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いや、醸し出す色気は今までもててきた証拠だ。相手にせがまれて甘いものを食べて来たんだ。
慣れているな。僕くらいのものは容易いんだろう、経験豊富な上司か、悪くないな、畜生。縋れない。

「ん? 迷う? 綿屋くんが好きそうだと思って。可愛いもん」
「そうですか?!」
「あれ? 口説いているの、わかんない?」
「は!」
何をさまようんだ、この指導者。どうしたんだろう。

「じゃあ、パンケーキだと『かしわ』の45分に間に合わないかもしれないから、クレープね」
そうか、この道を進めば有名な行列のできるパンケーキ屋がある。
まだ試していないけど、気にはしてた。焼きあがるのに30分は待つと聞いたし、なかなか足が向かないな、いつか行こう、弟と。

「インスタ映えするんだって。パーラって知ってる?」
「初耳です」
「綿屋くんの初めてに立ち会ってばかりだ」
いやなのかな。
でも連れてこられた。
こじんまりしているけど、お店の雰囲気がノスタルジー。外国の街角みたいでお洒落だ。材木をむき出しにして、その色と水色で調和した店内には甘い香りが漂う。
店員さんも可愛らしいな。
清潔感がある。
「何をお作りしましょう」
「ピスタチオマルカポーネグリオットバニラ蜂蜜を2つお願いします」
要望は聞かないんだ。
まあ、聞かれても多分分からないけど。



「はい、食べていいよ」と渡されたクレープは、花束に見えた。綺麗、かわいい。食べるのは惜しい。
極薄のクレープに白いクリームがはみ出そう、赤い実は何かな、純金のような蜂蜜がかけられて幾重にも巻かれたクレープ生地が添え物扱いだ。
これ、700円とかじゃないな。高価だ。
困惑しながらお店のメニューを見て仰天した。このクレープ、1200円もする!
「戸惑わなくていいよ」
「でもしかし」
恵みを与えるか、惜しみないな。
「美味しいものを食べると前向きになるよ。値段じゃなくてね。自分で食べてみて、美味しいと思うものは大事な子にも食べさせたい。喜ぶ顔が見たい。普通の感覚じゃないかな?」
期待する言い方をする、この美形。
「ほら、弟さんとか」
ああ、そうですよねえ。

もちもちとしたクレープ生地に粒粒の食感。ピスタチオかな。
でもクリームにも混ぜ込んでる。
甘い舌触りと赤いグリオットチェリーの酸味のバランスが絶妙、高価なだけはあるな。
「良い知らせと悪い知らせがある。  くん」
「何でしょう」
「先ずは悪い知らせ。来週、地区長が視察に来る。俺も同行。意味は分かるかな」
地区指導の上司か。
この地区全体を管轄する、管理職だ。常務に値する、と聞いた事はある。
「粗相をしない事。挨拶は店長に聞いて。只者ではないからね、地区長は。気に入らなければ即、解雇されてしまうよ」
また脅しか。
「良い知らせ。俺は間もなく会社を辞める」
「悪い知らせじゃないですか!」
「ん? そうかな。綿屋くんは、店長や他のスタッフと同じで俺目当てだとは踏んでるけど」
ばれてる。
「それでも、いいかなあとは思う。きみは可愛いから。前向きだし。結果を出したから」
「まだ修業が足りていません」
「認めたらいい。俺が見込んだ」
いいのか。
「良い知らせは続くよ。俺はカバンの商品開発も携わっている。単価の異なるカバンに気づいたかな、安価な合皮の他に、本革も出してる」

ああ、気づいてた。おかしいなと思った。まさか、越後地区指導が、センスいいな。




「クロコダイルや蛇皮もやりたいけど、この安価な商品展開のお店では限界だ。クロコダイルでカバンを作ろうとすれば、財布だけで1万8千円の原価がつく。加工費を考慮したら4万円の値を付けざるを得ない」
ワニ革が高価なのは、そこか。皆が持っているそれは全部フェィクだな。

「蛇皮も同様。人気のパイソンと言えばピンとくるかな。親指サイズで1180円もする」
おいおい。
「長財布でも作れば3万円超すね。コストで、だよ。売価は5万円いくかな」
それは金運を呼ぶ前に、中に納めるお札を逃がすぞ。

「それでも俺は本革に拘りたい。フェイクはもう嫌だな。己を見るようだ」
あ、自覚はあったんだ。囲われているという。

「綿屋くんは本革のカバンとか持たないでしょ。ポーターかな? 面接の時にちらりと見たけど」
するどいな。
1万2千円、これでもお小遣いをためて買った。
「本当に可愛い。飾り気がない。ポーターはコスパが最強だもんね。人気も高い」
確かに、皆がこぞって買う。
バイトでためたお金で財布も欲しいくらいだ。

「しかし革製品は一生ものだ。牛革で財布を作ろとしたらホームウィンクロムエクセルという光沢のあるもので30センチで1万920円の原価だ」
高い。
名称を言われてもさっぱりだけど。

「原料調達にデザイナー、職人が揃ってようやく商品が完成する。その技量を今の会社で培った」
無駄ではなかったか。それならいいけど。

「携わって1年半。ようやく工場を説き伏せた。俺は独立する。店舗を持つ。  くん、連れ出していいよね? 俺とカバンを販売して欲しい」

「えっ」

「きみに出会えてよかった。取り戻せそうだ」
なにを?

「きみが一生ものだから」

は?

どうして僕は誘われているんだろう。親身になりすぎだ、幾ら自分にも弟が居るからって。
買い被りじゃないか、まだ販売経験が浅い。しかもカバンだって。
僕はナイロンのポーターしか知らないぞ。羽ばたく羽すら持ってない。あなたと違う。



「クレープが倒れそう」
「うわ、強く握り締めました、」勿体ない、しまった。
「また、買ってあげる。いちじくとブルーチーズのクレープも美味しいよ」
それは美味しそうだな、
やられた。

「綿屋くん、勉強できるよね。レベル上げてね」
「え、カバンですか」
あまり興味がない、
しかも高価なカバンとは。

「ポーター、好きでしょ。入り口は開いてるじゃない」
比較対象が違う。

「一生ものだよ、俺にとって」
薄目で迫るかな。
口説かれてる気がする。
いや、まさかだ。
この方は、皆が注目する美麗な管理職。

「補助はするよ。俺が作るカバンだから」を顎を掴まれた。
「綿屋くん、気に入ったから。俺の期待に応えてね」
顔が近い! 凝視してしまう、この美麗さに、しかも強気だ。僕の返事を聞かない。
押しが強すぎる。
「もう1人じゃ嫌なんだ」
「えっ」
「きみを見つけたから。俺を口説かないのはきみが初めてだ」

それは?

不意に手を離された。あれっ?
「じゃ、お店に帰ろうかな」あ、そうですか。



「綿屋くんはいいなー。地区指導とかしわかよ」
店長、何を口走りますか。
バックルームに呼びつけて何かと思えばデスストック・売れなかった商品の返品作業もあれかと思うけど、愚痴ですか。
「知ってる? 地区指導は店長時代から、スタッフに口説かれ続けても落ちなかったんだ。大好きな人が居たから裏切らなかったんだ。男前だよね。顔は綺麗で、細身で色気漂うのに」
ん?
「大好きな人?」
「学生時代からお付き合いしていた。社内では有名だよ。人気の店長が相手持ちなんて、上司が許さなかったんだ。士気に関わるから別れろって迫られて」
それで別れるとかありかよ。
「お相手が察して、ある日突然、姿をくらました」
「はっ?」
「でも地区指導は・いや当時は店長だ。探さなかったらしい。それが、愛情だと思ったかな。当時では店
長の給料など知れている。手当は7千円。基本給が23万円でも、生計を支えるには自信がなかった」
でも自信満々な様を今、見たばかり。

「会社に認めさせる為に、あの人は駆け足で指導者に成った。どれだけ縋られようと振り向かないのは、過去に痛い経験をしたからだ」
確かに、スタッフが制しても、俺のシャツを受け取りレジをした。
媚びるものには振り向かないんだ。

「汚れを知らない方だったんだ。衝撃は計り知れない」
ああ、胸に突き刺さる。

「まさに天使だ。胸に欲情を抱え込んで平静を保つ。だから魅力が溢れる」
あの髪の色。昔、弟に読み聞かせた絵本に出てくる天使の髪の色に似てる。

「自分が如何に人目を惹くか、分かってる。でも1人を選択した。人生は残酷だ。地区指導がこのまま在籍して、地区長に成られる姿も見たいが、寂しいな。会社側には手離せない人材に成られた。もう去った人を追いかけもしないだろうに、何処まで行くんだろう」




夢を話してくれてんだと気づいた。行く先を僕にだけ話した。
胸に秘めた痛みを隠しながら、僕に付いてきてと。
あんなに人気がある方が。
手を伸ばせば、引っ張る気がした。いや、考えすぎかな。たまたまかな。

でも、秘めた想いに早く気づいてほしい。救われてほしい。

青く澄み渡る青空の朝、威厳漂う男性と、地区指導、そして3名のおつきのものを従える様が戦慄だった。これが地区長か。威圧感しかない。
「おはようございます、綿屋と申します」
「下がれ、店内を見る」
ぐ、これは。
「綿屋くん、後で挨拶。話してなかったね、悪い」
店長は悪くない、僕が先走った。
地区長が開店前の店内を見渡し、おつきのものに「ディスプレーが居に添わない。替えさせろ」「スポットの照明が肝心の商品に当たってない。位置を正させろ」「店頭に出す商品は主力ではない。売れ筋を出させろ」矢継ぎ早だ。しかも、スタッフを呼ばずに指図。僕だけではなく、店長まで萎縮だ。
「そろそろ朝礼だろう。準備は?」
「はい、全員集まれ、」
店長、しっかりして下さい。気持ちは察するが。
「本日の売り上げ予算は50万らしいね」
「はい、地区長」
「この人数で、かね。人件費を考慮しろ。使うなら、75万は売り上げだ。設備投資費で幾らかかっているか知らぬ体ではあるまいて」
「修正します」
威圧感で圧されてる。
「きみか、地区長が面接した少年は。使えるのかな、まあ、腕を見ない事には。しかし地区長自ら面接など前代未聞だ。せいぜい、この越後くんに恥をかかせないようになあ」
偉そうだな、腹立たしい。
しかし地区指導への拘りが滲み出ている。囲っているのは地区長か!

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