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第83話 チョキチョキバンバン

一富士、二鷹、三なすび

「自立学習型なら、勝手に進化してくれると思ってたんだけど。シンギュラリティなんて、見掛け倒しの鳥頭(とりあたま)じゃないのよ!」
 城内の秘密通路から、さながらオペラ座の怪人のように一部始終を見届けた真灯蛾サリーは、シンギュラリティ・スミスの敗北を悟ると、隠し部屋に入って「戀文<ラブ・クラフト>」をパラパラとめくった。
「何か、打つ手は?」
 状況を打開するヒントはこの本の中にしかない。この本が自分に渡ることを金沢達夫は恐れていたのだ。そもそもショゴスである茸人に頼ろうとしたのが間違いだった。サリーは「戀文」を必死に読み解いていった。
 かつて、去田円香のパワーストーンから誕生した真灯蛾サリー。その力は日に日に強大となり、達夫はその力と対決するべく科術の粋を尽くした、そう記されている。結局その力を消し去ることはできず、達夫はサリーを地下へ封じ込めるしかなかった。結果、地下へ墜ちたサリーは蜂人の世界で忘却の女王となったのである。
「あいつは一体、私の何を恐れていたんだ?」
 隠し部屋にはパイプオルガンが置かれている。楽譜台に本を置き、まだ使ったことがなかった鍵盤を、サリーは弾きながら考え続けた。
「調べなきゃ……、なんとしても挽回しなきゃ」
 サリーはある一文に釘付けになった。

「達夫が帰国すると、円香のドッペルゲンガーが公園でうろついていた」

 これが、自分のことを記した最初のシーンだ。

「達夫はその意図を察した。サリーは自身が獲得した魔学の能力によって、本体である円香と入れ替わろうとした」

 達夫の筆致は、その時の恐怖を物語っていた。
 私はその時、去田円香の分身という意味をひっくり返そうとした。その結果、魔学が成功していれば……去田円香は私の分身となり、私が本体となった。私は去田円香を吸収し、私だけが世界で唯一の彼のフィアンセという存在になるはずだった。その意図を達夫は恐れたんだ。私の封印された力は、全ての意味をひっくり返す魔学! 思い出した! やっぱりこの本がヒントだ。
 ジャジャジャーン!
 パイプオルガンの音色は絶頂に達した。城内に響き渡っている……訳でもない。まだ工事中で回線が繋がっていないので、演奏を含めて自己満足でしかないが、ピアノは地下でマスターした趣味の一つだった。
 真灯蛾サリーはオルガンを奏でるほどに、自分の身体に力がみなぎっていくのを感じた。力を蘇らせるのに石は不要だった。ただ本を読んで、記憶を取り戻せばそれで十分だったのだ。
「よし、いいぞ。力が沸いてくる。あの時の力を使えば、ダークネス・ウィンドウズ天だってその意味を覆せる!」

 パヒュ----------ン……。

 ありす達がチャペルへ戻ってくると、窓から見える空は晴れて、オレンジ色から青空へと変化していた。
「あれは?」
 地平線に山が見えている。
「富士山」
 いいや、よく見るとそれは富士ではなかった。
「……じゃなくてあれは本物のプリンだ。こっからあれくらいに見えるということは、相当に大きな、山サイズのプリンだな」
 千葉から見える富士は、もともとちょうどプッチン・プリンくらいの大きさだ。しかしそれが、地平線で揺らいでいた。蜃気楼かとも思ったが、ありすが凝視するとどうもそうではない。時夫の言うとおり、確かにプリンだった。巨大プリンが地平線にあった。
「形が変わっていく?」
 ゆっくりとプルンプルンと揺れたかと思うと、それは崩れ始めた。
「違う。溶けてるんだ」
 地平線に見える富士プリンが見る見る溶けていく。
「この日差しじゃなぁ」
「黄色いプリンの範囲が広がっていくよ。こっちに迫ってきてない?」
 崩れた富士から、洪水のようなプリンが襲ってきた。
「東京壊滅か?」
「いいえ、あれはもっと手前にあります」
 マズルはあくまで冷静だった。
「富士以外にこっちの方角に高い山あるの?」
 丹沢山地も同じ方向だが、富士のような形状ではない。
「なんもないじゃない。関東平野は平らの将門だから」
「オモシローイ……」
 ウーがすっとぼけた顔でいい、ありすがシラけた返事をする。いつも会話の流れだが、そんな呑気なシチュエーションではない。
「本物の富士じゃありません。綺羅宮神太郎が西で仕掛けたビッグサンダー・マウンテン……ではなくて、デビルズタワーが変形したものです」
 今は各地に散らばったレートことムニエルによれば、綺羅宮の分身であるキラーミンは、西でウィンドウズ天の起動スイッチを押したらしいのだが、色々な仕掛けが残されていたようだ。
「あれを見て!」
 ウーが東側の窓を指差した。
 今度は東に見えている満月が、今まさにバターのようにトローッと溶け出していた。
「うわーっ、まるで世界の終わりみたいジャン」
 ウーは軍団の関係者のクセに、まるで人事のような口ぶりだ。
 東の空の月からも、地上へと洪水のようにドーッと音を立てて滴り落ち、最後は黄色い洪水があふれ出した。
 西からは富士山のプリンの洪水。東西から恋文町に向って、黄色い洪水が押し寄せてくる。
「ホラ見ろ、誰も私の話を聞かないから、本当に洪水が起こっているんだぞッ!」
 ぼやけた像のシンギュラリティ・スミスが立ち上がり、叫んだ。それでスミスの存在を全員が思い出した。
「全くどいつもこいつも。これで恋文町はオシマイだな! フン!」
 一人激オコプンプン丸のスミスに、金沢達夫は向き直ると冷静に受け答えした。
「そうじゃない。あれは、魔学の世界お菓子化を浄化する為の、ダークネス・ウィンドウズ天のシークエンスなのだよ。アップデートの前に、浄化がある。最初に雪絵の雪で固まらせ、それを洪水が押し流しているんだ」
 店長によれば、ダークネス・ウィンドウズ天のアップデートが進んだ証拠らしい。こうしてウィンドウズ天が、どんどん世界を更新していくというのだ。
「てことは、あの月も、本当は白彩のお菓子化によるものじゃないってこと?」
 関係者のクセに、まるでよく分かってないウーが達夫に訊いた。
「さよう。むろん、本当の月などではないが、もともとダークネス・ウィンドウズ7のシステムにあったアプリなのだ」
「大変だ……」
 ここへ流れ込んだら、とても無事ではいられない。
「心配はいらん。あの洪水は、水ではなく単にそう見えているだけでアップデートの衝撃波なんだから」
 と、達夫店長はこともなげに言うが……。
 溶ける。溶ける。さらに溶ける。
 プリン富士と月の洪水がここへ到達すれば、お菓子化された町の雪を溶かしていくだろう。それで、お菓子化は完全に押し流される。だがこのままでは町が壊滅する。
「また図形が変わったぞ!」
 時夫がチャペルの床の十芒星を指差した。
「これは、五芒星が二つ合わさった形、複合星型正多角形です。魔法陣が最終形態になりました!」
 佐藤マズルはそういって、天を見上げた。
 オレンジ色の空に、指向性ゼッフル粒子の影響で開いた青い穴が開いていた。それはちょうど、新屋敷の真上にぽっかりと開いていた。穴の向こうは「天」であった。そして、チャペルの魔法陣と全く同じものが天空に描かれている。その中心に、羊と山羊のマークが光っていた。光のラインで描かれた空の魔法陣から、エンジェルラダーの光線がチャペルの床まで達していた。二つの十芒星が光で繋がった。
「あれが、綺羅宮のいう『羊と山羊の分かれる時』か……!」
「まさか本当に、空に羊マークが現れるとは」
 世界の破滅か、それとも天への上昇か。綺羅宮神太郎が文献の中で引用した新約聖書・黙示録の一文。彼は、自分の予言を恋文町のシステムに組み込んだらしい。二つに一つのこの状況。まさに羊と山羊に分けられるのだ。
「そう。あれが、ダークネス・ウィンドウズ天の承認ボタンだ。イエスが羊、ノーが山羊を示す。山羊を選べば町と共に滅亡する。誰も山羊になりたくはないはずだ。今こそ救済のとき来たれり。さぁエンジェルラダーを上ってゆけ。あの空の認証ボタンを押すんだ!」
「店長、あたしが行くわ!」
 石川ウーは翼を羽ばたかせて飛び上がった。さすがうさぎは飛び職専門。ぴょんと飛び跳ね、羊マークを押した。
 しかし、天空魔法陣は……まるで反応なし。しばらくして困り顔のウーがチャペルに戻ってきた。
「話を最後まで聞きなさい。ただ羊マークを押せばいいとは言っていない。一人でやってもダメなんだ」
「何でェ?」
「上空の十芒星の魔法陣の各ポイントが、十箇所あるだろう。一つ一つ承認ボタンとなっているんだ。先に言ったとおり、ダークネス・ウインドウズ天へのアップデートとは、人類が炭素生物から珪素生物へと進化することを意味する。その人類の変容に先駆けて、一人ひとりの石が、認証のキーストーンとして必要となるんだ。ここにいる全員だ。時夫、お前もだぞ」
「ダンスの次は空を飛べ? ちょっと待ってくれ。冗談きついぜ」
 みんな真顔で時夫を見つめるなのが、ますます追い詰めてくる。特に達夫は勝手に、時夫のことを自分の後継者にしようとしているに違いない。
「いや……みんな、笑えないぞ」
「洪水の到達までおよそ六時間です。このままここに居ても、洪水に飲み込まれるだけです。下の送水公ヘッドが、サイフォン原理を利用して水を屋上まで運ぶからです。他の高い建物も全部同じです。すべて、この町のお菓子化を浄化するために必要なのです」
 マズルが時夫に言った。一定の高さ以上の建築物は、法令で送水口の設置が義務付けられている以上、どんなにビルが高かろうが洪水の被害は免れない。そして「天」の認証に成功しなければ、お菓子化を押し流す洪水に滅ぼされる。
 こうしている間も、綺羅宮軍団は町に残った人々を救おうと活動しているのだろう。その努力を無駄にする訳にはいかない。だが……。
「……」
「あたしが教えてあげるから!」
 飛び職のウーが、飛ぶ練習をレクチャーしようと張り切っている。
「俺は飛べん」
「任せて。そんなときは音楽の力を借りるのよ! 音の出る神って呼んで」
 ウーの掛け声と共に、DJラッピング・モリイことマズルはアップテンポにアレンジした沢田研二の「TOKIO♪」をチャペルに流した。

 ト~キ~オ~♪
 時夫が空を飛ぶ~♪

「さあ時夫、魔法陣の上で、ちょっと飛び跳ねてみようか!」
「こ、……こうか?」
 時夫はウーに習って床の上でジャンプした。程なく着地、そりゃそうだ!
「そう。いいわよ。今度は、前に向かって飛び跳ねるの。で、その時に、落ちない様に意識しながら飛んでみる」
 落ちないようにって……。と思いつつ、周囲の熱い視線を浴びて時夫はやむをえず助走をつけてジャンプを試みた。
 落ちないように、落ちないように。
「いや無理でしょ!」
「勝手にしやがれ!」
「もうちょっとやさしくしてくれよ」
「しょーがないなぁ。じゃこの風船ガムで空を飛ぶっていう科術はどう?」
 ウーは普通の風船ガムを取り出した。
「そんなのあるの?」
「ガムを膨らましながら飛距離を伸ばしてみて。風船の力で浮いていると自分を信じ込ませる。そうすると、メロンフロートに乗ったアイスのように君の身体が浮かぶのよ」
 どーいう比喩だよ。
「ガムってそんなに膨らまないけど」
「何か叫びながら膨らませばいいのよ。たとえば……」
 ウーが「バカー!」と叫びながらガムを膨らますと、風船はビーチボールくらい巨大化した。
 時夫は「飛ベー!」と叫びガムを大きく膨らませた。そのまま走って、少しずつ飛距離を伸ばしていく。
「おぉ?!」
 時夫の身体は、チャペルの中をツーッと超低空飛行で飛んでいた。飛ぶというより、これは浮かんでいる。そう思っていると、風船ガムがバチンとはじけた。ところが時夫は浮いたままだった。そうしてぐるりと魔法陣の周りを周回する間、スミスの像を二、三度とすり抜ける毎にヴン、と音がした。
「やったじゃん! 時夫、その調子よ」
「な、なぜ飛べる? 俺には羽もなけりゃプロペラもないのに」
「石の力よ」
 ありすは時夫に言った。
「風船ガムの科術が石に感応したようね」
「飛行石か!」
「次はグーンと上に身体が盛り上がるよーに、意識を空へ空へと持っていって」
 そういうとウーは時夫の前でフワリと飛び上がり、半蝶半蛾の羽を生やしたありすも、飛び立った。羽のあるなしに関わらず、意識の作用で浮遊するらしい。だがありすの羽は誰よりも力強く、そして速かった。なぜありすに羽が生えたのか。その意味論の答えがおそらくこれだった。時夫も羽がないままに、彼らを追って飛んでいた。それを全員が追って飛び上がった。なんだか、こんな夢を見たことがあるような気がする。富士を眺めた後に、鷹のように空高く飛ぶ。これって、正月の初夢に出てくる縁起のいい代物じゃないか。一富士、二鷹と来れば、三茄子?
 空飛ぶ練習を踏まえた時夫を含めて、羽の生えたありすを先頭に、一同は穴の開いた天井から差し込むエンジェル・ラダーを伝って、上空の魔法陣へと上昇した。

 パヒュ----------ン……。

 真灯蛾サリーはチャペルに戻ってきた。そこにぼやけたゴールド・スミスの残像だけが突っ立っていた。
「奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたのキノコです!」
 蝋人形顔のスミスを、サリーは睨みつけた。
「うるさいっ! この役立たず……」
「スイマセン」
「追いかけるわ」
「乗せられてはなりません、陛下。奴らの思う壺です。奴らは陛下を使って、何かを企んでいる」
「もう、お前の力は借りない。私は全ての記憶を取り戻したんだから。私はね、自分一人の力で問題を解決できるのよ!」
 女王の背には、黒い翼が生えていた。サリーは、チャペルの魔法陣から飛び上がった。
「アッハッハッハ……待ってなさいありす!!」
 スミスはツルッツルの怪訝な顔で、
「古城ありすがパワーアップすると、なぜかサリー女王もパワーアップした。彼女等の進化は、もはや私のシンギュラリティをも超えている。私には計測できない。一体あの二人に何が起こっているんだ?」
 そうつぶやくと次第に薄くなり、かき消えた。
 ロビーに鎮座する巨大な黄金色の招き猫が、その輝きを増した。幻想寺のハッキングが、この招き猫を中継として、シンギュラリティ・スミスの力を全て吸い取った結果だった。

「十個の石が魔法陣に並ぶ。それで魔法陣のエネルギー・ラインが繋がるはずです。その時、DJ.キムリィ&ラッピング・モリィがスマホに音楽を流しますから、皆でフォーメーションダンスをしてください!」
 マズルは張り切っていた。
 ……またダンス。しかも空中で、だと?
 飛ぶ事に意識を集中しているのに、そこでダンスなんかしたら落下してしまうのに、と時夫はさらに追い詰められている。できれば、このまま誰も話しかけないでほしい。努めて下を見ないようにしているが、自分が新屋敷よりはるかに高い空に浮いている事実を思い出すたび、せめて落下しなようにと意識することで精一杯なのだ。
 空に描かれた魔法陣の各ポイントがチカチカ光っていた。
「一個一個に、それぞれが行けばいいんだな」
 時夫はあえて発言することで、気持ちを保っていた。早く済ませたい気分だった。
「らしいですね」
 隣のマズルが応じた。
「エート、この魔法陣のどこに、各メンバーが配置すればいいんだろう?」
 ウサエルことウーにも分かっていないらしかった。
「下を見て。町があちこちが光っている。これは……?」
 ありすの声で、一斉に町を見下ろす。
 時夫も見ないわけにはいかなかった。陽の下でも、町の各ポイントが青白く輝いているのがはっきりと分かる。
「もしかして空中魔法陣と対応している?」
 ウーがつぶやいた。
「そうだわ。……これは黒水晶の箱庭魔学と同じ原理なのよ。いいえ、黒水晶は綺羅宮が構築したアップデートの仕組みを拝借したに過ぎなかった。新屋敷も、光っている。半町半街もあるわね。恋文町の各ポイントが地図になっているようね。……その通りに並んでいけばいい」
 脚下の新屋敷全体が青白く光っていた。この輝きがポイントであることを示しているのだ。新屋敷は今や幻想寺の支配下にあり、アップデートの一躍を担うのである。
「これ、誰がどこに対応してるんだろう。ポイント……ポイントカードを使うところ?」
 ウーの憶測をありすが覆す。
「金時君のアパートの方向も輝いてるわよ」
「あぁ……そこが俺って事か?」
「そう。それで大体の検討は着くわね。それぞれが、一番自分に因縁がありそうなところに行けばいいってことよ!」
 科術師・ありすの声量が大きくなる。鼻が利いたらしい。
「そうですよね? 師匠」
「うん、上出来だ。全員の認証が終わり、魔法陣でユニゾンで舞踏すれば、羊のマークが輝いてアップデートが完了するだろう」
 達夫も羽などなく浮かんでいた。やはり、石(意思)の力で浮いているのだ。時夫はそれを見て、孫として心強かった。しかし、話を聞いてて思ったが……ダークネス・ウインドウズ天のアップデートって、恐ろしく手間取るな。

一石 金 金沢時夫 ゴールドコンビニ本店

 地平線にある、金色の輝きが灯台の灯のように一段と激しく光り始めた。時夫が最初に迷い込んだコンビニの方角だった。やがて、そこから光の塔のように天空へ向けて黄金色のビームを発射した。
「ゴールドコンビニ本店だ! つまり……」
 と同時に、上空の魔法陣のポイントの一つが、激しく金色に点滅し始めていることに全員が気づいた。
 青空が急激に色を変えた。空の色が黄色に、黄金色に変色していったのである。
「魔法陣と町、空全体が対応しているのか……」
 アップデートは、かなり大掛かりなシステムのようだった。
「どうやら、先陣を切るのは私のようだな! 私の石は金、地上のゴールドコンビニ本店に対応している」
 達夫店長は意外なことを言った。
「えっ店長って、半町半街じゃないの?」
 ウーが驚きの声を上げる。
「じゃあ……」
「ありすか」
 時夫は気が付いた。
 その店名は、「半蝶半蛾」から来ていると達夫店長は言ったのである。これで一つポイントが明らかになった。
 最初の認証は……恋文町で起こった一連の事件の首謀者、金沢達夫。または「不思議の国のアリス」現象の張本人というべき人物にして、時夫の祖父。半町半街の店長だが、ゴールドコンビニ・グループの店長でもある。
「ゴールド・コンビニは幻想寺の機械曼荼羅を通して、シンギュラリティに達したゴールド・スミスの力を吸い取った。それで私が最初の認証を行えるのだ!」
 天空の十芒星の金色に輝くポイントを、全員が見上げた。そこへ達夫が飛んでいってボタンを押せばよいのだ。
 風が強かった。町を見るとあちこちで何かが浮遊している。ムニエルの天使軍団かもと思ったが、時夫は気づいた。
「正月だし、凧揚げしてるね」
「こんな上空まで?」
 ありすに、そういわれてみるとおかしな話だった。
「あっ!」
 凧の群れが勝手に動いているように見える。こちらに集まってきた。近づくと予想以上に巨大な凧……血走る眼をギョロギョロと動かした三角形の形状、ゲイラカイトだ。大きさは四畳半以上もあった。色は主に黒、赤、それに青もある。
「襲ってくるぞ!」
「昔なつかしのゲイラか……一体誰が」
「待ちなさぁーい!」
 各色のゲイラカイトの編隊の中に、黒い翼を生やしたサリー女王の姿が見えた。真灯蛾サリーは先に魔法陣へ上昇する店長の認証を邪魔しようと、いや意味論をひっくり返そうと後を追って、舞い上がった。
 サリーの爪は黒く伸び、長い髪をバサバサなびかせ、まがまがしいことこの上ない。
「フフフ……まだ勝負は終わってないわ! お前達の科術の意味論を、私の魔学で全てひっくり返してやる! そうして、みんなあたしの石にしてやるわ」
「サリーだ。どうやら奴は記憶を取り戻したらしいぞ!」
 達夫は全員を散開させた。
「そうはさせないッ! お前の相手は私なのよ」
 ありすとサリーは再度、恋文町上空で衝突した。これが宿敵同士というものなのだろうかと、ウーも時夫も、他のメンバー達も痛感せざるをえない。
「ははははは! 私の凧で遊びなさい! ありす」
 サリーは不気味な笑みを残して、雲の中へと消えた。ありすとの正面衝突を避けているようだ。
 サリーのゲイラカイトはおよそ百機を越えていた。
「まだあんな力が残っていたなんて。こいつらは私たちが食い止めるから、師匠、お願いします。みんな、師匠に続いて順に認証していって」
 ゲイラカイトは血走った巨大な眼を輝かせた。両眼からレーザーが発せられる。
「ぐわっ、わわわ危ねェ!」
 時夫は己の限界を感じた。避けているうちに集中が途切れ、落下し始めた。その腕を雪絵が取って、何とかキープする始末……やむをえない。
 カイトの動きは敏捷で、海中のマンタの群れを髣髴とさせた。カイトはそれ自体生き物として生命を宿しているらしかった。こんな魔獣を、茸を使って短時間にあっさりと生み出してしまうサリー女王の力は、最大限に極まっているといって間違いない。
 さて、達夫は後期高齢者とも思えないバック転で、ギョロ眼の魔獣の猛攻撃を交わすと、一気にエンジェルラダーを駆け上がった。年齢の割りに外見はそこまでの年寄りには見えない達夫は、古城ありすと同じように、石の力と科術の力で若さをキープしているらしい。達夫の石は金、つまり店長は黄金の意思を持っているといえ、それも若さの秘密だった。
「気をつけて!」
 背後に回った赤いゲイラのギョロ眼からレーザーが発せられ、ありすは叫んだ。群れを成し、巨大な流れを形成したゲイラカイトは、その先頭からレーザーを浴びせた。ありす達は再度散開する。達夫はやむなく、一旦魔法陣への飛翔を諦めざるをえなかった。雨あられと降りかかるカイト群のレーザーからの逃避を余儀なくされ、一度降下した。
 ありすとウーは、無限たこやきと最大出力うさぎビームをぶっ放した。十数枚のゲイラカイトがまとめて焔に包まれ、下の町へと落下していった。だがカイトたちは達夫をめがけて襲撃を続け、ありすやウーから次第に離れていく。結果として達夫は孤立した。
「Gさん!」
 時夫がありすを見た。相変わらず飛行を維持するので精一杯で、時夫には何も出来ない。
「……金時君、大丈夫。店長の力を信じて!」
 ありすはそれだけを言って、ホバリングしながら様子を伺っている。
 時夫が見ると、達夫の両手が何かのポーズを形成していた。
「あの形は……」
「店長の必殺技よ。眼をやられないように気をつけて、というか、見ない方がいい」
 達夫は左手でどんぶりを持ち、右手で箸を上げ下げして「何か」を口に運ぶジェスチャーを繰り返した。

「無限ッ、ウルトラーメンッッ!!」

 達夫の両手が激しく輝いた。眩いストロボ光の中から、宙に描かれたどんぶりが出現した。その光の形は、次第に大きくなって押し出される。どんぶりの中の麺とスープがニューッと持ち上がり、どんぶりの上で半透明のウルトラマンの顔を形成している。ウルトラマンの顔は左右に小刻みに揺れ、その口から麺とスープが流れ出した。麺が口から流れ落ちると同時に、上から次第にスープがなくなって、ウルトラマンの顔が削れていき、ついに全てがどんぶりの中へとストンと落ちた。 達夫に迫ったゲイラカイトの群れの先頭が爆発し、燃えながら落ちていった。
「な、なんだありゃ」
 ストロボが延々と繰り返され、麺とスープが持ち上がってウルトラマンの面を形成し、口から麺とスープが流れて落ちていく。しかも、それが無限に続くのであった!
「無限ッ、ウルトラーメンッッ!!」
 時夫は笑いが止まらなくなった。
「やめてくれ……(笑)」
「だから言ったのに。飛行に集中しないと落ちるわよ!」
 見るとウーも笑い転げて地上へ落下しそうになり、慌てて上昇してまた笑い、再度落下しそうになっている。ありすの無限たこ焼きといい、全く、師匠が師匠なら弟子も弟子だ。
「そしてつゆ! too you!」
 ゲイラたちの羽を突き破るほどの勢いを持った、汁(つゆ)が放射された。達夫は黄金色に染まった大気のエネルギーを、自身の持つ金石に込めて、十分に力がたまったところで反撃したらしい。
 全てのゲイラカイトを退治した達夫は、十芒星の金色のポイントへ行き、無事ボタンを押した。羊の顔が光って、一つ目の認証を知らせた。

二石 モッカイト レート・ハリーハウゼン 千代子とレート

 地上の恋文町を見下ろすと、今度は恋文銀座の一角が輝いていた。沈んだ黄色の光の塔……いや、黄色にしては暗すぎる。これは茶色か? 見上げると、天空の魔法陣のポイントの一つもまた、同系色の茶色に輝いている。
「千代子とレート。次は私ムニエル、レート・ハリーハウゼンです!」
 ドイツパン職人にして綺羅宮軍団の天使長ムニエルは、その手にいつの間にか長いドイツパンを持っていた。エクスカリカリバー・ブロート。今まで、翼の中に隠し持っていたらしい。
「レートさん、あなたのパワーストーンは?」
「モッカイトです。チョコレート色のパワーストーンです」
「ははぁ。なるほど」
 黄金色の空が一気に暗くなり、チョコレート一色に変わった。地平線は明るく赤みを帯びたグラデーションを作っているが、他は上空の青白く輝く魔法陣以外、赤茶色に沈んで、黙示録の空を連想させた。
 雲間から、黒い翼のサリーが飛び出してきて、ありすらは臨戦態勢を取った。サリーは手に長モノを握り締め、一気にレートに斬りかかった。エクスカリカリバー・ブルートが受け止め、鋭い金属音がチョコレート色の空に鳴り響た。
「一糖流、伊東一糖斎の秘剣、油麩剣か! 相手にとって不足なし!」
 かつての宿敵が持った武器を前に、レートことムニエルは俄然張り切り、豪腕に任せてブロートを振り回した。パン剣の風圧が五十メートル以上離れた距離まで伝わってくることに、時夫は驚いた。
 真灯蛾サリーは何度かレートと刃を交えると、一旦離脱し、弧を描きながら飛翔して、油麩剣で宙を引き裂いた。サリーはありすに目頭ピースを送ると、また雲の中へと消えた。……ギャルか!
 破れたシーツの向こう側のような暗黒の空間から、巨大な「口」が飛び出してきた。四メートルはある「口」、それは、上下に別れたバンズだった。
「人食いバーガー、ロケットバーガーですと?!」
 ありすは真っ先に気づいた。
「だが、ずいぶんとデカくないか?」
 時夫が叫んだ直後、空飛ぶ人食いバーガーは、裂けた亜空間から続々と飛び出してくる。飛び回る巨大な口! はじけるポップコーンのように空中を飛び回るバーガーを避けることで、時夫は上下の感覚さえも失った。反撃? いやいや相変わらず、墜落しないようにするので精一杯だ。他のメンバーたちがどうなっているのかさえもよく見えないが、自分のことで忙しく、全員の無事を祈るしかない。雪絵の姿が見えないものの、ロイヤル・ハーグワンのエネルギーを感じた。
「食に関する魔学はこの私が許さないッ!」
 レートことムニエルの怒号で、時夫はその雄姿を確認できた。
 右手にエクスカリカリバー・ブロート、左手にマジパン製の銃・ピースメーカーを持つ、チャンバラとドンパチの二重奏。銃は、一発で四メートルのフライング・人食いバーガーを爆発させる破壊力だ。レートのピースメーカーの銃弾は、クリント・イーストウッド菌で焼いてあると、前に本人の口から聞いた。
「ダーティハリーみた~い」
 ウーがクルクルと舞いながら、拍手していた。見てないで戦え。
 一同はうすうす感づいている。この認証、ポイントが光っている当事者が降りかかる問題を解決しないと、先に進めない仕組みだ。その障害物を出す役割を、サリーが担っているのかもしれなかった。
「アウトォォー!! バァァーン!」
 ドイツのメジャーインフラ的な科術の呪文をレートは叫んでいたが、空中戦闘は銃撃と剣撃のみで、それ自体は、自らを鼓舞する掛け声だったらしい。
 レートの猛攻を機に、達夫店長やありす達は、無限ラーメンや無限たこ焼きで掃討作戦を開始した。時夫は結局自分の身を守ることで忙しく、最後に雪絵の姿を確認してホッとした。
 レートは空中魔法陣へ行って認証完了させると、ありすにエクスカリカリバー・ブロートを渡した。

三石 ウルフェナイト 佐藤うるか~ウルエル~ 月夜見亭

「あの方角は……月丁目ですね!」
 雪絵が指差した。次の光の柱の輝きは、明るいオレンジ色だった。
「月夜見亭か、とすると……?」
 時夫はメンバーを見回して、お下げの少女に目を留めた。
「はい。私、佐藤うるかの出番です!」
 空は暗いチョコレート色から急激に明るく変化し、オレンジ一色になっていく。
「これは私の石、ウルフェナイトの色です」
 なるほど、いろんな石の認証のタイミングが来ると、空の色が変わっていく仕組みらしい。
 明るくなった雲間から、再度サリーが現れた。
「サリー、往生際が悪いわよ! あたしたち全員の力を合わせれば、幾らあなたが邪魔したところで無駄な努力でしかない」
 ありすはブロートをかざした。
「ほほほ……なかなかやるわね」
「なぜあんな余裕ぶっこいた笑顔なんだ? 女王め……何か企んでるぞ」
 これまで散々サリーと対峙して来た時夫は、不審に思った。基本的には不利な状況にも関わらず、サリーの態度には今まで以上にゆとりが感じられるのだ。
 その疑問も解消されないうちに、サリーの油麩剣が、空間を引き裂いた。
「あの剣、空間をチョキチョキすると、色々な魔獣が出てくる。やっかいだな……」
「熱帯魚に遊んでもらうがいい! お嬢さん。おほほほほ……」
 女王は捨て台詞を吐くと雲間に姿を消し、オレンジ色に染まった空は、あっという間に十メートルを下らないサイズの極彩色の熱帯魚たちに支配された。熱帯魚たちは、飛び散った人食いバーガーの破片をもの凄い吸引力で飲み込んでいく。
 巨大なネオンテトラ群は、尾びれをゆらゆらと揺らしながら迫ってきた。時夫達は、まるで金魚鉢に落とされた餌のような感覚に陥りながら、魚たちに追いかけられている。
「フッ……ぷらんで~と恋武の熱帯魚ね。うるか、心配しないで認証してきて。私の無限たこ焼きのカモにしてやる!」
 今度は初回から、ありす達の科術光線が炸裂した。
 しかし、亜空間からの侵略は、それだけでは収まらなかったのだ。続いて出現したのは、他とは異なる魚影だった。敏捷な動きのブルーギル、凶暴な面構えのブラックバス……。その貪欲な肉食の外来魚は、ありす達のみならず、熱帯魚をも追いかけ始めた。そいつらの出現のせいで、敵味方居入り乱れた空中戦が始まった。空は人食いバーガーの時よりも混雑している。時夫はまるで、渋谷の交差点を延々と行ったり来たりしているような感覚に陥った。案の定、佐藤うるかは天空魔法陣まで行くことができずにいた。
「あぁ、食い合いなんて、どっか他でやってくんないかなぁ? 勝手に殺し合ってりゃいいのよ!」
 ウーの文句は、魚達の尾びれが巻き起こす突風にかき消されていた。魚の乱舞は、天空魔法陣への上昇を塞いだ。やはり、意図的なものだろう。
 熱帯魚たちは外来魚に攻撃され、ほとんどが食われた。うるかはその時、亜空間の裂け目がまだ開いていることに気づいた。
「……皆さん!」
 赤い優雅な尾ひれを持った魚影が出現した。それは、ネオンテトラとは異なった新種の熱帯魚だった。五~六匹を排出した後、裂け目は閉じた。赤い熱帯魚は、自分より大きさが勝る外来魚に襲い掛かった。猛タックルを食らった外来魚たちは、逆に逃げ回り始めた。
「なんだ?! あの攻撃力は。他の奴に比べて大きくないのに」
 あんな魚が居るなどとは、あいにくと時夫のデータベースにはない。
「あれは闘魚(とうぎょ)ベタ、……ランブルフィッシュです!!」
 ウルエルこと、うるかは叫んだ。
「ベ、ベタ?」
「ベタ・スプレンデンス。ランブルとは“喧嘩”を意味します。一見すると美しい優雅な魚ですが、ランブルフィッシュは相手が死ぬまで攻撃を止めない、闘争本能の塊なんです。それで、外国では闘鶏みたいに戦わせる競技に使用されています。普通は同種以外に、敵愾心を示さないものですが……こいつらは喧嘩の意味論に取り付かれてるみたいだ……」
 ランブルフィッシュの動きはスピードが速く、ありす達の科術光線を優雅に避け続けた。その激しい闘争本能は、恋文町の空に漂う全ての存在に向けられた。
「あんなにかわいいのにね」
 ウーがぼやいた。小さければ薔薇喫茶の金魚鉢で、フツーに飼いたい魚だ、とはいうものの……、
「デカいとあんまかわいくないぜ」
 時夫のボヤきに、近くに居る者全員が同意している。
「名前も悪すぎる……」
 ありすも、餌にされないように逃げるので精一杯らしい。恋文町の制空権はランブルフィッシュに奪われていた。
 当の佐藤うるかは、さっきから、西の空に浮かぶ満月をじっと見ていた。ドロドロとした洪水の落下は止まっていたが、これは、確か偽物の月だったはずだ。
「ガルルルル……」
 うるかがうなり声を上げた。
「ウォオーーーーーン!!」
 大きな声で吠えている。満月を見つめる少女の目はオレンジ色に変色し、鼻が犬のように伸びていく。口が裂け、体毛が濃く、尻尾まで生えている。いや、これは犬ではない。……狼だ。
「キャアァ、うるかちゃんが狼少女に変身しちゃった!」
 ウーもびっくりの状況。
 空を駆けるその姿は完全なる狼、それも十メートル以上もある体躯を持った天狼に様変わりしている。すでに、小柄なうるかの名残はどこにもなかった。その天狼は、空を周回しながらランブルフィッシュに襲い掛かった。まさしくドッグファイトが始まった。獰猛な牙は、猪突猛進ばかりのランブルフィッシュの攻撃力を上回ったらしい。そして前足の鍵爪が魚体を引き裂いていく。
「うるかの石は、ウルフェナイト。だから満月を見つめてウルフに変身した……」
 ありすは察した。
 ランブルフィッシュを食い尽くした天狼は、再び元の小柄な少女の姿に戻った。
「魚は肴ですから! 次の満月に、月夜見亭でベラを料理にしてもらいます!」
 うるかによると、海水魚の方のベラは瀬戸内海でよく食べられているらしい。結局、うるかは書籍科術で倒すことができなかったが、無事認証を済ませることが出来た。
「女王め、雲の中でまた何か仕込んでやがるな……」
 いつサリーが出現するかと時夫は身構えた。これまで出現した魔獣達は、メンバー一人ひとりの認証を阻止するためのゲートキーパーと化している。
「それだけじゃない。奴の目的は一体何なの……? お師匠?!」
 ありすは達夫の方へくるりと身体を向けた。
「おそらくサリーは、終戦直後、あの時獲得した魔学を使おうとしている!」
「あの時のって? それは」
「お前の認証の番が来た時に……おそらく認証も終わりの方だろう。その時、サリーはお前との直接対決を望むはずだ。それまではこうして、魔獣達を出して自分は雲隠れだろう。もはや私の出る幕じゃない。対決しなければならないのはお前だ、ありす」
 師匠・金沢達夫にも手に負えないほどの魔学との対決。
「……」
 まぁ、そうくるだろうと予想していたが、師匠さえもかつて地下へ封印する他なかったサリーの魔学を、ありすが科術で打倒せねばならないのだ。

四石 ラピスラズリ 佐藤マズル~マジエル~ ぐるぐる公園

「今度は渦丁目が青色に光っているぞ。ぐるぐる公園の方角だ!」
 逃げる専門の時夫が発見した。
 空が深い青色に変化した。ラピスラズリの空は、明るい宇宙空間を髣髴とさせた。まるでガンダムの「宇宙世紀」の戦場の中に浮いているようだと、時夫は妄想する。
「では、僕の番ですね」
 マズルの申告に、時夫はおやっと思った。
「僕の石は、ラピスラズリです。ぐるぐる公園は、長らく地下帝国の基地になっていましたが、もともとはアップデート用のシステムの一部でした。今は幻想寺が恋文町のシステムを正常化しているので、僕が担当します」
 それに加えて、マズルがフィギュアスケーターあることも関係しているに違いない。マズルのスピンと、ぐるぐる公園が「渦」の意味論で繋がっているのだ。
 これまで一石一石ずつ、認証のタイミングが来ると空が変化してきた。しかし、石の色が変わる順番についてはよく分かっていない。
 今度は、サリーの姿が見えないうち、いつの間にか亜空間が引き裂かれていた。この暗さのせいで、見逃したのだろうか、などとまごまごしていると、亜空間の裂け目から、案の定というべきか、超巨大な蛸の腕が出現した。ぐるぐる公園に鎮座する黒光したタコスライダーがヌッと全容を現す。それも、公園にあるものの何十倍のサイズに成長している。
「マズル~ッ、ホントに恋文町のシステムを取り返したの?!」
 ウーは文句を言った。
「そのはずだけど……」
 マジエルこと、佐藤マズルの返事は小さい。
 科術師たちの光弾が一斉に火を噴いた。しかし、タコスライダーは蛸墨を吐いて、生み出した黒雲の中へ消えた。距離を置いて戦うアウトレンジ戦法の魔獣らしい。雲間から、ぬうっと腕が伸びて襲い掛かった。

 キュィイイーーン!

「させるかぁ!」
 マズルの額に閃光が走った。ニュータイプのアレである。
「逃げ上手だな。これまでの相手とは違う。何かを狙っている」
 マズルはタコの腕を観察しながら、それが本気の襲撃ではないと悟っていた。
「ありすさん、エクスカリカリバーブロートを振ってください!! ……タコを殺るならウツボオフ、と唱えて!!」
 レートが叫んだ。タコの天敵はウツボである。レートのむちゃぶりに、西部での三つ巴問題が再燃しそうな気配を感じながら、ありすはサリーがやったように、エクスカリカリバー・ブロートで空を引き裂いた。

 タコを殺るなら♪ ウツボオフ♪

 ドヌオーッと、超巨大なウツボが亜空間から出現した。レートのちりめん・モンスター科術だ。これだけでかいと、まるでドラゴンだ。いやはや不気味不気味。化け物過ぎておなか一杯。タコスライダーはウツボの出現に、よりいっそう逃げ足が速くなった。これは時間の問題なのか?
「あの腕……」
 ありすが指差した。
 八本の腕の一つが何かを抱え込むように丸くなり始め、そこだけスパークを始めていた。

 キュィイイーーン!

 ありすの額に閃光が走った。またしてもニュータイプのひらめき音。
「ぐるぐる公園のタコスライダーと同じだ!! ブラックホールが出現する!! 吸い込まれる。皆、離れて」
 ありすでも、メンバーを退避させることしか考えつかない。あらゆる光を吸い込むブラックホールは、ダメ押しに放った科術の光弾さえも吸い込んでいく。巨大ウツボは、あっという間にブラックホールの中に吸い込まれていった。
「事象の地平線の内側に入ったら、二度と出て来れなくなるわ! 気をつけて」
 見ると達夫店長とレート・ハリーハウゼン、それにうるかも消えていた。すでに、ブラックホールに吸い込まれた後だった。遅かった。
 ありすの目の前で、ウーが錐揉み状になって腕に吸い込まれそうになっている。だが、ありすはそれを見逃してしまった。かろうじて、その腕をマズルが掴んだ。
「どうする?!」
「DJ.キムリィ&ラッピング・モリィの力を発揮するんだ。……これから僕は君と一緒に回転する。僕に着いてきてくれ!」
 マズルは、回転の科術で対抗するつもりらしい。
「えっ、うん……」
 ウーは一瞬不安そうな顔をした。マズルのスピードに着いていくのは大変すぎる。ウー自身、バラバラになるのではないかと恐れているらしい。しかしフィギュアスケートの貴公子・マズルは躊躇するウーの両手を握って、高速で回転し始めた。
「今度は一体何だ?」
 二人が輝き始めたので、近くに居た時夫はありすとぶつかりながら、雪絵のところまで飛んで退避した。
「ホワイトホールです、時夫さん!」
 雪絵が叫んだ。
「えぇ?」
「二人の回転が、ホワイトホールを作ろうとしています」
「何て事だ。ウーは、ホントに大丈夫なんだろうか」
 二人の姿は、白い光の渦で見えなくなっている。ウーの様子は確認できない。グルグル・バットでも、余裕でぶっ倒れるに決まってるのに、もうウーは溶けてバターかあるいはバカーになってしまっているに違いない。無神経な彼氏だ。
「……」
 マズルは、ぐるぐる公園のシステムは回復したと言ったが、本当かどうか分からなかった。時夫達はどうすることもできないまま、二つの渦を見守っているしかなかった。いつもながら、何の役にも立っていない自分が情けないが、飛んでること自体が奇跡的なのだから、それ以上を期待されても困る。
 見ていると、ホワイトホールの中から、佐藤うるかが出てきた。続けてレート・ハリーハウゼン、さらに達夫店長の順で飛び出してくる。その次に巨大なウツボが出現し、タコスライダーの頭部にくらいついた。ウツボは首だけ残して巨大な体をブラックホールに飲み込まれながらも、タコの頭を飲み込んだ。
「タコとウツボが、お互いを飲み込んで消えた……」
 ホワイトホールの回転が止まった。ウーをお姫様抱っこしたマズルが浮かんでいた。ウーは気絶していた。マズルも体力を消耗し、何も言葉が出ないまま、無言でウーをありすに託した。それから糸の切れた風船のように浮かび上がり、空中魔法陣へ飛び上がると、認証ボタンを押した。

五石 ローズクォーツ 石川ウー~ウサエル~ 薔薇喫茶

 恋文町の一角がピンク色の光の灯台を生み出した。
 あれは時夫の家の方角……薔薇喫茶だ。空はみるみるピンク色に変化していった。
「ウー、ウー。しっかりしなさい!」
 ありすの声がけに、腕の中のウーは反応しないで眠っている。
「あんたの出番よ」
 世界がピンクに染まったと同時に、ウーは目を開けた。いや、同タイミングだったというべきだろう。
「あぁ……あれ? ローズクォーツ……この空。あたしの石じゃん!」
「そうだよ。あぁよかった」
 ありすはやつれた笑顔でウーを見た。
「なるほど、そういう事か」
 時夫が確信に満ちた顔でありすに言った。
「マズルの次はウー。なぁありす、これは偶然じゃないぞ。……陽の次は陰ってことなんじゃないか」
「は?」
「つまり、陰の次はまた陽になるんだ! 魔法陣のポイントはそういう順番なんだよ」
「じゃウーの次はあんたか?」
 言ってから時夫はありすに指摘され、重大な事実に気づいた。残った男性メンバーは、自分しかいない。つまり次は、恋文ビルヂング……自分である可能性が高い。で、その次はまた「陰」。イコール白井雪絵だ。
「時夫、よく分かったな。さすがはわしの孫だ」
 達夫のお墨付きによって、次は自分であることを証明してしまった時夫は早くも、自分の出番で頭がいっぱいになった。その次が雪絵と仮定したところで、無事自分が引き継げるのどうかも分からない。いうなれば、駅伝で自分が走る番が次に迫ってきたときの戦慄と、一刻も早くそこから逃げ出したいという感覚に極めて近い。
 時夫が熱弁を振るっているうちに、女王がまたこっそり亜空間を引き裂いたらしい。見逃した。すでに女王の姿はなかった。そこから出現したのはまたしても巨大な魚影である。だが……。
「な……? これは?」
 ありすも仰け反るその姿。
「で、でかいぞ。いや、でかいなんてモンじゃない」

 ドドドド、ドドドド、ドドドド……。

「三百メートルはありますよ! お兄さん」
 うるかが叫んだ。
 それは戦艦大和のような巨大さの、イトウだった。時夫の家の近所の森の底なし沼で、ウーが不用意に言い放った「幻のイトウさん」の言葉の意味論の通りに出現した森の番人。アイヌの伝説では、その死骸が川をせき止め、湖を作ったという怪物・イトウ。それが、眼前に戦艦イトウとなって出現したのである!
「こ……こんな奴マジ無理ィイイイ!」
 回転の酔いも覚めやらぬウーは、頭を抱えた。
「あんたがあの時、余計なことを言わなきゃ、こうはならなかったんだけど」
 今更そんな事を言っても仕方がないが、本当に意味論的な因果関係があるのかどうかは不明だ。
 イトウが大口を開けている。吸い込もうとしているのであれば、ブラックホールほどの吸引力はないはずだ。しかし、そうではなかった。
「逃げて!!」
 ありすの掛け声と共にメンバーは一斉に散らばった。
 イトウの大口から光線が発射された。
 ……波動砲。さらに魚体にピカピカ光るうろこが無数のレーザーを発射し、容易に近づけさせない。
「下へ逃げると地上が壊滅します! 横か上へ逃げてください」
 しかし、真上もまた、天空魔法陣に悪影響が出るのでダメだろう。
「女王め、こんな最終兵器みたいな奴をいとも簡単に生み出すとは……あいつを早く止めないと」
 悪態をついても、本人が雲に隠れて出てこない。これが、覚醒した女王の力なのであろうか?!
「ウーさん、これ、よければ読んでください!」
 うるかが分厚い単行本をウーに投げた。
「何これ?」
「メルヴィルの『白鯨』です! 私の書籍科術で倒せます」
「サンキュー……って、こんなの読んでる暇ないの!」
 「白鯨」といえば、文章が難解なことで有名な大長編小説だ。今読めといわれて、どれくらいの人口の人間がちゃんと読めるのだろう。
「また、本を持ち歩いてたのかよ?」
 時夫が目を丸くする。
「ええ」
「内容、口で説明してくんない?」
 ウーはパラパラとめくるも、頭に入っていない様子で聞いた。
「……あいつは、白鯨みたいなものじゃないですか? 波動砲は、『吐く芸』、ですし。通称、モービィ・ディックは海の白い悪魔として、鯨獲りの船乗りたちに恐れられていました。しかしその白鯨を倒すことを生涯の目的としたエイハブ船長は、恐れる船員たちを巻き込んで、死の航海を続けました。ついにはたった一本槍で闘うんです。ウーさんもぜひ同じように!」
「……で、エイハブ船長は勝ったの?」
「最期、モービィ・ディックによって、海の藻屑と消えました」
「ダメじゃん!」
 戦艦イトウが、巨大な魚影をウーへと向けた。
「……ですね」
「おい!」
「あ、ちょっと待ってください。エイハブ船長の腹心、スターバックはずっと船長に反対しながら、最期は船長と共に戦ったんです」
「じゃあ、スターバックが敵討ちを?」
「いいえ、一緒に海の藻屑になりました」
「バカじゃん!」
 腹心だけに腹の中とか、この状況で洒落にならない意味論の自爆。
「ちょっと待って。……スターバック? スターバックス?」
 ありすが会話をさえぎった。
「ハイありすさん正解です! さすが一流の科術師です、センパイ。コーヒーのスターバックスは、白鯨の登場人物スターバックから来ています。彼はコーヒーが大好きなキャラクターなんです」
「それがこの状況と何の関係があるのよ!」
 ウーは波動胞の猛威を避けるので必死だった。次の攻撃まで若干の間がある。おそらく、エネルギーを充填する波動砲の特徴だろう。
「豆知識です」
「あぁコーヒー豆だけにね。……っておい!」
「俺も発言していいか? コーヒーといえば、ウー。君は薔薇喫茶の店員だろ。スターバックスといえば、世界に広がったコーヒーショップだよな。コーヒーで世界を席巻したといってもいいだろう。その意味じゃ、白鯨より有名かもしれない。つまり別の意味で勝利したんだよ。広い意味で、コーヒー屋になら、あいつを倒せる……のかもしれない」
 時夫が思いつきを口にする。意味論とはそういうものだ。
「お兄さん、いい線行ってます。人間合格です!」
 「人間失格」に引っ掛けたのか? クッ、この文学少女、調子に乗ってんなぁ。
「そんな……強引だよ」
 作中のスターバックは死んでいるというのに。
「なるほど、時夫君の言う通りかもしれません。相手の波動砲が何だというんだ? 君のうさぎビームは最強だってことを思い出すんだ!」
 マズルまで乗っかってくる。
「わ……分かったわよ」
 イトウの口が輝き始めた。波動砲の充填が完了したらしかった。
「くそくそくそ……コーヒー屋を舐めるなぁ!! スターバックの敵は取ってやるわ。ハーモニー・ハート・シャイニング!!」

 うさぎビーム ハートを溶かすハイビーム
 うさぎビーム 胸から溢れる愛のパワー
 うさぎビーム 君のこころが
 うさぎビーム 紡ぎ出すビィーム!!

 ビカビカ!!
 通称うさぎビーム。

 うさぎビーム ミルク星から来たヒーロー
 うさぎビーム ミラクル・ラブ・アターック!!

 イトウの波動砲と、うさぎビームが真正面から激突した。真昼の太陽のような白い輝きが恋文町の空を埋め尽くしていく。やがて……うさぎビームは波動砲を圧倒した。戦艦イトウはぶっ飛んでいった。
「勝った……やったぁ、勝ったぁーーー!!!」
 ウーは飛び跳ねて全身で喜びを爆発させながら、ぴょんぴょんと八方飛びしながら空中魔法陣の認証ボタンを押した。ウーとありすはハイタッチする。
 巨大なイトウの死骸がゆらゆらと揺れながら、宙を漂っている。

六石 トルマリン(電気石) 金沢時夫 恋文ビルヂング

 薔薇喫茶のピンクの輝きが消えると、そのすぐ近くから明るい青色のビームが上がった。恋文ビルヂングだ。
「やはりな……。次は……時夫、お前だ!」
 達夫は孫を見た。
 空がまた青く変化していく。さっきの沈んだ宇宙色の青ではなく、真っ青な青空だ。これまでと違い、空気が静電気を帯びていた。
「俺の石、トルマリンは、電気石だ……だからピリピリするんだな」
 隣の雪絵を見ると、ロイヤル・ハーグワンエネルギーが二人の間で視覚化している。
「つまり……俺か」
 時夫の顔も青くなる。
「時夫さん、頑張ってください。応援しています」
「あぁ……」
 時夫は、とりあえず腰のライトセーバー誘導棒のスイッチを押した。青白い光線剣が延びていく。周りは時夫に、一人前の科術師としての活躍を期待している。しかし時夫自身はそれどころではなかった。これまでのどんな戦いよりも緊張していた。リレーを次のメンバーたる雪絵に渡さなければならない、という責任もある。散々、無理だと言ってるのに。
 雲間から、またしても何かの影が出現した。向こう側の空が透けて見え、形は茫洋としてはっきりとしない。女王は、雲の中で亜空間を引き裂いたらしい。
「こいつは……またサンダーバードが?」
 今まで何度か出現したサンダーバードは、推測するに全長一キロメートルに達しそうだった。よりによって、これまでで最大の大きさの敵だった。
「何あれ……中国の伝説の鵬(ほう)くらいあるじゃん」
 サンダーバードは、またぞろ覚醒した女王の軍門に下ったらしかった。体長三百メートルの戦艦イトウの亡骸を、前回と同じように丸呑みした。出来事が繰り返されている……。

 ンガァアアアアアッッーオォォンン……

 サンダーバードの雄たけびを合図に空は暗くなり、大雨が降ってきた。これぞ青天の霹靂。地平線のあちこちで竜巻が発生していた。視界に入るだけでも十本は確認できる。奴は、爆弾低気圧を召還したらしい。
「くっ……俺の石が電気石だからサンダーバードが?」
 時夫は軽い違和感を覚えた。女王は気づかぬ間に、空中魔法陣に何かを仕掛けたに違いない。認証ボタンを押す人間が、倒さねばならない魔獣を必ず召還させている。しかし、本人は雲隠れしたままだし、あまりに段取り過ぎる。まるで、それもアップデートの一部だという風にだ。だとしたら全員が無事認証を終えた瞬間……本当にアップデートが無事成功するのだろうか。
「そうです! でも時夫さん、トルマリンならサンダーバードを制することができるはず。なぜなら、サンダーバードは基本的に中立的な存在だからです」
 近くを飛んでいるマズルが言った。
「なるほど……」
 クソーッ、俺のどこがいっぱしの科術師だというんだ?! 確かにトルマリンの力で無事落ちずに飛んではいるが。
「科術師といっても、真似事くらいしかできん……」
 ありすが心配そうに見守って言った。
「真似事でいいのよ、それが意味論なんだから! 学ぶという言葉は、真似ぶから来ている。誰だって赤ちゃんのときは周りの大人の真似をして成長していくでしょう。それが世の中の仕組みってヤツなんだよ」
「ありすさんのおっしゃる通りですよ。この仕組みを、世阿弥は『守・破・離』と言っています。まず基本を忠実に模倣し、次に自分の色を加えていく。やがて基本から離れ、全く新しいものを作り出していく。これが守・破・離です」
 マズルがありすの言葉を継いだ。
「時夫さん、忘れないでください! 電気石は、私とのハーグワンを生み出しました! あの力はあなたのトルマリンです。どうか自分の力を信じて。一緒に闘いましょう!」
「雪絵。君は確かに、一流の科術師だ。だが、俺は」
「私の力が強まれば、時夫さんだって……時夫さんだって、きっと」
 学ぶという言葉は、真似ぶから来ている、か。……なんだか、どこかで聞いたことがあるセリフだ。どこで聞いたか時夫は思い出せなかったが、それはたいした事じゃない。ありすの言うとおり、人は赤ん坊の頃から大人を真似て成長していく。生まれた時から歩けるワケもなく、話せるワケもない。学校の勉強も、文字の書き取りや、丸暗記から始まる。それを繰り返すうちに、やがて自分なりのアレンジをつけていく。そうして次第に、「自分」というものを形成していくのであって、最初から誰もオリジナルな個性を発揮する一人前な訳ではない。そして半人前は半人前なりに、「真似」の中から自身のパワーを見つけていけばいいのだ。
 つまり真似こそが世の中の仕組みだ、意味論なんだと、こんなにも古城ありすたち科術師が太鼓判を押している。大肯定してくれる。なんだか時夫は、力が沸いてくるような気がした。
「ロイヤル・ハーグワンの力を、ライトセーバーに込めてください! どうぞ!!」
 雪絵が最後の一押しをした。
 ライトセーバーは無限に伸びていった。
 大雨が降り続ければ、迫る洪水の被害をますます加速させる。今は、目前の敵を倒すことに集中しなければならない。
「やってやる」
 時夫の戦いに、雪絵の協力は不可欠だった。最強の科術師・白井雪絵の力が加われば、時夫の不安は勇気に変わった(恥ずかしい言葉……)。

 かけがえのないあなた
 かけがえのないわたし

 雪絵の心の中の言葉が、時夫のハートに流れ込んできた。
 二人が握ったライトセーバー誘導棒から伸びた稲光は、サンダーバードの全身を捕らえた。稲光は、魚釣りのようにサンダーバードを誘導し始めた。右へ振れば右へ、左に振れば左にと。稲光は網状に広がった。怪物はしばらく、稲光の網の中でもがいていたが、二人がハーグワン・エネルギーを強めたとき、サンダーバードの姿は空の中から消え去っていた。
「やった……」
「やりましたね、時夫さん!」
 雪絵の満面の笑顔が、横で輝いていた。
「さすがですね、時夫クン」
 マズルがさわやかな笑顔で賞賛する。
「ミ、ミッション・コンプリート……」
 疲労困憊でめまいを起こしながら、時夫はフラフラと空中魔法陣の認証を済ませた。
「この流れで行くと、次の認証は雪絵さんですね」
 マズルが、まだ光り輝いている雪絵を見て言った。

七石 ムーンストーン 白井雪絵 恋文セントラルパーク

 恋文セントラルパークが白く輝くと、今度は空が乳白色に変わった。本当に世界が連動して動いている。
「セントラルパークは、雪絵が月光欲をする場所だね」
 雪絵は時夫の言葉に、黙ってうなずいた。
「それは?」
 雪絵は懐からアイスバーを取り出した。
「時夫さんが買ってきてくださったあずきバーです。私、これを武器に戦います!」
「まさか、ずっと持ってたの?」
「はい」
 まぁ、雪の女王雪絵なら、アイスを溶かさないで持っていられるだろうが……。雪絵は時夫の買ったあずきバーを懐に持ち歩いていたらしい。そこにハーグワンのエネルギーを注入すると、するりと伸びた。あずきセーバーが完成した。そのあめ色に輝く紫の剣身は、高貴さをも漂わせている。握りの部分も、ちゃんと剣の一部に作り直されているのに驚く。
 それと同時に、空は猛烈な雪吹雪に変わった。雪絵が雪の女王である事を、時夫はたった今思い出した。
「寒くて敵わん! 雪絵、急いでくれないか」
 高齢者の達夫だけでなく、誰もが早く認証を終わらせてほしい心境だった。ありすやウーらは光弾で暖を取り、時夫はかろうじてハーグワン・エネルギーで常温を維持していたが、限度があった。
 吹雪の中から、大きな爬虫類……おそらくは、伝説の龍の首が出てきた。翼を生やした全長百メートルサイズの全身真っ白な龍。雪絵はその顔つきに見覚えがあったらしい。
「これ……白彩の大糖獣カシラですね。成長して、ドラゴン化してます……。いわば菓子龍、とでもいいましょうか」
「カシリュウ? てことは」
 龍の口がグワッと開き、白銀の光線が吐き出された。
「世界お菓子化光線です! みなさん、避けて下さい」
「なんてこった、また始まるのかっ」
 科術師たちの光弾が、一斉に菓子龍に向かって放たれた。だが菓子龍は消え、反対方向に出現した。カシラ同様の、瞬間移動だ。
「バハムートってヤツに似ているわッ!」
 ありすがそう言って、勝手に名称を「カシムート」に決定した。
「行きますッ。あずき無双、疾風雷光斬りィーーッ」
 たこ焼きやうさぎビームより、はるかにカッコイイ必殺技っぽいセリフと共に、雪絵のあずきセーバーがカウンターでカシムートを切り裂いた。その硬度において、あずきセーバーはカシムートを超えているらしかった。恐るべし。
「…………」
 誰もがやったかと思った直後、真っ二つに裂けたカシムートの中から、紐についた剣玉のような仕掛けが展開し、雪絵に襲い掛かった。虚を突かれた雪絵は、まるでパックマンのように裂けた剣玉の中に閉じ込められた。
「雪絵?!」
 カシムートは、プラナリアのような生命力だ。元は菓子細工で、成分表示は和四盆(ショゴロース)百パーセントと記される、変幻自在生命体ショゴスである。これまでの魔獣たちと異なり、切り裂いたところで、物体Xのように変化して生き延びる。
 閉じ込められた雪絵は、あずきセーバーで切り裂いて脱出した。
「あいつは、私と同じです。一度生まれた以上、もう元のショゴスには戻れません。菓子龍として、カシムートとして生き続けようとします」
 雪絵のあずきセーバーは、マシンガンの形状に変化した。
「私も……ショゴロースで作られたヒトモドキでしかない……だから、あいつの悲しみが伝わってくる。でも、意味論の世界ではモドキが本物の恋をしても、いい……!」
(その通りだ、雪絵)

 嘘だって、続ければいつか本当になる!! そんなの常識!!
 嘘から出た真、そんなの常識!!
 嘘も方便 そんなの常識!!
 好きならその恋は本物なの、好きだから、頑張れるの。そんなの常識ーッッ!!

 時夫は雪絵の一途な想いを聞きながら、涙ぐんでいだ。
 雪絵の中に、真実しかなかったからだ。
 放たれた常識の光弾で、カシムートは粉々に砕け散った。単に砕けるだけではない。常識の意味論によって、不可逆的に普通の砂糖成分に変化し、カシムートが復活することはなかった。同時に、お菓子化の空間も正常化していった。
 そこへ、サリーが油麩剣を持って現れた。焦りを感じているのかもしれない。
「上空へは行かせない。白井雪絵……あんたが私の食料にならないのなら、とっとと死になさい!」
 サリーは油麩剣で雪絵を斬りつけた。だが、油麩剣はあずきセーバーに触れた途端に、砕け散り、サリーは吹っ飛ばされていった。
「あずきバー硬すぎワロタ」
 つい時夫は噴き出した。
 雪絵は無事に認証を済ませた。
「あの様子では、エクスカリカリバーブロートよりも硬い物質かもしれません。……私もぜひ、今度食べてみましょう」
 ドイツパン職人レート・ハリーハウゼンことムニエルは、興味深げに古城ありすに言った。でも、雪の女王・雪絵が持たないと最硬の物質にはならない。

しおり