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夢祓え

 いくつかの種の植物には、悪夢を取り込むという力がある。

 そういった植物の枝葉を用いて、人形を作る。

 マトウは小さな紅い実をつける植物を好んで使った。

 その小さな丸い実を、まるで眼のように人形の頭のところに刺しつけるのだ。

 マトウはそれをする際、無論言葉もなく真面目くさった貌でやっていたのだが、リシは内心、つい笑いそうになるのを必死で耐えなければならなかった。



 人形に、わざわざ眼をつけるなど、幼い少女のようなことをするものだという想いがいつも胸中によぎるのだった。

 それをすることによってマトウが心中密かに愉しみを見出しているものなのか、飽くまで真剣にその眼が必要だと思っているのか、リシには判らなかった。



 出来上がった人形を左手に持ち、右手には柄杓に汲んだ水を持ち、東に向かい立つ。



「オンアビラウンケンソワカ」



 呪を唱え、柄杓の水を一息に空中に撒く。

 その中に、人形を投げ入れる。

 二指を唇に当て、フッと息を吹く。



 すると、人形は水飛沫の中で一瞬焔に包まれ、次には跡形もなく消え失せる。



 これが「悪夢祓え」の法技だ――







「リシ様」







 呼ぶ声にはっと我を取り戻し、リシは目の前の光景を見た。



「リシ様、大丈夫ですか」



 もう一度、呼ぶ声がした。

 リシは視線を下げ、今自分が乗っている馬の背の向こうから頸をこちらに向けている黒い龍の横顔を見た。





「ああ、大丈夫だ、トハキ。すまない」



「いえ」トハキはすぐに前を向き、黒い焔を吐いて天より振り落ちてくる邪鬼どもを焦がしてゆく。





 ――そうだ……これは、夢ではない。





 リシは視線を上に上げた。

 大分数は少なくなったが、それでもいまだ鬼どもは天から降って来る。



 数が少なくなった、ということは恐らく、陰曺地府にて聡明鬼とその仲間――あのスルグーンという、奇妙な生き物、そしてその他にもいるのだろう――が、鬼どもの陽世に踊り出て来るのを止めてくれているのか、片端から十八層地獄へと送り込んでいるのか、しているのに違いない。



 そして恐らく、マトウも――





 ――お遭いに、なれたのだろうか。





 そんなことを、想う。

 お遭いに、とは無論、リンケイとやらいう陰陽師に、だ。

 今マトウはそのリンケイと、陰曺地府にて共に、かつてそうありたいと願っていた通り共に邪な存在を討ち祓い続けているはずだと、陽世にいるリシは思うのだった。



 一体、どんな男なのだろう。

 マトウがそんなにまでも心を留め記憶に抱き続け、或いは恋い慕っていたかも知れぬ者とは――







 マトウの傍に居ろ。







 突然、胸が苦しくなる。

 リシの息が乱れたのを敏感に悟ったトハキが、龍の頸を素早く振り向ける。



「大丈夫だ」リシは片手を挙げ頷いて見せた。





 ――聡明鬼――





 マトウは今、リンケイと共に在るのだろう。

 だが今自分は聡明鬼と共には在らず、独りで闘っている――否、独りではない、それは解っている、けれど――



 ――いつか、また……



 幾度心の中で唱えたか知れぬ言葉を今一度唱える。

 それでも心の中にぽっかりと開いた黒い穴は、塞がらないのだ。

 そんな事を考えているときではない、そう自分を律することも、今まで幾度となく繰り返してきた。

 だが気づけばいつしかまた、その想いがリシの中に蘇り片隅に居座っているのだ。





「水のある所に、降りましょうか」





 トハキが、そう言う。

 リシは顔を上げるが、黒龍馬は前を向いたまま飛び続けている。



「いや、良い」リシは首を振り、大きく息を吸って吐く。「すまない、大丈夫だ。このままで」



「はい」トハキは従う。



 そうだ、トハキはこんな自分に従ってくれている。

 そんな立派な従者に比べ、自分はなんと情けない主であることだろうか――



 リシはぎゅっと眉をしかめ、眼を閉じまた開けた。





「行こう」





 少なくなったとはいえ、無法に陰曺地府から取りこぼれて来る鬼がいなくなったわけではないのだ。

 聡明鬼たちのやってくれた仕事の、いわば後始末を、ここ陽世ではリシらが片付けなければならない。





 悪夢祓えが必要なのではない。

 これは、夢ではないのだから。





          ◇◆◇





 突然に、それは現れた。

 最初は、真っ白な光だと思われた。





 眩しく、温かい。





 龍馬たちはその瞬間、眼を閉じなければならなかった。





「な」再び眼を開けた後最初に声を挙げたのは、リョーマだった。「なんだ、これ?」



「どうしたんでやすか」ケイキョが、リョーマの馬の背の上から訊く。



「何だろう」フラが茫然と呟く。



「何がでやすか」ケイキョがまた訊く。



「何か」トハキが誰にともなく答える。「急に……現れた」



「何が?」ケイキョは鼬の眼を真ん丸くして問いを繰り返すばかりだった。



 だが龍馬たちは、そこにはいない“もの”を、その時見ていたのだ。

 龍馬にしか、わからない。

 たとい精霊王であっても、ケイキョには見えぬのだ。





 真っ白な、龍馬。





 何処かに、それは降りて来た。

 直接に、その姿が見えるのではない。

 だがその体躯の色と眩さと温もりとを、龍馬たちは今、感じ取っていた。

 突然に、それは感じられたのだ。







「ナーガ……様」







 喉の奥から搾り出すように、トハキがその名を呼んだ。



「ナーガ様?」フラが訊き返す。



「ああ」トハキは遠くを見つめながら答えたが、その後すぐに黒き焔を吐き、天から降ってきた鬼をまた黒焦げにした。「この気配は、ナーガ様のものだ」



「ナーガ様って」リョーマが、声を震わせる。「聡明……鬼?」



「聡明鬼さんがどうかしたんでやすか?」ケイキョがきょろきょろと龍馬たちを見回す。



「どうしてナーガ様の気配が判るんだ」フラが訊き、その後フラもまた紅き焔で鬼を焼いた。「トハキ、お前には」



「マトウ様が身につけておられた碧玉と同じ気配だからだ」トハキは答える。「上天に関わりのある龍馬といえば、龍神ナーガ様に他ならない」



「碧玉の」

「気配?」

 フラとリョーマは揃って驚きの声を挙げる。



「お前たちには判らないのか」トハキはちらりと横目で二体の龍馬を見た。



「悪かったな」フラがそっぽを向く。「判らなくて」



「けど」リョーマは首を振る。「どうして龍神が突然……?」



「わからない」トハキも首を振り、その直後馬の尾をぶんと振ってリョーマの体に取り付こうとした鬼を叩き落とした。「お前、闘いに気を向けろ」



「ご主人様に」しかしリョーマの心は今、別の世界に移ってしまっているようだった。「リンケイ様に、何かあったのかも」



「陰陽師さん、でやすか?」ケイキョがその名の主を確かめる。「何か、って」



「――」リョーマは空中で身をくねらせることも焔を吐くことも、すべて忘れてしまったかのように茫然と浮んでいた。「陰曺地府で」



「――」ケイキョが息を呑む。

 まさか、だ。

 あの陰陽師に限り、そんな事のあるわけがない。

 鼬の首を振る。

「大丈夫でやすよ」ケイキョは声に力を込め従者を励ます。「聡明鬼さんがきっと――」



 だが今、その聡明鬼がもはや聡明鬼ではなくなっているらしいという事を、この龍馬たちは話しているのだ。

 それに思い至り、ケイキョはまたしても息を呑んだ。



 それであれば――聡明鬼が聡明鬼ではなくなっているというのであれば、陰陽師が陰陽師ではなくなっているということも、あるのかも知れない。

 しかし生きた人間として陰曺地府へ行った陰陽師が、陰陽師ではなくなったということは、つまり――



「――」



 鬼に、なったのか。

 ケイキョにはその言葉を口にすることができなかった。

 リョーマも或いは同じことを思っているのだろう、しかしリョーマのその考えは、すべての者から否定されるべき考えなのだ。

 リョーマはそう、望んでいるはずだ。





「おれ、陰曺地府に行く」





 リョーマが、震える声でそんなことを言う。

「リンケイさまを助けに行かないと」



「リョーマ、さん」ケイキョは馬の背の上で小さく呼び止めた。



 無論、龍馬が――聡明鬼以外の龍馬が、陰曺地府へなど行けるはずがない。

 けれどそれを今口にすることは、やはりケイキョにはできなかった。



「ばか言ってる時じゃないだろう」代りに、フラが怒鳴る。「今のお前の主人はケイキョだ。ケイキョに行くなと言った癖に、なんでお前が陰曺地府へ行くなどと言うんだ」



「――」リョーマは雷に打たれたように体を強張らせた。



「前を見ろ」トハキも口を添える。「今、お前がなすべき事は何だ」そう言い終わらぬ内から黒龍馬は火を噴き鬼を焼き落とした。



「――」リョーマは微動だにせず、言葉もなくしていた。





「リョーマ」





 声を掛けたのは、リシだった。

 リョーマが顔を挙げる。



「信じて待つんだ」リシは続けた。「私もそうしている」



「――」リョーマはしばらく陰陽師見習いを見ていたが、やがて頷くと、ひと際大きく体をくねらせ、ごう、と焔を吐きながら前へ飛び出した。





 ――そうだ。





 鼬は思った。



 ――信じて、待ちやしょう……リョーマさん。



 言葉の代わりに主は、従者の馬の背を尻尾で軽くとん、と叩いた。





          ◇◆◇





 閻羅王は、白龍馬がそこに現れたのを知っていた。

 鬼差が顔色を変え駆け込んで来るよりも前に、その報せを聞くよりも先に、すでに知っていたのだ。



 最初は、玉帝がここに来たのかと思った。

 だがまさか、とそれを打ち消した。



 そしてすぐに悟った。

 これは、玉帝と同じ色を持つ者だと。

 玉帝そのものではないが、玉帝と関わりのある者――或いは玉帝にごく近しい者、例えば――



 兄弟であるのかも知れぬと。



 そしてすぐに、何故それが突如としてここ陰曺地府に現れたのか、悟った。

 それは龍神ナーガ、つまり聡明鬼に他ならぬと。

 では聡明鬼はもはや鬼ではなくなったのだ、つまり打鬼棒に打たれて。





 すべてが一瞬の間につながったのだった。





 そして今、閻羅王は陰曺地府の暗い空を飛び回る白龍馬を窓から眺めていた。





「龍駿よ」





 低く、呼びかけてみる。





「お前は自分を鬼だと言い張っていたが」そう言って、にやり、と笑う。「今こそ己の正体を知ったな」





 リューシュンは閻羅王の呼びかけに気づく素振りも見せず、怒りに任せてあちらこちらへと碧色の焔を吐きながら翔ける。

 そうかと思うと馬の尾をしならせ、地上のテンニを締め上げんとする。

 テンニも刀を振り、薙ぎ払い、簡単には触れさせない。

 打鬼棒は尚も刀から伸びる鎖で空を跳び、向かってくる鬼も逃げていく鬼も次々に血と変えていく。

 コントクとジライも三叉で打鬼棒を叩き落し叩き返しして、息つく暇もなく闘っている。







「どら」







 閻羅王は窓に背を向け、戸口の方へと向かった。



「閻羅王様」

 鬼差が驚いて叫ぶ。

「外は危険です。どうかここにお留まり下さい」





 閻羅王はじろり、とその差管を見下ろした。

 鬼差は、自分が閻羅王の逆鱗に触れることを口走ってしまったのだと思い、目を白くさせ息をすることを忘れた。





「危険、じゃと」





 閻羅王は静かに問い返した。

「この儂にとって危険なものとは、この世にもあの世にもただ一つしかない事を知らぬと見えるな」



「も、申し訳ございません」鬼差は声を裏返して叫んだ。「閻羅王様、私は決して、決して」



「よく見ておけ」

 閻羅王はそう言い残し、森羅殿から出て鬼どもの阿鼻叫喚に沸き立つ陰曺地府の大地に立った。

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