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神対降妖師

 体が、軽い。
 どこまでも走ってゆけそうだ。



 人として死に、鬼となった今、不思議なほどに体が動かしやすい。




 --ムイの中毒が、治ったからか。




 走りながらそう考え、テンニは走りながらげらげらと笑った。




 --そうか、これが最良の治療法だったのだ。







 ざああああ







 風が鳴る。
 陰陽界を、陰曺地府に向かって走りながらテンニは笑い続けた。



 もう、ムイなど必要とせずともよいのだ。
 自分は、ムイの呪縛から解き放たれたのだ。




 --儂は、鬼の方が向いていたということだな、人よりも。




 そう思い、またげらげらと笑う。



 手には鎖のついた刀を持ち、その鎖は打鬼棒にぎちりと巻きついている。
 その鎖を放つことで、鬼を打鬼棒にて打つ。




 その手繰り方を、先刻あの陰陽師で試そうとしたのだが、龍馬の牙に阻まれてしまったのだ。
 だが、別に構わぬとテンニは思っていた。




 --地獄へ行けば、試しに使える鬼どもがわんさか居るのだからな。




 くくくく、と走りながら笑いがこぼれ続ける。




 --そう、そして最後には。




 脳裡に、焔のごとく紅き二つの眼が浮かぶ。
 閻羅王。
 地獄を統べる、王。




 --奴を、なきものとする。




 テンニは笑いをぴたりと止め、真っ直ぐに前を睨んで走った。



 目指すところは、森羅殿だ。




          ◇◆◇




「スルグーン」二足の鬼と鼬は揃って繰り返した。



「ど、どうしてスルグーンが」ケイキョが訊く。



「テンニが打鬼棒を取りに戻ったのは恐らく、それを使って陰曺地府を己の配下に置くためだ」リンケイは答えた。



「馬鹿なことを」キオウが顔を歪める。



「お前が言うのか」リンケイは面白そうに眉を持ち上げ目を細める。



「それは--」キオウは流石に言葉を詰まらせ俯いたが、すぐに顔を上げる。「だが俺には策があった、それにそのための組織も作るつもりだった」



「そうだな」リンケイは頷く。「それに比べてあの降妖師は、ひとり打鬼棒の力のみで閻羅王を斃せると思い込んでいる」



「無理でやしょう」鼬も首を振った。「それに閻羅王に、打鬼棒が効くんでやすかい」



「わからないな」陰陽師は首を捻り、模糊鬼も首を振った。



「キオウさんは、閻羅王をどうやって斃すおつもりだったんでやすか」鼬はまた訊く。



「俺は、直接には聡明鬼にそれをさせようと考えていた」



「うん」陰陽師は頷き、
「まあ」模糊鬼の妻は口を抑え、
「へえ」鼬は尻尾をくるりと巻いた。



「その周り、つまり牛頭馬頭はじめ鬼差や鬼卒、妖鬼などを、テンニを頭として山賊どもに薙ぎ払わせようと思っていた」



「そんな」スンキが眉をひそめた。「ご主人様に、そんなひどい事をさせるなんて」



「今はもう考えてなんかいない」キオウは口をすぼめてぼそぼそと弁明した。「過去のことだ」



「しかし」リンケイは考え込むように眉間に手を当てたが、それは笑いを隠す為だと鼬には明らかに判った。「テンニの方は、打鬼棒と己の体一つだけで陰曺地府すべてを叩き壊そうとしている。そんなテンニに対し、閻羅王を除き最も敵愾心を抱く者は誰か」



「敵愾心?」ケイキョが訊く。



「閻羅王を、除き--?」キオウが訊く。



「そう。そいつはきっと、自分こそが地獄の覇者たらんと目論んでいた者だ」



「自分こそが」ケイキョが繰り返す。



「地獄の、覇者--つまり、自分こそが閻羅王を、斃すのだ、と」



「無論キオウ、お前をも除いた上でだ」リンケイは微笑んだ。「今はもう、考えてなんかいないのだからな」



「そんなことわかっている」キオウはむっつりと答え、ちらりと横目で妻を見た。



 --まったく意地悪でやすねえ。



 鼬はそっと肩をすくめた。



「つまりそれが、あいつだというんだな」模糊鬼は振り払うように顔を上げた。



 ケイキョもここに至って、その者が誰なのかに合点が行った。



 スンキも、あ、と気づいたようだった。



 リンケイは黙って微笑んでいる。




「スルグーン」二足の鬼と鼬は揃って口にした。




          ◇◆◇




 森羅殿に着いた。
 



 手に持つ刀を今一度握り締め、その鎖の中にある打鬼棒を今一度見下ろし確かめる。



 今の自分に、怖れるものなどない。
 今一度、その想いを胸に描く。




 殿内からは、鬼どもが三々五々出て来るところだった。
 閻羅王と聡明鬼、そしてスルグーンの先程の言い争いがどのようになったのか、すぐには判らない。




 --聡明鬼が神だの、スルグーンが神だのいう、御伽噺のような話だったがな。




 テンニは思い出して、また喉を鳴らし笑った。
 笑いながら歩く。



 鬼差たちが、振り向く。



 すぐにその男の持つ武器に皆気づく。




「あ」
「あれ、は」
「うわっ」




 声が挙がり、すぐにそれは




「打鬼棒だ」
「この男、打鬼棒を持っているぞ」
「うわああ」




 叫び声となる。




「逃げろ」




 鬼どもはたちまち恐慌を起こし散り散りに走り出した。



 テンニは歩きながら、不意に刀を振った。
 鎖が鋭く伸び、打鬼棒が背を向けて走る一足の鬼差を打った。




 その鬼差はたちまち血となって流れ、消えた。




「ひ」
「わあああ」
「助けて」




 鬼どもはいよいよ悲鳴を挙げ互いにぶつかり合い尻餅を突きながら逃げ惑った。



 テンニは歩を進めながら幾度か刀を振り、幾足かの鬼を消した。
 鎖は長く、ここまで逃げれば大丈夫だろうと油断して足を緩め振り向きかけた鬼どもを狙い定めて打ち、消した。




 森羅殿の入り口に立つ。



 殿内にいるのはまだ辞しておらぬ鬼差どもだけのようだった。
 閻羅王はすでに退室しており、聡明鬼の姿も見えなかった。



 だが奥の方に、スルグーンの姿は認められた。




「聞け」テンニは叫んだ。




 全員が、叫んだテンニの方を振り向いた。
 スルグーンもだ。




「儂はテンニ、降妖師じゃ」テンニは、まるで生きていた時のように自分の名を名乗った。「貴様ら、血となって流れたいか」刀を高く差し上げる。「この打鬼棒に打たれて」




 しん、と静まり返る。




「疑うか、これが打鬼棒であるわけがないとでも」テンニはそう言ったかと思うと目にも止まらぬ速さで刀を振った。



 たちまち殿内にいた一足の鬼が消える。




 ひゅう
 ひゅう




 刀が風を切る音だけが幾度か続き、そのたび殿内のあちこちで鬼差が、声を挙げる暇もなく血となって流れた。




「うわあ」鬼差の一足が声を挙げ、



「わあああ」別の一足が叫び声を挙げ、




「やめろ」
「助けてくれえ」
「逃げろおお」



 幾足もの鬼どもが悲鳴の渦を巻き起こした。




 リューシュンはその悲鳴の渦を、森羅殿の別の部屋にて聞き取った。
 彼は、いつの間にかいなくなっていたケイキョを探していたのだ。



 だがその悲鳴から、さっきまでいた部屋の中でただごとならぬ事態の起きていることを察し、ただちに踵を返した。




 入り口からは、慌てふためく鬼差どもが我先にと逃げ惑い溢れ出てくる。
 それらとぶつかりながら、どうにか入り口に立つ。




「聡明鬼」鬼の一足が叫ぶ。
「助けてくれ」
「聡明鬼」
 次々に、必死で助けを求める叫び声が挙がる。




 部屋の中ほどに立っていたテンニが、振り向く。




 その手に持つ得物を、リューシュンは見た。




 --刀……打鬼棒!




 眼をかっと見開き、跳ぶ。



 リューシュンの立っていた所の床を、打鬼棒が打つ。




「なるほどな」床に降り立ったリューシュンはテンニを見据えたまま頷いた。「道理で鬼どもがぎゃあすか喚きたてるわけだ」



「まるで他人事だな」テンニは眼を細めせせら笑った。「さも自分は鬼ではないとでも言いたいかのように」



「俺は鬼さ」リューシュンはテンニを睨みつけた。「その証拠に、その打鬼棒が怖い」テンニの手元を指差す。



「だが本当かどうかわからんな」テンニは眸を光らせた。「何しろお前は、神なんだそうだからなあ」くっくっ、と喉の奥で笑う。



 リューシュンは身構えた。
 また、放つ気だ。




「やめろ」怒鳴る声がした。




 テンニの、動きかけた手がぴたりと止まる。
 リューシュンも声の方、テンニの肩越しに見えるその声の主の姿を見た。




 スルグーンだ。




「一体、何のつもりだ貴様」鬼差のスルグーンは怒りの形相でテンニの背後から叱責した。「恐れ多くもここ森羅殿内で、好き勝手なことは許されんぞ」



「へえ、そうか」テンニはだらりと手を下げ、リューシュンに背を向けて振り向いた。



「スルグーン」リューシュンは思わず叫んだ。「逃げろ。こいつの武器は打鬼棒だ。お前でも敵わん」



「そんなことが問題なのではない」スルグーンは構わなかった。「俺はここ森羅殿の差官だ。規律を乱す者は取り締まらねばならん」



 スルグーンは言ったかと思うと、真っ直ぐテンニに向かって歩き出した。



「ば」リューシュンは思わず馬鹿、と叫びそうになりながら、床を蹴って跳んだ。



「丁度いい」テンニはにやりと笑って体を横に引き、リューシュンの蹴りをかわした。「お前ら“神”どもに、打鬼棒が効くのかどうかを試してやる」



「テンニ」リューシュンは再び跳んだ。「やめろ」




 降妖師は、ぶん、と刀を横薙ぎに振った。
 リューシュンは前に出ようとしていた体を咄嗟に止め、切先を髪の毛一本のところで届かせなかった。



 そうしながら聡明鬼の眼は同時に、鎖の伸びる先を追うことを忘れなかった。




「スルグーン」呼びながら、鬼差が自分と同じように身を引きテンニの得物から逃げてくれることを祈った。




 鬼差はしかし、自分が抑えるべき相手から目をそらしもせず、次の一歩をまさに踏み出そうとするところだったのだ。




 鎖は鬼差の背後から回り込み、その頭上から恐るべき打鬼棒が、くるりと回転しながら落ちた。




「スルグーン!」リューシュンが叫ぶ。




 だが、打鬼棒に打たれたスルグーンにはもはやその声は届かなかった。
 彼は血となって流れたのだ。




「スルグーン!」それでもリューシュンは再び叫んだ。




 友、という意識はいまだ蘇っていない。
 その鬼差とはやはり今日初めて出会ったとしか、思えない。



 だが頭では--心でなく理性として、この鬼差ともっと話をすれば、もしかしたら昔の記憶が断片なりとも、取り戻せるのではないか--そんな事を考えなくもなかったのだ。



 それを、自分の“心”が望んでいるのかどうか、はっきりとは知れなかった。
 しかし飽くまで理屈として、そのような流れとなるのかも知れない、と考えていた。




「ほう」テンニは鎖を手元に戻して満足そうに頷いた。「消えたな。神も」




「きさま」リューシュンは、噛み締めた自分の牙がぎり、と音を立てるのを、鬼の耳で聞いた。




          ◇◆◇




 頭のてっぺんに、雷が落ちたように思った。



 目がくらんだが、幾度か瞬きするとまた視界が戻った。
 景色は相変わらず海と空の二つだ。



 周りの鳥たちも、相変わらず自分を恐れるように、あるいは崇めるように、距離を置いて飛び従ってくる。



 海を見下ろす。
 穏やかに、波打っている。




 だがそこに、それははっきりと見えた。
 ぽっかりと、それは海の水面に存在していた。




 --行かなければ。




 スルグーンは、強く思った。



 どこへ?



 自分の中の、誰かが問う。



 どこだ--



 すぐに答えが出てこない。
 しかし想いは強く、焔のように熱かった。




 行かなければ!
 陰曺地府へ!




 それが突如、明確になる。



 陰曺地府--何故?



 自分の中の誰かが、また問う。



 何故だ--



 今度は、答えがまったく見えなかった。
 しかしスルグーンは、それ以上迷わなかった。




 彼は予告もなく、翼をたたみ海面に向け落ちていった。




「ガルダ様?」
「ガルダ様!」
 鳥たちが驚いて叫ぶ。



 スルグーンは、返事をしなかった。




 天心地胆は、今もはっきりと見えていた。
 波打つ海の水の中に不気味に漂う、黒き淵--まるで鬼魂を連れに来る、地獄の差官の虚ろな眼のようだ。




 スルグーンはその中に、怖れもなくまっすぐ飛び込んだ。

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