序
『♫イエーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!アオゥッ!イエッ!』
「爽快っ!」
周が、目覚まし時計の歌唱鳴動を止める。
「目覚めのトム=ジョーンズは、パワフルで最高だぜ」
それは周にとって、あっという間の出来事だった。
周は、朝日に輝く白霧と、そよ風に
(心を砕くのが、喧嘩最強のパンチ!)
俺は永遠に生きる!と、漲る知恵と力を具体化させる強健な筋肉を簡素に織り込んで見せている、恵まれた体躯の周は、高揚感が脳裡にもたらす明るさを覚えるとともに、閃く思いを楽しむ事を常態としている。自分は人間を超える事も出来るのではと思う。神への道でもあろうか、角が生える、耳が伸びるという様な変化とは別に、自らの持つ優れた資質を以ってすれば、霊長類の新たな進化を自身に来たすとも思うのである。
自らの精神の元素と、世界の元素は直に繋がっていると感じながら、周が垂らした両拳を握り鳴らしつつ睨みつつ、
(男が世界を取るなら、戦争より商売より宗教より、喧嘩だな!ぶっ壊そうとすれば、
周は革靴の中でも常に、足の指を曲げて咬ませている。この予備動作が、見た目の筋肉量から予測される以上の、機敏さと的確さ、全身の柔軟さを具備する立ち回り、二足歩行生物としての能力の最大発揮を可能にしている。
「喧嘩に刃物?あんだそら」
周が歯を剥いて振り返って睨む目線の先から、日本刀を振りかぶった高校生が襲い掛かる。
「修学旅行のおみやげか?」
「真剣白刃!?」
周は顎を引く自然な動作で僅かに重心を前方へ傾けると、瞬時に対手の懐へ滑り込む。
「胸倉掴み!」
「からのー!」
周に頭突きを打ち下ろされた対手が、地面に崩れ落ちた。
「つかみはバッチリや!」
「頭固いよね」
「執印のおっ!」
(当て身は実態よりも遠くを的に。そして天下を獲ったら、どんな景色が見えるんだろうなっ!)
「と!お前で終わりだ!」
振り返る周の瞳孔が獣心に呼応して完全に閉縮する。
周が、百人掛かりの野試合の最後の対手のこめかみへと、利拳を発して頭を鉄で割る様な撃力を打ち通す。拳に時の流れの先を進ませる意識を込められた、強烈な威力が対手の頭蓋に炸裂する。
(喧嘩歴、年齢足す
周は対手を残心の視線で付け狙いながら、顔をわずかに巡らせて、殴り飛ばしている側の肘関節を伸ばして肩を強く振り切った。
「お前にトドメを刺すのは、自分の心だ!」
「目え光った」
「いつもながら、どうなってるんだろうね。霧の中のでも自由に立ち回り出来てるし」
「世渡り番長やな、ふふ」
朝辺の光の中で、まばゆく白い濃厚な霧面が轟音にそよぐと、高みから降り掛かる桜の花びらが、二人を分かつ様に霧の中へ滲み透って行った。
「こいつは貰っていくぜ」
対手達の番長の襟から校章をもぎ取る周に、声が掛かる。
「シュウちゃん、終わったの?」
「朝からとんだ落花狼藉や。ほら」
「ああ」
周は、背伸びする
「晴れの日は単車で通学なんだがな」
「この人やっぱり、毎日天気予報を調べてて狙って来たのかな」
「見た目よりマメな性格なんかいな。ナニワノ柔道ランドって感じやけど」
「元気ちゃん、そんな事言ってたらキメられちゃうよー」
「いいかげんにしろ!お前らも今日は徒歩だろ」
「そうだよ。元気ちゃん、何にでもナニワのをつければいいと思ってるよね」
「何にでもマーマレードをつけてる、マレトが言うわ言うわ」
「とっとと歩け」
「だってこの人が起きたら、『もや姫』憑きを見られるし」
「シュウ、さっき、とどめでもや姫見せたったんやろ?いつもみたいに」
「さあな」
「必殺技!みたいな感じで、当たった瞬間に見えてるんだよね」
歩き始めた周の足元から、薄霧捲く桜の大木の幹許へと掛けられる声がある。
「りるみ!」
「お前ら。早く来い」
周は、稀人と綺子の肩を掴んで前途へと押し出す。
「りるみ!どうしてここに?その煌びやかな姿は」
(りるみって誰やろ?)
(きらびやかでりるみだったら、今やってる魔法なんとかってアニメのヒロイン。妹が見てるし)
「ミシェル!」
(?)
「委員長!」
(何人いるんだろ)
(他のもんも起き始めたわ)
山積みにされた野試合の対手達が、次々と地面へ転び出ては霧中へ逃げ去って行く。
「女子高生が刀を!」
「やめろ!幼女の騎士が襲って来る!」
(はあああ〜!シュウ、何見せてるねん?)
(元気ちゃん、いま、儲け話考えたよね?)
(何を見るかは相手次第だ!)
「みんな行っちゃった」
「ほんなら、うちらも行こか」
「待て!」
周が、正面から対抗直進して来た光を蹴り飛ばす。
「ぎゃんっ!」
「何や?」
「小さい子の声?だよね」
「小型の単車の感触だったが、知るかよ。歩行者優先だぜ」
「何でもええけど、どっか姿が消えてもうてるやん。喧嘩相手の残りか何かやったんやろ。行こ行こ」
桜の花楚を咥えた鶯が、霧の中から飛び立って行く側で、若い男の呟き声が柔らかに響く。
「拳撃で神経に衝撃を与えて、レビー小体を脳内に蓄積させて見せる幻、といったところかな。見事なものだよ」
全てが銀白色の単車にまたがった青年が、周達をおぼろげに眺めながら、明るい霧の中で
「喧嘩を楽しみながら覚醒させたね。本人も知ってかどうか、やはり、あの力の持ち主か。打点と作用点。一撃で遠距離の大岩を粉々にするとはね」
(彼なら気に入って貰えるかな)
青年は単車の握把を掴み、白面の真紅の唇を薄伸ばしにして、かすかに笑うと、静かに走り去った。
綺子が周の回りを駆ける。
「桜ギッシュに張り切ってくでー!」
稀人が逆回りをし始める。
「シュウを一回追い抜いた!」
「ぼく二回目!」
「めでたい事は何回でもやれ!」
周が徐々に走力を強め、三人は霧の中で走力を競い合った。
昼過ぎ。
周が自邸の扉をくぐる。
「帰ったぜ。って一人か」
「よう帰ったの!」
「あん?」
周の眼前に、両手を挙げて振りしきりながら、邸内から玄関先へ駆け寄って来た、ライダースーツ姿の黒髪の少女が立っている。
(戸締りしてたけどな)
「何だお前?どこから入った?他にも誰か居るのか?」
「きよには弟たちがおるが、今は一人なのじゃ!」
「あっそ。親には黙っておいてやるから、早く出て行け」
周は、
「何を言っておるか!お前は、きよの乗り物をこわしてしまったのじゃ!」
「それじゃ、今朝、単車で突っ込んで来たのはお前か!?お前に全部責任があるんだろうが!とっとと出て行け!」
「それにの、きよはお前を気に入ったのじゃ!じゃからここにおる。ぬぬぬ!?」
少女きよが、紅潮する顔に光る、うつろな眼差しで二人の頭上を見据えている。
「炎の銀河が!赤い星雲が!
「面倒だから警察に連れていって貰うぞ」
きよが
「なんじゃそれは」
「怖ーい人達だよ」
「きよはどんな者でも平気なのじゃ!」
「はいはい。そこに居ろよ。お?」
周が通話機を手に取りながら振り返ると、指を差そうとした少女の姿が消えている。
翌日
「よっし、帰るか」
「担任になる先生、抱負がすごいよね」
「私達に出来ることは、子孫の為に伝説を作る事だと思います!高校のセンセは、ど偉い事言わはるわー」
「シュウちゃん、空港通りで遊んで帰ろうよ」
「せやったら、ダンスゲームやって、チーズ綴じタコ焼き食べてこ」
周達が入学説明会後の過ごし方について歓談していると、市の公用車が空中都市・
「何だ?」
「空港付近に立ち入り制限?なんでやねん」
「えーどうしよう」
「おい、あれ」
なめらかなくさび形の白い機影が、接近して来る。
「あれって、飛行機の進路、なんかおかしいわ」
「行くに決まってんだろ!」
校内駐車場に停めていた単車『
「うちも行くわ」
「ぼくも!」
綺子も、走り始めた周を追い、それぞれの単車を発進させて、稀人も続く。
周達は、新生淡路の透明な天蓋の外を通過した飛行機を見届けようと、単車を走らせ続ける。
「絶対に変だな。ここと、大阪、神戸以外の空港に発着する飛行機は、太平洋空路のはずだし、高度も上過ぎだ」
「方向も違うよね」
「速度もゆっくりや。着陸失敗したんやろか?」
「見てくれば分かるだろ」
「分かるって、新生淡路から出たら、空の上だよ!」
「
「赤鸞は改造済みだぜ」
新生淡路の外苑へ到着した周達は、外気取り込み口へ向かう。周は『赤鸞』を新生淡路の天蓋開口部まで上昇させ、機首を外部へ向ける。
「ちょっと行ってくるぜ」
「あったかくしていきや。うちらの単車、外では浮いてるのがせいぜいや」
「ここで待ってるからね」
透明天蓋から雲を突き抜けて大空へ姿を現し、周は飛行機を発見する。
「鳴門も徳島阿波おどり空港も過ぎて、四国の吉野川上空を、西へ一直線か。高度も下がってやがる。あれだとどうしたところで、伊予に入る前に山が塞いで墜落だぜ」
四国の東端、吉野川河口から、西端の伊予市までは、中央構造線の地殻運動によって、南北を山に挟まれた二百㎞長の直線谷が東西目抜きに自然形成されているが、伊予の東と西条市との境は山で塞がれている。
(赤鸞の最高速度は時速五百。追い付いてきた)
飛行機の操縦室へ向かって並進する周を見て、機内の乗客が窓を叩いて叫んでいる様子が伺えた。
(どうなってやがる)
操縦室の窓まで到着した周は、機長達が気絶して、脱力して椅子にもたれ掛かっている様子を確認した。操縦室への扉は、内部から施錠されているのが常である。
(やるか!)
周は、赤鸞の進路を急下降気味に固定したまま速度を調整して、飛行機上部に圧着させると座席を降りて、強風の中で操縦室の前窓に取り付いた。
周が、操縦室の窓を拳で殴り始める。飛行機の窓硝子は、ミサイルの爆発と破片にも耐えられる、硬度と靭性を備えていると知ってはいるが、周は殴り続ける。
(出来る気がするぜ。殴る度に、気分が乗って来やがる!)
周の心の中には、「精神の元素」と呼ぶべき安楽さをもたらす風景が広がっている。大抵は、見渡す限り密着しつつ数多く詰め込まれた、透明な立方体で、周に、澄み切った思考と強固な意志を伴わせている。
強打を続ける周の「精神の元素」は揺れていた。正方形が平行四辺形になる様に、立方体が菱型になる様に揺れ続け、互いの存在は密着していながらも、窓硝子を殴る度に、強く燃え盛る炎の様に形状を変えていった。
周は、心の炎の彼方に、新たな力の到来を感じ取る。周が拳を振りかざした。
「これだ!」
風突く轟音の中、操縦室の扉が破壊されると、医師と添乗員達が機長達を看護し始め、誰かが操舵して高度を上げた。
「はー。チー綴じタコ焼き美味しいわー」
「飛行機の事は、面倒だから黙っとけよ」
「わかってるって!」
「ニュースで丁度やってるわ。明日皆んなに話たったらええんに」
たこ焼き屋の主人が、ピックでたこ焼きを回し焼く音が響く中、アナウンサーと機長の会話が放映されている。
(危機一髪、全乗客乗員が安全なまま、着陸しましたね)
(機長は気絶していたそうですが)
(私達は、上空で突然、窓の外から飛び込んだ強い光に打たれて、気を失ったのですが、気が付いたら扉が開いていたのです)
(何者かが救助機で現れた、との乗客の証言もある様ですが?)
(何しろ目が覚めてから知った事ですので。ただ)
(ただ?)
(操縦室の扉は、内側から客室へ向けて、強い力で破壊されていたのです。窓硝子はそのままで)
「はー、食べたー」
「美味しかったー」
「よっし、帰るか」
単車に乗って帰路に就く周達を、艶やかな白い髪の若者が、空港通りの喫茶店の中から、微笑しながら見守っている。
「ふふ。真理とは実用として確かめられたもの。自分でも、どうなっているのか分かりかねている様子だけれど。周君、君は真理に到達したね。これなら、ますます気に入って貰えるかな」
「帰ったぜ。って一人か。電気点けっ放しだったか?」
「お帰りなのじゃ!」
周の眼前で、満面の笑顔を洋燈に輝かせて黒髪の少女が出迎えた。
「出てけーっ!」