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僕はあなたが好きなんです2

業務に忙殺される日が続く。日々の多忙は懸想を忘れさせ、業務にのめりこんでいく。革靴の底がすり減り、それだけ営業成績は上がっていく、この毎日の充実さに感謝したい。

そして研鑽の日々。過去の実績を確認し、億の取引の数字から読み取れるものを探す。

「五辻くん。他部署もきみの力になっていると聞く。人が多く集まりて汝を益す、善きご縁に感謝して邁進するんだ。時に辛抱もあるだろうが、力を蓄え、ここぞという場で発揮すれば良し」
営業企画室の部長の励ましが沁みる。
「お勧めいただいたブランドのスーツを、遅ればせながら確認いたしました」

50万円と言いかけて、部長は見上げ無いと目線が合わないんだなあと気付く。日頃のご指導に感謝して、手土産も持参したのだが凝視されて居る。何だろうな。だが、いつ見ても身だしなみが整い、厳格な雰囲気がある。

総務部から耳にしたが西芦部長はお酒を嗜まない。『酒は初め朋友にして後に敵と成る・飲み始めは楽しくても怒り・暴言を呼び、やがて知恵を損なう仏様の教え』として接待をせず、それでも取引先との信頼を得た。品格を保ったからだろう。

「恐れながら、西芦部長は人格者として尊敬しております」

「ほう。人格者とは。私は言葉の定義こそ知らぬし、それは言われたものの決段を鈍らせる悪手でもあると読む」

驕らない。

「人間は鍛えられ、磨かねば人間とは成りえぬ。日々が錬成であり、狭き門からくぐるべし。道程が遠かろうと苦しかろうとも後日妙運が舞い込むはずだ」
人として、仕上がって居る。美辞麗句のつもりでは無かったが。しかし、まだ凝視されて居る。

「五辻くんの靴はリーガルだな。外回りの営業職として最適な選択と見るが、私はスコッチグレインのストレートチップをお勧めする。価格は6万円台で、リーガルより値は張るが、光沢があり艶が増す。営業職は靴も見られるから怠り無く。会社の代表として出向くのだからな」
仰る通り、靴には留意して居たが。ん? 部長の靴は。
「私は内勤だからな、ジョンロブだ」
英国のブランドか、光沢があり上品だとは思った。営業職では無いから靴底を減らす心配をしなくていいから拘れるんだ。だが、25万はするはず。
「きみも管理職になったらチャーチはどうだ。プラダの傘下になったから分かるだろ」
似合うか? あのエレガントな靴が。
ロングノーズに絞りのきいたウエスト、小ぶりのヒール、どんな着こなしもいけそうだが8万円はする。

「男は靴に拘れ。色気が増す」
そうか。



「美麗な容姿もさながら。しかし、戦力と成るには人より優れた中身・品格と説く。きみは1年埋もれたが自ら各部署へ出向き、教えを乞うた。初心忘れるべからず。些細な所作を大事にするものこそ成功者と成る」

……数日前の憂う日々を振り返る。俺は誤魔化せないものを知った。負けるが勝の過去と捉えて、前へ進むんだ。

「咲き誇るものと成れ。周囲を制圧して華やかで凛とした姿こそ待ち望む。……秋波を送るような髪もよく似合う。しなやかな足が駆け回る様は波の花に似る。懐柔するのにやや時間がかかりそうだが、威光になびかぬ体がまた善し」
誰のことやら。
「邪心が生じなければ運が塞がることなど無いときみから学ぶ。心を開いて挑むべし」
「畏まりました」
目指す指導者の姿かも知れない。

「きみの走るさまを見ての不安要素だ。顎を引き、腕を肩甲骨ごと振り、利き足とは逆から踏み出すのは短距離の走行に適す。だが、マラソン経験が無いと読んだ。健康面の問題は無いな?」
怯む、しかしだ。
「社内で走らぬよう。ここは運動場では無いと言い渡す」
そういうこと、良かった。
「申し訳ございません」
「運動と同じで、気持ちの重心をどこへ置くかが肝心」
そうか。
「幼き子供のようで愛でたく成るが、私は上司」
決まり切ったことを。
むう? なんで上着を脱ぐんだろ? ふうん、三つ揃いはベストか。ジレだっけ。
「悪い子に子守唄を聞かせて眠らせたいが、私は上司」
子供さんが居たんだ、へえ、幾つだろ? あれ、また上着を着たぞ?
「分からぬ様子、だが、その楽観主義こそ賛美する。きみは伸びる」
お子さんの年を聞いたほうがいいのか?
「効率的な業務を心掛けよ。時間は有限だ」
前も言ってたな。時間、ね。
西芦部長から電子ノートを渡された。これなら手書き文字が下手でも液晶鯛画面上で明朝体へ変換し、報告書作成欄へ飛べると言う。
出先から帰社の途中の車内で作成可能だ、しかもセキュリティロックができるしパソコンとの連携も可能とのこと。社内のパソコンへデータ保管させて……西芦部長が閲覧? まあ、会社の機密だし。でも、今日どの取引先へ行ったとか……まあいいか。恥ずかしいことでは無い。
「私のパソコンとも連携させておく。万が一の際に、セキュリティを発動だ」

ふうん。

「……」
何故かピンク色を渡されたが、俺がどうやら憮然とした表情を見せたらしく、青・黒・白から選べと言われた。黒にする。
「有能なノート。これはわが社でも無く社会の流れを指す。つい先日までは正規雇用社員と非正規社員の格差で問題視されたが、いつの間にかAIが入り込んだ。人では無く、人が作った知能が働く時代である。それはきみの補佐だろうか?」
補佐は人です、と伝える。
「そう、人間には温かみがある。言葉の美しさと表情だ。古い考えかもしれぬが、人との交流に重きを置きたい」
何故、握手を求めるのか? まあ、いいや。……ぎゅうって握るんだなあ?
「張り切ります」この答待ちかな。
「細すぎる、容易く折れそうだ。食事は摂取して居るのか? サプリでごまかすな、しかし凛と立つ姿が粋である」
まさか手首がどうのこうの、じゃないだろな。外垣みたいな人では無いはず。
「全力で挑みますっ」この回答待ちだろうか。

「その心持だ。維持継続を心掛けよ」

言葉が重い、さすがは幹部。物事を始めるのは容易いが、それを続けるのは難しいのだ。庭に花を植えた母親は毎日水やりと手入れを欠かさなかった。郁もEDの治療に長引いている。継続の苦しみが少しは分かるつもり。

「五辻くん。社会は実力主義で働く人間は代わりが利く、幾ら有能であろうとも他に秀でなければ選ばれぬ。日々の自己研鑽を怠るな、肝に銘じよ。……現・社長とて永遠の座では無いしな」
野望をちらつかせた。これが更なる頂を目指す幹部。戦慄したが、弱肉強食の世界かも。会社の心臓部を掴んでいる西芦部長の目論見を伺えるまで俺は成長しよう。
「国も会社も個人を守らぬ時代だ。さて、目算が読めるかな? 美麗な五辻くん」
今のままでは、さっぱり。

「……美人薄命とは間違いであるときみが示せ。私が何も知らぬと驕らずな。情報ならどうとでも入手可能だ、世間はぬるく無い」
なあに?
「人は窮地に立たされ切羽詰まれば思わぬ力が生じるとも、きみから学んだ」
そうですか。

「この先、例え壁に当たろうとも百難突破の好機と捉えて、自分を信じて邁進せよ。追い風は惜しまぬ。宣告を乗り越えて生き抜くきみには、ツキがあると見た」

ん? 鋭い視線が貫く。これは業績貢献に期待されて居るのだろう。
驕らず、天高くして身を低く。お言葉を有難く頂戴し、邁進だ。



単独での営業活動もあるが、外垣を引き連れての営業も面白いと思う。自分には無い着眼点で包材を提示するからだ。承認されるように成れば、外垣も単独で動くだろう。ともに成長が遂げられたらいい。業務を遂行し、職位を得るのも目的の1つだが、余裕ができればまた、人と出会いたい。

唇に蝶々が止まった感触がして目を開けると外垣が間近に居た。俺はデスクで転寝して居たのか。で、おまえは何用?
「おねむの王子様に、お目ざめのキスをしました」
ふうん。……はあっ?
「あなたは夢見がちのところもありますよね。好きですよ、現実社会で生きながら、どこか少年のように気高く詩的で嫋やかな面も」
デスクに身を委ねて立つ外垣を見上げる。

「今、側に居ないほうがいい。なんでも抱き寄せそう」
眠いからか、それとも言葉に酔ったか。

「では側に居ましょう。胸の内を読み上げます」
「ん?」
「演説です。口説き落とすなら今と観ました、好機到来です。あなたのお相手に立候補します」
眠いんだけど。
「平日社内外での営業活動補佐はもちろん、休日での息抜き活動も保証します」
はい?
「確約します、これであなたのさ迷う日々に抜本的な対策を講じる訳です。もう色恋に迷うお年頃ではございません。青春をご卒業されますよう宜しくお願い申し上げますっ!」
よくもまあ、流ちょうに。何回も練習したんだろうか。どこぞのウグイス嬢でもすればいい。

「先輩、聞いて居ますか?」
手招きして隣に座らせた。スマホをデスクに投げ出すと外垣の頭を軽く撫でた。
「20分後にアラームが鳴るようセットした。おまえも寝たら? 起きてるなら俺を起こして」
腕を伸ばして顔を伏せた。

……頬に冷たい感触、飛び起きると商品部の課長。
「お目覚めかしら? 無邪気な子供みたいな寝顔して。差し入れよ、飲んで」
アイスコーヒーを淹れて下さったのか。社内は暖房が効いて居るから有難い。
「五辻くん、無防備だから、さんざん撮影されてたわ。これで全社の女性陣はあなたの虜。ハートを鷲掴みにした伊達男の感想を聞こうかしら」
「止めて下さい」
「スーツにネクタイという鉄壁の防御が、隙だらけ。あなたが来てから会社が楽しいの。日々の励みだわ、有難う」
そういうものですか?

「寝坊助のお隣をよくご覧なさい」
ん? 外垣がデスクに伏せて寝て居るが。
「あなたがお昼寝の間に資料を作成して、商品部へ相談に来たのよ」
取引先が増えても熟せる訳だ、外垣が補佐してくれて居たのか。そうだよな、いろいろな会社へ顔を出してオールラウンダーになったつもりが、裏を返せば器用貧乏に陥るところだった。業績が上がり大成が見込めるのは補佐のお陰。
「単独で熟せる業務は知れて居る。幾ら優秀な営業担当でも、数社抱えたら気配りが疎かになるわ」
叱咤されてしまったか。



「それは過剰・不良在庫と同じ、あなたが入社以来、片付けに奔走した在庫処分。分かるかしら、1人でできることは限りがあるの。抱え過ぎないこと。それを外垣くんは言いたいだろうに、黙ってあなたが動きやすいよう補佐してる」
俺が取引先へ捌いた、あの包材。諸先輩方が残してしまった負の課題。

「五辻くんが単独で営業先へ出向いた日、外垣くんは卸問屋へ包材の引き取りへ行ったの」
なんて?
「商品部の業務だけれど『五辻さんの担当分ですから』って、経理部から現金を借りてね。あ、卸問屋って現金支払いなの、約束手形が使えないし、キャッシュレスでも無い。あなたは知らないでしょ」
愕然とする、俺はまだ知らないことがある。そして、外垣の立ち回りに目が覚める想い。

「優秀な相棒の外垣くんに、しっかり支えて貰いなさい、そして逃がさぬよう業務に励むこと。献身的な子にはなかなか出会えないものよ。自己啓示欲にほだされた世の中で、たゆまぬ努力。あなたを余程好きで信頼して居るのでしょう」
そうか。

「五辻くんの最近の運気勇壮美は認めるけど、幾ら勇気があろうとも慎重さが無ければ成功は手にできないの。無茶して成功した人って居るのかしら? 存じ上げないわ。猪突猛進だと壁に当たるから、回避するでしょ」
無茶して居たのかなあ。

「外垣くんと二人で力を合わせてね? 絆と言う言葉をしみじみ噛みしめて居るわ。あなたたちのことよ」
言われないと自分の言動に気付かぬ青さ。

「生き急いだら製造元・メーカー返品するわよ? 商品部としても、上司としても看過しないわ」

小柄で颯爽として居るが圧がある。噂で聞いたが、商品部は出荷も手伝うらしい。卸問屋からの包材の引き取りも担う、包装紙は1束1.2キロ。感熱紙レシートロールの小箱何て16キロもあるのに抱えるらしい、タフ。

だから本当にやられる可能性がある。梱包材で巻かれ段ボール箱へ入れられて、PPバンドで補強されそう。送り状を添付のうえで飛脚の4トントラックへ積まれて実家へ直送か。親が泣く。

「どんな取引であれ遂行なさい、会社の業績に貢献すること。あなたは未来の幹部でしょう、上の席で待っているわ、五辻くん」
女性の管理職か。強くてしなやかだな。世間では、女性は結婚するまでの腰掛としか見られない風潮なのに幹部の座を手にした。業務に励み、ひたすら会社へ貢献したに違いない。そして『支える』と仰る。上司を支えていくことが貴女のやりがいだったんだろう。素敵だ。
徳あるものが高い地位にあるべきだとつくづく思う、俺はそこへ行くまでに徳を積み、足りないものを補おう。

「了解です、畏まりました」
「先日の差し入れ、『シャンパンいちご大福』も美味だったわ。冷やしたほうがいいと言われたから、それでいただいたの。ご馳走様」
発破をかけた後に、さりげなく気遣いをして下さるなあ。さじ加減があると思う。
課長に一礼して見送る。
再び椅子に座り、寝ぼけて居る外垣を抱き寄せると自分の膝へ頭を載せた。相棒か、そこまできちんと考えては居なかったが。



……外垣が身を固くして居る、口では下品なことを言うくせに、意外とうぶかも知れないな。ふうん。外垣の背中をさするとスマホを見た。あと8分は寝かせてあげられる。俺に付き合わせて毎日営業回りだもんな、疲労困憊だろうに文句を言わず。
そう、業務だけじゃないな、個人的なことまで気配りしてくれてるし。外垣が居ると俺も楽しい。

『笑いは悲しみの涙をとめ、希望にさえ変えうる』これは喜劇俳優の言葉だが言い当てて居る。外垣のお陰で俺は泣いて居ないから。

俺は自分を知った気に成って居た。外垣のお陰で前を向けて居られるのに驕り高ぶって居た。おまえは俺の業務やプライベートに付き合って、辛くなったり泣いて居ないだろうな? 

幸せに成れよと言いかけて、幸せって何だろうと思う。
――幸せとは、何気ない日々を過ごすより、相手の辛さ悲しみを分かち合えるものに成ることかも知れない。ともに笑い、ともに泣いて、そしてもう二度と相手が悲しまないように側で守ること。

……おまえさあ、いつの間に守ってくれて居たんだ。

会社には必要とされるものに成れそうな気がする。でも、おまえにはどうなんだろう。俺は、必要とされるんだろうか。聡いから単独で熟せるだろうに。

自分の弱さをまた見付けてしまう。誰かを守ることが叶うのか。気付けたからいい、自分を変えていこう。そうしないと堂々巡りで日が終わる。

そして外垣が居なくなる悪寒さえする。

ひとりでは淋しいから、楽しい日々を過ごすための努力をしよう。



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