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陰陽師対降妖師

 --うん?




 ケイキョは、恐らく独り、それに気づいていた。



 元降妖師テンニが、すい、と背を向け森羅殿から出て行くところをだ。




 --閻羅王に、用があったんじゃねえんでやすかい?




 気づかれぬように、そっとその背を眼で追う。




 --まあ……今は、テンニの話どころじゃあないでやしょうけどね。




 それからケイキョは少し考え、それから自分もそっと席を離れた。



 狙い通り、自分の挙動もまた今のこの場では誰にも気にも止められなかった。




 森羅殿を出て少し歩いた後、ケイキョは鼬の姿に戻った。
 万一見つかったとしても、元の姿の方が逃げ足が速い。
 天心地胆の在り処を眼に留め気に留めしながら、ケイキョはテンニの後をつけた。




 テンニは、キオウの棲家に乗り込んだ。
 ケイキョは冷や汗を掻いたが、そこには誰も--キオウも、その妻のスンキもいなかった。




 --陽世の、陰陽師さんの所へ行ったんでやしょうね。




 鼬はそう推測した。




 そしてテンニも、天心地胆から陰陽界へと出て行ったのだ。




 --これ、は。




 ケイキョは、聡明鬼ならば大丈夫だと自らに言い聞かせ、大急ぎで陰陽師の元へ戻ることにした。




 ざああああ




 風の音の中を、鼬はすべるように駈けた。
 天心地胆に、そのまま勢いよく飛び込む。




「ケイキョ」最初にリョーマが、元気よく呼んだ。「さま」仔犬の姿のままだ。



「陰陽師さんはいやすか」鼬はすぐに訊ねた。「ここに、あの降妖師のテンニってえ奴が来やせんでしたか」



「テンニ? いや、来ていないが」背後から声がし、振り向くと陰陽師が立っている。



「そうでやすか」



「テンニは、捕われて……処刑されたか」陰陽師は訊く。



「へい」鼬は頷く。「森羅殿にやって来やしたが、また天心地胆を抜けて行ったんで、ここに戻って来る気だとばかり」



「ふむ」リンケイは親指で唇をなぞりながら、辺りに眼を遣った。「あ奴がここに来る目的としては……」鼬を見る。「打鬼棒だな」



「あ」ケイキョは鼬の首を伸ばした。「そうか……それを持って、陰曺地府に戻る気でやすね」



「沼だといったな」リンケイは歩き出し、すぐに走り出した。「行こう。ケイキョとフラも来てくれ。リョーマ」



「はい」仔犬は叫びながらリンケイの足許に素早く追いついた。



「ジライとコントクを連れて来てくれ」




 リンケイが走りながら二指に息を吹くと、仔犬はたちまち空に飛び上がり巨大な龍馬の姿に戻った。




 沼は、静かだった。
 水面には木々から落ちた枯葉が浮かび、ゆるやかな風に吹かれて微かに揺れている。



 リンケイは水辺に佇んでしばらく様子を見た。
 息を整えつつ、腰の鞘から斬妖剣を抜く。



 斬妖剣で、鬼は封じられない。
 だが打鬼棒で、自分を封じることもできない。



 ふう、と息を吐きながら眸を左右に動かす。




 妖魔のそれほど鮮明に感ずることはないが、鬼の持つどす黒い“気”が、水面からこちらを伺っている。
 確かにテンニはいるはずだ。



 斬妖剣を、正眼に構える。




「けど」ケイキョが、沼の水に用心深く鼻先を近づけて疑問を口にした。「テンニも今となっちゃあ、鬼でやしょう。打鬼棒に触っちまったら、奴自身が血になって流れちまうんじゃないんでやすか」



「ああ」リンケイはぐっと腰を沈めた。「だが、そこをどうにかする手法を思いついたからこそ、取りに戻ったのだろうよ」




 音が止む。




 さ、と風が鳴る。




 ゆら、と木の葉が揺れる。




 右に、左に、また右に--







 ざん







 水が割れ、次の瞬間テンニがリンケイの眼前に居た。







 ぎん







 斬妖剣が、襲い来たる刃を阻み軋む。




 リンケイは、その刃を見た。
 それは打鬼棒ではなく、生前のテンニが手にしていた今ひとつの得物、鎖のついた刀であった。
 聡明鬼により蹴折られたはずの刃は元通り柄からすらりと伸びている。
 打鬼棒と違い普遍的な武器であるから、別に調達したものかも知れない。




 --そうか。




 瞬時に悟る。
 直接打鬼棒を手にしたのでは自らが血となって流れてしまうが、この刀の鎖で巻いた上で操れば、問題なく打鬼棒を繰れるのだ。



 次の瞬間、その鎖が打鬼棒をからめ込んでリンケイめがけ右手から飛んできた。



「く」



 リンケイは肩を左に開き、右肩の骨を犠牲にして打鬼棒を受ける覚悟を決めた。




 だがそれはリンケイに届かず、寸前でフラの牙によって弾き飛ばされたのだ。




「フラ」呼ぶ。



「あんたに加勢する義理は、ないんだけどな」紅き焔を吐く龍馬はぶつくさ言いながらも、巨大な尻尾でテンニの身体を打とうと風を切った。



 だがテンニはすんでのところでリンケイを圧していた刀を引き、跳び退った。



「キオウ様が、もうすぐここに来る」フラはテンニの動向を睨みながら言った。「それまでにこいつを、始末しておきたい」



「キオウが?」リンケイは訊き返した。



「ああ。スンキって人も、一緒に」



「スンキも……そうか」リンケイは、何か重要な情報が得られることを期待し眸を輝かせた--とはいえ先刻の、玉帝からもたらされた情報に勝るものであるかどうかはわからないが。「ではお前の言う通り、早いところこの者を始末してしまおう」



「抜かせ」テンニが叫び鎖を放つ。



 リンケイは瞬時に横跳びに避けた。
 背後から戻りざま打鬼棒が刺さらんとする。
 斬妖剣がそれを打ち落とす。
 だが得物は水面に落ちるかと思われた刹那、再び鎖によって引き戻されテンニの手に握られた。




 ごう


 フラが、水面の上をなぞるように焔を吐く。
 テンニは跳んだが、焔の延びる方が速く、鬼の衣ごと燃え上がった。




「うが」




 テンニは熱さに悲鳴を挙げたがすぐに水中に沈んだ。



 リンケイはざぶざぶと水の中に入り込んだ。




 きな臭い匂いが辺りに立ち込める。
 水面は少しずつ波を抑えてゆき、やがて呑み込んだもののことなど忘れたかのように静寂さを取り戻した。



 リンケイは水面同様動きを制したまま、変化の兆しを待った。




 だが、動きはまるで見えてこない。




「--ケイキョ」やがてリンケイは、剣を構えたまま唇だけを動かし鼬を呼んだ。



「へ、へい」草葉の陰に隠れていた精霊はそろりと首を覗かせた。



「よもやと思うが」陰陽師は低く訊いた。「水中にも、天心地胆というのは存在するのか」



「あ」鼬はがさ、と陰から出てきた。「へ……へい」



「そうか」リンケイは剣を下げ、沈めていた身を起こした。「逃げられたか」



「す、すいやせん」ケイキョは水辺に来てうな垂れた。「うっかり、忘れていやした」



「まあいいさ」リンケイは剣を鞘に収めた。「奴が人だった時と鬼となった今との合わせて二度、この斬妖剣で斬ることになるのかと、なかば面白く思ってはいたがな」



「--」鼬は言葉もなく陰陽師を眩しげな眼で見上げた。




「ここにいたのか」




 声がし、振り向くと模糊鬼とその妻とが並び立っていた。




「キオウ。スンキ」リンケイは呼び、微笑んだ。「来たな。フラの言った通りだ」



「フラが?」キオウが訊く。



「御主人さま」フラはいつの間にか黒犬の姿になっており、主人の足許に伏せた。「お待ちしていました」



「そうか。気配を感じていたか」キオウはしゃがんでフラの頭を撫でた。



「何か、面白い話を持ってきてくれたのだな」陰陽師は笑顔で実のところ楽しそうに訊いた。



「ああ」キオウは少しだけ苦笑した。「面白いと思ってもらえるか、だが……聡明鬼は、元は龍の神だったのではないかと思う」



「龍の神?」リンケイの笑顔が、真面目な顔に変わる。「聡明鬼が……上天にいた頃か?」



「知っているのか」今度はキオウの方が真面目な顔に変わる。「そう、伝説のナーガだったのではないかと思うんだ。スルグーンが鳥の神、ガルダで」



「スルグーンが」リンケイは眸を横に向け、何かを思い出している様子を見せた。「なるほど……その二者がかつて、敵対していたというわけだな」



「ああ」キオウは頷く。「だがガルダが謀反を起こし、ナーガをけしかけ上天を焔で焼かせた」



「青龍塔を」



「そこまで知っているのか」キオウはまた笑った。「俺がわざわざ来る必要もなかったな」



「そんなことはない」リンケイは首を振った。「あいつが龍神ナーガだった、とは……さすがの俺にも、考えが及ばなかったよ」



「ただ伝説を当てはめただけだ」キオウは肩をすくめた。「しかし聡明鬼は、そんな素振りも見せたことはない……焔を吐いたこともないしな。恐らく、自分が龍神だったなどまるで知らないんだろう」



「ああ」リンケイは深く頷いた。「あいつは、三年前より昔の記憶を持っていない」



「なんですって」スンキが驚愕の声を挙げた。「三年、前……ということは、土地爺になる、前の」



「そう」陰陽師は鬼の妻に向かって頷いた。「土地爺になる前の記憶を、あいつは持っていない」



「ではいよいよ、それ以前は上天でナーガと呼ばれていたという話にも、真実味が出てくるな」



「うん」リンケイは頷きながら、何か思索めいた光をその眼に宿していた。



「その聡明鬼さんでやすが」ケイキョが大地の近くから声をかける。「大丈夫でやしょうか。テンニが打鬼棒を持って陰曺地府へ行っちまいやしたが」



「なんだって」キオウが驚く。「打鬼棒を……けど、どうやって」



「鎖に巻いてな」リンケイが説明する。「だが聡明鬼ならば問題ないだろう。一度打鬼棒を見ているしな。閻羅王も、打鬼棒についての知識は流石に持ち合わせているだろう。今いちばん危ないのは」沼を見遣る。「スルグーンだ」




 沼は水面に光を散らし煌いていたが、その底は暗く、何が存在するのかまるで見えなかった。

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