バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第77話 リーゼント・スミスは、平然と墨摺る

 ありすは新屋敷の階を下りながら、各店舗を回り、食材を次々とかっぱらっていった。バイキングのみならず、勝手に厨房に出入りしていた。どこでも自由に食べられるのはすばらしい。この城の「お客様」であれば、だが。ありす達は客ではない。単なる不法侵入である。
「ねェー、時夫をあんなトコにほっといて何してんのよ。女王に取られちゃうわよ?」
 ウーは、ありすに言われるままに指定の食材を袋につめている。
「反撃の準備。この城、隙だらけでしょ。急場しのぎ特有の欠点がある。この城の中の食材は、完全に彼等のモノではない。外の食材なのよ。それを使えば、そのまんま科術の料理で、一気に住人を目覚めさせることができる」
 ありすは店を巡って、科術に使える食材を選り分けていたのだ。
「ありすさん、提案があります。やっぱり私、時夫さんの傍に居たいと思います。二手に分かれましょう。時夫さんが移動した可能性があります。ありすさん達は引き続き、城内を探ってください」
 雪絵はさっきから、何かを感じ取っている様子だった。
「どこにいるのか分かるの?」
 ありすは寒さで併発した鼻炎が続いていた。
「はい。時夫さんの居場所なら、ロイヤル・ハーグワンのセンサーで探っていけば、いずれ分かります」
 雪絵によると、時夫に何か異変があったらしい。
「無事なのね?」
「おそらく。今は、微弱に感じられます」
「え……? でも」
 ウーが心配げな顔を雪絵に向けた。
「大丈夫です。もう私は摑まりません。それに彼女は、今のわたしを恐れています」
 雪絵の自信は、これまでの彼女自身の成長に裏付けられていた。確かに雪絵は今や最強の科術師だ。
「じゃ……ロビーのデカ招き猫の前で合流しましょ」
 ありすがそう言うと、ウーがバナナの房をありすに見せた。
「これも使える?」
「うん」
 バターン! という音とともにその直後、雪絵は床に出来た六角形の穴に落ちた。
「ん……早いわね」
 雪絵の姿が見えないので、もう立ち去ったのだと二人は思った。今のところありすとウーが穴に落ちてないのは、奇跡的な偶然でしかない。
「そんなトコで何をしている?!」
 突然、無言でジャガイモの皮をむいていたコックが、くるっと振り向いた。サングラスをしていた。コック帽をスポンと取ると、リーゼントだ。これまで、店員も客も洗脳されているせいで、城側はありすら侵入者に無関心だった。それで二人が厨房に勝手に出入りしても、なんらお咎めなしだったが、今回だけは違った。
「あれ……さっきまでコックだったよね? いつの間に顔が入れ替わったんだ?」
 ウーにもありすも、六十代と思しきコックと認識していた人物が、三十くらいの男になっている事に気づいた。身長も百八十以上に伸びているような。
「勝手に店のものを物色とは? お前たち、外から入ってきたアノマリー(異常情報体)だな?」
 反対側の入り口から、ダークスーツを着たサングラス男が入ってきて、厨房を漁るありす達に声をかけた。そいつを見やるとコックと全く同じ顔だ! その直後、裏口からも別の同じ顔が入ってきた。ありすとウーは、三方向を同じ顔の男に取り囲まれていた。
「異物じゃないんですけど?」
 ありすは言い返した。
「顔、皆一緒じゃん」
「新手の女王の手下か。出来立てほやほやって処よね」
「西で見たへのへのもへじと同じねー」
「東京タワーにあるタモリの蝋人形みたい」
 急場しのぎだけあって、何体も存在する。その分かえって厄介だ。
「古城ありすだな。ようこそ泊(ト)マリックスへ!」
「トマリックスですって?」
「阿頼耶識装置が動かすこの城のことだ、すなわち、泊まりーックス!!」
「----あの時計は何かしら?」
 全員、サングラスの真ん中に青い地球の時計があった。ちょうど瞳サイズの大きさだ。何かしらのタイムリミットを示しているのではないかと、ありすは推察する。
「なるほど? 前回が『美○しんぼ』で、今回敵は『マトリックス』で攻めてきたというワケか。つまりこいつらはエージェント・スミス。戦いはスピード勝負になる。やるっきゃないわね……」
 ありすはフライ返しのポーズをとった。
「食らいな、エージェント・スミス、無限たこやき!」
 ありすのたこ焼き呪文が炸裂し、光弾が放たれた。
 サングラスたちは奇妙な姿勢で、続々発射される光弾を一つ残らず避けていった。
「さ、さすがに早い」
「私はエージェント・スミスじゃない! ヘーゼント・スミスル!」
 スミス達は懐から墨を取り出し、のけぞったまま床をこすり始める。たちまちにして、床に墨が流れた。ありすらは、スミスが摺った墨でずっこけた。無限たこ焼きの中でも「平然と墨摺る。」? ……く、くだらん。
「ハッハッハ、どこに撃ってる?!」
 滑って、もはや標的どころではない。しかしこれは駄洒落ではない、意味論なのだ。
「ならこっちは否バウアー作戦で対抗するわよ!」
 ありすは、つるつる滑る床でイナバウワーをしながら何とか転倒を回避した。「平然と墨摺る」を拒否する意味論、それが「否バウワー」。
「そんなん無理だって、キャアア……!」
 ズシン、という音と共にウーはしりもちをついたが、迫る敵にひるむ女ではない。
「うさぎビーム!」
 石川ウーは、スミスの持った墨を狙った。墨はバチンとはじかれ、スミスの手を離れて、床に転がった。すると、スミスはとたんに動きが悪くなった。
「あれが弱点か。今だよ! ありすちゃん」
 ありすの無限たこ焼きが、墨を奪われたスミスたちを続々粉砕していった。茸くずが床に散らばる。二人の無限たこ焼きとうさぎビームは、確実にパワーアップしていた。スミスの墨は、彼等の命といってもよいものらしい。そこへドカドカと、革靴の乾いた音が店内に鳴り響いた。新手のスミスが現れたのである。
「くっそ、きりがない……」
 スミスは死んでも、いくらでも代わりがいるらしく、すぐに新手が店に入ってきた。「茸」の粗製乱造だからだろうか。そしてたこ焼きを避け、またしても墨を平然と摺り、さらにありす達を滑らせた。西部での嫌な経験が思い出される。
 ありすは無限たこやきの連射を続けた。だがそれは、スミスを標的にしてはいなかった。光弾は店内に居る他の人間にぶつかっていったのだ。
「はっはっは、どこを狙っている?」
 スミスが引き連れた茸たちを無力化し、住人のスマホを破壊し、洗脳を解くグルメがたこ焼きの中には入っていた。これがありすの作戦だ。住民へのダメージは最小限に、住人を覚めさせるために、ありすはさっき無限たこ焼きの中に食材を入れていた。
「なんだと?! 味なまねを、たこ焼きだけに!」
 スミスの一人の表情がこわばった。
「見ーたか茸共! 『水滸伝』の一丈青扈三娘(いちじょうせいこさんじょう)のごときあたしの働きを、とくと見届けよ!」
 ありすが、またよく分からないネタを口走っている。
「----誰ぇ?」
 ウーは忙しすぎて、それ以上突っ込まなかった。
 スミスは銃撃戦をあきらめたのか、白兵戦に持ち込もうと接近してきた。目に見えないスピードの拳やキックが襲い掛かってくる。
「クソッ、手が何本もある感じ!」
 よく見ると、そうではなかった。スミスの背中から、実際に何本もの腕が伸びている。これはスピードだけじゃない。実際にクンフーのときだけ、手数が多くなるらしい。
「ひ、卑怯モン!」
「リーゼント・ハンマー!」
 加えて、ヘーゼントのリーゼントが伸びてきて攻撃してきた。自在に伸び縮みするリーゼントだ。腕が一本増えたのと同じだった。パン剣と違って弾力性があるが、スナップを利かせて打撃を与えるタイプの武器だ。
「ヤメろこいつ!」
「やつめ……今度はリーゼント・スミスか?!」
 さっき敵は「へーゼントなんとか」と言っていたようだが、茸人の設定なんてコロコロ変わる。
「もはや逃げられんぞ! さて、遊びは終わりとしよう。恋文町に時間はあまりないんでね」
「遊んでんのはどこのどいつだッ!」
 スミスはサングラスをパッと取った。バア! その目玉の瞳は、サングラスと同じ青い地球の時計だった。なんて不気味な奴!
「そんな眼で、前が見えるの?」
「問題ない……」
 スミスは右手をかざした。手のひらに目玉がギョロッと着いていた。これだから粗製乱造のヒトモドキは。
「お前達、一体何のタイムリミットだっていうのよ?」
「この新屋敷は一個の巨大な機械時計だ。恋文町の来るべき時のために、我々は働いている。そしてお前達も、この時計の歯車の一つなのだ。分かったかね」
 スミスはそういって、白い歯を見せた。時計のエージェントだということか。
「檸檬が手に入ればなぁ」
 ウーは、前に「ぷらんで~と恋武」を吹っ飛ばした「菓子井基次郎式檸檬爆弾」の科術を、ここで試みたいと考えていた。
「カボスと柚子とスダチならあるけど、……レモンはないわね! 残念」
「それでいいから、貸して。……そらっ!」
 ウーはカボスを投げた。スミスたちの前で果汁がはじけ、黄色い光の爆発が起こった。小規模な爆発だった。レモンほどではなかったが、多少の足止めにはなったらしい。それをチャンスに、二人は走り出した。続けてウーは、スダチと柚子を順に投げていく。同じく爆発が起こったが、三つの中では柚子が一番効果的だった。しかしレモンが最強だろう。だがここにはなかった。敵も警戒して、置いてないのかもしれない。
「もうないの?」
「品切れになった、クッソ。移動しながら戦うわよウー、新たな食材を手に入れるの!」
 かんきつ類だけではなく、敵が多すぎるために、予想以上にありすの食材は浪費が激しかったのだ。
「OK」

 和室の大宴会場の障子をガラリと開けると、そこにはあふれ返った花札人たちが賭博をしていた。ありすがリーゼント・スミスたちから逃げると、今度は「恋文はわい」時代の花札人たちが待ち受けていた。他にはやくざ……いやこれも茸だろうが、それと同時に恋文Kサツもいる。この警官らは、スネーク・マンション・ホテルで、古城ありすがパンチで粉砕した連中だ。だが、新屋敷でフツーに復活していやがる。しかもやくざと仲良く賭博とは、さすがヒトモドキだ。まー、元はどっちも茸だけどね。スミスに加え、茸人、花札人、そして蜂人……。結果として、追っ手が増えちゃってるじゃないか、オイオイ! バカみたいにその数は多くなった。
「蛾蝶蛾ァ蛾ァ、蝶々発止ッ!」
 ありすの放った蛾と蝶に翻弄されるように、一部の敵がそれらを追いかけていった。
「シムラウシロ!」
 スミス以外の連中が皆ひっくり返されて、ゴロゴロと転がっていった。面白いように技が決まる。それ以外にも、ありす達が何もしていないところで、なぜか茸人が数を減らしていっている。どうやら連中は、穴に落ちているらしい事に、初めてありすは気づいた。城の床には、落とし穴があるらしい。それでも群を成して追ってくる。
「いちいち関わってらんないわね……」
 廊下を出ると、スミスの姿が二十メートル前方に見えた。これまで何人ものスミスを倒してきた。だがその都度、スミスは色々なところから出現するのだった。ウーがうさぎビームでスミスの墨を破壊し、ありすがたこ焼きを食らわせる。そうすればハイスピードで動くスミスにも勝てた。しかし……。

 BBBBBBB……。

 妙な音が後ろから追いかけてくる。スミスは走りながらフォーメーションを形成していた。どうやらその動きに伴って、「Bee」、「Bee」という音が鳴っているらしい。
「ジェットストリーム・アターック!」
 今度のスミスは、三人が固まって行動していた。一人が跳び箱になり、もう一人がそれを飛び越えてジャンプし、二人目がありすの攻撃を食らって倒れたところで、最後の一人の銃撃が襲い掛かった。
「ぐっ……こ、この攻撃は」
 スミス三人による「黒い三連星」攻撃。「樹動戦士ガンダム」のドムでおなじみの技だ。光弾を避けるスピードこそ速いが、スミス一体一体はそれほど強くはない。しかし、三人同時にジェットストリーム・アタックをやると、ありすやウーを上回る攻撃力を発揮した。確かにありすとウーの力は以前よりも強化されているが、敵もさるもの。やみくもに数で押してくるだけではない。組織化されている。二人は思わぬ苦戦を強いられていた。
「こいつらは今までにないタイプの擬人だ。泊(ト)マリックスが操作する人工知能だ。高度な学習機能を持っている。最初は粗製乱造だと思ったけど、着実に成長している。こっちの動きを読むわ! これが、トマリックスの力か」
 AI界ではもはや、人類は囲碁・将棋・チェスで勝てなくなっていたことをありすは思い出して、丸い額に冷や汗がにじみ出る。
「ヤバい! 学習する前に一刻も早く中枢を停止させないと!」
 ウーは、振り向く暇ももったいないと言わんばかりのスピードで走っている。
「そうね。阿頼耶識の中枢を止めないと、無限に襲ってくるわね」
 二人はもう走るだけで精一杯だった。すると、ありすのスマホにメールが送られてきた。
「白うさぎの後を追いかけてゆけ!」
 メッセージ主は、幻想寺の綺羅宮神太郎となっている。
「はぁ? 何それ。うさぎって……?」
「あたしのことじゃないの? 映画『マトリックス』の冒頭と同じよ。主人公のネオは最初にモーフィアスから、『白うさぎの後を追え』って言われたの。だからフォローミー!」
 ウーは満面の笑顔でありすの前方をピョンピョン走る。
「あんた、マズルがどこにいるか分かんないの?」
「……分かんない」
「ダメじゃん」
 後ろからスミスたちの銃撃が襲ってきた。これまでのような反撃だけでは厳しいだろう。もしも、石川ウーが事件の鍵を握っているのだとしたら……。
「ウー、今どうしたい?」
「あれを……食べたい。ほら……あれ、あれよ、あれ。ほらーあたしの好きなやつ!」
「-------知らん!」
「うな重が…………、食いてぇー!!」
 うなぎ屋だと?! すぐに見つかるか。
「さっきいっぱい食ったクセに」
「戦えば腹が減るでしょ! これ世の常識」
 仕方ない。さっきのメールの言うとおりなら、うさぎの指示に従うしかない。しばらくして幸運にも、館内案内図で下の階にうなぎ屋があることに気づいて、二人は階段を下りて店へと駆け込んだ。
 厨房へと押し入り、二人は出来立てホヤホヤの蒲焼を食らう。なぜありすも? そのタイミングで、二人は三人チームを組んだスミスの大集団と、その他の茸人、花札人たちにドッと取り囲まれた。廊下の後ろの方には、蜂人たちの羽音の威嚇音も聞こえてくる。
「うなぎビーム!!」
 ウーが放ったビームが渦を巻くようにして、一人ひとりの敵の胸を撃ち抜いた。どんなにスミスが光弾を避けようとも、さらに茸人、花札人も含めて全員、曲がるビームでバッタバタと倒されていった。ありすは驚いた。ウーが蒲焼を食ったときだけ使えるウナギビームは曲がる。あのマヌケなウーが、そんな技まで?!
「蜂人は傷つけないで! なるだけ。お願い」
 ありすとウーのコンボで、敵はどんどん倒れていった。
「わ……分かってるけど。そうも言ってらんなくない?」
 この階は、比較的静かだった。廊下に、無数の茸の破片と花札が散らばっている以外には。住人達は、ありすのたこ焼きの流れ弾で正気を取り戻すと、階を降りていった。蜂人は、ウーのうなぎビームの威力を見て恐れたのか、姿が見えなくなった。
「この部屋は何かしら」
 レクリエーション・ルームと思しき、ゲーム・センターのような部屋。アーケード・ゲーム機が立ち並んでいる。ウーはずかずかと入っていく。ド派手に発光するゲーム機の間に、人気はなかった。
「大丈夫なの?」
『知るべき事だから知っている』
「は? 何をよ? 変なことを言って」
「あたしじゃない」
 ウーに続いて部屋に入ると、ありすはゲーム機の間に見慣れた三連立方体を見つけた。
「……えっ! 師匠……?」
 そうである。このわけの分からない立方体こそ、古城ありすの探す「半蝶半蛾」の店長だと言い張る謎の物体だ。
『ガラガラ……』
「オーイ」
 ありすはやる気なさげに声をかけた。
『……そう、私だ。ありす』
「ここまで入って来れたんですか?」
『幻想寺のハッキングが進んでいるおかげだ。寺院のメールを読んだか? 後は石川うさぎに任せろ。何も心配はいらん』
「えぇ、でもウーに?」
 不審顔でありすがウーを見ると、ウー本人はフルフルと首を横に振っている。
『道を知っていることと、実際にその道を歩くことは、別物だ……』
 赤、青、黄色の三連立方体はしゃべると信号機のように光り、ゆっくりと相互に回転していた。
「何哲学的な事言ってんですかッ! 分かりやすく言ってくださいよ!」
 やっぱりありすはこの「店長」にイラついていた。
『入り口までは案内するが、扉は君自身で開けろ』
「くっ……」
 案内? いつされましたでしょうか。のどまででかかったその言葉をありすは飲み込んで、ただただ三連立方体を睨んでいた。

しおり