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第7話 ~彼の願ひ~

 ――……。
 ……あれ? 此処は?

 あたしは薄く目を開いた。

 え? 此処って……。
 雪景色の中に居たハズなのに……。

 以前居た場所と違うと気付いたあたしは、瞬きしてパッチリと目を開く。
 視界に飛び込んで来たのは、天井だった。そしてあたしが横たわっていたのは、布団。

 あたしは起き上がった。額に載せてあった手拭いが落ちる。
 落ちた手拭いを拾い、辺りを見渡した。和室のようだ。
 熱っぽく、体がとてもダルい。
 隣には、陽之助さんが寝ている。何時(いつ)もナイルブルーの紐で1つに結われている髪は下ろされ、白い長襦袢を着ていた。

 再び極度の疲労感に襲われたあたしは、再び布団に横たわる。そして既に(ぬる)くなっている手拭いを、額に載せた。
 少し心臓が痛い。

 すると襖が開く音がし、あたしは再び半身を起こした。
 誰だろう?

「萌華!! 目が覚めたかえ!?」
 と、龍馬さんが慌ただしく部屋に入って来る。

「龍馬さん……! 陽之助さんが……!」
「おォ、スマン。起こすところやったぜよ」

 静かに寝ている陽之助さんを一瞥し、龍馬さんがあたしの枕元に来た。

「龍馬さん、此処は……」
 見覚えのない部屋を見回して、あたしは尋ねる。

 龍馬さんは、「緒方洪庵というお医者さんの診療所に行く」と言っていたハズだ。

「此処は、洪庵先生の診療所ぜよ。あれから洪庵先生に事情を説明して、洪庵先生は弟子達を連れて高杉さんの元に、ワシはオマン()ァの()る神社に行ったがぜよ」

 そうだったんだ……。
 緒方洪庵先生って、どんな人なんだろう?

「ワシが神社に着いた頃には、2人は気を(うしの)うて倒れちょった。やき、ワシが2人を抱えて診療所まで走ったがぜよ」

 やっぱり……あたし、気を失ってたんだ。
 此処まで運んでくれた龍馬さんに、感謝しなきゃいけないな。彼のお陰で、あたしも陽之助さんも助かったんだから。

「有り難う御座います」
「お安い御用やき。それより、オマンが目を覚まして良かったぜよ」
 心底安心したような表情の龍馬さんに、あたしもホッとした。

 その刹那。

「……ッ……コホッ」
 と、隣で咳が聞こえた。

 あたしは咳が聞こえた方へ視線を注ぐ。
 咳き込んでいたのは、陽之助さんだった。

「……ゴホ……ゲホッゲホッ」
 陽之助さんが目を覚まし、ゆっくりと体を起こす。きっと咳で起きたんだ。

「ケホッ……ゴホゴホッ……、ゲホッ……ゲホッゴホッ!」
 彼は周囲を見回す。

「大丈夫かえ?」
 龍馬さんが、彼の華奢な背中を優しく撫でる。
 俯いていた陽之助さんが龍馬さんを見上げ、また咳き込んだ。

 口元を押さえた陽之助さんが、急に立ち上がる。

「陽之助さん……?」
「陽之助、オマン……!」

「…………」
 陽之助さんは何も言わずに、部屋を出て行く。

 襖が閉められた。

 バタン!
 何かが倒れる音がする。

 龍馬さんが急いで襖の前まで行き、あたしもそれに続く。

「ゴホッゲホゲホッ……!! ゲホッ……ゴホッゴホッゴホ……ッ!!」
 何かを吐き出したような音がした。

 背筋が凍る。

 スパァン!
 襖を開け放ったのは、龍馬さんだった。

「……ッ」

 其処には、廊下に膝を突いて肩で息をしながら、苦しそうな表情でこっちに目を向ける陽之助さんの姿。そして、彼の目の前に広がる――()()

「うッ……ゲホッゲホッ!! ……ゴホゴホッゲホン!!」
 咳き込んで口元を押さえた彼の手の甲を、隠し切れなかったかのように(あか)いものが伝う。

 陽之助さんは、乱れる呼吸を必死に抑え付けようとしていた。
 絶望に満ちた赤銅色の瞳が、動揺したように震える。
 苦しみながらも、「見ないで」と言うように、陽之助さんがそっと袖で顔を隠した。

「陽之助ッ、オマン――」
「見やんといて頂かして」
 龍馬さんの言葉を遮るように、透かさず陽之助さんが口を開いてそう言った。
 驚く程冷静で、強い声。だけど、何処か震えていた。

「何を言いゆう!」
 龍馬さんが、陽之助さんの元に駆け寄ろうとする。

「アキまへん!! 来やんといて……ッ!!」
 自分を拒絶する陽之助さんの姿に、龍馬さんが驚いて足を止めた。
 そういえば陽之助さんは、昨日もこんな風にあたしを拒絶していた。

「来やんといて、頂かして……ッ!」

 陽之助さんの肩が震えている。だけど彼は、それを抑え付けようとしているようだった。

「そんなこと――出来るワケがないろう!!」
 ギリッと歯噛みした龍馬さんがそう叫び、陽之助さんの目の前に片膝を突く。

 眉間にシワを寄せながら、部下を見下ろしている龍馬さん。

「オマンが()()()()()()()()()()()()()()がは、理解(わか)っちゅう。けんどそれと同時に――独りで抱え込むことのずつなさを、オマンは()()()()()()()()がやないがかえ!?」

 あたしは大きく目を見張る。

 昨日、独りで抱え込むことの苦しさを知っているから、あたしは陽之助さんに「独りで苦しまないで」と言った。
 だけど――陽之助さんも、独りで抱え込むことの苦しさを知っているようだった。

 普段は、あんなにクールで気の強い人なのに……。

「……坂本さんに拾われたあの日……(ワイ)は一生懸けて、貴方(オマハン)のお役に立つことを誓いました……。せやけど――(ワイ)にはもう、それが出来れへん……ッ!!!」
 耐え切れなくなったように、陽之助さんがワッと泣き出す。

 子供のように泣きじゃくる陽之助さんを、龍馬さんは何も言わずに、その逞しい腕で抱き寄せた。
 龍馬さんも陽之助さんも同じ男性なのに、陽之助さんは龍馬さんの腕に収まってしまう程に、線が細い。

「坂本さん……?」
 陽之助さんが、驚いたのか――龍馬さんの広い胸の中で目を見張る。

 慈しむように固く目を閉じた龍馬さんが、更に強く陽之助さんを抱き締めた。

「陽之助……オマンは『洪庵先生に風邪やち診断された』ち言うちょったけんど、違うろう? ホンマのことを言うとおせ」
「……坂本さんかて……ゲホッ……もうお(わか)りですやろ……?」

 龍馬さんが目を見開く。だけど直ぐに、悔しそうな表情で眉根を寄せた。
 陽之助さんが俯いたまま、龍馬さんの腕から離れる。
 小刻みに肩を震わせ、静かに涙を流す陽之助さんを、龍馬さんは無言で見下ろしていた。

 暫しの静寂の後、陽之助さんが口を開く。
「――労咳なんです……」

 その直後、陽之助さんが口元を押さえながら、痰の絡んだ咳に俯いた。

「どういて、今まで言うてくれんかったがじゃ?」
「言えるワケ、ありまへんわ……ッ! (ワイ)が言うたら、きっと坂本さんは……悲しまれますやろ……!?」
「そうじゃにゃァ……。何となく予想はしよったけんど、ホンマの病名を言わんオマンに安心しよった自分が、心の片隅に()ったがぜよ」

 不治の病に罹ったら、きっと皆「死にたくない」「出来ることなら治りたい」と言うだろう。あたしだってこの心臓病に罹ってから、出来ることなら治りたい――そう思ったのも1度や2度じゃない。
 だけど――人はいずれ死ぬ。生まれて来たからには、どう足掻いても逃れられないゼッタイの運命(さだめ)

 それにしても、病名を偽る陽之助さんに、どうして龍馬さんは安心していたんだろう?

「……また、こうなるがか……」
 かつてない程に悔しげな表情で、龍馬さんがポツリと呟く。

「どういて()()()が、労咳に罹らんといかんがじゃ……!!」

 あたしも、どうして()()()なんだろう? と思うことがあった。でも、答えは出て来ない。

 ……人は何故、病気になるのだろう?

「ゴホゴホッ……ゲホッゴホン!! ……坂本さんの……()()()ですやろ……。坂本さんは……この世界に、必要なお人ですさかい……」
「……ッ!」
 龍馬さんが、苦悩に顔を歪める。

 陽之助さんが眉を下げ、悲痛な面持ちで龍馬さんを見上げた。彼の赤銅色の瞳が、涙で潤んで行く。
 2人の視線がクロスした。

「坂本さんが理想とされる(ワイ)は、どないな(ワイ)ですのや……ッ? 病を()()()()……()ェですやろか?」

 陽之助さんが縋り付くように、龍馬さんの着物を掴んだ。

「どないしたら……どないしたらずっと……必要として下さいますのや……ッ!?」

 今の陽之助さんは、普段のあたしに対する態度からは想像も出来ない程、か弱く健気に見えた。

 龍馬さんが、震えている陽之助さんを抱き締める。そして、己の胸に顔を埋めさせた。

「ワシに()()らァないぜよ。オマンはオマンのままで()い」
 優しい声でそう言いながら、陽之助さんの小さな頭を撫でる龍馬さん。

 もしかすると陽之助さんは昨日、龍馬さんに捨てられるのが怖くて泣いていたんじゃないだろうか?
 龍馬さんを求め、必要とされたいと願って泣く彼を見ていると、何だか自然とそう思えて来た。

「ゲホッゴホッ……ゲホゲホッゲホッ!!」
 咳をし始めた陽之助さんの背中を、龍馬さんが優しく(さす)る。

「死ぬまで、貴方(オマハン)のお役に立ちます。貴方(オマハン)に全てを捧げます。せやさかい……どうか、どうか……独りにしやんといて……ッ! もう、()()()()()()()()()は……イヤなんです……ッ」

 ()()()()()()()()()? 過去に何かあったんだろうか?

 だけど当然訊き出せるような状況じゃなくて、あたしは頭の片隅に置いておくことにした。

 結局、あたしが彼の過去について知るのは、だいぶ後のことになる――。

「そんなことは理解(わか)っちゅう。ワシは何があったち、オマンを独りにはせんき。ずっとずっと、ワシの大事な仲間ぜよ」
「……はい、おおきに……坂本さん……」

 陽之助さんの白い頬にまた一筋、透明な雫が伝った。

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