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奇麗な光景

 遊園地に無事に到着した。由良里の体力では難しいと思っていたけど、どうにか辿りつくことに成功した。

 休日にもかかわらず、人数はまばらだった。一カ月もしないうちに、潰れていてもおかしくない。

 由良里は前もって行き場所を決めていたのか、南の方角を指差していた。

「お化け屋敷に行きましょうか。スリルを味わってみたいです」

 強い男を見せる絶好のチャンス。由良里にたくましいところを見せて、さらによい印象を与えたい。

 お化け屋敷は怖さを演出するために、光を最小限にしていた。夜の睡眠時にかすかに灯された照明さながらだった。

 半分くらいまで進んだあたりで、怖い音楽が流れてきた。由良里は音に恐怖に耐えきれなかったのか、こちらに身体を寄せてきた。

 夜の世界を楽しもうとしていると、由良里からの一言によってお化け屋敷にいるのを思い出した。

「怖い場所はとっても苦手としています」

 由良里の身体が左右に揺れた。忠彦は慌てて、彼女の腰を支えることにした。公共の場なので、誰かに迷惑をかけるのは避けなければならない。

「ありがとうございます」

 デートというより、介護しているみたいだな。忠彦はそのように思ったものの、女性を傷つけないために胸に押し込んだ。この一言を発した瞬間、全ては泡となってしまう。

 お化け屋敷から二〇分ほどで出てきた。由良里は後ろにつっかえさせてはいけないと思ったのか、普段より早く足を進めていた。それでも、一般からすると20~30パーセントくらいはゆったりとしたスピードだった。後続がつっかえなかったのはよかったといえる。

 由良里は長時間の運動に疲弊したのか、息を切らしている。身体から滲み出る汗の量も半端なかった。

 忠彦はこの日のために用意した、新品のタオルを三枚ほど取り出す。家庭のものにしようかなと思ったけど、拒絶されたくないという思いが強かった。

「タオルで汗を拭きましょう」

 由良里は新品のタオルを大事そうに受け取る。100円ショップで買った安物だけに、そこまで感謝されるとは思ってもみなかった。

「ありがとうございます」

 由良里は額から首元にかけて、汗を重点的にふき取っていた。タオル一枚では完全に拭えなかったのか、二枚目を使用していた。

 由良里が汗を拭きとったのを確認すると、自動販売機であらかじめ購入しておいた緑茶を手渡すことにした。

「忠彦さんの心配りに感謝します」

 由良里は人目をはばからずに、緑茶をごくごくと飲んでいる。普段とは異なる一面に、
ペットボトルの緑茶は一分足らずで、半分以上減ることとなった。

「忠彦さんの気配りのおかげで、体力を回復させることができました。ありがとうございます」

 由良里は周囲を見渡したのち、ゆったりと回っているものを指差す。

「観覧車に乗りましょう」

 観覧車といえばデートスポットの定番。忠彦は知らず知らずの間に、胸の昂ぶりを感じた。

 観覧車も空いているらしく、二分としないうちに順番が回ってきた。

「お二人ですか」

「はい」

「普段は一人一周までとさせていただいていますけど、本日はガラガラなので気のすむまで回っていただいても構いません」

 由良里は最後まで聞かないうちに、観覧車に乗り込もうとしていた。一刻も早く座りたいのかもしれない。彼女の体力は悲鳴を上げていると思われる。

 向かい合うように座ろうかなと思っていると、由良里からこっちにおいでというジェスチャーをされた。忠彦は隣に腰かけることにした。

 由良里はぴったりとくっつけた。女性から伝わる温もりに、理性は崩壊寸前だった。誰にも見られていないところなら、本能のままに動いたと思われる。

 汗でびしょびしょなのは少しだけ残念だと思う。素の状態であったなら、幸福感は増したと思われる。

「忠彦さんも自分に正直にしてください。私も好意を寄せているので、好きにやってもらっていいですよ」

 忠彦は棒さながらに、細い太腿の上に手を乗せる。20くらいのはずなのに、幼稚園児みたいなか弱さを感じた。

 由良里は掌からの伝わる刺激を楽しんでいた。

「忠彦さん、いやらしい手つきですね。男の本能丸出しです」

 大きなあくびをする。寝不足なのか、瞳は夕日さながらに赤く染まっていた。

「疲れているので、目を瞑ります。一回転したら起こしてください」

 身体をふらつかせたことといい、本日も体調は芳しくない。早めに切り上げて、彼女の休むための時間を確保せねばなるまい。

 観覧車はゆっくりと回り、一番高いところに近づこうとしていた。回り始めてから二〇分が経過しようとしていた。

 絶景を二人で見られればどんなに幸せだったか。そのようなことを考えていると、由良里はくっついていた瞼をゆっくりとはがした。

「絶景ですね。とっても奇麗です」

 彼女は身を乗り出して、光景を眺めていた。忠彦もならうように、彼女の横にぴたりとくっついた。

 絶景ポイントを過ぎると、由良里は瞼を再び閉じてしまった。わずか一分足らずだったものの、胸に深く刻み込まれることとなった。

 由良里はスタート地点まで目を開けることはなかった。忠彦の膝を枕代わりにして、スヤスヤと眠り続けていた。そんな女性の髪の毛を優しく撫でていると、心はきれいさっぱり洗われてい
くかのようだった。

 スタート地点につくと、由良里は目を醒ました。その後、小さな声で意思表示をする。

「もう一周しませんか」

 由良里なりに時間を取ろうとしているのが伝わってきた。忠彦は体調のことを気にかけながらも、言葉に甘えることにした。

 由良里に余力は残されていないのか、スヤスヤと寝入っていた。二週目は最高点に達しても、瞳は閉じたままの状態だった。

 二週目の終わりに近づくと、由良里を起こすことにした。彼女には早めに帰宅してもらい、体調を万全の状態にしてほしい。

「由良里さん、起きましょう」

 由良里は目をゴシゴシとこすっていた。彼女の深く眠っており、自宅にいるのかと勘違いしていた。

「ここは遊園地なんですね」

 二人で観覧車から降りる。由良里は睡眠を取ったからか、少しだけ状態は上向いたようだ。

 忠彦はこのタイミングで、本日のために用意したプレゼントを取り出すことにした。

「ちょっとだけ待っていただけますか。由良里さんにプレゼントがあります」

 本日は年に一回の由良里の誕生日。忠彦はアルバイト代から奮発して、彼女のためにプレゼントを用意した。

 由良里は好奇心を抑えられずに、封を勢いよく破っていた。

「可愛い人形ですね。ありがとうございます」 

 猫の人形を大切そうに抱きしめているのを見て、これを選んでよかったと思った。

「三カ月にわたって、お付き合いいただきありがとうございました。私にとっては大きな宝物となるでしょう」

 お別れみたいな言い方をしなくてもいいじゃないか。忠彦は将来的にはプロポーズして、挙式を挙げたいと考えていた。

「次はいつ会えますか」

「ごめんなさい。私の都合もあるので、今後は会うことはないでしょう」

 由良里の瞳から、小さな粒の液体がこぼれていた。忠彦は何を意味しているのか、このときはまったくわからなかった。

「短い間だったけど、ありがとう。忠彦と一緒にいられたことで、大きな宝物を得られたよ」  
 下の名前を呼び捨てにされた。恋愛感情は持ってくれているのかなと思った。

 交際しようとしない理由はどこにあるのかな。結婚へのプロセスを描いているものとして、彼女のことをもっと知りたいと思ってしまった。これまで封印していた言葉を解き放つ。

「身体はどんな状態なのか教えていただけますか」

 パンドラの箱を開けてしまったのか、由良里は目を尖らせていた。これまでは優しかっただけに、別の一面を見たような気がした。

「個人の機密事項なので触れないでほしい。赤の他人には教えられない」

 手をつなぐ、身体を寄せることはできても、この部分だけは秘密にしておきたい。由良里の中できっちりと線引きを行っている。

 由良里は追及を逃れる犯人役を演じるかのように、話を完全に寸断する道を選んだ。お化け屋敷、観覧車で瞳を輝かせていた姿はもうなかった。

「アルバイトを優先する男との関係は本日で終わりにしようと思います。これからは仕事に専念してください。短い間でしたけど、ありがとうございました」

 一時的なため口は敬語へと戻されてしまった。先ほどまではあったはずの心のつながりも、なくなってしまったかのように感じられた。

 由良里と別れてから三〇分後のことだった。彼女は路上で倒れ、救急車を呼ばれることとなる。付き添いすれば防げただけに、最後の最後で彼女の生命を危険にさらす結果になってしまった。

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