轟いてくる。

 消し炭と化したその者どもは瞬時に粉となり、焔の熱が生んだ風に散らされていずこへともなく散ってゆく。

 背の上に落ちてくるものは揺さぶって振り落とし、尾に掴まろうとするものはそのまま締め上げて龍の頸の硬い鱗にぶつけ落とす。

 龍馬たちはそれぞれに、空の天心地胆から降って来る無数の鬼どもを討ち払いつづけた。

 だがケイキョの怖れていた通り、鬼どもは何百、何千、もしかすると何億という数に上るかと思わせるほどに無数にいた。

 このまま永久に、この鬼どもを討ち払い続けねばならないのではないか、そんなことまでを想わせる数だった。





 ――きりがないな。





 リョーマは、そう思いながら焔を吐く。

 ふと横を見ると、離れたところでフラ、そして黒龍馬のトハキが同様に焔や尻尾で鬼どもを黒焦げにし蹴散らしているのが見えるが、この二頭も恐らく、きりがないと思っていることだろう。



 やはり、陰曺地府にいるテンニを斃してしまわねば、終わらないのだろう――



 リョーマの中に、懐かしい微笑みが浮ぶ。





 ――リンケイ様――





 自分が、陰曺地府へ行けたなら!



 突如として沸き起こる嵐のように、そんな想いが胸に迫る。

 思わず眼を強く閉じる。

 たちまちリョーマの体に鬼どもがへばりつき、爪を立て牙を剥く。

 リョーマはぶるっと大きく身震いし、尾を強くはたいてそれらを叩き落とし、それから眼を開けた。



 ――こいつら鬼どもでさえ、陰陽界を通って来られるのに……なんでおれは、それができないんだろう。



 そう思ってから、リョーマは少しだけ、可笑しくなった。

 リンケイも、今のリョーマと同じことをよく言っていたからだ。



 ――でもリンケイ様は今はもう、陰陽道を通って陰曺地府に行けるんだ……陽世には戻れないけど……



 焔を吐く。



 ――龍馬も、呪いをかけてもらえば陰曺地府に行けるのかな。



 顔の上にへばりついてきた鬼を髭で巻き取り、がぶりと喰らいつく。



 ――聡明鬼は、なんで陰曺地府に行けるんだろう……鬼だからだろうけど、でも元は龍馬だったのに、なんで……



 馬の体を強く震わせ、しがみついていた鬼どもを容赦なく振り落とす。



 ――おれも、鬼になれたら行けるのかなあ。







「リョーマさん」







 鼬の呼び声に、はっと身を正す。



「ケイキョさま」リョーマは呼び返したが、鼬は念を送ってきたようで、周囲にその姿は見当たらなかった。



「リョーマさん、おいらとスルグーンさんは今から、陰曺地府に行って来やす」鼬は念でそのように告げた。



「陰曺地府へ?」リョーマは驚いて、鬼どもを焼くことも振り落とすことも忘れ龍の眼を大きく見開いた。「駄目だ!」叫ぶ。



「けど、陰曺地府でテンニを斃さない限り、この鬼どもは無限にやって来やすよ。スルグーンさんと、おいらも芥子粒ほどの力を何かの役に立ててもらってきやす」



「駄目だ!」再び叫ぶ。「スルグーンは何とかするだろうけど、ケイキョはここに居ろ。おれのいる、陽世に」



「リョーマさん」ケイキョは少し声を詰まらせた。「また、戻って来やすよ」



「おれはお前の従者だ」リョーマの中からはもはや、ケイキョに対して敬語を使うという意識がすっかり消し飛んでいた。「陰曺地府に行っちまったら、護れなくなっちまうだろ」



「リョーマさん」ケイキョはますます声を詰まらせた。「おいらは、大丈夫でやすよ」



「大丈夫なもんか」リョーマは言いながら、マトウの邸を目指し滑り降りはじめた。「行くな」



「おいらは精霊だ、テンニの打鬼棒を恐れずに対峙できやす」



「あの刀で一度やられたじゃないか」



「それは……そうでやすが、けど今はそんなこと言ってる時じゃ」



「駄目だ、行くな」リョーマの眼には、自分の周囲に群がる鬼どもすら映っていなかった。「陰曺地府に行くのは、リンケイ様だけでいい」



「――」鼬は、言葉を失くしたようだった。



「行かないで」リョーマはただそれだけを繰り返す。「行ったら駄目だ」





「ケイキョ」

 スルグーンの念が割り込んでくる。

「お前は残ってろチイ。おれだけが行って来るキイ」





「スルグーンさん」

「でも、フラは」リョーマがすぐにそれを訊く。「フラを独りにするのか」



「独りじゃないチイ」スルグーンははっきりと答えた。「リョーマ、お前がいるキイ」



「――」今度はリョーマが言葉を失う。



「それに俺は、絶対に生きて戻って来るチイ」スルグーンは叫ぶように言う。「あいつが、聡明鬼がいるからキイ。よろしく頼むチイ」





 スルグーンの念は、その直後にふっつりと消えた。

 天心地胆を抜け出たのだ。





          ◇◆◇





 天から降って来る鬼、無数に増え続ける鬼どもに対し、邸に集った降妖師たちの突き出す護符、吹き付ける朱砂がそれを撥ねつけていた。

 だが攻めと護りにおける数の差は如何ともし難く、隙間をすり抜けて人間たちの居る所へ鬼どもが侵入して来るまでにそれほど時間はかからなかった。

 リシら陰陽師たちも法術を駆使し、黒真珠や銀剣に法力を注ぎ対峙したが、果てしなく続く闘い、祓っても祓っても湧き出てくる鬼どもに、力においても気においても消耗が激しかった。



 何体めの鬼をねじ伏せた後だっただろう。

 突如轟音が響き、邸全体が大きく揺らいだ。

 リシははっと身を強張らせ、だがすぐにマトウの姿を捜して走り出した。



「マトウ様」叫ぶ。



 天井からぱらぱらと瓦礫が落ち、壁には亀裂が次々と走り行く。

 腕で頭部をかばいつつ、リシは灯火の消えた暗い廊下を走った。

 混乱し逃げ惑う人間たちとすれ違いぶつかり合い、押し退け、取りすがって来る手を振りほどく。



「鬼どもが」

「鬼どもが邸を壊した」

「どうすればいいんだ」

「助けて」

「どこへ行けばいい」



 人間たちはもはや、自分が助かることしか考えていない。

 リシはたちまち幾人もの手に捕まり、身動きも取り難くなったのだ。



「マトウ様」叫ぶ。「お前たち、マトウ様の元へ私を通せ」



「マトウ様はいない」

「一人で逃げたんだ」

「我々を見捨てて自分だけ逃げた」

「あんな卑怯な女のことなど知らぬ」



「何だと」リシは自分に群がる人間たちを睨みつけ、腕を強く振った。



「玉帝の御加護はどうなったんだ」

「我々をお護り下さるはずじゃなかったのか」

「嘘つきだ」

「卑怯者だ」



「――」リシは怒髪天を衝き、自分に取りすがる腕に噛み付いた。

 次いで腰から払塵を抜き取り、残りの者どもをぴしりぴしりと次々に打っていった。



「うわあっ」

「痛い」

「何をする!」

 人間たちは顔をしかめ体を曲げ、リシから離れた。



 リシはそのまま走り出し、マトウの居たはずの室の扉を引き開けようとした。

 だが邸はぐらぐらと何度も揺れ、扉も歪んでしまったようで、それは引っかかりびくともしなかった。



「マトウ様!」リシは叫んで扉を強く叩いた。「私です、リシです。ご無事ですか」



 返答はない。



「マトウさ――」





 ごごごご





 不気味な地響きが鳴り、視界が小刻みに震え、次には立っていられぬほどの揺れが襲った。

 リシはどこに掴まる事も出来ず、床上に座り込み腕で頭をかばい見上げた。





 ごうん





 ひと際大きな破壊の音が轟いたかと思うと、ついに邸は傾いてしまった。



「うわああああ」リシは廊下を、座り込んだまま滑り落ちていった。

 平らな床の上には手をかけ体を支えるものとてない。



 ――ここまでか。



 強く眼を閉じ、自分が無残に潰れ命尽きることを覚悟した。



 ――聡明鬼――



 黒い蓬髪と、碧の眸、笑っている顔を想い、歯を食いしばる。





 がしゃん





 その時破壊の甲高い音が耳を劈き、次の瞬間には柔らかくしなやかで長い尾がリシの体に巻きつき、ぐいと引っ張り上げたのだ。



 その感触を、リシは知っていた。



 眼を開ける。

 今リシは高く持ち上げられ、大きく傾いた邸を遥か下に見下ろしていた。



 そしてふわりと、よく知った感触の馬の背の上に乗せられた。





「トハキ」従者の名を呼ぶ。



「お怪我はありませんか」黒龍馬が素早く尻尾でリシの体全体を撫でる。



「ああ、大丈夫だ」リシは大きく安堵の息をついた。「ありがとう」



 トハキは主の危機に駆けつけ、倒壊しかけている邸の窓と壁を焔で焼き壊し、リシを尾にて巻き取り引っ張り出したのだ。



「ありがとう」リシは馬の背の上に倒れこみ、もう一度礼を言った。

 だがすぐに身を起こす。

「マトウ様を捜してくれ、トハキ」叫ぶ。「鬼どもに掴まってはいないか」



「かしこまりました」トハキは再び邸に向け降下して行った。





          ◇◆◇





 天から降ってくる鬼どもの数は、心成しか若干減ってきたようにも見えた。



 だが本当にそれは心成し、気のせいかも知れない。

 マトウは上目遣いに空を見、奥歯を噛み締めた。



 鬼どもと、話し合いで事を解決するなど、端から簡単に出来ることではないと解っていた。

 或いは、それを口にしながら自分の中では、端から無理な事だと諦めていたのかも知れない。



 ふ、と少しだけ笑う。



 こんな欺瞞の輩につき従ってくるなど、人間というものは実に愚かで浅はかな奴等だ。

 こんな欺瞞の輩の言葉を、宝のごとく有難がりその通りに生きようとする――その挙句がこの有様だ。



 今マトウは護符により堅固に護り固められた高い櫓の上に佇んでいた。

 従者らは邸の警護に戻らせ、ただ独り、櫓の上にて振り落ちてくる鬼どもを眺め渡していた。



 邸にも護符の護りは張り巡らせてあるので、当初鬼どもは弾かれ、撥ね飛ばされて地面に転げ落ち、邸の中へはおろかその壁や天井に触れることもかなわずにいた。

 だが鬼の数は黒き星屑かと思わせるほどにも増え、ついに護符の護りに隙間が生まれ、そうした途端邸には鬼どもがわらわらと入り込んでしまったのだ。



 阿鼻叫喚の叫び声が次々に、邸のあちこちで響き渡った。

 人々は爪に裂かれ牙に毟られして、たちまち邸内は地獄の様と成り果てたのだ。

 そして邸はついに、無数の鬼どもの手により叩き壊され、剥がされ、押し倒されようとしはじめた。







「リンケイ」







 マトウは、その名を呼んだ。



「お前は今、陰曺地府で何をしているのだ。うまくやっているのか」

 空に向け、問う。

「うまくやるとはつまり、閻羅王につき従い、此度の戦をけしかけた悪鬼と闘い捻じ伏せておるのかという事だ」



 眼を閉じる。



「私は、できなかった――うまく、やれなかった」

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