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晩年

 外では雪がちらちらと舞っている。店内には暖房が聞いているが、それでも足元から冷える。年明けの一月十五日。寒波が東京を襲来する中、俺と蓮歌は神田神保町にある老舗の喫茶店にいた。蓮歌はホットココアを頼み、俺はブレンドコーヒーを頼んだ。
 十二時きっかりにその人物は現れた。この寒いのにコートもマフラーもまとわず、スーツのままで入ってきた。首には蝶ネクタイ、中折れ帽子をかぶっている。あらかじめ伝えられたように、赤の蝶ネクタイをしている。
 蓮歌は手を上げ、その人物に合図を送る。
 その人物は俺らのテーブルに歩み寄り、帽子を取り、
 「や、はじめまして。行野学です」と名乗った。
 蓮歌は立ち上がり、
 「私は港町蓮歌です。こちらは叔父の正二郎。どうぞおかけください」と席を勧めた。
 ウェイトレスが来た。行野と名乗った人物はレモンティーを注文した。
 「港町蓮歌さん。ずいぶんお若いですね。練達な手紙からは、あなたよりもだいぶ年上の方を想像していましたが」
 「今年で高校二年生になります。手紙は祖母から厳しくしつけられました」
 「そうですか。お若いのにたいしたものだ」
 ウェイトレスがレモンティーを運んできた。行野は一口すすり、「ああ、うまい」と言った。
 「しかし、私の住所がよくわかりましたなぁ」と行野は頬に手を当て、不思議だという顔をした。
 「これです」と蓮歌は一冊の本をバッグから取り出した。

 行野学『日本中世荘園史研究』

 「この行野さんって、あなたですよね?」
 「いやあ、この本をお持ちとは。私の処女作ですよ」
 「若林助教授の日記では、歴史学者を目指していると書かれていたので、著書を出版されているのではないかと古本屋に問い合わせてみました。こう言っては何ですけど、日本中世史専攻の学者である行野学さんが、二人いるとはあまり思えませんし」
 「それもそうですなぁ」と行野さんはカッカッカと笑った。
 「なるほど。謎が解けました。そういうことなんですなぁ」
 「そういうことなんです」蓮歌は微笑んだ。
 え? どういうこと?
 そんな俺を蓮歌は一瞥して
 「ジローさん、分かってないでしょ?」と不満げに漏らす。
 「いや、分かんねーよ。何のことだよ」
 「つまりね、現代日本のどこに住んでいるか分からない行野さんに連絡とる方法」
 「本が関係あるのか?」とここまで言って俺は気づいた。
 「ああ、そうか!」
 蓮歌がにやりと笑う。
 「昔の本の奥付には著者の住所が載っていることが多いでしょ。引っ越しした可能性もあったけど、賭けに出て手紙を書いてみたの。そうしたら返事が来て、ビンゴ!」
 「年を取ったもので、ここ数年は手紙が来ることが珍しくなりました。知らない方から突然手紙が来ましたので、びっくりしましたよ。さらにその内容にも」
 行野は姿勢を正す。
 「お知りになりたいのでしょう? あの時のこと」
 俺と蓮歌は行野さんを真っすぐ見据え、「はい」と返事をした。

 私はもう九十九歳になりますので、八十年前ということになりますか。あの当時の高校生と言えば、今の方は想像できないでしょうが、エリートの卵でした。なにせ同世代の1パーセントしか進学できませんでしたから。私らの自尊心も高く、まあ、今思えば思いあがったところも随分ありました。
 そして学生運動です。昭和十五年はだいぶ下火になっておりましたが、一部の学生は続けておりました。私もその一人です。なにか青春期特有の使命感のようなものがあったんでしょうな。若い先生たちの中にも我々に共鳴される方もおられましたし、学生一同はスクラムを組んで、どっぷりと運動に励みました。
 学校と警察の取り締まりは、それはもう厳しいものでした。授業中に学生が学生課から呼び出され、そのまま警察に捕まったものも少なくありません。それで私らはペンネームで批判の記事を九高会誌に書き続けたのです。
 恋さんがおっしゃるとおり、「河童寛太郎」は私です。私は当時から芥川龍之介の愛読者でしてね。私が小学生のころ、芥川は自殺しました。「ぼんやりとした不安」と芥川は遺書に書きましたが、そういう不安だらけで、だんだんおかしくなっていく時代だったんですな。
 若林先生と名武紅子さんは昭和十七年に結婚しました。戦時中でしたので、結婚式は質素に行われました。私も呼ばれました。先生夫婦には子供はおりませんでした。それというのも、戦局が悪化すると先生は軍に召集され、昭和二十年にフィリピンで戦死。紅子さんは同じ昭和二十年の東京大空襲で帰らぬ人となりました。
 鬼軍には本当に悪いことをしました。彼とは中学からの親友ですが、彼は良く言えば繊細、悪く言えば神経質なところがありました。失恋で傷ついている鬼軍を、知らなかったとはいえ、追い詰めてしまった。熊谷教頭とシリウス、そして鬼軍の関係を知ったのは、ほんの自殺の数日前。事態は机の上のボールの様にころころと動いており、慣性で止まらない。戻れないところまで進み、机の端からぽとりと落ちてしまった。
 結局あのサロンで生き残ったのは私だけです。のうのうと戦後を生きてしまいました。東京大学の大学院を出て、大洋大学で歴史の教授を定年まで勤めあげました。今は自由の身です。孫たちに囲まれながら、読書と個人的な歴史の研究会を楽しみに余生を送っております。

 他にもサロンや学生の友情の思い出話をし、老人のつまらない話は、こんなものです、と行野さんは話し終えた。
 レモンティーのカップをとり、茶をすする。重々しい沈黙の後、蓮歌は真っすぐな瞳を行野さんに向ける。
 「行野さん、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
 「どうぞ、どうぞ」
行野さんはニコニコして言う。
 「あの時に戻れたら、やり直したいと思いますか?」
 行野さんはきょとんとした顔になった。やがてカッカッカと愉快そうに笑った。
 「分かりません。人生は不可解ですから」
 そして真面目な顔をして、
 「だから面白いと言えますが、それゆえに苦しみもあります。若いあなたがたは、これから色々経験されるでしょう。人生は不可解。私は馬齢を重ねてしまいましたが、言えるとすれば、あなたの、苦しみも、喜びも、それはあなたのものです。大切にしていってください」
 老人のたわごとは聞き飽きましたでしょうと、行野さんは腕時計に目を落とし、
 「そろそろお暇する時間ですな。これからさっき言った研究会がありまして。ここいらで失礼させていただきます」
 ではごきげんよう、と行野さんは俺たちに一礼して帽子をかぶり、伝票を持ってレジに向かった。やがてその姿は店の外にすっと消えていった。
 俺はタバコを吸う。肺の奥まで煙を吸い、ゆっくりと細く吐き出す。蓮歌はココアのカップを両手で包み込み、なにか考えているようだ。
 蓮歌が口を開く。
 「ねぇ、ジローさん。このこと、やっぱり論文にするの?」
蓮歌は不安そうに聞く。
 俺は逡巡した。少し黙ったのち、上着のポケットからUSBメモリを取り出した。
 「それ、論文とか資料が入ってるメモリだよね」
蓮歌は訝しげだ。
 俺は右手に握っていたライターで、それをあぶる。十分にあぶる。外側のプラスチックが溶け出し、穴が開く。まだあぶる。中のチップが黒焦げになる。そのメモリだったものを俺は灰皿に投げ入れた。カランと良い音がする。
 「俺は歴史学者だからな」
 今度は蓮歌がきょとんとした顔になった。俺と視線が交わる。すぐに蓮歌は莞爾として笑った。

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