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第6話 ~雪桜~

「本当……なんですか?」

 龍馬さんが俯いた。
「ウソでこんなことが言えるかえ」
「……そう、ですよね……」
「オマンを責めゆうワケやないき。それより、陽之助の元へ行ってくれんかえ?」

 あたしは目を見張った。
「陽之助さんの……?」
「そうじゃ。ワシは洪庵先生の診療所に行って、高杉さんと陽之助が血を吐いたことを伝えるき。陽之助を何時(いつ)までも1人にするワケにはいかんき、行っとおせ」
「はい!」

 雪がチラチラと降り注ぐ。

 龍馬さんからは陽之助さんの居場所を聞き、あたしは高杉さんの居場所を龍馬さんに伝えた。
 そして龍馬さんと別れ、陽之助さんが居るという神社に足を運ぶのだった。


 陽之助さんの居る神社に着く頃には、既に雪は積もっていた。

 此処に、居るんだよね……?

 その瞬間(とき)だ。

「――ゴホッゴホッ……ゲホ……ッ!! ……うゥ……ッ」
 何処からか、苦しそうな咳が聞こえる。

「! 陽之助さん……?」

 少し歩いて行くと、足元の雪に血が滲んでいた。
 これは……!

 あたしが辺りを見回すと、木に手を突いている人影が見えた。

 近付いてみると、その人影は――陽之助さんだった。

「陽之助さんッ!」
 あたしは陽之助さんの元に歩み寄り、声を掛ける。

「ゴホッゲホゲホッ……ゲホッゲホッゴホッ!! ……萌華、はん……()、やん……といて……ッ!」

 血の気の引いた顔で診療所から出て来る陽之助さんの姿、そして海援隊本部で話していた時に見た血痰らしきものが、頭の中に明滅した。

 彼が重い肺の病を患っているということは、最早逃れようのない事実だった。

 だけど、信じたくないというあたしの想いを、陽之助さんの胸に巣食う病魔が一蹴する。

「……うッ! ゲホゲホゲホッ……ゴホ……ゴホゴホッ……ゲホォ……ッ!!!」
 陽之助さんが激しく咳き込み、何かを吐き出した。

 それは、鮮やかな(から)(くれない)
 白き雪の上に咲いた、大輪の(あか)き華。

「――陽之助さんッ!!」

 ――そう、彼は()()()()()()()

「……見やんといて……ッ」
 彼は苦しそうな声で、あたしを拒絶する。

「陽之助さん……もしかして……」

 沖田さんや高杉さんと同じように、陽之助さんも労咳なのだろうか?

 長い睫毛を伏せ、陽之助さんが口を噤んだ。
 あたしは陽之助さんの傍に行き、その華奢な背中を優しく(さす)る。彼の背中はビク、ビクと震えていた。

 彼は「見ないで」と言っていたけど、こんなに苦しんでいるのに見過ごすことは出来ない。

「見やん……とい……て……ッ!」
 そう言った陽之助さんの声は、心なしか泣きそうな声だった。

「もしかして、労咳なの……?」
 あたしは意を決して尋ねる。

「……ッ」
「隠さないで……お願い……」

 降り(しき)る雪は激しさを増し、陽之助さんが吐いた血の上に滲んだ。
 白かった雪が、血の(あか)に変わって行く。

「…………労咳、なんや……ッ」

 その言葉が発された刹那、あたしは完全に現実感と思考力を喪失した。否、これが現実だということを未だに拒んでいる自分が、そうさせたのかも知れない。
 それくらい、彼の言葉は重く強く響いた。

 返す言葉も無くて、我に返るまで暫し時間が必要だった。

「……独りで苦しまないで」
あたしは呟く。

 やっと出て来た言葉は、少しも優しくなくて無責任で拙くて自分勝手なものだった。優しいのは――()()()()()()だけ。

 それでも、これがあたしの本心だった。

 ――独りで抱え込んで苦しむ人を、ずっと見て来たから。
 ――独りで抱え込むことの苦しさを、知っているから。

「……ッ! ……ふ……ッ」
「泣いてるの?」
「……ッ……(ワイ)は……ッ泣いてなんか……ッ」

 きっと陽之助さんは、あたしが神社(ここ)に来る前から泣いていたんだと思う。
 彼は何と、ウソの下手な人なのだろう。今も、彼の肩が小刻みに震えている。どう見ても泣いているのに……。

 そう、あのクールで毒舌で気の強い陽之助さんが――()()()()()()()

 身体的に苦しくて仕方がないからなのか、不治の病に侵されたことへの恐怖心からなのか、それとももっと別の理由なのか――いずれにせよ、彼が泣いている理由は(わか)らない。

 本当は、泣いてしまうくらいの何らかのストレスを抱えている陽之助さんを、優しく抱き締めてあげたかった。
 だけどそれが彼にとって苦痛でしかないということは、これまでの彼の態度を見れば明らかだ。

「もう……ッ……()ェ加減にしてや……ッ! ゴホッ……『来やんといて』っちゅうた、やろ……ッ!?」

 どうして其処まで、あたしを拒絶するんだろう?
 龍馬さんに対してもそうだ。()()()()()に対して、()()()()()()()()()()()()()()()を持つだろうか?

「それでも――貴方が重い病気を()()()抱え込んで苦しむ姿を、あたしは見たくないの!!」

 どんなに想っても願っても、あたしは陽之助さんの代わりには死ねない。その苦しみを想像することは出来ても、()()()理解(わか)ったり感じたりすることは出来ない。結局、1番苦しむのは彼だ。そんなことは、幼い頃に()()()()知っている。

 ――それでも、彼を助けたかった。

 大それた願いだということは、重々承知だ。それでもあたしの言葉や行動で、少しでも彼の苦痛が和らぐのなら、あたしはそれをしてあげたい。ほんの少しでも良いから、楽になって欲しかった。

「ムリしないで」
「ゴホゴホッゲホッ……!! ……別に……ッ萌華はんには……、コホッゴホッ……関係あれへん……ッ!! ()っといてや……!」
「確かに、関係ないかも知れないよ……。でも――それでもあたしは、貴方を楽にしてあげたい」

 看護師を目指しているから、病気に苦しむ彼を救いたいという想いもある。だけどそれ以上に、()()()()()()()()()を味わいたくなかった。
 あの頃の恐怖と後悔は、未だ心に強く残っている。
 自分のエゴだと理解(わか)っていても、彼を救いたかった。

「…………萌華はんには……ッ、ゴホゴホッ……関係……あれへんやん……ッ!」
 そう言って、陽之助さんがあたしをドンッと突き放した。

「……ッ!」
「来やんといて! これは(ワイ)だけの問題なんや!」
 陽之助さんが叫び、やがて激しく咳き込む。

 あたしは立ち上がった。
 ズキッと心臓が痛み、あたしは顔を歪めて胸を強く押さえる。

 運命は――残酷だった。

 この真っ白な世界には、あたし達2人だけだ。

 寒さの所為(せい)なのだろう――熱が上がって行っている気がする。心臓の痛みがどんどん増して行く。

「……生きたい」

 不治の病に侵されながらも、それでも『生きたい』と願う彼の悲痛な想いに、あたしは胸を打たれた。

「……陽之助さん……」
 そう、彼の名を呟くことしか出来なくて――。

「生きたい……! やのに、何故(なえで)……何故(なえで)……ッ!!」

 彼を苦しめるものを、あたしが引き受けられたら良いのに。

 嗚呼(ああ)、やっぱり運命は残酷だ。
 死んで欲しくないと思っても、不治の病には太刀打ち出来ない。あたしが彼の苦しみを引き受けたいと思っても、そんなこと出来るワケがない。
 ――この運命(さだめ)に太刀打ち出来る者なんて、この世には居ないんだ。

 だから、せめて。

「生きよう、陽之助さん。あたしも生きるから。あたしは……貴方を死なせたくない」

 残された時間(とき)を、一瞬でも長く共に生きる。そうやって抗う他に、(すべ)は無い。

 『死なせたくない』――この言葉がどれだけ重いものなのか、知っているつもりだ。
 それでもあたしは――。

()()()生きたい」

 陽之助さんのことをもっと知りたいし、出来ることなら仲良くなりたい。
 それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「おね、がいや……ッ! 坂本さんには……ッ……ゲホッゴホッ……言わ、ん……と、いて……ッ」
 陽之助さんの悲痛な想いが、あたしの胸を貫いた。

 彼は、病を隠そうとしているんだ。
 ――でも、どうして? 不治の病だということが龍馬さんに知れたら、龍馬さんに捨てられるから?
 龍馬さんは、「アイツの病がどれだけ重くなっても、自分はアイツを捨てない」と言っていたけれど……。

 どうしてこの師弟には、これ程までに強い結び付きがあるのだろうか? 否、師弟という表現では足りない程の強い何かが、2人の間にはあるように見えた。

「……うん、言わないよ」

 本当は、言った方が良いのかも知れない。
 だけど打ち(ひし)がれている陽之助さんにとって、尊敬する師である龍馬さんに病を知られてしまうことは、彼の最後の希望を断つに等しいことなのだと察する。

 再び激しく咳き込んだ陽之助さんの背中を、あたしはそっと撫でた。こんなことしかしてあげられないのが、本当にもどかしい。

 降り頻る儚い雪に、淡い桜の花弁が混じり始めた。

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