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黒龍馬

 フラは、長い時をかけて飛んだ。
 飛び続けた。
 海を超え、山肌を翔け昇り、谷を滑り降り、自分と同じ姿を持つ霊獣を探して、飛んだ。
 自分の背に乗る主人キオウは、何も言葉を発しなかった。
 だが決してのんびりと、あちこち巡る空の景色を楽しんでなどいないことは解っていた。
 それどころか、ただ龍馬の背に乗るだけで他に為す術もない己の立場に歯噛みする想いでいるのに違いない。



 フラもまた、歯噛みする想いであった。
 何故、自分は龍馬をなかなか見つけられずにいるのか。
 そこにいないものを見つけるなど不可能だ、という理屈よりも、今すぐに主人を満足させ何としてもその不安な想いから救い出したい、その気持ちの方が大きく重く、圧し掛かってきていた。



 なのでフラもまた無言のまま、ただ飛んだ。
 飛び続けた。




 やがて砂漠の上に出た。



 木も草もなく、人も獣もいない、ただのっぺりと広大で果てしのない、砂の大地。
 今は真昼を大分回ったところで、陽光は弱まっているが、大気は熱かった。



 それでもフラは文句の一つもこぼさず飛び続けた。



「初めてだな」不意にキオウが背の上で呟いた。「こんな景色を見るのは」



「はい」フラは答え、龍の眼を細めた。



 少し、嬉しく思った。
 主人に、まだ見たことのない景色を、自分の飛翔の力で見せてやれたことが、嬉しかった。
 無論空を飛ぶことのできぬスンキには、為し得ぬことだ。
 だがフラは、それよりも龍馬を見つけることの方が先だと自分を戒めた。



 しばらく飛び続けた時、ついにそれを見つけた。




 黒い龍馬が、小さな泉のほとりに寝そべっていたのだ。




「キオウさま」フラは速度を上げ、叫ぶように主人に告げた。「いました。龍馬が、あそこに」



「いたか」模糊鬼は馬の背から身を乗り出すようにして確かめた。「ああ、確かに龍馬だな。あいつ独りか」



「独り……のように、見えます」フラは飛びながら、その黒い龍馬の周囲を探した、だが主人と思しき人間あるいは精霊の姿は見えなかった。



「そうか……」キオウは少し考えた。「龍馬を従える者にこそ、知識を借りたかったんだが……とにかく、行こう」フラを促す。



「はい」フラはやはりそう答え、泉のほとりに降り立った。




 黒い龍馬はその首をもたげ、空から降りて来る来訪者に眼を向けていたが、立ち上がったり威嚇の所作を見せたりはして来なかった。
 悪意のある来訪ではないことを感知しているのだろう。



 だがそうだからといって、素直に協力してくれるかどうかは判らなかった。
 キオウは次第に大きくなる黒龍馬の姿を見つめながら、どのように話を切り出せばよいかを考えた。




          ◇◆◇




 --どこへ、行くべきか。




 リューシュンもまた、めまぐるしく考えを奔らせていた。
 キオウを、追うのか。
 それともリンケイを、追うのか。



「フラが……消えやした」ケイキョが、痛みに耐えるかのような声を絞り出す。



「消えた?」リューシュンは驚いて訊き返した。



「へい、かなり遠くへ飛んで行ったんでやしょう。或いはこちらに気を送るのを止めたか」



「あいつ、何処へ行ったんだチイ?」スルグーンが問う。「何か探しに行ったのかキイ?」



「--分らん」リューシュンは首を振るしかできなかった。「探しに……けど、何を?」彼自身も問う。



「スンキをテンニに攫われてそれを追うとしたら、陰曺地府へ行くはずでやすが」ケイキョが尻尾をくるりと回す。「しかしそれなら、しばらくの間消える、てな事あ、言うはずありやせん」



「テンニに、脅されてるんだな」聡明鬼はそう考えた。「スンキを人質にして--あの体を治せ、とでも言われたか」



「しかし、なんでキオウさんに?」ケイキョが首を傾げる。「医者でもなんでもないのに」



「--」リューシュンは、リョーマを見た。「魔焔、だったか」



「それだチイ」スルグーンが頷く。「龍馬の吐く焔で焼かれた体を治す方法は、普通の医者には分らないんだキイ」



「けど、キオウさんには分るってんですかい?」



「龍馬を従える者だからな……そうか、キオウはそれを要求されて、その方法を探しに行ったわけか」



「それじゃ」ケイキョはもう一度尻尾をくるりと巻いた。「どうしやすか」



「--」リューシュンはぐるりと周囲の景色を見渡した。




 どこにも、いない。




 リンケイも、玉帝も、自分に答えを与えてくれる存在は今、どこにも。



「体が治るまで、テンニは森羅殿へは行かないはずだ」リューシュンは低く考えを述べた。「むしろ陽世にこそ身を潜めるかも知れん。それならば、俺たちはここ陽世でテンニの目論見を阻むまでだ。あいつの体を治させることなく、スンキを取り戻す」



「テンニを探す、と」ケイキョが確かめる。



「ああ。陰曺地府に行ったあいつは、自分の力でなんとかするだろう--それにコントクやジライも、あっちにいるはずだからな」




 あいつ、とは無論、陰陽師リンケイのことだ。




 鼬と雷獣、そして龍馬は揃って頷いた。



「今のテンニは打鬼棒と、斬妖剣の両方を持ってる」リューシュンは皆の顔を順繰りに見た。「お前達は斬妖剣で切られれば傷ついたり、下手をすると死ぬ。俺は打鬼棒で打たれれば血となって流れて消えてしまう。それでも、奴を追うしかない。それでいいか」



「へい」
「それでいいチイ」
 鼬と雷獣は答え、龍馬は龍の首を縦に振った。



「よし」リューシュンも頷く。「お前達の法力に頼む。探し出した後奴を捩じ伏せるのは、この俺に任せろ」




          ◇◆◇




 砂の上に降り立ち、その黒い龍馬の近くへ、両手を拡げた恰好でゆっくりと近づく。
 敵意のないこと、攻撃するつもりのないことを示すためだ。



 だが、なんと言葉をかければよいかがまだ見つかっていなかった。
 キオウは無言のまま、ただゆっくりと歩を進めた。




「あなたは、鬼ですね」




 突然、龍馬の方から話しかけてきた。
 思わず立ち止まる。



「鬼でありながら、龍馬を従えている」黒龍馬は静かに言った。



 背後から、フラが黒龍馬の挙動に全霊でもって警戒する気配が凄まじい熱を帯びて伝わってくる。
 もしもこの黒龍馬がキオウに僅かでも牙を剥いたならば、フラはたちまちその喉首に噛み付き千切り飛ばすだろう。



「そう、俺は」キオウは眼の前の黒龍馬よりもむしろ自分の従者であるフラに恐れに似たものを感じながら答えた。「模糊鬼キオウだ。後ろの龍馬は、フラ」



「私に、何か用ですか」黒龍馬は訊ねた。



「おい」フラが、焔こそ吐かなかったがキオウの眸を細めさせるほどの熱を帯びた声を挙げた。「ご主人さまはちゃんと名乗ったぞ。お前も名を言え」



「フラ」キオウは振り向き諫めた。「いいんだ」



「私の名はトハキ」黒い龍馬は静かに答えた。「この泉を、護っています」



「泉を?」キオウはトハキと名乗る龍馬を見た。「独りでか」



「いいえ」トハキは龍の首を振った。「私にも主人がいます。主人は今、砂の上で力尽きて倒れた者を救済しに行っています」



「救済--」キオウはまた眼を細めた。「お前を使わず、独りで?」



「はい」トハキは眼を閉じた。「主人はそうする時、いつも一人で行きます」



「救済、というのは、つまり--助ける、ということか」キオウは言葉を選びながら訊ねた。「死にそうになっている人間を生き返らせてやると、そういうことか」



「いいえ」トハキは眼を開けた。「死にゆく者の心を、安らかにしてあげるのです」



「なんで」不思議そうな声を挙げたのは、フラだった。「お前が行って、この泉の水でも飲ませてやれば、生き返るんじゃないのか」



「それをすれば、この泉の水はたちまち人間たちに貪り尽くされからからに干上がってしまうでしょう。主人は人間たちをこの泉に近づけさせないよう、自分から出向いて行きそこで人間たちの命を安らかに終えさせるのです」



「--そうか」キオウは小さく、そう言うしかなかった。「ところで俺は、あんたに--できればあんたの主人にも、訊きたいことがあるんだ」



「何でしょう」トハキはゆっくりと瞬きをし、飽くまでも静かな声で訊ねた。「模糊鬼キオウ」



「--トハキ」キオウは名を呼ばれたことに対し、名を呼び返して応えた。「あんたも、魔焔を吐くと思うが--その焔に焼かれた体を、すぐに元に戻す方法を知っていたら、ぜひ教えて欲しい」



「--」トハキは少しの間黙ってキオウを見た。



 キオウは眼を逸らすことなく待った。



「元に戻す、ということはできません」トハキは言った。「龍馬の焔に焼かれた者は、たちどころに死んでしまうからです」



「普通はそうなんだが」キオウは首を横に振った。「実は死ななかった者がいる。そいつも鬼で、黒焦げのまま今も動いている」



「鬼だからです」トハキはやはり静かに答えた。「すでに死んでいるではないですか」



「--そう、なんだが」キオウは言葉を継ぐことができなくなった。



「鬼であれば、転生して人間に生まれ変わることできれいな体を手に入れられるでしょう」トハキは、どこか探るような眼でキオウに言った。



「ああ……だが鬼は、すぐに転生できるものじゃない」キオウは眉を寄せた。「俺もそれを思い、時間が経てば戻ると教えたんだが、あいつはすぐに治せと言った。そうしないと俺の」さらに眉を寄せる。「妻と、子が……消されてしまう」



「妻と子、それは人間なのですか」



「いや、鬼だ」



「そうですか」トハキは少し考えた。「人間ならば、私の主人が救済をしてあげられるのですが」



「お前」フラが怒鳴った。「キオウさまの話をちゃんと聞いてるのか。救済だか何だか知らないが、そんなものを頼んでるんじゃないぞ。焼け焦げた鬼の体を元に戻す方法を聞いてるんだ」



「フラ」キオウは、まるで自分が焔に焼かれたかのような表情をして諫めた。「俺が話をする」



「けど」フラは尚も言い募る。「こいつ、なんだか知らないけど、頭に来る」



「フラ」キオウはもう一度呼んだ。




 諫めはするが、確かにキオウの内心にも、さっさとここを立ち去り、別の龍馬を探した方が得策かも知れないという想いが生まれつつあった。



 どこか不思議な、興味をそそる雰囲気を持ってはいるが、喫緊の役には立ちそうもない相手だ。




「模糊鬼キオウ」不意にトハキが呼んだ。「あなたと、そのフラという龍馬は、かつて人間を焼き殺しましたね」



「--」はっと息を呑み、キオウはトハキに振り向いた。「--なぜ、それを」



「それも無作為に、多くの人々を」



「--」



「そのようなことをしておきながら、自分の妻と子を助けるために、魔焔で焼けた鬼の体を治す方法を教えろとは、なんと虫の良い話でしょう」



「--」



「あの人間たちも、今すぐに焼けた体を元に戻して欲しいと思っていたことでしょう。彼らは転生して、望み通りきれいな体に生まれ変わったのでしょうか」



「--」キオウはがくりと膝を地についた。



 何故、この龍馬はそれを知っているのか。
 霊獣の持つ霊的な力により、相手の過去の所業を読み取ることができるのか。
 過去の、所業--だが決して消え去ることも、そして決して許されることもなき、悪鬼の業。
 自分は妻と子を得、もはや閻羅王に抗する気持ちもなく、このままひそやかにそして穏やかに、心安らかに暮らしていくのだと思っていた、だがその背後には、自分のせいで命を絶たれたあの大勢の人間たちの悲鳴と怨恨が、今も、渦を巻き轟き続けているのだ。



 忘れたつもりでも、それは永遠に忘れられるものではない。
 そしていつかきっと、スンキにもそれが知られてしまうに違いない。
 その時彼女は、果たしてどのように--



 キオウはうな垂れ、ぎゅっと眼を閉じた。




「おい」フラが、殺気のこもった声を挙げた。「トハキといったな。お前、俺と勝負しろ」




 トハキは何も言わず、ひざまずくキオウの体越しにフラを見た。




「俺が勝ったら、黒焦げの鬼の体を治す方法をご主人に教えろ。いいな」フラはそう言うなり、大気を切り裂くかのように上空高く跳び上がった。




 キオウは眼でそれを追い、そして音を聞いた。



 トハキと名乗った黒龍馬がはじめて立ち上がり、それから巨大な馬の蹄を蹴って同じく跳び上がる、音を。

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