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降妖師対降妖師

「これは」コントクは立ち竦んだ。



「やはりな」ジライも立ち止まり、その往来の凄惨な光景に眼をすがめた。



 彼ら兄弟は今、血塗られた町に辿りついていた。
 すなわち建物に、道に、そこら中に血の跡がついている町だ。



「テンニが、ここへ来たのだ」コントクは弟とともに予測したことを口にした。



「ああ。打鬼棒を持って」ジライも兄の言葉に頷いた。



「降妖師、あの悪鬼は何処に」コントクは辺りを見回した。



「テンニ」ジライは声を限りに叫んだ。「どこにいる。出て来い」



 だが返事はなかった。



 土地爺と降妖師の兄弟は、しばらくきょろきょろと首を巡らせていたが、既にテンニは他へ姿をくらましたのだと察し、互いに顔を見合わせ首を振った。
 町中にはもはや鬼の姿はなく、ただ茫然と力なくへたり込み泣き叫ぶことすら忘れてしまったかのような人間たちがそこここに見えるだけだった。
 鬼どもはすべて血となって流れたか、天心地胆から陰曺地府へと逃げ戻ったかしたのだろう。



「兄さん、どうする」ジライが振り向き言った。「聡明鬼や陰陽師と合流して策を練るか」



「──ああ」コントクは肩を落とし気味にして答えた。



 本心を言えば、あの恐るべき打鬼棒と直に対峙せずにすんでほっとしている所もある。
 自分は弟とは違い、鬼の身だ。
 打鬼棒は、やはり怖い。
 だがそれは、口が裂けても言えぬ感情であった。




「兄さん」




 弟が叫ぶ。
 はっとして顔を挙げたのと同時に、コントクは羽交い絞めにされていた。




「うぁ」




 次に視界に入ってきたのは、打鬼棒の先端だった。
 それは自分の鼻先に真っ直ぐに向けられ、鎖でぐるぐる巻きにされており、その鎖の上から真っ黒に焼け焦げた手がそれを握っていた。



「テンニ」弟がまた叫ぶ。「兄さんを離せ」



「俺の体を治せ」黒焦げの手の主は、コントクの耳の傍でコントクの弟にそう言った。「でないとこいつを打つ」



「きさま」ジライは歯噛みした。



「ジライ」コントクは、恐怖に喉首を締め上げられたような声でありながらもきっぱりと言った。「こ奴の言うことになど耳を傾けるな」



「ほう」テンニが言い、打鬼棒をぐいっとコントクの鼻先間近に引き寄せる。



 ひ、とコントクの喉が鳴る。



「やめろ」ジライが悲鳴に近い声で叫ぶ。「お前を治そう。だから兄さんを離せ」



「ジ、ラ」コントクは弟を制止しようとするが言葉が出てこない。



 体も凍りついたように動かせない。
 もしぴくりとでも動いたなら、そしてテンニの手の位置がほんの少しでもずれたなら、次の瞬間自分は血となるのだ。
 動いてはいけない--
 そう思えば思うほど体は震え、何故か前のめりになり打鬼棒の先端へと自ら触りに行ってしまいそうになるのだ。
 自分に制止をかけようとする思いが自分の意識を奪い、昏倒しそうになる。




 ──あいつなら……聡明鬼なら、どうするのだろうか。




 不意に、そんな想いが頭をよぎる。
 無論聡明鬼であれば、今このような状況でも果敢に降妖師の手を振り解き、恐れもなく打鬼棒に立ち向かって、そしてあいつならば、勝つのだろう。



 だがそれは、聡明鬼だからこそだ。
 自分はあいつほどに強くない──



 コントクの頭はますます錯綜した想いにかき乱され、立っているのも困難なほどに眩暈と吐き気が襲った。




 ──ああ、もう打たれて消えた方が、楽なのではないか──




 ついに土地爺の胸にはそんな想いまでもが浮かび上がってきたのだ。




「少し待て」ジライが懐から朱砂を取り出す。「これに術を施し、お前の火傷を癒してやる」腰に下げた巾着から別の包みを取り出し、中の黒い粉を朱砂に混ぜる。



 テンニは焼け焦げた顔で眼だけを白く不気味に光らせながら、その様子を瞬きもせず見つめた。




 ──ジライ、やめろ──
 ──いや、ジライ、早くしてくれ──




 コントクの中で、相反する二つの叫びが挙がったが、そのどちらも土地爺の口から外に出ることはできずにいた。




「それは本当に、儂を治すためのものなのだろうな?」テンニが低く訊ねる。



 ぴたり、とジライの手が止まる。「無論だ」手元を見たままで、弟は答えた。



「まさか、逆に儂を封じるためのもの、例えば定身砂の類なのではなかろうな?」テンニはまた訊く。



「違う」ジライは顔を上げ、叫ぶように言った。「そんなものではない」



「ではまず試せ」テンニはすかさず言った。「この土地爺に、その砂をかけてみよ」



「──」ジライは固まった。



 くくく、とテンニの喉が笑いに震える。「ばか正直な男よ」



 ジライはそのまま何も返すことができず、焦燥の顔でテンニを睨み返すのみだった。



「まあいい、貴様ら揃って亡き者にした後で、貴様の法具を漁れば何か役に立つものが見つかるだろうて」テンニはそう言い、ついに打鬼棒を頭上に振り上げた。



「やめろ」ジライが声を限りに叫ぶ。「テンニ、お前を治す、だから」



 耳を傾けもせず、テンニは手に持つ棒を振り下ろした。




「うわあああ」ジライが声を裏返して悲鳴を挙げる。





 ──ああ、俺はここまでなんだな。





 コントクは眼を閉じ、そう思った。
 そしてそれが、自分の思う最後の想いなのだと思った。
 最後に聞くのは、弟の悲鳴だった。
 悪いことをした。
 もっと、弟を悦ばせることをしてから消えたかった。
 悲鳴などではなく、弟の笑顔を見て、笑う声を聞いて、そして消えたかった──







「ぐあああ」







 悲鳴がまた聞えた。
 それは弟のものではなかった。 
 眼を開ける。




 そこにあった打鬼棒は見えなくなっていた。
 眼を見開く。




 茶色の長い尻尾が空中を撫でるように横切っていった。
 それから音もなく地に降り立ったそれは、しなやかに身を捻りくるりと振り向いた。




 ケイキョが、打鬼棒をテンニの手首から先ごと、牙の下に咥えて立っていた。

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