バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第26話 ~苦しみ~

「ぐッ……!!」
「龍馬ッ!!」
 龍馬さんと長岡さんの声が、向かいの部屋から聞こえて来る。

 ――昨日、あれから海援隊本部に戻り、龍馬さんは直ぐに長岡さんにケガの治療をして貰っていた。
 龍馬さんの呻き声は、昨日からずっと聞こえている。
 龍馬さんのケガは、かなり重傷だった。あたしを(まも)って斬られた右腕はともかく、陽之助さんを護って洪庵先生の短刀を握った左手の傷は、かなり深い。しかも破傷風になってしまい、高熱も出ているという。

「ぐあァァァッ!!」
 龍馬さんが苦悶する声と、ダンッと襖を蹴飛ばす音がし、龍馬さんが激痛にのた打ち回っているのが(わか)る。

「龍馬! しっかりしィや!」
 長岡さんが、痛みに暴れる龍馬さんを励ましているようだ。

「長岡さん、あたしも何か手伝いましょうか?」
 自分の部屋を出たあたしは、龍馬さんの部屋で治療をしている長岡さんに、襖越しに声を掛けた。長岡さん1人では、きっと大変だ。

「それは有り難いぜよ。1人で治療するがは、正直大変やったき」
「ちょっと茶屋に行って、相談して来ますね」
嗚呼(ああ)、治療は多分昼には終わるぜよ」

 今日は茶屋で働く日だ。あたしは今日の昼から出勤する許可を貰おうと思い、自分の部屋から1階に下りる。
 海援隊本部から出て、あたしは茶屋に向かった。


「――なので、今日の仕事は昼からにさせて頂けませんか?」
 開店前の茶屋に着いたあたしは、若女将さんに昨日の出来事を簡潔に話し、出勤時間の相談をした。

「大変だったのね……。じゃあ()()()、そのお兄さんの治療に専念してくれて大丈夫よ。もし治療が長引きそうだったりしたら、(ふみ)を送って頂戴」
「今日1日、ですか? いえ、そんなワケにはいきません。今日の昼から来ます!」

 長岡さんは、「昼にはケガの治療が終わる」と言っていた。それなのに、1日休ませて貰うワケにはいかない。

 だけど、若女将さんは首を振った。
「萌華ちゃん、これから治療の手伝いをするんだし、きっと疲れると思うわ。貴女にもムリはして欲しくないし、また明日からお願いしようと思うんだけど……」

 若女将さんは、あたしのことをこんなに気遣ってくれている。その善意を無下には出来ず、あたしは口を開いた。
「有り難う御座います。明日から、また何時(いつ)も通り働きます」
「ええ、お願いね」
 あたしは頷いて、感謝の意を込めて若女将さんに頭を下げる。

 若女将さんは、本当に優しい人だ。
 急に休暇を貰うことになっても、許可を出してくれるばかりか、あたしを(いたわ)って心配してくれる。

 龍馬さんのケガの治療が終わったら、また今まで通り茶屋(ここ)で働こう。


 数十分後、急いで海援隊本部に戻ったあたしは、龍馬さんの部屋で長岡さんの手伝いをしていた。
 長岡さんが治療をしようとして焼酎で消毒しても、龍馬さんが激痛にのた打ち回る為、包帯を巻けずにいたらしい。

「萌華、オレが押さえるき、包帯を巻いとおせ!」
「はい!」

 まずは、傷が深い左手の治療からだ。

「ぐッ……!!」
 激痛に我を忘れ、激しくのた打ち回ろうとする龍馬さんを押さえ付けながら、あたしに視線を飛ばす長岡さん。
 あたしは頷き、焼酎を掛けて消毒された龍馬さんの左手に、包帯を巻き付ける。

 包帯を巻き終わると、長岡さんが今度は龍馬さんの右腕を強く押さえた。
「焼酎を掛けて、包帯で縛るがじゃ」

 あたしは畳に置いてある焼酎を、龍馬さんの右腕の傷に掛ける。

「ぐゥッ……あ……ッ!!」
 染みるのか――龍馬さんが呻き声を漏らした。

 あたしは龍馬さんの右腕にも包帯を巻き、ようやく一息()く。
 龍馬さんも、取り敢えずは落ち着いたようだ。

 こんなにのた打ち回る程、傷が深かったなんて……。

「長岡さん、龍馬さんのケガはどれくらいで治るんですか?」
「……判らん。少なくとも、治ることは治るろう。けんど……」
 そう言って、長岡さんが(くち)()もる。

 龍馬さんに、何かあったのだろうか?

「どうしたんですか?」

 言いにくそうに視線を泳がせた後、長岡さんが口を開いた。
「――龍馬は多分もう、()()()()()()()()()()

 あたしは目を見張る。

 もし陽之助さんがそれを知ったら、どう思うだろう? 自責の念に駆られて、塞ぎ込んでしまうかも知れない。

 長岡さんは続けた。
「龍馬はこの世界に来る前、1度寺田屋ゆう宿で役人()ァに襲われて、左手を負傷したことがあるがじゃ。一応治ったけんど、『一時期は刀が振るえんかった』ち龍馬から聞いたぜよ。
 今回は、前と同じようにはいかんろう。過去に左手に重傷を負った上、今回は刀を素手で握っちゅう。指が取れんかったがは、不幸中の幸いぜよ」

 有名な寺田屋事件だ。

 龍馬さんがもう、刀が振るえないかも知れないなんて――そんなこと、陽之助さんにはゼッタイ言えない。

「ちっくと昼餉を作って来るき、オマンももう部屋に()んて()いぜよ」
 長岡さんが立ち上がり、部屋を出て行った。

 あたしも長岡さんの言葉に頷き、自分の部屋に戻る。

 龍馬さんは、さっきまで苦しそうにのた打ち回っていたけれど、今はすっかり静かになっている。このまま、無事に回復してくれると良いけど……。

 そういえば陽之助さんも、龍馬さんを護れなかった自分を責めていた。
 彼はあまり親に愛されていなかったみたいだし、だからなのか――自己肯定感が低く、独りで溜め込んでしまう癖もある。
 陽之助さんのことも心配だし、後で部屋に行ってみよう。


 ――やがて、長岡さんがご飯が載ったお盆を2つを持って、部屋に戻って来た。

 1つ目のお盆に載っているのは、ご飯と魚と味噌汁、お茶。一般的な和食だ。
 もう1つのお盆には、梅干し入りのお粥にミカン、そしてお茶と薬が載っている。これは、陽之助さんのものだろうか?

「こっちは、陽之助さんのご飯ですか?」
 あたしが梅干し入りのお粥とミカンが載ったお盆を指差して尋ねると、長岡さんが頷いた。
「アイツは少食やき、出来るだけ食べて貰う為に、アイツの好物にしゆうがぜよ」

 陽之助さん、梅干し入りのお粥とミカンが好きなんだ。

 長岡さんが部屋を出て行くと、あたしは箸を手に取った。

 そういえば陽之助さんは、長岡さんとあまりケンカをしない。否、勿論しているのだろうけれど、少なくともあたしは、2人がケンカをしているところを見たことがなかった。
 だからといって仲が良いというワケでもなさそうだけれど、他人と口論になることが多い陽之助さんが彼とケンカをしないのは、きっと弟のように面倒を見てくれる長岡さんだからだろう。

 ――そんなことを考えながら昼餉を済ませたあたしは、陽之助さんの部屋に行った。
 陽之助さんもご飯を食べ終わったみたいで、上体を起こして本を読んでいる。

「陽之助さん、体調は大丈夫?」
「……うん」
 本を閉じ、陽之助さんが頷くけれど、何処か沈んだ表情をしていた。

「どうしたの?」
 物憂げな美人顔を覗き込み、あたしは尋ねる。

「……別に」

 返事が極端に短いし、何だか元気がない。龍馬さんのケガのことを、気にしているんだろうか?

 だけど彼はあたしを避けるように、布団を被って目を閉じてしまうのだった。


 その日の夜、眠っていたあたしは、誰かが咳き込む声で目が覚めた。

「ゴホゴホッ……ゲホッゴホッ……ゴホゴホッゲホッ!!」
 咳は長く続き、止まる気配がない。

 恐らく、陽之助さんの咳だ。

 あたしはそっと、陽之助さんの部屋の襖を開ける。
 彼は姿勢を崩して、布団を握り締めながら激しく咳き込んでいた。

「陽之助さん、苦しいの……!?」

 陽之助さんの傍に行き、急いで背中を(さす)る。

 行灯(あんどん)に揺らめく、苦しげな横顔。
 恐らく、ずっと咳き込んでいたのだろう――吐いた血痰の滲んだ懐紙が、グシャグシャになって枕元に散乱していた。

「ゲホゲホゲホッ……ゴホッゴホッ!!」
 懐紙で口を押さえ、絶え間ない咳に苦悶する陽之助さん。
 あまりにも苦しそうで、背中を擦るだけでは足りないような気がしてしまう。だけど、だからといって何をしなければ良いのか判らない。

「長岡さん、呼んで来るね」
(かめ)へん……ッ! こないな咳……ッ、ゲホッゲホッ……直ぐ、治まるさかい……ゴホッゴホッゲホッ!!」

 「直ぐ治まる」って……。こんなに激しい咳が、直ぐ治まるワケないじゃない。
 何より苦しそうだから、早く楽にしてあげたかった。

「……ッゴホ……ゲホッゴホォッ……うゥ……ッ」
 横たわることも出来ず、かといって座ることも出来ず、姿勢を崩したまま彼はヒドい咳を繰り返す。
 武士にそぐわない華奢な肩が、何度も上下していた。

「ゲホッゲホッゴホッ……ゴホッゴホォッ!!!」
 と、息を吸う間もない程に彼が激しく咳き込んだかと思うと――陽之助さんが口を押さえる懐紙に、瞬く間に朱が塗られて行く。

 彼が吐いたのは、血痰ではなくて――。

 陽之助さんが、懐紙を口から離した。
「……ッ」
 (あか)く濡れた懐紙から、雫がポタポタと滴っている。
 彼は、真っ赤になった懐紙を畳に放った。

「ハァッ……ハァッ……ゲホゲホゲホッ……ゴホッゲホン!!」

 そして、口を押さえた彼の掌から、再び鮮血が(ほとばし)る。
 彼の手も着物も布団も、全てが(あか)に染まっていた。

 そんな彼の惨状を()の当たりにし、あたしは悲鳴にも似た声で叫んだ。
「陽之助さんッ!!!」

しおり