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(四)ベースキャンプにて

 枯れた大地に、乾燥した熱風が吹きつける。
 卓状地のオアシスに設営されたベースキャンプには、見るだけでもかなり多くの魔狩が集まっていた。数百――否、数千人は超えるだろうか。
 それだけではない。魔鉱列車から降りて、ベースキャンプに到着するまでの間に、街道では多くの冒険者が見られた。
 今回の作戦――おそらく、緊急招集がかかるに至った元凶は、魔狩だけにとどまらず、冒険者や騎士団も注目しているのだろう。

 ソウは眼下の砂漠を遠く見渡した。
 一面は黄金のように輝いていて、じっと見つめていると目がくらみそうだ。
 その砂海にひとつ、不気味な目玉のように、巨大な円形の構造物がぎょろりとのぞいている。何層もの輪を重ねたようなソレは、外周から赤・橙・黄・緑・青と順に色を重ね、中心部だけ色が抜け落ちた生成色(きなりいろ)をしていた。
 それらを土台として立ち上がっている白亜の建造物こそ、古代イグラーシャ遺跡だ。照りつける陽光を一身に浴びて輝く遺跡はまるで、古代文明の滅亡を象徴としているようにさえ見えた。

「よ、色男!」
 ふきつける熱気にも、興奮が湧きたつこの場の空気にもうんざりしてきたころに、軽薄な口ぶりで肩を叩いてきたのは、猿顔の男だ。よく喋る口を真横に大きく開けた笑みは明るく、いつも快活で、動きやすさを優先した身軽な装備は、特に足元に自由が利くような開けたつくりになっている。
「トビ、元気そうだね」
 色男、という言葉はあえて無視しておくことにする。顔を合わせるたびに、王子様だの美男子だの、そういう冗談をあいさつ代わりに言う男だ。
「彼女はできたのかよ?」
「はは、見ればわかるでしょ。いないよ」
 戦いの前になんとも緊張感のない話題だが、これもいつものことだ。
 ソウは外套をひるがえし、天幕の影へ足をはこんだ。トビもまたとなりに並んで、天幕の影に入る。
「お前さ、後輩の女の子面倒見てるんだろ? どうなのよ」
「そういうのじゃないよ」軽く笑いながら、ソウは支給品の確認をはじめた。
「またまたぁ。本部でも人気なんだぜ? ランクBの〈迅雷〉ソウ様。顔よし、実力よし、収入よし、そのうえ優しくて真面目で性格がいいときた」
「君がいるってことは、今回はそういう仕事なんだね」
「お前さ、ふつうの会話にふつうの調子でそういうこと言うのやめようよ」
「ああ、ごめん。で、なにしにきたの?」
 ひととおり支給品を確認してからトビに視線を向ける。彼はやれやれと肩をすくめた。
健康観察(メンタルチェック)。俺の仕事だよ」
 トビはつまらなさそうにクリップボードを持つ片手をゆらす。
「もうちょっと怖がったり緊張したりしろよなぁ」
「ああ、そういうこと」
 ソウは苦笑した。
 トビが身軽な装備に重点をおいているのは、前線で負傷した魔狩を回収するためだ。

――〈飛脚〉のトビ。医療班で最も危険な前線の仕事をうけおう部隊に所属する彼は、魔種を倒すことを目的としていない。彼らの目的は、一人でも多くの魔狩を生存させることにある。敵がいる場での安全確保、適切な応急手当、そして戦線からの離脱。自身が負傷者にならないための技術。仲間を救うための知識と判断力。

 トビが所属する医療班は、魔狩を救う最後の命綱だ。そして彼がいるということは――、
「今回の討伐対象はダイオウルフ。ランクA相当の超大型の上位亜種だ」
「緊急招集がかかったときから、そうじゃないかと思ってたけど。やっぱりそうなんだね」

 大規模討伐戦。これが今回の仕事だ。各地から集められた魔狩で部隊を編成し、凶悪な魔物を狩る。普段、それぞれに振りわけられる個々の仕事とはちがい、ここでは役割をこなすことが最重要となる。
「まぁ、それはいつものことか」
 ソウにとって、やることはおそらくいつもと変わらない。自分がやるべきことを徹底するだけだ。
 そのときだった。
 ふいに、視界を真っ黒な影が横切った。
 最初は見まちがいかと思った。なぜならまるで気配がなかったから。まさしく、影のようだ、と表現するのが正しいような、黒色。
(なんだ。あれ……)
 人の合間を悠然と過ぎていく薄い背中。身体の線にぴったりと密着する黒い上衣から白い肩口が露出しているが、皮と骨だけで、肉が薄く痩せこけている。その背中を追うように、艶のない髪が、長く伸びていた。麻布を真っ黒に汚れた泥へていねいに浸して、乾燥させたような髪は、日暮れに伸びあがる影を想起させる。地面をずるりと這いずって、重く重く進んでいく。
 魔狩の一人だろうか。しかし防具のたぐいは装備していない。ゆいいつ、それらしいものといえば、その細長い背丈をゆうに超える、つや消しの施された黒い鞘の地味な大太刀が、ひとふり。
 異質だ。
 この場において、いま目の前に存在している影のような者が、もっとも異質だ。だがそれよりも――。

(……どうして、誰も気づかない?)

 片刃曲刀の柄に、指先がおのずと触れる。あれほどの殺意を振りまいておきながら、誰もその存在に気づかない。
 この瞬間だけ、時間が止まってしまったのではないかと錯覚しそうになる。肌に触れていた熱気が、ヒリヒリと焼くような殺気に塗りかえられてゆく。
 固唾(かたず)()む。目をはなした瞬間に首を掻き切られるような気がしたからだ。ひさしく感じていなかった感情に、ソウは目を(みは)ったままふるえていた。

 これは恐怖だ。
 これは嫌悪だ。
 これは警鐘だ。

 おもむろに、影の足が止まる。ぬ、とその場で首をつきだすように、青白い横顔が髪の隙間から出た。ツンと尖った鼻先と、細いあごが、クツクツと笑う。ゆったりと頭を揺らして、その蒼白の顔がこちらを見――。

「ソウ。おいどうした。なぁ、大丈夫か?」
 目の前で、トビの手がひらひらと揺れた。とっさに上半身を引いたときに、体勢を崩して尻もちをついてしまう。
 影はいない。見えない。
 いまの一瞬で消えてしまったのか――それとも、ただの幻だったのか。
「び、っくりしたぁ」
 ソウは目をまるくしたまま、ようやく声をあげた。
「おいおい、どうした。大丈夫か?」
「ああ、ごめん。ちょっとね」
「そんなにおどろくなよ。ぼーっとして。寝不足か?」
 さしだされた手をつかんで、そうかも、とソウは苦笑した。こういう時ばかりは、あまり顔にでない体質でよかった、と心から思う。
「なれない土地だからかな」
 もし誰も認識していないものが見えた、なんて言おうものなら、もれなく気がふれたと思われてしまう。ソウはもっともらしい理由をつけて、それ以上の追及をかわした。
 先ほどのアレがなんだったのかはわからない。気にはなるものの、それに気をとられてはいられない。いまは目の前の仕事に集中しなければならないからだ。家に弟を一人残してきたのに、うっかり死んでしまっては、亡くなった両親に顔向けできない。
 念のため、頭のすみにとどめておくことにして、それ以上考えるのはやめにした。 

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