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第32話 今夜、恋文銀座にて ネオンテトラの夜

 日の暮れた恋文銀座を歩いていて、先ほどと様子が一変した事があった。人出が多い。夕刻辺りから、町中の人が出歩き始めたようだ。中でも家族連れの比率が高い。相変わらずのシャッター街だが、そのシャッター表面に所かまわずポスターが貼られている。「ぷらんで~と・恋武」のポスターだ。女性のモデルの少し不気味さが漂う「ウィンターコレクション」のポスター。キャッチコピーは「一瞬一瞬をわたしはわたしで生きていく。媚びない明日に向かって走れ走れ」。十二月二十四日夜六時プレオープンとある。タイトルの「きよし・もよおし」とは何のことだろう。シャッターガイが迷惑だといっていたあの駅前デパートのポスターである。
「シャッターガイ……」
 四人が到着すると、シャッターガイの絵の上に、ポスターがベタベタと貼られていた。「彼」はその下で沈黙し、唯の絵と化していた。
「抹殺された。言論統制ね。彼はしゃべりすぎたのよ。ぷらんで~と・恋武。今夜六時プレオープンか。これはもしかすると」
「敵の基地?」
「その可能性はあるわね」
 古城ありすの声が、心なしか気弱に聞こえた。これまでずっと地下帝国と戦ってきた勝気な彼女の双肩が、時夫にはか弱く見えた。あんな大施設が、もし基地だとしたら「スパリゾート恋文はわい」よりずっと大きく、地上の拠点としては最大勢力といえるだろう。そして情報を持っていた可能性があるシャッターガイは消された。
「大基地はみんな元防空壕の跡に立っている。恋文町にどれくらい防空壕があったのか、その全貌は分からないんだけど、駅前にあったとしても不思議ではない。第一『恋武』なんていう名前がもう恋文町に特化している。たぶん、他には存在しないデパートだと思う。さっきのお店、私の科術が無効になってたでしょ。今までこんな事なかったの。白彩以外はね。もうそれはこの町で例外ではなくなっている。何か新しい事がこの町で始まっているのよ」
 この人ごみは恋武のプレオープンに合わせたラッシュと見ていいだろう。いつの間にか時夫はありすとウーを見失った。どうやら二人と逸れてしまったようだ。
「心配いらないよ。君は僕が守るから」
 若干の不安はあったが時夫の正直な気持ちに、雪絵はなんとなくうれしそうにしている。
「ご心配をおかけしました。私、……本当にどうかしてたんです。でも、自分がなんだか訳が分からなくなったんです。まだ、正直いって自分でも分かりません。自分が何なのか。気持ちの整理がついてません」
「分かるよ。無理もない」
「あの……また質問してもよろしいでしょうか?」
「?」
「今も、みさえさんのことがお好きなんですか?」
「……みさえは、死んだと思っていた。自分の中で時間が止まってた。でも実際にはみさえは生きていた。死んだと思い込んでたから、俺の中で生き続けたのかもしれない。メールのやり取りをしてるけど、本当の自分の気持ちは分からないな」
「どんな方なんですか?」
「そうだなぁ。外見は君とそっくりかな。でも色が黒くて、中身はもっと活発っていうか、内面は似てないな」
「お話を伺うと、とってもお元気そうな方ですね」
「まぁな。でも今じゃ君といる時間の方が長いしね。……まぁとにかくもう心配いらない。ありすだってウーだっているしさ。力になってくれる。あいつらの科術っていう力は本当にすごいよ。女王との戦いだって連戦連勝なんだからな」
「さっき、時夫さん。私に愛情を注ぎ込んだから、私は人間に近づいたっておっしゃってましたけど、本当なんでしょうか」
 雪絵の横顔は何か決意めいた表情が浮かんでいた。
「……あ、あぁ」
「……」
 雪絵は沈黙して下を向きながら歩いている。
「では、あのっ……、お願いがあるんですけど、私とデートしてくださいませんか?」
「デ、デート?」
「そうです。すいません、出すぎた事を」
「……いや」
 確かに、彼女に愛を注げば白井雪絵はもっと人間に近づける。そのうち完全に人間になることも可能かもしれない。そして時夫はアパートで一緒に過ごした数日前のことを思い出した。今やみさえではなく、雪絵の方が好きなのかもしれなかった。
「いやでしょうか? 私なんかとデートするなんて」
 雪絵。薄いピンクのドレスを着たままの、まるでフランス人形のような格好の彼女が、とてつもなく可憐であることは紛れもない事実だ。
「分かった。デートしよう」
 女王の配下がこの人ごみの中に紛れ込んでいるかもしれない。こんな時に、ちょうどいいタイミングで科術使いのあの二人の用心棒が居ない。自分に雪絵を守れるのか、時夫に自信はなかった。
「ありがとうございます」
 時夫はありす達を探すことは諦め、人ごみの流れに沿って歩いた。何の変哲もないシャッター街の恋文銀座を歩いているだけでも、雪絵と一緒という事実が何かを特別に素晴らしいものに変えていた。これまでの時夫の戦いも、全て彼女を守るためだった。おおくは古城ありすに負ったが、時夫は雪絵救出を勝ち取った。「不思議の国現象」という時に恐ろしく時に信じられない出来事の連続に、時夫は翻弄された。けれど、最初に出会った不思議現象たる、白井雪絵の存在が時夫の全てだった。他の事はもう全然気にはならない。この町で彼女に出会えた奇跡……。たとえこの先、女王の手先がどこに待ちうけようとも、きっと打ち勝ってみせる。時夫が、雪絵に愛のパワーを与えているだけではない。実は雪絵が時夫に生きるパワーを与えていたのだ。
「こんな風に、時夫さんとクリスマスイブに駅前を歩けるなんて、私、信じられないです。とってもうれしいです」
「……そう? ところでその服、ものすごく似合ってるね」
「そうですか? この服。着の身着のままで出てしまいましたから、あのお店で着替えさせられて、結構気に入っています」
「あぁ。かわいいなぁ。砂糖醤油でいただきたいくらい。食べちゃいたいくらい」
 何言ってんだ俺は。
「食べていいですよ」
「え?」
「だってお菓子ですから。食べてもいいですよ」
 冗談なのか本気なのか分からない事を、雪絵はさらっと言った。
 人ごみの中に、書店で出会ったうるかの一家がいた。今日は家族全員と一緒だ。
「あ、お兄さんまた会ったね。もう入ったの? 恋武。すごいですよ」
「い、いや。君達はもう入ったのか」
「うん。上着買ってもらっちゃった。お食事して帰ってきたところ」
 なんてイベントに目ざとい一家なんだ。早すぎる。まさに恋文町の達人と言えるだろう。
「そうなんだ。それ、君の名前?」
 紙袋に「三太九郎守」と書いてある。
「そんな訳ないでしょ。サンクロースです。こう書くんです」
 ホントかよ。恋武の紙袋らしいが、中学生の少女にからかわれてる。
「君、苗字は?」
「……え? 佐藤だよ。佐藤うるか。S・A・T・O、サトー、S・A・T・O、サトー」
「さ……」
「そんなことよりさ、早く行って来た方がいいよ~。彼女と二人で? 入り口にスゴイ大きなクリスマスツリーがあって超綺麗だった」
「あ、あぁ……」
 佐藤うるかの一家はまだ誘拐されてないだけかもしれない。
 時夫は雪絵と目配せして、アドバルーンと打ち上げスポットライトが場所を示すぷらんで~と・恋武へと向かった。白井雪絵を連れて敵地かもしれないエリアに向かうことは、とんでもないリスクだ。しかし時夫は何としても確認しなければ気がすまなかった。それに今、彼女を一人きりにはさせられない。
 二人が駅前まで到着すると白いショッピング御殿に、あの「六角形に蜂の頭」のマークがデカデカと張られていた。「お菓子なパン屋さん」もそうだったが、もう彼らは地下のシンボルを隠そうとはしていない。時夫はそれを忌々しそうに見上げた。むろん、五階から七階以上の建物には必ずある送水口もある。敵の大基地のシンボルだ。
 イルミネーションツリーは高さ三十メートルはあった。ゴージャスなデコレーションに彩られ、どんな仕組みなのか、冷たくない雪が半径二十メートル四方に降っている。
 わあっという歓喜が町中にあふれ出した。ハッとして二人は上空を見上げた。

 ネオンテトラだ。

「時夫さ……これ何でしょうか?」
「さぁ。分からん……」
 目に飛び込んできたのは、夜空をゆっくりと泳ぐ、超巨大なネオンテトラの大群だった。蛍光色に輝くネオンテトラは、全長数百メートルくらいあるのだろうか。それらは音もなく、悠々と泳いでいた。
「お兄さんスゴイスゴイ、あれって一体どういう仕組みなのカナ」
 佐藤うるかがいつの間にか駅前に戻ってきて隣に立っている。家族らが見当たらなかった。無論その仕組みなど金沢時夫には見当もつかなかった。
「君、こんなところをうろついちゃ。もう帰った方がいいんじゃないか」
「え? こういうのは楽しまなきゃ。それがイブのマナーってものでしょう。デート中なんでしょ? もう相変わらずしょうがないなぁ、お兄さんは」
 うるかは随分うれしそうだった。そう、彼女の一家は風流人なのだ。家族の姿は見えない。
「……君の家族は?」
 時夫は上空から目を離さずに訊いた。
「ン~、さぁ。その辺にいるんじゃない、あるいは帰ったんじゃないかな」
 嫌な予感がした。だがうるかは大喜びでぴょんぴょん飛び跳ねている。こんな少女だっただろうか。
「じゃ、デートの邪魔しちゃいけないから!」
 うるかは手を振って人ごみの中に消えていった。
「凄く、ロマンチックですね」
 まぁ、確かに。隣には白井雪絵もいるし、不思議な国現象のホットな戦争中じゃなかったら、時夫はこの町に来て初めてといえる特別な気分を味わっている。
 ネオンテトラに続いて、今度は真っ赤な魚が泳ぎ出した。長い尾びれをたなびかせている。グッピーである。
「お、知ってます知ってます! ゴールデンレッドテールタキシード!」
 雪絵が指差して喜んでいる。時夫も微笑んでいた。
 幾ら観ても、一体どういう仕組みなのか分からない。一番似ているものといえば、シャッターガイを映し出していた可能性があるプロジェクションマッピングだ。あれも光源が分からなかったが、これはスクリーンが夜空という、また輪をかけて理解不能な代物で、単に雲に映像を映し出しているようにも見えない。というのははっきりと星空が見えていたからだ。それに雲に映し出しているにしては真紅のグッピーやネオンテトラたちがくっきり鮮明すぎる。唯一つ言える事は、「ぷらんで~と・恋武」のプレオープンと関係があるのではないかという事だ。
「なんだか分からないけど、ようやくデートらしくなってきましたね」
「そうだね」
 会話が途切れ途切れになってしまう。時夫の悪い癖で、意識してない相手、ありすやウーとは普通に会話できるのに、意識し出すと途端にぎこちなくなる。まぁ、雪絵はそんなことを気にしてないようだし、幸せそうだからいいのかもしれない。自分としては何をしている訳でも、何ができるわけでもない。でもこうして、雪絵のそばにいるだけで、彼女に愛を与えて居る事になっているのだろう。もう少し、彼女といてやらなくては。いいや、そうじゃない。自分がそうしたいのだ。自分が雪絵のそばに居たいのだ。
「今日は、ありがとうございます」
「……あ、いや。何もできなくてすまん」
「ううん」
 雪絵はにっこり微笑んだ。
「あ、時夫。なんだ雪絵も一緒か。よかった」
 古城ありすが二人に声を掛けた。
「こんなトコで何してるのよ。危ないわよ」
 もう一人、ウーはうるかのように飛び跳ねている。ありすは怪訝な顔としかいえない仏頂面で夜空の異変を見上げている。
「やれやれ。やっぱり敵の大基地ね。あれ、アドバルーンの一種なんだと思うけど、この天変の変容の要因はあの建物の中にある。いったん戻って作戦を練り直しましょう」
 雪絵は……雪絵が居ない。
 巨大なグッピーやネオンテトラ達が体をゆらゆらと揺らしながら、口を開けて地上に降りてきた。歓声は「キャアア」という悲鳴に変わった。ネオンテトラ達は続々と地上の人間を吸い込んでいった。これも演出だというのか。吸い込まれた彼らもプロジェクションマッピングか? いいやそんなはずはない。ネオンテトラは確かに人間を餌にしている。連続誘拐事件だ。
「ありす」
「うん! 最大出力だ!」

 たこやきの中にたこやきが!
 そのたこやきの中にたこやきが!
 そのまたたこやきの中にたこやきが!
 ……
 たこやきの中にたこやきが!
 HEY!!
 たこやきの中にたこやきが!
 HEY!!
 たこやきの中にたこやきが!
 HEY!!

 無数の光の輪がありすから飛び出していく。古城ありすの無限たこ焼きに続いて、走りながら石川ウーもうさぎビームを上空の怪魚に打ち上げる。

 うさぎビーム ハートを溶かすハイビーム
 うさぎビーム 君のこころが
 うさぎビーム 紡ぎ出すビィーム!!

 二人の科術光線のラッシュを浴びた巨大ネオンテトラやグッピーの群は、次々と弾け飛んでいった。幸い、姿が消えることで、その死骸が地上に落ちてくる事はなかった。だが、無限たこやきですら追いつかないほど、恋文銀座の夜空を赤く埋め尽くす魚群は、続々と現れ衰えを知らない。
 時夫はあちこちのベクトルで錯綜する群集の中を、必死でうるかの手を握って安全な場所を探していた。
「心配するな。俺達はこういう相手とずっと戦ってきたんだ」
「お兄さん、一体何者なの」
「手を離すな。俺の仲間は、そう一種の超能力者みたいなものさ」
 何をカッコつけているんだ俺は、と時夫は思う。あの二人が特殊なだけで、自分自身は唯の人間で、雪絵も守れなかったくせに。雪絵ッ!
「やってもやっても切りがない……」
 ネオンテトラの勢力は衰えなかった。
「金時くぅん~!」
 冬なのに汗まみれになったありすが叫んでいる。
「こんな魔学は始めてだわ。これが『きよし・もよおし』か! 今まで、敵の侵略でこんなに大規模かつ膨大な出力の攻撃はなかったわよ。前代未聞よ」
「どうする、俺はどうすりゃあいい!」
「逃げてなさい! あたしの店に戻ってて」
 お前らを駅前に置いて逃げろだと? 今まで曲がりなりにも一緒に戦ってきたのに。それが、仲間に対する言葉なのか。あんまりじゃないか古城ありす。
 時夫は地上に落ちていたエクスカリカリバーブロートを拾い上げた。確かに上空のネオンテトラ相手ではリーチが届かず、何の役にも立たない。
「でぇえええーいッッ」
 時夫は力を込めてパン剣をクリスマスツリーに打ちつけた。もうやけくそである。
 夜空のネオンテトラの像が一瞬歪んだ。もしかすると、上空のネオンテトラとこのツリーは関係がある! 時夫は二度三度とツリーにエクスカリカリバーブロートを打ち付けた。
「無駄よ、ネオンテトラを映し出してる箱庭を止めないと」
 ありすが叫んだとたん、恋武デパートの建物の金ぴかの送水口がギラッと輝き、レーザーが飛んできた。時夫はそれを避ける能力はなかったが、偶然にもレーザーはドイツパン剣に的中した。パンの焦げるいい香りが漂う。しかし、攻撃用レーザーを受けてもパン剣は破壊されなかった。
「あいつか……!」
 ありすの言う事は正しいだろう。だが、時夫は送水口に向かって走り出した。レーザーが絶え間なく飛んでくるが、エクスカリカリバーブロートで避けていく。俺は今、中世の騎士なんだ! 時夫はパン剣を一気に送水口に振り下ろした。むろん、相手は金属。こちらはドイツパン。勝てるわけがない。ガキンと甲高い金属音が響き、光り輝く送水口はそれきり沈黙した。
 見上げると、上空のネオンテトラが消えている。
「送水口は建物全館のスプリンクラーにつながっている。それで夜空に映し出してるネットワークの一部が破壊されたって訳か! お手柄……金時君。見直したわ」
 すっかりクタクタという感じのありすとウーがそこに居た。
「あのネオンテトラたち。このツリーから映し出されていたとすると、一種のプロジェクションマッピングだったのは確実かね。でも、雲に映し出されていた訳ではない。これは天球があって、そこにハッキリ映し出されていたということ。この町を箱庭にしている施設がどっかに、いやおそらくこの恋武の中にある」
「うるかはどこだ」
 姿が見えない。最近、地下の連中の誘拐はなりふり構わずだ。誘拐されてしまったのかもしれない。
「あたし、この中に入れない」
 古城ありすは煌々と輝くデパートを見上げて呟いた。
「本当か? やっぱりまた科術が使えないのか」
「そうよ。ここも……最強の科術防御の結界が張ってある。白彩と同じレベル。しかもこんな巨大な施設が敵の拠点だった。私は地下の侵略を許してしまった。恋文町を守れなかった。ロケットバーガーも、お菓子なパン屋さんも、いいえ恋文はわいも、あの森も、ぐるぐる公園も……」
 ありすはうな垂れて時夫から渡されたエクスカリカリバーブロードを握った。
「途中から気づいたんだけど、あの金魚、魔学じゃなかった。科術の一種だったと思う。どういう事なのか分からない。敵に、科術を使うものがいるなんて信じられない。……信じたくない。でも、このこの町を、誰かがあの建物の中で箱庭にしてしまった、巨大な実験が行われている。箱庭は魔学じゃない、科術による実験よ」
「いつから恋文町は箱庭だ?」
「あの女王がスーパームーンから出てきた時から」
 ありすは気づいていた。みんな、気づいていたことかもしれない。恋文町は昼なお暗い、夜なお明るいという奇妙な現象が起こっていた。七つ目団地で見た羊の群れが羊雲になったり、星座を眺めていたらネオンのように輝き始めたなど、全てが箱庭の実験だったのだ。
「それも女王でない誰かの気配が、あのデパートに!」
 ありすの左手がビシッと建物の上の方を指す。そう、地下の住人である女王にここまで恋文町で大規模な実験を行うことは不可能だ。地上にいる誰かの手によるものだ。それも、科術を使う者の。
「雪絵さんはきっと中にいる。けど中の敵は、ツリーとは違う。この剣だけじゃ、ダメね」
「どうするつもりだ?」
 時夫は古城ありすが心配になった。石川ウーも気にしている。
「私の力じゃもうダメかも。師匠と連絡を取ってみる」
「でも、ずっと行方知れずなんだろ」
「……ウン。でもどんな手を取っても連絡してみるよ。中継者を探してね。それで師匠に会ってくる」
 ありすは目を瞑り顔を上げて考え込んでいる。
「しばらくこの町を離れるわ」
「どうやって」
 時夫には何もかもが不可能のように思えた。ありすにはもう他に手がないのだ。
「だから二人とも私が戻ってくるまで、決して、中には入らないでね」
 それっきり無言になったありすは、二人を残して立ち去った。二度と振り返らずに。もうすぐ深夜十時を回る。恋文銀座はすっかりシャッターガイの静けさを取り戻し、無人に戻っていた。

「……マッチは。要りませんかぁ? あの、マッチは」
 無人のシャッター街の中で、数少ない人通りのあるエリア、ドラッグストアと白彩がある辺りを佐藤うるかが人でさまよいながら、通行人に声を掛けていた。
「あっ、君。何してんだこんな所で。危ないぞ」
 時夫はうるかに駆け寄った。ウーは引き止めて時夫を電柱の影に引っ張りこむ。
「様子が変よ。何かが起こってるわ」
 うるかはドラッグストアの近くの壁を背にしゃがみこんだ。マッチをシュッと一本摺ると、宙に明るい灯が燈った。その灯の中に、映像が浮かび上がるのを時夫とウーは見た。一本、また一本と摺るうちに、月夜見亭での夜食、どこかの観光地、ついさっきらしい「ぷらんで~と恋武」での家族のディナーが映し出されていった。みんな、うるかは家族と一緒だった。
「このまま放っておいたら死んでしまう」
 時夫とウーは小さく縮こまった佐藤うるかに駆け寄った。
「お兄さん。ダメですね。アンデルセン童話でもダメだったけど、マッチって売れないんですね」
「当たり前だろ。たぶんドラッグストアの中に売ってるし……いいや、そんな事より一体なんでこんな事を?」
「だって、家の中に家族が戻ってなかったんです。居なくなっちゃったんです。あの金魚さんたちに食べられちゃったのかな。それで、食べ物がなくって、お金持ってなくて、うちにマッチしかなかったんです」
 今日は夕飯食べることができたが、明日は食べられないかもしれない。そんな事を考えて少女はマッチを売る事にしたのだという。しっかりしているのかしてないのか良く分からない少女だ。
「だからってさ。文学好きなのは分かるけど、ちょっと詳しい事はいえないけどこの当たりをうろついちゃダメなんだ。佐藤さんは、特にあのぅ……あんまりウロつかない方がいい」
 時夫は白彩の方向をチラチラ見る。
「あたし達と一緒に来なよ。とりあえず『半蝶半蛾』に戻ろう。あそこならありすが結界張ってるからね。あたしが料理してあげるよ」
 ウーがやさしくマッチ売りの少女を促して立ち上がらせる。確かにほら、エクスカリカリバーブロートもあるし、と言いながら。
 夜空の一角が眩く輝いた。轟音が鳴り響き、光る物体が地上から空へと撃ち上がった。
「ロケットバーガーの方角だ」
「古城ありすよ」
 あんなにロケットに執着していたのは、町を脱出するためだったらしい。ロケットは意味論によってロケットになったのか、元々本物だったのか、今は分からない。

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