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第17話 ~美人薄命~

「ゴホッゴホッ……ゲホッゴホゴホッ!!」
 ――やがて、夜が明けて辺りがだいぶ明るくなって来た頃、だんだんと陽之助さんの咳の回数が増えて来た。

 龍馬さんが立ち止まって、陽之助さんを近くの屋敷の壁に(もた)れ掛けさせる。
 陽之助さんはしんどそうな顔で、姿勢を崩しながらハァハァと喘いでいた。

「大丈夫かえ?」
「ゲホ……さ、坂本さ――ゴホゴホッゴホッ!!」

 彼の火照った頬に気付いたあたしは、そっとその広い額に手を当てる。
「スゴい熱……!」

 確実に39度はある高熱で、とても苦しそうだ。

 海援隊本部までは、まだ距離があるのだろうか? もしまだ距離があるのなら、何処か安全な所で休んだ方が良い。
 ただでさえ病弱な陽之助さんのことだ――これ以上悪化したら、どうなるか(わか)らない。

「……ちっくと、休める場所を探した方が()いかも知れんにゃァ。この近くに、ワシがよう行く近江屋ゆう醤油屋があるがやけんど、労咳の陽之助を入れてくれるか判らんちや」

 暫く考え込んでいた龍馬さんだったけど、やがて再び陽之助さんを抱き上げた。

「取り敢えず、相談してみるかえ。此処で考えよったち、どうにもならんき」
「だ……大丈夫です……! (ワイ)なんかの為に……そないなお気遣いは――ゴホッゴホッゲホッ!!」

 痰の絡んだ激しい咳と高熱に、陽之助さんの薄い胸が上下する。

 言葉とは裏腹に、苦しそうな陽之助さんを見下ろしながら、龍馬さんが強い声音で言った。
「そんなこと言いなや、陽之助。オマンは海援隊の隊士で、ワシの大事な大事な仲間やき。必ず助けちゃる」

 龍馬さんが、陽之助さんを抱いたまま走り出す。

「萌華、大丈夫かえ!?」
 あたしを振り返って声を掛けてくれる龍馬さんに、あたしは息を切らせて走りながら頷いた。

 ――龍馬さんが言った通り、近江屋は割りと近くにあった。
 2階建ての木製の建物で、正面右に引き戸が付いている。筆で『近江屋』と書かれた行灯(あんどん)も、引き戸の側に置いてあった。

 この近江屋は、龍馬さんがよく隠れ家として使っているらしい。

 龍馬さんが引き戸を叩くと、中から力士のように太った男の人が出て来た。

「ちっくとスマン! コイツはワシの部下で、陸奥陽之助ゆうがやけんど、労咳で高熱が出ちゅう! 近江屋(ここ)(モン)に迷惑は掛けんき、入れてくれんかえ?」
 切羽詰まった表情で一気に喋る龍馬さんを見て、男の人は呆然としている。

「……此処に来る人達に感染(うつ)すワケにはいきまへんさかい、坂本先生が普段使(つこ)うたーる2階の部屋はどないでっしゃろ? 土蔵もありますけど、あこは空気悪いし……」
(かま)んかえ?」
「ヘイ、直ぐ布団敷きまっさかい、上がって待っとくれやす」

 男の人は陽之助さんを気遣ってか――話が(まと)まると直ぐに、布団を敷きに行ってくれた。

 あたしは陽之助さんのブーツを脱がせて、玄関に置く。
 そして自分の下駄を脱ぎ、龍馬さんと共に2階に上がった。

 2階には手前と奥、2つの部屋があった。陽之助さんを寝かせるのは、手前の部屋のようだ。手前の部屋には殆んど何もなく、奥の部屋には押入れや文机等があった。

「もう寝かして(もろ)て大丈夫でっせ。ほな、ワシは下に()りまっさかい」
 関西出身なのか――関西弁でそう言った彼は、龍馬さんに笑顔を向けて階段を下りて行った。

 龍馬さんが、自分の腕の中に居る陽之助さんをそっと布団に寝かせ、立ち上がる。

 するとさっきの男の人が戻って来て、忘れ物だったのか――龍馬さんに水の入った桶と、濡れた手拭いを手渡した。
 男の人に渡された手拭いを、龍馬さんが陽之助さんの額に載せる。

 暫く苦しそうに咳き込んでいた陽之助さんだったけど、やがて眠りに就いた。

「萌華、ワシはちっくと隣の部屋で(ふみ)を書きゆうき、何かあったら呼んどおせ」
「はい」

 頷いたあたしと高熱に喘ぐ陽之助さんを一瞥し、龍馬さんは奥の部屋へと消えて行った。


「……」
 陽之助さんが眠ってから、1時間は経っただろうか?

 夢と現実の境目を行き来していたあたしの意識は、苦しげな呼吸音によって、完全に現実へと呼び戻された。

「ハァ……ハァッ……ハァッ……」
 苦しげな呼吸を繰り返していたのは、やはり陽之助さんだった。
 あたしは驚いて、肩で息をしている彼の顔を覗き込む。

 熱が上がって来たのだろうか? まだ目は覚ましていないみたいだけど……。

 陽之助さんの額に載せられた手拭いを取り、枕元に置いてある桶の水に手拭いを浸す。
 冷たくなった手拭いを固く搾り、再び陽之助さんの額に載せようとして――あたしは手を止めた。否、()()()()()

「……()()()()()
 蚊の鳴くような声で、陽之助さんが謝罪するのが聞こえたのだ。

「すんまへん、すんまへん……ッ」
 何度も「ゴメンなさい」と繰り返し、小さく体を震わせている陽之助さん。

 悪夢を見ているのだろうか?

「――義兄(あに)上ッ!!」
 そう叫び、陽之助さんが勢いよく体を起こす。

 陽之助さんが目を見張りながら、(おもむろ)に頭を抱えた。落ち込んでいるようにも、何かに怯えているようにも見える。

 目を覚ます直前、陽之助さんは「義兄(あに)上」と言った。
 彼の家族がどんな人達なのかは、これまで1度も聞いたことがない。悪夢に魘されて、何者かに謝罪していた彼に――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 イヤ、今はそんなことはどうでも良い。

 あたしは、陽之助さんの背中を(さす)ろうと、彼に手を伸ばす。

「……ッ!」
 ビクンと体を揺らし、陽之助さんが怯えたような目であたしを見た。
 そんな目で見られたのは初めてで、あたしは一瞬思考が停止してしまう。

 龍馬さんを呼ぼうと思い、あたしは立ち上がった。

「……龍馬さん、ちょっと良いですか? 何だか、陽之助さんの様子が……」
「ん? 陽之助が起きたかえ? ()んぐに行くき、ちっくと待っとおせ」
 襖越しに、龍馬さんの居る隣室に声を掛けると、直ぐに返事があった。

「悪夢を見ていたみたいで、様子がおかしくて……」
 直ぐに出て来てくれた龍馬さんに、陽之助さんの様子を説明する。

 布団の上で頭を抱えている陽之助さんを見て、龍馬さんが血相を変えた。
 龍馬さんが急いで陽之助さんの元に行き、そっと彼の肩に触れる。

「陽之助、ワシじゃ。龍馬じゃ」
 ()()()()()のか――龍馬さんが優しい声で語り掛け、ゆっくりと己の胸に抱き寄せた。
 その広い胸に顔を(うず)め、陽之助さんが泣き出す。

「……怒らん、といて……ッ!」
 龍馬さんに強く抱かれながら、絞り出すように言う陽之助さん。

 何故、そんなことを言うのだろう? 龍馬さんは怒ってなどいないし、(むし)ろ優しく接しているのに。

 禿(かむろ)達から龍馬さんを護ろうとし、武器も持っていないのに飛び出して、龍馬さんに叱られていた陽之助さんを思い出す。あの時の陽之助さんはシュンとしていて、龍馬さんも怒鳴ってしまったことを陽之助さんに謝罪していた。

 やっぱり、叱られるのが苦手なんだろうか?

()()()()を夢に見たがか?」
 優しい声音でそう言った龍馬さんが、陽之助さんの顔を上げさせる。

 陽之助さんの薄紅梅の頬を、雨粒のような涙が転がり落ちていた。
 止まらない涙を、龍馬さんがそっと指で拭う。

「ワシは怒っちゃァせん。オマンの()()も、オマンを()()()()()()()も、此処には()らんぜよ」

 龍馬さんの言葉から察するに、陽之助さんの過去には何らかのツラい出来事があり、そのことを夢に見てしまったのだろう。

「怖い……ッ! 坂本さん、坂本さん……ッ!」
 彼の広い胸に(すが)り付いた陽之助さんが、紋付きの黒い着物を握り締めた。
 ()()に怯えながら泣く美しい部下を、龍馬さんがその逞しい両腕で抱き(すく)める。

「ヨシヨシ……大丈夫やき、落ち着きや。オマンは()い子じゃ。何ちゃァ悪うない」
 龍馬さんは、陽之助さんの細い背中を撫でながら、優しい言葉を掛け続けている。

 これ程までに号泣し、取り乱している陽之助さんを見たのは、初めてだった。
 普段はあんなにクールで気が強いからこそ、どっちが()()()()()()()()か判らなくなる。

 出来ることなら、苦しむ彼に何かしてあげたい。でも、それは逆効果だと思った。
 あたしは、彼のことを()()()()()()()()。無責任なことは言えない。

 だから、ただ傍で見守ることしか出来なかった。

 龍馬さんに優しく宥められ、陽之助さんの呼吸や体の震えが治まって来る。

「……エラいすんまへん……坂本さんに、ご迷惑をお掛けしてしもて……。せやけど……もう大丈夫ですさかい……」
「迷惑らァ思うちゃァせんき、謝らんで()いぜよ。楽になって、まっこと良かったねや」
 まだ少し潤んだ目の陽之助さんに、龍馬さんが優しく微笑み掛けた。

「熱は、下がって来ゆうみたいじゃにゃァ。まっことスマンけんど、ワシはまだやることがあるがじゃ。オマンはムリせんと、ゆっくり休みや」
 陽之助さんを布団に寝かせた後、彼のキレイな額に手を当てながら、龍馬さんが言った。

 熱が出た時はとても苦しそうにしてたけど、ピークは越えたみたいで良かったな。

 コクンと頷いた陽之助さんを見届けて、龍馬さんが立ち上がる。そして、部屋を出て行った。

 あたしは陽之助さんの額に、そっと手拭いを載せる。

 彼がすっかり落ち着いているのを確認して、あたしは切り出した。
「陽之助さん……ずっと気になってたんだけど、どうして貴方はそんなに龍馬さんを慕ってるの?」

 知りたい――彼がどんな境遇で育って来て、どういう経緯で龍馬さんを慕うようになったのか。

 天井を見つめていた陽之助さんが、あたしを見る。
「話したら(なご)なるわ……。(かめ)へん?」
「あ……ゴメン。苦しいなら、ムリして話さなくても良いよ。何となく、気になっただけだから」

 陽之助さんの熱も完全に引いたワケじゃないし、今聞かなければいけないことでもない。

 だけど彼は、首を横に振って話し出した。
「――(ワイ)が坂本さんをお慕いするようになったんは、()()()()()()()3年前のあの日やった……」

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