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59 牛頭馬頭対降妖師

「ほう」閻羅王は座して頬杖をついたまま、少し感嘆した。「その眼、誰にやられたのじゃ。聡明鬼か」



「違う」テンニは面白くもなさそうに口の端を歪めた。「あの奇妙な鳥の化け物じゃ」



「鳥の、化け物?」雷獣スルグーンに遭遇しておらぬ閻羅王は、眉根を寄せた。「何者じゃ、そいつは」牛頭と馬頭に問う。



「は」
「ええと」
 牛頭も馬頭もまたその獣に遭遇しておらず、彼らは三叉を構え降妖師に対峙したまま答えあぐねた。



「鳥の神ガルダとか言うておった」テンニは低く、口惜しげに告げた。



「なんと」閻羅王は魂消た。「ガルダだと。ではスルグーンの、分身か」



「まったく神だらけだな、ここは地獄ではなく上天なのか」



「ふん」閻羅王はむかむかと腹を立て、頬杖をついたままそっぽを向いた。「うちのスルグーンはどうなったのじゃ」



「消してやったわ」テンニはそこでようやく不敵の笑いを取り戻した。「この打鬼棒でな」



「--」閻羅王は一度眼を閉じ、それを開けてゆっくりとテンニの方を見た。



「泣きたいか、閻羅王」テンニはますます笑いを広げた。「一番頼りになる下僕を失ったのだからな」



「貴様」牛頭が怒鳴る。「閻羅王さまにお仕えするはスルグーンのみではないぞ」



「そうだ」馬頭も続く。「我らも控えておるぞ」



「貴様らなど一撃で血となる運命よ」テンニは言うが早いか得物をぶんと振るった。



 それは傍目には、刀を空中で無為に空振りしただけにすぎなかった。
 だが鎖は眼にも止まらぬ速さで打鬼棒を舞わせたのだ。




 びょう




 風の音がしたかと思うとそれは牛頭を横から打った、ように見えた、しかし牛頭は風の音に合わせるように三叉を立て棒の襲撃を防いだのだ。
 次の瞬間今度は馬頭の三叉が打鬼棒を強くテンニめがけて打ち返した。



 テンニもまた刀でそれを弾き、素早く鎖を巻いて手許に戻した。



「スルグーンは、消えたか」閻羅王は目の前で闘いが起こっていることを知りもしないかのように独り呟いた。「あ奴も内心では儂をなきものにしようと企んでいたようだったが--それを隠しながらもよく仕えてくれたものよ」ふう、と息をつく。「さらばじゃ」




 牛頭が床を蹴り、テンニに向かって三叉を振り下ろした。
 テンニは刀をかざし、鎖が眼にも止まらぬ疾さで伸びる。
 馬頭がその鎖を三叉で叩く。
 打鬼棒はくるりと向きを変え、持ち主テンニの方を打とうとする。
 テンニは刀をひらめかせ自らの得物を打ち返し、またもや素早く巻く。



「ただの阿呆どもかと思っておったが、少しは知恵があるようだな」テンニは毒づいた。「二人がかりということを思いつくか」



「ただの阿呆ではないわ」牛頭が怒って反論する。
「そのしゃらくさい棒を取り上げてお前を十八層地獄へ叩き落してやるわ」馬頭が予告する。



「お前らなど、十八層地獄へも行けぬわ」言うが早いか今度はテンニが床を蹴り、上空にて刀を頭上に振り上げた。



 牛頭と馬頭からは、テンニの背に刃が隠れて見えない。
 二足は三叉を立て身構えた。




 びょう




 空を切る音が聞えたのは、二足の背後からだった。
 振り向く暇などない。
 牛頭と馬頭は同時に三叉を背後に向けようとした、が、二足の三叉は二足の間であろうことかぶつかりあい刃がからみつき合って動けなくなってしまったのだ。



 座に坐る閻羅王の爪がぴくりと動いた。



 だが打鬼棒を食らったのは、牛頭でも馬頭でもなかった。
 咄嗟に身を投げ出した小鬼が、二足の目の前で打鬼棒を体に受け、棒はくるくると回りながら空中へ弾き返されたのだ。
 小鬼は無論のこと、血となってものも言わずに流れ消えた。



「あっ」
「お前」
 牛頭と馬頭は叫んだが、二足にとっては名も知らぬ小間使いの鬼にすぎなかった、だがその小鬼は自らの命を犠牲にして二足を守ったのだ。



「上じゃ」閻羅王が叫んだ。



 牛頭と馬頭ははっと見上げると同時に三叉を突き伸ばした。
 まさにテンニがその刃と共に二足の頭上から降ってくるところだった。
 三つの刃がぎいん、と音を響かせぶつかり合った。



「一人の降妖師に幾足も寄ってたかって闘うか」テンニはくっくっと喉を鳴らし笑った。「情けない奴らよ」



「やかましい」馬頭が手を伸ばしテンニを捕まえようとする、が降妖師は刀をぐいと押し背後に飛び退いた。



「やーっ」甲高い声がそれを迎え、後ろから飛び掛ってくる。



 テンニは振り向きざま刀で斬り払った。
 小鬼は悲鳴を上げて倒れ、動かなくなった。



「やっつけろ」
「皆でかかれ」



 小鬼どもはわらわらと姿を現し、次々にテンニに向かって来る。
 テンニは小鼻に皺を寄せ、鎖をぶうんと大きく振り回して打鬼棒を一回転させた。



「お前たち」
「危ないからよせ」
 牛頭と馬頭は慌てて走り寄る、が、小鬼たちは消えることも厭わずわあわあと声を挙げながらテンニを攻撃するのだ。



「なんと」閻羅王までが驚きを隠せなかった。「お前たち、あの棒を恐れぬというか」



「閻羅王さまをお守りするのが我々の役目でございます」小鬼の一足が叫ぶ。
「我々がお守りいたします」別の小鬼も叫ぶ。
「お守りいたします」すべての小鬼も叫ぶ。



 だがその間にも多くの小鬼が打鬼棒の餌食となって消え去ったのだ。



「馬鹿者どもが」テンニはそう言い残すと走り出し、森羅殿から抜け出した。



「やった」
「追い出した」
 小鬼たちは喜んだが、
「駄目だ」
「逃がすな」
「捕えよ」
 牛頭と馬頭、そして閻羅王は怒鳴った。



 しかしテンニは疾風のごとく駈け去り、もはや誰にも追いつくことはできなかった。




          ◇◆◇




 地上に、人間の住む世界に、地獄がそのままやって来たような光景だった。
 天心地胆から逃げてきた鬼どもが、それまで何事もなく平穏に生活していた人間たちの町中へわらわらと--山中や水中に身を潜めるということすらなく姿を現し、度肝を抜かれた人々が声もなくへたり込む目の前で食い物をさらい、女子供をさらい、勇を鼓して歯向かう男たちを食い殺し千切り捨てた。
 時を置かず町中は阿鼻叫喚の地獄図絵と成り果てたのだ。



 鬼の中には鬼の差官もいたから、それらはさすがに無意味に人間世界を荒らすことはよくないと鬼どもに説いて回った。
 だが鬼どもは、自分の姿を見ただけで恐れおののき逃げ惑う人間たちを見るとつい、まるで天下を取ったかのような感覚を覚えたのだ。
 もとより理性や知性など大して持ち合わせもせぬ鬼のこと、高揚する気分に任せてどんどん図に乗り悪業を働いていった。




「ひどい有様だ」ジライが歯を食いしばって言う。
「これは--」コントクは、自分も鬼であるからか何も言えぬ様子だったが、決して鬼どものやっていることを認める気持ちなどあるわけがなかった。「止めさせなければ」本心から彼はそう言った。



「五金よ一金に帰せよ」ジライは五行鏡を鬼の一足に差し向けた。「木火土金水、地に伏せよ」



 鬼は自分の意志に関係なくどさりと地に膝を突き、ばたりと砂埃を上げて上体を倒した。



「貴様ら、何故突然陽世にやって来おった」ジライは怒鳴りつけた。



「うるさい、早く術を解け」鬼は地面に倒れながらも牙を剥き凄んだ。「頭から喰ろうてやるわ」



「陰曺地府で何があった」コントクが訊く。「閻羅王に何事か起こったのか」



「土地爺か」鬼はますますいきり立った。「土地爺の分際でこんな真似をしたことを十八層地獄で悔いるがいい」



「貴様に言う言葉だ」ジライはついに護符を取り出し、その鬼の双つの角の間にびしり、と叩きつけた。



 ごうっ、と黒い風となって、鬼は天に立ち消えた。



 コントクは息を呑んだ。
 護符は鬼を封じ、二度と転生できなくする。
 相当の悪鬼に向けて使う、最後の手段だ。
 それを今使うとは、弟はどれほど怒り心頭に発しているのだろう。



 降妖師という職業からくるものばかりではないはずだ。
 義理とはいえ兄である自分に対する罵詈雑言が許せないのもあったろう。
 だがそれよりも、単純に今目の前で起こっている鬼どもの所業が人間として許せない、そういうことだろう。



「すまない」コントクは思わず頭を下げた。「俺も同じ鬼だ。理由はわからんが、こんなことになるとは」



「兄さん」ジライは吃驚した。「どうして兄さんが謝るんです? 悪いのは悪さをしでかす鬼どもだけだ。兄さんとは違う」



「うむ」コントクは頷くが、それでも申し訳ないという気持ちに変わりはなかった。
 だがその気持ちは今、何故このような事態になってしまったのか、その理由を突き止める方に向けなければならなかった。



「行こう」ジライは兄を促して走り出した。「まだまだ鬼はたくさんいる」



「ああ」コントクも続いた。「土地爺として人間の世界は守らなければならん」



 ジライは定身法にて鬼を取り押さえ、コントクは力ずくで羽交い絞めにした。
 だがきりがなかった。
 天心地胆より追い返したところで、鬼どもはまたすぐ違う天心地胆から這い出てくるのだ。
 護符にて封じた鬼ですら、黒い風の状態でまた舞い戻ってくる。
 そしてそこら辺に転がる動物の屍に入り込み、世にも奇態で不気味な腐った化け物となって、相変わらず人々を襲うのだ。



「くそっ」ジライは歯噛みした。「これは、打鬼棒でもなければ間に合わないな」



「打鬼棒」コントクが口にし、二足はハッと眼を見合わせた。「まさか?」




          ◇◆◇




 リョーマは苛立っていた。
 自分の魔焔をひと吹きしてしまえば、こんな鬼どもすべて焼き尽くして終わりなのだが、今は罪のない人間たちの中に鬼どもが混ざっている状況だ。
 間違えて人間を焼いてはならないから、思い切り好きな所へ好きなだけ焔をぶつけることができない。
 馬の尾を使い、人間に当らぬよう注意しながら鬼だけを打ち倒す。
 人間に牙が当らぬよう注意しながら、鬼の体だけにがぶりと食らいつく。
 若き龍馬にとってそんなちまちました闘い方は、苛立って仕方のないものだった。




 --こいつら、なんで山の中じゃなくて人間の住む町になんか出てきたんだ?




 リョーマは尾で払い飛ばした鬼が、周りに人のいない原っぱに落ちたので、やっと大きく息を吸い焔を吐いた。
 辺りの草ごと、鬼は丸焦げとなり果てた。




 --ああ、焼く前に訊けばよかったな。




 リョーマは思ったが、焼いてしまったものは戻らない。
 ただちに向きを変え、再び町中へ戻る。



 棍棒で人を打ちのめそうとする鬼の腕を、尻尾でぎりりと締め上げる。



「あいたたた」鬼が悲鳴を挙げ、次に「うわあああ」とリョーマを見て叫ぶ。「化け物だ」



「うるさい」リョーマは怒った。「お前ら、なんでここに来た」



「ひいい」だが鬼に、リョーマの言葉は聞えないのだった。「化け物だああ」再び叫ぶ。



 すっかり腹を立てたリョーマはぶん、と尾を振り、鬼を上空に投げ上げ、上に向かってごう、と焔を吐いた。
 鬼は上空で黒焦げになった。



「助けてえ」蚊の鳴くような悲鳴が地上のあちこちで起きている。



 リョーマは苛々としながら声のする方へ次々に飛んだ。
 飛んだ先で鬼を捕え、銜え、放り投げ、焔で焼く。
 だがきりがなかった。
 鬼どもは、話に聞く陰曺地府とやらがそっくりそのまま来たのではないかと疑うほどに数多く、次々に現れるのだ。



 リョーマの方はいつ終わるとも知れない鬼退治に、心が疲れてくるのを感じざるを得なかった。
 主人リンケイの姿を思い出す。
 疲れた時はいつもリンケイが施療をほどこしてくれるのだ。
 今すぐに、山賊どもの住処である山へ戻りたかった。
 犬の姿となって、リンケイの膝元に蹲り撫でてもらってぐっすり眠りたかった。




「リョーマさん」




 鼬の声が聞えたのはその時だった。
 ハッとして振り向くと、フラが空をうねりながら飛びこちらへ向かって来るところだった。

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