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第5話 光るキノコ畑

 その後みさえ、いいや雪絵は店に戻っていった。その夜、時夫は閉店時間の夜八時を待って、アパートを再び出ると「白彩」を見張った。遠くで暴走族の単車の音だけがかすかに響いている。
 今夜は満月だ。異様に大きい月が地平線から上ってくる。
 ポケットに両手を突っ込み、向かいの歩道から見ていると、ガラガラと音を立て、シャッターが下ろされた。店員たちが続々出て行く。しかし、閉店して十五分が経過しても、店長が出てこない。まだ残業で、あの広い工場の中で作業しているのかもしれない。それにしても、雪絵も出てこなかった。もしかして雪絵も残っているのか。手伝いというのは、ただのお店の手伝いという意味ではなく。それとも、早く帰ったのだろうか。
 勝手口から、白い作業着にカーキ色のジャンパーを羽織ったイカれ和菓子屋店長が出てきた。一人だ。少しほっとする。だが、雪江は店にまだ残っているのかもしれない。店長は駐車場に止めた軽トラックに乗り込んだ。トラックは走り出した。行き先は分かっている。
「人攫いをしている場所は、セントラルパークです……」
 昼間の雪絵の言葉を思い出す。時夫は自転車を転がして車を尾行した。
 車を追って間もなくセントラルパークに到着すると、すでに軽トラックは森の中に駐車し、店長の姿だけが消えている。広い公園内で人影はジョギングコースに疎らなランナーの姿があるくらいだ。近くの木陰に自転車を止めると、時夫は慎重に辺りを探した。白い上下を着た男の姿を捕捉する。居た、店長だ! そう思う間もなく、店長はたまたま出くわした三十代の男性ランナーの頭部に向け、中華料理で使うような包丁をいきなり振り下ろした。
「おっ?」
 ランナーは声もなく、その場にドッと倒れた。たった今時夫の目前で、白彩店長が殺人を犯した! いいや、正確にはまだ生きているのかもしれない。人攫いというより、これはもう完全に通り魔だ。だが、時夫は容易に近づけなかった。店長は倒れたランナーの両足を掴むと、ズルズルと軽トラックの荷台まで引きずっていった。荷台に遺体を積むと、軽トラックはセントラルパークの奥に向かって再び走り出す。一切無駄のない職人のような動き。なんという手際のよさ。ものの一分掛かったか、掛からないか程度だ。あの殺し方だって、一言も発せず、躊躇いなんて動作に微塵も感じられない。まるで殺人が、毎日の菓子製造、あるいはみじん切りか何かのようにルーティンワークの中に組み込まれている作業のやり方だった。いや、この眼で確かに見た。これは確かに、店長はルーティンワークとして人を殺している!
 時夫は自分の身を守らねばならなかった。常識的な考えでは、警察を呼ぶべきだ。ところが、時夫は自転車にまたがると、トラックを追っていた。トラックは、車が通るには狭いジョギングコースを徐行で進んでいる。店長はまだ、この公園に用があるのだ、時夫にそんな勘がよぎっている。
 緑がますます濃く深くなり、少し小高く土が盛り上がった、正面入り口から見て公園の奥に、トラックは停まった。トラックのヘッドライトが、荷台から引き摺り下ろした遺体をずるずると引きずっていく店長の姿を照らし出す。やがて店長は夜陰に紛れて姿が見えなくなった。時夫は自転車を静かに止めると、音を立てないように近づいていった。
「これは……これは一体なんだ、ここは?!」
 時夫は目の前の光景に唖然とした。地面が青白く、うっすらと光り輝いていた。林の地面は、落ち葉がミルフィーユのように折り重なったフカフカの感触だ。「腐葉土」、というのだろうか。そこに青白く光る物体が無数に生えている。キノコだ。キノコは傘のある典型的な形状で、それらが青白く発光している。
 この場所は、光るキノコの群生地だったのである。それもこの光の力強さ。こんなに沢山、床一面に光るキノコが生えた場所は見たことがない。しかもここは山奥などではない。ここは市街地の公園の中である。少しも荒らされていない。足場が悪く、ジョギングコースや小道から離れたこの場所は、普段誰も通らないのだろう。ひょっとすると、店長の秘密のキノコ畑?! これが、イカれ和菓子屋「白彩」店長の秘密なのか。
 ザクッ、ザクッ、ガシッッ……。
 店長はスコップで手際よく人一人分が入る程度の穴を掘っていた。ここに死体を埋めるつもりのだろう。と、いうことはこのキノコの群生は、その下に、無数の遺体がある……という事なのか?! だとすると、茸たちは、死体の養分で育っていることになる。
 目が闇に次第に慣れていく。キノコ群の青白い光が目の前にあふれている。まるで林の地面が、銀河を見上げたときのように青く輝く。驚くほど綺麗だ。おそらく、テニスコート一面ほどもあるスペース一面にキノコは広がっている。いいや、それだけじゃない。この発光キノコたちの表面をよく見れば、光の波が時夫の足元からキノコ畑を波打って動いているのが分かる。何だ、これは、一体。イルミネーション、いいやキノコが帯電しているように見える!
(帯電、しているだって? そんな馬鹿な)
 時夫は、目の前のキノコに目を奪われ、店長のことを一瞬忘れた。そうだ。まるで、そのものだ。このキノコの群生は、電気を帯びているのだ。
「誰だッオマエ?!」
 店長の手にある懐中電灯がまばゆく照らし、時夫の視界を奪った。しまった。茸に目を奪われた時夫は身を隠すことを忘れていたらしい。いきなり照らされた白い明かりに、闇になれた時夫の眼は順応せず、その場に立ち尽くした。
 ジャリ、ジャリ、ジャリ。腐葉土を踏み、キノコを避けながらライトをこちらに向けて、店長の黒い影が近づいてくる。イカれ和菓子屋の左手にはスコップが下がっている。あれで殴られたらオシマイだ。時夫は全身が硬直し、身動き一つできなくなっていた。頭の中は戦慄と後悔と、その辺に武器になる枝でも落ちてないかという反撃への焦りで混乱している。
「ン? あぁ、あんた昼間のお客さんか?」
 店長の方から声を掛けてきた。声は割と平静だ。
「あああ、あなた今、何をなさってるんですか?!」
 しまった、何を言っているんだ俺。とっさの事で反応を間違えた。
「何をしてるってお前……見たのか?」
 店長は怪訝な顔つきで首をかしげ、三白眼で睨みつけ、時夫の顔にライトを向けている。
「この一体はな、この辺の住人も気味悪がって近寄らないんだ。だから俺が密かに栽培してんだよ」
 あごで辺りを指し、ぶっきらぼうな言い方をする。だが、悪びれた様子もない。
「えっ。でも、ここ公園ですよね」
 話題がキノコのことになっている。
「あぁそうだよ。ここの土じゃねえと、キノコ、……見ての通りの、光るキノコが育たないんだよ! この土地の磁場とか、いろいろあるんだ」
 早口で凄くせっかちなしゃべり方だ。
「うちで使ってるスペシャルな砂糖作りに、ここのキノコが必要なんだ。しょうがねんだ。分かったな? こんな事誰にもしゃべんじゃねえぞ。ネットとかでな」
 ここの光るキノコたちから、砂糖が出来るっていうのか。それが雪絵のいった「和四盆」か! いやそうじゃない。問題はそこじゃない。聞きたいのはそれじゃあないッ。
 こんなに光るキノコを育てるにはきっと特別な養分がいる。要するにそれが、人間の死体に違いない。それがこの時の時夫の結論だった。店長は人を殺してキノコを栽培している。トンでもない話だ。だが、ここでその事を追求するのはかなり危険だった。どうも店長は、時夫がキノコの光に誘われて、ここへ迷い込んでしまった近隣住人だと勘違いしているらしい。おそらく過去、たまにそういうことがあるのだろう。ぶっきらぼうに面倒くさそうな態度ながら、親切に説明してやった感が店長から出ている。ここは、話をそらしたまま逃げた方がよさそうだ。
「おい、あんまり夜この辺に近づかないでくれるかな。分かったか?」
 忠告はしたぞ。そう、映画「アンタッチャブル」に出てきた殺し屋のような目つきで(実際殺し屋だ!)イカれ店長は腕を組んで言った。
「わ、分かりましたよ」
 時夫はくるりと後ろを向くと振り向かずに自転車のところまで走り、猛スピードで光るキノコ畑から離れた。暫くの間、店長の放ったライトの光が時夫をしつこく追っていたが、それも見えなくなる。こんな公園、さっさと出よう。ありすの薬で瞬時によくなったけど、風邪だってまだ治りかけだし。早く、暖かい布団にもぐりこみたかった。
 森が開け、夜の噴水まで出た。満月がバッと眼に飛び込んでくる。その真下に、真夜中だというのに噴水が噴出し、月光を受けて光り輝いていた。噴水の音だけが静かに響いている。
「なんだ、これは」
 噴水が月光で青白く輝いている。あの発光キノコの青白い輝きを、何倍にもしたような眩さを辺りに放っていた。そして……そこに一人のほっそりした女性が立っていた。よく見ると、白井雪絵だ。
 時夫は立ち止まって、雪絵が一体ここで、こんな時間に何をしているのか様子を伺った。雪絵はこうして、毎晩この恋文セントラルパークに来ているのではないか。白彩店長と同じように、そして雪絵は脅され、店長の手伝いをさせられていると言っていたが……。
 だが、雪絵は光る水しぶきを上げる噴水の前で、ただそこに立っていた。時夫はいつ、後ろから店長のトラックが来るのではないかと、ひやひやしながら、雪絵の後姿にしばらく魅入られていた。
 雪絵がゆっくりと、その細い両腕を広げていく。まるで月光を掴むように。受け止めるような動き。すると、噴水の輝きが何倍も増したように光ったのである。なぜ雪絵の動きとともに、光が増すのだろう? テレビで見たことがある、江戸時代の水芸みたいだ。あるいはイルミネーションのイリュージョン。雪絵は今、何をしたのだろう。確か昼間雪絵は言った。月の光には、特別な力がある……と。
 白井雪絵はたっぷりと月光浴を堪能するように、月の光の中でうっとりとダンスを始めた。喜びめいっぱい表情に浮かべながら。それが月からの青白いオーラを身にまとい、美しく輝いていた。
(きれいだ雪絵。君はやっぱり不思議だ)
 時夫はその時確信した。彼女は只者じゃない。いやおそらくだが、白井雪絵は、月の光を浴びて光合成している。なぜそんな発想が浮かんだのか自分でも分からなかった。だが、この考えに時夫は妙な自信があった。それだけの説得力が目の前の光景にはあったからだ。雪絵は毎晩、こうして月の光で光合成をしているのだ。なぜセントラルパークに来るのかは分からない。けど、さっき白彩店長が言ったこと。セントラルパークの磁場がどうこう……とか。その事と、何か関係があるのかもしれない。だとするとだ。雪絵もまた、変な存在だという事になる。
 車のエンジン音がどこかから響いてきた。それは表通りの車なのかもしれない。だが時夫の自転車はとっさに正面の噴水を避け、木々の小道を通り抜けながら公園を飛び出した。それから、一度も振り返らずにアパートの「恋文ビルヂング」まで戻った。

 みさえ……じゃない。時夫は雪絵が気になって仕方がなかった。店長のあの様子なら、客として店に行く分には危険はないはずだ。日中殺される訳もないだろう。
 こうして時夫は翌朝も、「白彩」へと自転車を転がした。危険は重々承知の上だった。
 雪絵はどうなったのだろう。昨日、退社するところを目撃しなかったが、いつの間にか、夜半、セントラルパークの噴水の前に現れた。光合成していたと思ったが、実際あそこに立って一体何をしていたのか。脅されて殺人者店長の手伝いをさせられていると言うのだが。もしかしてその後、店長から脱しようとした彼女は、殺されてしまったなどという事はないのか、などと嫌な想像をする。
「おいっ! 夜間は下げとけっていっただろ! こんなんじゃ和四盆が台無しだ。とても菓子が乾燥して食えたもんじゃない。何度言ゃ分かるんだよ。もういい、全部下げろ」
 店の外まで怒鳴り声が響いてくる。店長が珍しく店先に出張っていたが、今日も怒鳴られている白井雪絵は白い顔でうなだれていた。気の毒だ。だが、よかった。とりあえず彼女はまだ生きている。仕事に厳しい職人気質からの言葉のようにも受け止められるが、殺し屋店長は若い彼女に容赦がない。雪絵はうなだれ、無言で和菓子を回収している。店の外にいた時夫に気づいた店長が、睨みつけてきた。やっぱり目をつけられている。しかし店長はすぐ視線をそらし、厨房の扉を開けて中へ引っ込んだ。今は、店内は雪絵だけだ。
 もう、引き下がってなんかいられない。雪絵は、何としても助けなければならない対象なのだから。自分が一介の高校生に過ぎないとかいう事も、この際どうでもよい。いざとなったら、警察でも何処でも行ってやる。時夫は店の中へと入った。
「あっ……?」
 ぼうっとした表情で片付けをしていた雪絵は、「いらっしゃいませ」という挨拶も忘れるほど、時夫に見入っていた。
「お、おはよぅ」
 時夫は小声で挨拶した。
「君の言うとおりだったよ。……昨日の夜、店長をつけたんだ。店長は人を殺してキノコ畑に埋めていた」
 暗い顔つきで、雪絵はこくりと頷いた。
「ここの店長頭がおかしいよ。ブラック企業なんてレベルじゃない。何を手伝ってるのか知らないけどさ、君もさっさと辞めた方がいいと思う」
「……でも」
「助けてくれって言ったのは君だろ。いや、今日はおとなしく働いて、明日から来なけりゃいいんだよ。そのままフェイドアウトするんだ」
「私、住み込みなんです」
 なるほど、そういう事か。裏の大きな工場に、住み込み従業員専用の住居スペースがあるのかもしれない。
「でも事態は緊急を要するよ。あいつは危険だ。疑っている君に、危害を加える可能性もある。さっきの店長の態度を見ていると、僕は心配なんだ。とりあえず行くところがなければ、ウチに来れば? 実は僕、一人暮らしでさ。アパート、狭いけど部屋が二つある。警察に行くまでそこに居て、今後どうするかはそこでしばらく考えればいい。田舎に帰るなり、他の仕事を探すなり」
 俺はなんて事を提案してしまったんだ。普段の時夫ならこんな度胸はなかっただろう。しかし、今の時夫は雪絵に夢中になって、我を忘れていた。何としても彼女を助けたい。早くこんな店からは解放してやりたいと思う。
 雪絵はうなだれ、チラと後ろの厨房の扉を見た。そして唇を噛んで、はにかむような笑顔で頷いた。なんというかわいさ。どんなに恐ろしい事が、この恋文町で起こっていても、たとえ自分がそれに巻き込まれようとも、彼女のために力を貸すことができるという喜びには替えがたい。

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