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8.専属パティシエ誕生

 数日後。
 本人曰く ”介護施設への入居の手続き” を済ませた白砂氏は、マエストロ神楽坂のレンガ窯に火を入れて、実に見事なアップルパイを焼き上げた。
 てっきり本営業開始なのかと思ったら、今日は窯のクセを調べるだけの試運転だと言う。
 言われてみれば、シノさんのキッシュみたいにその日の気分だけで作るのでなく、ちゃんと連日営業をするつもりなら、材料の仕入れなどからキチンと決めなければならない。
 レジ脇には冷蔵機能付きのショーケースも完備されているが、使っているのを見た事もないから、ちゃんと使い物になるのかどうかも調べなければならないだろう。
 とはいえ、俺の受け持ちはあくまでも中古アナログレコード店の方だから、それらの詳細は白砂氏がシノさんや敬一クンと決める事だ。
 そして白砂氏謹製の試作パイを最初に食べたのは、あんなに楽しみにしていたシノさんではなく、俺だった。
 と言うのも、その日は即売会があり、しかもシノさんにはいつもの ”ムシの知らせ” が来てしまったのだ。
 白砂氏のパイに後ろ髪を引かれつつ、「絶対の絶対に俺の分を残しておけよな!」の念押しをして、シノさんは出掛けて行った。

「すっご、美ン味い〜。こんなパイ焼けるシロタエさんに辞められちゃったお店、痛手が大きいんじゃない?」
「このパイの味は、私の腕前以上に、あの窯の力に依るところが大きい。それに、先方の店長には大変世話になったのだが、その店長に店には戻らない方が良いと言われている」
「えっ、なんで?」
「ジジイが離職の手続きのために寄越した代理人…たぶん弁護士だと思うのだが、その男が非常に強引だったと言っていた。店長が言うには、弁護士の現れ方もタイミングを見計らっていたようだから、きっと探偵なども駆使して私の居場所を探し出してあった可能性が強いようだ」
「探偵っ?!」
「店長は、私がまだ未成年の頃に路上生活のような事をしていた時、仕事と住まいを斡旋してくれた方で、帰化の手続きの時も身元引受人を引き受けてくれたりと、大恩有るのだが。あのジジイが生きている限り、私が店に留まればむしろ先方に迷惑を掛ける事になる」
「そんなストーカーみたいな親父さんじゃ、そうなるだろうね」
「私が店を去る事は、店長も残念だと言ってくださったし、私が留まれるように力が及ばずに済まないとまで言われてしまった。だが同時に、ジジイが新たな手段を講じる前にアパートを引き払い、店長のところにも転居先を知らせずに雲隠れをした方が良いと助言してくださった。調度、こちらの物件の家賃の安さに興味を覚え、引っ越しをしようと思っていた矢先だったので、店長の言葉に甘える形で逃げたのだ」
「そっか。色々大変な事情なんだね。でも俺は、こんな美味しいパイが食べられるようになって、嬉しいけどさ」

 口調も態度も軍人みたいで取っつきは悪いけど、話をすると白砂氏は普通にマトモで、常に不機嫌に見える仏頂面な事を除けば、第一印象からは想像が出来ないほど人当たりも良かった。
 正直、最初はその態度から、強引と言うか横暴なタイプみたいな印象を受けたから、不仲な父親にわざわざ連絡を取った事に疑問を感じていたのだけど、話をしたらむしろ親切過ぎるくらい親切なヒトだと判り、その疑問は解消された。

「私、ちょっと厨房の中の整理が終わってないので、失礼するよ」
「ああ、はい。大きな家具とか動かすようなら、俺も手伝うんで」
「ありがとう。だが、今は手助けは不要だ」

 白砂氏が厨房に去り、そこで俺がパイを頬張っていると、坂の上からミナミがやってくるのが見えた。
 相変わらず顔の区別は付かないが、来る方向とか服装とか態度とかで、俺はミナミとホクトを識別している。

「今日は、シノさん居ないよ」

 店の中に入ってきたところで俺が親切に教えてやったのに、ミナミは無言でカフェテーブルを陣取ると、鞄からiPadを出してなんかやっている。

「あれは、客かね?」

 厨房からはフロアが見えないはずなのに、人の気配を察したのか白砂氏が奥から顔を出し、俺に訊いてきた。

「一応、このカフェの出資者…なんだけど、俺が話し掛けても、返事しないんだよね」
「ではあれが、柊一の言っていたアマミーかね?」
「うん、そう」

 俺がコソッと答えると、パティシエの白装束…つまりコックの服にコックの帽子を身につけた白砂氏は、ミナミの傍に立った。

「マエストロ神楽坂の専属パティシエ、白砂聖一だ」

 俺が知る限り、ミナミはこの店舗の中でシノさん以外の誰にも、まともに視線を返した事が無い。
 それが驚いた事に、iPadから顔を上げて、白砂氏を上から下までちゃんと見ている。

「パティシエを雇う話なんて聞いてない」

 更に驚いたのは、俺への ”シカト” やらホクトへの ”別に” 連発会話が嘘みたいに、まともな返事までしてる。

「だが、既に柊一に雇われている。今日は窯の試運転を柊一に任された。そちらが出資者だと言うのなら、柊一があの窯をどれぐらい大事にしているか、知っていると思うが?」

 自分が出資者だという情報を、俺が漏洩させたと察知したミナミが、イヤな目付きでこちらをチラッと見たので、俺はわざとらしく視線を逸らして、そらっとぼけた。

「俺は、天宮南。窯を使ってるって言うなら、出来た物を見せて」

 ミナミの出題に、白砂氏は厨房に戻り、アップルパイと紅茶を銀の盆にのせて戻ってきた。
 ミナミの前にアップルパイの乗った皿と、ティーカップとポット、それに砂糖壺とミルクピッチャーが置かれる。

「どうぞ」

 ミナミはさほど大きくもないティーカップに砂糖をドバドバ入れて、最後にミルクをドバーっと入れた。
 かき混ぜたら底に砂糖がジャリジャリしてるんじゃ…と思うようなミルクティーを啜り、おもむろにアップルパイの端をフォークでちぎって、一口パクっと食った。
 白砂氏は黙ってミナミの様子を見ていたが、ミナミが二口目を食べたところで、こちらに戻ってきた。

「どうなったの?」
「彼は納得した」
「なんで解るの?」
「気に入らなければ、二口目は食わん。そういう顔の男だ」

 それだけ言って、白砂氏は厨房に引っ込んでしまった。
 それにしても一体、シノさんがいないのにミナミは、いつまでいるつもりなんだろう?
というかなんでココにいるんだ? と思っていると、坂の下からホクトがやってくるのが見えた。
 幽霊の正体が判明し、自警団が解散になった後、そう言えばホクトの姿をあんまり見掛けた記憶が無いし、最近ではすっかり敬一クンの大学の時間割を把握しているらしくて、今日の午前中は講義で居ない事も知っているはずなのにどうしたのかと思ったら。
 ホクトは俺に爽やかな挨拶をすると、スタスタとミナミの方に寄っていく。
 二人天宮はまたしても店先で、あの三河漫才モドキのような諍いを起こすつもりだろうか?
「わ、何を食べてるんだ南、それ東雲さんのキッシュじゃないよなあ!?」

 ホクトに話掛けられてるのに返事もせず、ミナミは俺を呼び付けるみたいなチラ視線を寄越してくる。
 ミナミの傍に近寄りたくない俺は、一応出資者のウェイターをしてやるべきかどうか考えてる間に、またしてもどうやって人の気配を察知したのか、奥から銀の盆を持った白砂氏が出てきた。
 そしてパイとミルクティを、チャチャっとホクトの前に置いて戻ってきた。

「シロタエさん、なんでまたパイを出したの?」
「出資者の連れに給仕をするのは当然だ」

 それってどんな三段論法なんだ? って俺が思ったら案の定、何の説明もなくいきなりアップルパイを出されたホクトが、訳が判らずキョロキョロしている。

「今の人は誰だ?」
「新しく雇ったパティシエ」
「新しいパティシエ? 俺は聞いてないぞ?」
「北斗には関係ナイ」
「何言ってんだ! 関係無いならもう全部伯母さんにぶちまけて、終わりにするぞ!」
「パティシエが折角出してくれたもの、試食しないの?」

 ミナミを睨みつけつつ、ホクトはアップルパイを食った。

「すごく美味いじゃないか! こんなパティシエどこで見つけてきたんだ? よほどの給料出さなきゃ、こんなパイを焼けるパティシエは…」
「北斗うるさい」
「オマエの方から呼び出しておいて、うるさいとはなんだ!」
「部屋探ししてるよね」
「なんでオマエがそんな事!?」
「俺の部屋、二世帯対応型マンションなんだけど、興味は?」

 どうやらホクトはエビセンに出遅れた分を取り戻すため、この近隣に部屋を探しているらしい。
 幽霊騒動が一段落して、この数日はきっと部屋探しに時間を使っていて、顔を見せなかったんだろうと、俺は察しを付けた。
 それをミナミが嗅ぎつけた…とゆーより、実は俺はミナミのホクトに対する態度の中に、シノさんに対するストーキングと同じニュアンスを感じていたりする。
 ホクトが来る時間に必ず雲隠れしてたのは、ホクトのスケジュールを熟知してるからだろうし、敬一クンを見て「ブス」なんて言葉が出てきたのは、ホクトが敬一クンを「可愛い」と言ってるからだろうし、そもそも小学生の時から絶交を連発してて絶交してないって、そんなのはよほど関心を引きたい相手にやる事だ。
 恋愛感情とは違うようだけど、ミナミはホクトに、よほど拘りがあるのだろう。
 ホクトは最初、ミナミが何を言い出したのか解らなかったようだが、例のチラ見視線を意味深に向けられて、取り引きの申し出に気付いたようだ。

「セキュリティは?」
「有人管理人が常駐。エントランス入口とエレベーターに暗証番号。ドアは指紋解錠。二世帯利用時は別登録可能」
「条件は?」
「干渉しない、フォローはする、ババアには言わない」
「今日中に移動してくるがいいか?」
「了解」

 どうやら取引は成立したらしい。
 スッと立ち上がったミナミがレジカウンターに近付くと、またしても白砂氏はそれを察知して、こちらに顔を出す。

「タルトは?」
「焼ける」
「スポンジは?」
「もちろん」
「カフェ飯は?」
「詳細はまだ未定だが、やりたいとは思っている」
「営業時間は固定?」
「販売は午前11時開始。メニューと終了時間は、柊一の気分次第だ」
「リクエストと取り置きは?」
「柊一が応じるなら」
「了解」

 ミナミはカウンターに万札を置いた。

「釣りは柊一に渡して」
「了解した」

 菓子職人と出資者の会話というより、軍人の会話みたいだ。
 でもこれで白砂氏は、出資者のミナミにも公認の、専属パティシエになるだろう。
 そしてマエストロ神楽坂には、妙なご近所さんが、また一人増えたようだ。



*ホクトとミナミ:おわり*

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