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陰陽師と閻羅王

 星空の下に立つ。
 月は大分太ってきたが、未だ半月にも満たず、力強き光芒を放つものではない。
 その下に、人々は立っていた。
 数十、否数百という大勢が並び立ち、皆同様に首を垂れ、腹の上で両手を合わせ眼を閉じている。



 彼らの多くは無言であったが、中には声を殺しつつも何かを唱え続ける者もいた。



 祈りを、捧げているのだ。



 何を――誰に――祈っているのか。
 スンキは今、自らは何を祈るでもなく、人々の祈る姿をただ見ている。
 どうして――いつから――祈っているのか。
 はっきりと認識をするでもなく、まるで炎に暖められた大気がふんわりと火の粉を上空に飛ばすような感覚で、ただそう思う。




 ――ここは、どこだろう……




 突然に、そのような想いが生れる。
 自分は何処にいて、何を見ているのだろう。
 いつから、こうしているのだろう――



 だが想いは半月ほどの大きさにも固まることなく、ふわり、と火の粉のように大気中に飛ばされ、すう、と消えた。
 スンキはうっすらと開けていた瞳をまた閉じた。




「テンニ先生」




 誰かが大声を挙げた。
「私どもに、どうぞお力を」
「鬼となられた今も尚、あなた様の力は絶大」
「我らを暴政からお救い下さい」
 その誰かに続き、大きな声が次々と挙がる。



 だがスンキはもう、眼を開ける気にならなかった。
 溶けるほどに、眠いのだ。
 もう誰が、何の為に、誰に祈っていようと、どうでもよいことだった――彼女は再び、眠りに就いた。




          ◇◆◇




「マトウとは、私と師を同じくする陰陽師の一人でした」リンケイは語り出した。「そして何故かは判じかねまするが、事あるごとに私の法術の使い方に難癖をつけたがり、批判し、私の失敗や失態を何よりも誰よりも取り立てたがるといった性質の者でした」



「なんと」
「底知れぬ悪女ですな」
 コントクとジライも片眉をしかめた。



「ふうむ」閻羅王は二度頷き、生死簿に眼を落とす。「それはまるで我が子を厳しく躾けんと望む母親のごとき態度だったという事かの」



「母親?」リンケイはぽかんと口を開けた。



「なんと」
「つまりそのマトウなる悪女は、陰陽師殿を我が息子のごとくに思っていたと」



「しかし、確かマトウは私より幾分年下の者であった筈ですが」リンケイは口を尖らせて解せぬ顔をする。



「年が上であろうと下であろうと、人間にはそういう想いを抱く相手の出来ることもあるものぞよ」閻羅王は口の端を下げ、半分うんざりしたような顔で笑った。「そしてそれを純然たる愛情であると思い込みもする」



「なんと」
「それではそのマトウ――」



「ああ」リンケイは二度頷いて腕組みをした。「なる程解せました」



「ほう」閻羅王はリンケイに眼を上げた。「思い出したか、マトウと己との関わりを」



「言われてみればマトウなる者は、私が生活の事をすべて式神にやらせているのを常に批判しておりましたな。そういう事は式神ではなく妻にやらせるべきものであると」



「妻に」
「つまり妻を娶れ、と」



「恐らく」リンケイは肩を竦めた。「式神にやらせるという事はつまり私が自分でやっているのと同じことですからな。マトウは独り身を通そうとする私の生き様が気に喰わなかったのでしょう。もっと人間と関わりを持ち、家族を持てと」



「ふむ」閻羅王もまた解せた風に頷き「しかしそれほどまでに取り構って来る相手であり乍ら、名のみ覚えて顔を忘れるというのもまた不思議な事よ」と言って首を傾げた。



「まあ元来私は生きた人間よりも妖怪や悪霊どもと関わり合う方が多い者でしたからな。もしも生死簿に、私のかかずらわった妖霊たちまでもが名を連ねていたならば、マトウという者の存在などはようようけし粒ほどにも見えたか否かといったところでしょう」



「ははあ」とコントクが答え、
「しかし、陰陽師という仕事柄悪霊退治を頼まれるのは人間たちからという事でございましょう」
 自らも降妖師として鬼退治を頼まれていたジライが首を傾げて訊く。



「仕事を依頼して来る人間たちとも、私は決して深く互いの懐に入り込むような付き合いはして参りませなんだ。中には用件だけ済ませ金子をもらい、名すら聞かずに別れた相手もおりまする」



「な」
「なんと」
 鬼の兄弟は、ここに来てリンケイの淡白さ加減を改めて知り、目を丸くした。



「では訊くが」閻羅王は訊いた。「聡明鬼とだけは、人間以上、そして妖霊ども以上に深く懐に入り込んで付き合うたようだが、それはまた何ゆえじゃ」



「――」リンケイは再び言葉をなくした。



「聡明鬼とは、先程も申し上げました通り共に悪鬼を退治して参りました仲でごこざいます」ジライが代って答える。「恐らくは我々と同じ程度の付き合いであったかと」



「そうか?」閻羅王は生死簿を見た。「この陰陽師は、聡明鬼にはとりわけ己の真の姿、心の内をさらして来たように、これを読むところでは思えるがの。ここに来る直前、こ奴と聡明鬼とは互いに――」



「閻羅王さま」リンケイは珍しく閻羅王の言葉を遮った。「それはひとえに、あ奴が“変な鬼”だからでございまする」



「変な、鬼」閻羅王は呟くように繰返した後、リンケイを見て大きく頷いた。「それはまことにその通りじゃ」



 コントクとジライは俯いて苦笑を隠す。



「私めは生来の性分として、変ったもの、不思議なもの、つまり変なものに心魅かれる者でございます」リンケイは説明する。



「なるほどのう」閻羅王は頷いた。「ならば、あの変極まりない鬼に興味がわきあれやこれや突つき回してみたくなるのも無理からぬ事だろうて」



「はい」リンケイは微笑んで大きく頷いた。「深く関わるというよりも、つらつらと観察をしていたというのが正しいでしょう」



「なるほどのう」閻羅王はもう一度言い「ときに、コントクとジライよ」今度は鬼の兄弟たちに眼を向けた。



「は」
「はい」
 二足は閻羅王に真正面から名を呼ばれる事を鬼としての悦びと覚え、姿勢を正した。



「お前たちに此度授けた三叉、上手く使いこなす自信はあるのか」閻羅王はしかし、厳しい問いを二足に向けたのだ。



「う」
「は」
 コントクとジライは、まるで牛頭馬頭のように言葉に詰まるしかなかった。
 手元の三叉、ぎらりと光るその鋭き刃、それは二足にとって初めて手にする得物であり、使いこなすと言えるほど使い込んだ経験もないのだ。



「今のうちに、その武器の使い手である牛頭と馬頭に手ほどきを受けてはどうかの」閻羅王は提言した。「お前たちが嫌でなければじゃが」



「は」
「確かに、仰る通りに致しましょう」
 二足はしかし謙虚にその案を受け入れ、それぞれに三叉を持って早速牛頭と馬頭を捜しに行った。




「リンケイ」鬼の兄弟の姿が見えなくなったところで、不意に閻羅王は低く呼んだ。



 リンケイは黙って、唇だけで微笑む。



「お前は陽世で、聡明鬼と名を呼び合ってはおらなんだのか」閻羅王は訊く。



「はい」リンケイは頷く。「ここに来る直前、二度ほど呼び合っただけでございます」
 恐らくは閻羅王が読み上げようとした生死簿の記述にあったのであろう事を、陰陽師は自ら述べた。





「聡明鬼」、その名は生死簿に記述されていない。
 閻羅王も先刻、そう言っていた。
 だが生死簿に、リンケイと聡明鬼が互いに心を開き懐深く入り込む付き合いをしていたとは書かれている。
 つまりそこには、それをしたのがリンケイと「聡明鬼」ではなく他の名を持つ者との間であったと、記されているのだ。
 つまり、その名は――





「それは何故じゃ」



「名を呼ぶとつながるからでございます」リンケイは答えた。「鬼と、不肖人間である私めがつながることは出来ぬと、当初判じました」



「ではその判断を覆したのは何故じゃ」



「それは」リンケイは少し言葉を途切れさせた。



「それは?」



「――」にこり、と笑う。「今は、申し上げられませぬ」



「今は、とな」閻羅王は紅き眼の上の眉を少し持ち上げた。「ではいつならば言う」



「私めが死んで鬼となった暁に」リンケイは答えた。



「――上天へは、行かぬつもりかの」



「参りませぬ」リンケイは閻羅王をじっと見た。「今の私めに、上天に行きたいという気持ちはございませぬ」



「ほう」閻羅王は少し驚いたように言った。「それは何故じゃ」



「なんとなく、でございまする」リンケイは小首を傾げて答えた。



 しばらく、言葉のなき時が過ぎた。




 かかかかか




 突然閻羅王は大笑し、遠くを歩く小鬼や鬼差どもを飛び上がらせた。
 リンケイはただ、微笑んでいた。



「なんとなく、か」閻羅王は一頻り笑った後でまた声を低くし、言った。「儂にもわかるぞよ。なんとなくな」



「左様でございまするか」リンケイは眉をひょいと持ち上げた。



「もはやおらぬからであろう」閻羅王は顎を持ち上げる。「上天に」



「何がでございましょう」



「龍駿がじゃ」閻羅王は言い、牙を見せまた笑った。




          ◇◆◇




「しかし、何処へ向かうというのか」リシは眼の上に手をあてがい前方を見据えて訊く。「お前たちの探すそのムイ中毒の男は、一体何処に居る」



「お前に教えてどうなるんだ」リューシュンは冷たく横目でリシを睨んだ。「やけにあれこれ訊きたがるな。何が狙いだ」



「狙いなどない」リシは首を振る。「ただ、何か役に立つ考えが浮かぶかも知れぬと思うてのことだ」



「役になど、立たん」リューシュンは言い放った。「ついて来るのは勝手だが、うるさく口出しするのはやめろ」



「そうは行かん」リシもむきになって言う。「手助けをするようにとのマトウ様からの」



「そういえば」リューシュンは突然リシの方を向き問うた。「マトウは陰陽師だと言ったな」



「――」リシは虚を衝かれたように黙った後「そうだ、いかにも」と頷いた。



「あの屋敷に居た大勢の人間、あいつらも皆陰陽師なのか?」



「――陰陽師も居るし、普通の人間も居る」



「いろいろ取り混ざってるってことか」



「取り混ざっているとは何だ」リシはむっとした。「人を雑具のように言うな」



「すまん」リューシュンは口を尖らせて謝った。「けど、あんな大勢が、寄り集まって何をしているんだ? 全員がマトウの弟子じゃあないってことだろう?」



「皆、マトウ様の教えを受けている」リシは答えた。「たとえ陰陽師でなくとも、マトウ様の御言葉に耳を傾け、従い、身と心を浄めて自らを向上させるべく努めているのだ」



「へえ」



「だからお前たちも是非、この仕事が片付いたならばマトウ様の元で」



「それはできん」リューシュンは首を振った。



「何故」リシは驚愕したかのように眼を剥き、叫ぶように訊いた。「なにゆえだ」



「俺たちにはその後にもやらなきゃいけない事がある」



「何を」



「それは言えん」



「何故」



「何故でもだ」



「どうしてだ」



「どうしてもだ」



「貴様」



「うるさいチイ」とうとう痺れを切らしたスルグーンが割って入った。「何故だのどうしてだの、しつこい女だキイ」



「うるさいだと」リシは今度はスルグーン、自分のすぐ傍に浮かんでいる奇怪な生き物を睨んだ。「私はただお前たちを」



「邪魔だチイ」スルグーンは遮った。「何の助けにもならないどころか邪魔するだけなら、とっとと帰れキイ」



「く――」



「マトウというのは」リューシュンはまた訊いた。「鬼とは、付き合いがあるのか」



「――」リシははっとしたように眼を見開いた。



 リューシュンは前方を見たままリシの答えを待ったが、中々それが来ないのでとうとう女を振り向いた。



「鬼、とは」リシは俯いた。「私が知る限りでは、付き合いがなかったと思う。此度お前たちとが初めてのことだと」



「そうか」リューシュンは頷いた。「マトウが、鬼について話すことはあるか」



「何故だ」



「ここ最近の世情さ」リューシュンは肩を竦めた。「鬼に対して人間たちが異を唱えているという話をよく聞く」



「――」リシはリューシュンの横顔をじっと見た。



「そういえば、リシ」不意にキオウが、フラの背の上から声をかけた。「お前は俺と初めて遭った時、俺に向かって『鬼の分際で』と言ったな」



「――そ」リシは眸をきょときょととさ迷わせた。「それは」



「そんな事を言ったのか」リューシュンが驚いて訊き返す。



「『鬼のくせに』とも、言った」キオウが答える。「どう見ても、鬼というものを見下した物の言い方をしていた」



「へえ」リューシュンは前を見たまま眼を細めて言った。「それも、マトウの教えとやらの中にある事か」



「ち、がう」リシの答える声は細く、震えていた。



「更に言えば、スンキが人間の身で俺の妻になった事をどうしても信じようとしなかった」キオウの言葉が続く。



「それは私が勝手に思ったことだ」リシは眼を強く閉じて叫んだ。「マトウ様の教えなどでは決してない、誓って違う」




「しかし、要するにそういうことだろう」




 リューシュンの穏やかな声に、リシも、キオウも、スルグーンも、そしてケイキョも驚いて視線を集めた。
 聡明鬼はただ真っ直ぐ、龍馬の飛び行く方向に眼を向けていた。



「リシの思っていたのと同じように、人間たちも今、思っているんだろうな」

しおり