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第1話 イザベル

 イザベル・カースルはその日の舞踏会を大いに楽しんでいた。

 明るい音楽、年上の女性達が着ている最新流行のドレス、給仕が持ってきてくれるおいしい飲みものやおつまみ。その一つ一つがイザベルをわくわくさせる。

 一週間前から学園も夏休みに入った。これから二ヶ月ほど長い社交シーズンが待っている。休暇を思い切り満喫しようと今日はイザベルも思い切りおめかしをして来た。

 社交界の集まりの中でもイザベルは舞踏会が一番気に入っていた。元々踊るのは好きだし、他の人が踊ってるのを見るのも楽しくてたまらなかった。

「イザベル、ここにいたのね」
「ごきげんよう、フィオナ様、アシュレイ様」

 チーズの乗ったクラッカーの乗った皿をテーブルに置いてから、イザベルは大好きな友人たちに返事をする。友人とはいっても彼女たちはイザベルより身分が高いので気をつけなければいけない。楽にしていい、とフィオナに言われたのでほっとしてまた皿を手に取った。

「ところで今日のザヴィアー子爵夫人のドレス、ステキじゃない?」
「ザヴィアー夫人はいつもセンスがいいけど今日は格別ね」
「あれ最新流行のレースよね? わたしもあんなドレス着てみたい」
「ザヴィアー夫人が着てるから素敵なのよ。 アシュレイが着たらドレスに負けちゃうんじゃない?」
「フィオナ!」
「冗談よ。じょーだん!」

 友人二人の遠慮のないやり取りにイザベルはつい笑ってしまう。

「ねえ、ところでザヴィアー夫人で思い出したんだけど」

 アシュレイが声を潜める。それでもう残りの二人には話の内容が理解できた。

「知ってる。昨日ザヴィアー子爵家に大泥棒のデイビッドが現れたって話でしょう。『サンセット』っていうダイヤモンドが盗まれたんだって? さっきからそこら中で話題になってるじゃない」
「そうよ。きっと落ち込みを隠すために精一杯おしゃれしたのね。それ考えるとちょっとかわいそう」
「それだけじゃないのよ、フィオナ。あのね……」
「またディアブリーノに宝石を横取りされたのね」

 イザベルがそう言うと、アシュレイはがっくりと肩を落とした。

「何よ。イザベル、知ってたの?」
「口調からわかるわ。もうこれで三回目でしょ、現れたの」
「それで? アシュレイはどこで聞いたの、その話?」
「さっき本人から聞いたの。庭に『デイビッドの獲物はいただきました ディアブリーノ』って書いたカードが落ちてたって」

 大泥棒のデイビッドはこのイシアル王国、特に王都ティーズベリーでは有名人だ。二年も盗みをしていてまだ捕まっていないどころか、正体の手掛かりすらつかめないとなれば有名にもなる。学園に通っている生徒、特に高等部の男子達が「デイビッド対策」と称してデイビッドを捕まえるための作戦を立てているらしいということも聞く。全部空回りに終わっているのが残念なのだが。

 しかし一ヶ月前にデイビッドに負けないほどのインパクトのある泥棒が現れた。デイビッドが盗みを働いた後、人気のないところで待ち伏せし、彼が盗った獲物を横取りしていく泥棒。
 それが男ならここまでは有名にはならなかっただろう。しかしディアブリーノというのは明らかに女性名だ。あのデイビッドが女に負けている。大騒ぎになるのも無理はない。何人かの人はディアブリーノは勇気があるとほめたたえていたし、また別の人は女がそんな事をするとはけしからんと言っていた。

「ところでその『ディアブリーノ』って名前を付けたのはデイビッドだってグラスの『デイビッド特集』に書いてあったけど本当かな?」
「そんなこと書いてあったの? でも彼女が残してるカードには最初の時から『ディアブリーノ』って署名がしてあったって話じゃない」

 「グラス」というのはアシュレイお気に入りの「デイリー・ルッキンググラス」というゴシップ紙の事だ。イザベルは購読はしていないが、アシュレイから何度か見せてもらった事がある。それにしても「デイビッド特集」にディアブリーノの話が載っているというのも少しおかしな話だ。

「そうだけど。じゃあデイビッドに『悪魔のような女』とか呼ばれたから面白がってカードに書いたとか」
「そんな時間があるとは思わないな。だってデイビッドが盗んでから四分の一時間も経たないうちにカードが届けられたんでしょ。カードはタイプ打ちだったらしいし」
「盗んですぐにアジトに戻ってタイプ打ち……。確かに無理ね」

 その日の事はみんなの語りぐさになっている。デイビッドの追っ手として何人もの人が出払っている時に、庭に一人でいた召使いの上にカードがひらひらと舞い降りてきたという話だった。その召使い本人の証言があるのだから間違いないだろう。

「じゃあデイビッドが書いたとか!」
「アシュレイ、言ってる事がめちゃくちゃよ。それじゃあ余計に時間がかかるじゃないの。大体負けたってことがわかっちゃうのにどうしてそんな事をする必要があるの? ねえ、フィオナ。フィオナはどう思う?」
「ディアブリーノが自分で名乗ってるんじゃないの? それにしてもぴったりな名前だよね。デイビッドにとってディアブリーノは悪魔だもの」
「ああ、それはまぎれもない真実ね。デイビッドもかわいそうに」
「ねえ、アシュレイ、どういう事? 『ディアブリーノ』って悪魔って意味なの?」

 きょとんとた顔をしてして聞き返すイザベルに、アシュレイはあきれ顔になる。

「イザベル、知らないの? グラスにも書いてあったでしょ。ディアブリーノっていうのはどこか遠い外国の言葉で「女悪魔」っていう意味だって」
「へぇ。アシュレイって本当に物知りね」
「イザベルが何も知らなすぎなのよ。常識よ、常識。覚えておきなさーい!」
「それは失礼いたしました、アシュレイ様」

 イザベルがすねたふりをすると横でフィオナが吹き出す。それにつられてイザベルとアシュレイの口からも笑いが漏れる。

「感心しませんね、噂話とは」

 三人で笑っていると後ろから男の声が聞こえた。

 その声を聞いたとたんアシュレイの頬が赤く染まる。その反応で振り返らなくても誰が来たのかがすぐわかった。でも振り向かずにしゃべるのは失礼だと思い、その人物の方に向いた。

「ごめんなさいね。でもそれを言うなら話の途中に割り込むのも失礼なのではないんですか、デイヴィス様」

 楽しいおしゃべりを邪魔されたせいか、口調にトゲが混じるのが自分でも分かった。
 デイヴィスはイザベルのその言葉にびっくりしたように後ろに一歩下がる。

「そ、そうですね。確かにそれは私が悪かった。レディ・イザベル、割り込んだ事を許してくださいますか?」

 あいかわらず情けない男だ、とイザベルは思った。

 イザベルはこの男、デイヴィス・コーシーが大嫌いだった。

 顔は確かにかっこいいと思う。その蠱惑的な赤茶色の瞳に見つめられれば十人中九人はドキドキしてしまうだろう。学園の高等部では常に首席で、スポーツも得意。特に魔術の才能に秀でていて、将来は宮廷魔術師長になるのではないかと期待されている。みんなに分け隔てなく優しいという性格もとても魅力的なのだろう。

 だが、けんかになりそうになると話をそらしてそそくさと逃げる。ティーズベリーの若者たちがデイビッドを捕まえるために作った組織でも、デイビッドに恨まれるのが怖いなどと言って話し合いにしか参加しない。まったくもって情けない男なのだ。なのに女性にはもてるのだから不思議だと思う。筆頭侯爵家の嫡男という魅力があるからだろうか。それともその顔に惹かれているのだろうか。

「それより、レディ・イザベル」
「何でしょうか」

 苛立ちを隠しながら答える。話はいいからさっさとどこかに行ってよ、と怒鳴りたかったが、嫌いだとはいえ、怒鳴ったりなどしたら、品のない娘だと言われてしまう。

「あなたに一曲目のダンスの相手をしていただきたいのですが」

 デイヴィスがそう言ったとたんその場にいた女性達がざわめいた。みんなの目がイザベルとデイヴィスに集中する。それもそのはずだ。一曲目のダンスは恋人や婚約者と踊るもの。そのダンスを申し込むという事は、「あなたを気に入っています」と言うしるしなのだ。
 確かに時々こうやって突然ファーストダンスに誘うという形で告白するという人はいる。でも自分はそういうロマンスには無縁だったし、おまけにイザベルがデイヴィスに全く興味がないということは本人も気づいているはずだ。だからこそどうしてこんな事をするのかが分からない。

 何人かの女性が小声でささやきあっている。イザベルがどう答えるか待っているのだ。もう「はい」と答えるしかない。嫌ですなんて答えたら贅沢者というレッテルを貼られてしまう。なにせ誘っている相手が相手なのだ。ただ笑顔は見せない。それがイザベルに出来る精一杯の抵抗だった。

「わかりました、よろしくお願いいたします、デイヴィス様」
「ありがとう。では後ほど」

 それだけ言って去っていく。イザベルはその後ろ姿を睨みつけた。
 姿が見えなくなってほっとしているとどこからか殺気が飛んで来る。デイヴィスのファンの女性だろうか。殺気を飛ばすほどうらやましいのか、と呆れる。

「いいわねえ、イザベル」

 アシュレイの言葉でイザベルは我に帰った。

「何がいいのよ?」
「だってデイヴィス様から一曲目のダンスを申し込まれるなんて」

 冗談じゃない、とイザベルは思う。本当に冗談じゃない。アシュレイは文字通りデイヴィスにのめり込んでる。アシュレイだけではない。デイヴィスはティーンエイジャーの女の子のほとんどから人気があった。確かに外見だけ見ればデイヴィスはかっこいい男の分類に入る。十八歳でまだ婚約者が決まってないとなると競争率も高くなるものだ。

 でも自分はそうではない。できればそういうデイヴィスにのめり込んでいる女の子にダンスを譲ってあげたいけど、一度受けてしまったのだからどうしようもない。そんなことしたらその女の子にも失礼だろう。

 しばらくして音楽が変わり、ダンスの始まる時間であることを知らせると、デイヴィスが約束通りイザベルのところへ来て手を差し出した。仕方なく、イザベルはその手を取る。
 みんなの視線が自分の方を向いてるのがわかる。イザベルはデイヴィスに導かれるまま最初のステップを踏んだ。


****


「あー。つっかれたぁー」

 家に帰るとイザベルは自分の部屋に行き、ベッドに倒れ込んだ。髪飾りを外すと自慢の黒髪が自然にほどける。いつもみんなに「完璧な黒髪」と言われている髪がイザベルは大好きだったし、自分のチャームポイントだとも思っていた。ただ、目まで同じ色というのは不満だったが、両親も同じ色なので仕方がないといえば仕方がないのだろう。欲を言えば友人達のような青色がよかったと思う。

「目の色、か」

 デイヴィスの瞳を思い出す。あの赤茶色の瞳はとても綺麗だ。光の具合によって赤が綺麗に出る事は今日初めて知った。ああいう色もいいな、と考える。

 ダンスは悪くなかった。むしろよかったと言ってもいい。リードがうまいせいだろうか。他の男の人と踊るよりずっと踊りやすかった。それはデイヴィスの方も同じだったようで、何度かダンスの最中に褒めてもらった。

 それでもあれは誘いすぎだ。結局、イザベルはあれからデイヴィスに誘われるまま連続して三曲、さらに他の人とのダンスの後にも四曲ほど誘われ、合計七曲も踊ってしまったのだ。
 こんなに沢山踊るつもりはなかったのだが、曲が終わるや否や、『もう一曲いかがですか、レディ・イザベル』と微笑まれるのだ。それもみんなが静かにしているのでその声が響く。それで断れなかったのだ。ずるい、と思う。

 体力が持ったからよかったが、二人で最後に踊ったダンスは踊りきるのが大変だった。なにせ王妃の母国から伝わってきて今話題になっている速くて激しいダンスだったのだ。デイヴィスのリードがうまかったからいいようなものの、もしリードが下手だったら間違いなく踊りきれなかっただろう。あの曲は普通は踊らない曲として認識されている。時々、国王夫妻や、王太子とその婚約者が簡単な振り付けで踊ったりもするが、デイヴィスのリードはそれとは違う本格的なものだった。イザベルも余裕なふりはしてたものの、ついていくのが精一杯だった。

 それにしても、あの弱々しく見えるデイヴィスがあんなに激しいダンスを踊りこなせるなんて知らなかった。おまけに他のダンスのリードもどこか力強かった気がする。そういう風に踊るように指導されていたのだろうか。

 ただそのせいでイザベルがデイヴィスの婚約者候補だという目で見られてしまっているのが気に食わない。おかげで今日は、嫌みや当てこすりもたっぷり聞かされてしまった。誘ったのはデイヴィスの方なのに納得がいかない。

 そんな事を考えながら、ベッドに寝転がり、のびをしていると、ドアが開いて母親が入ってきた。

「イザベル、ちょっと話があるのだけれど。まあ、何ですか。ドレスのままでベッドの上に寝転んだりして。眠るならきちんとナイトウェアに着替えなさい」
「だってたくさん踊って疲れたから……」
「イザベル!」
「はぁい」

 叱られてしまった。イザベルは唇を尖らせながら起き上がる。

「何でしょう、お母様」
「イザベル、これは何?」

 差し出された物を見てイザベルの顔が引きつる。それは昨夜ディアブリーノがデイビッドから盗み取った『サンセット』だった。
 いつもなら自分の部屋に隠すのだが、昨日は疲れてたので一時的に客間のソファーのうしろに隠しておいたのだ。それを今の今まで忘れていたなんて馬鹿としか言いようがないと自分自身に呆れてしまう。

「これは……ええーっと……」

 その態度に母親はため息を吐く。

「まったく。昨日姿が見えなかったからどこに行ってたのかと思えばまたディアブリーノと名乗って大泥棒のデイビッドをからかってたのね」

 そうです、なんて素直には言えない。でも言わなくてもその通りである事は変わりない。たとえディアブリーノが自分に濡れ衣を着せようとして家に置いたと言っても誰も信じてはくれないだろう。

 イザベルが黙っていると母親は呆れた顔をして宝石を渡してくれた。

「許してくれるの?」
「いいとは言っていないわ。いい加減に馬鹿な真似はおやめなさい」

 と、言われてもイザベルにはやめるつもりはない。なので『嫌です』と返事する。

「まあいいわ。この罰はデイビッド本人から受けなさい」
「デイビッドから?」
「どんなに優しい人間にでも我慢の限界というものがあるのよ。デイビッドはどう見ても『お優しそう』ではないしね」

 母の厳しい言葉が胸に突き刺さる。

「……そろそろあの男も動くでしょう。私は助けませんからね」

 それだけ言うと母は部屋を出て行った。

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