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第31話 パン豪小説・天然酵母流

 その、堅い樫(菓子)の木のような黒光りしたドイツパンはゴトリと音を立て五人の前に置かれた。

 どんより横丁は、上を見上げると空がどんよりとしていた。まるで電柱の一本にでもなったように、雪絵は街中に突っ立っていた。青白い顔はますます青白く、ぴくりとも動かない。元気をなくした死んだような目つき。本当に、「モノ」になってしまったようだ。時夫は両肩を掴んでゆすった。
「雪絵! 雪絵!」
 すると、ぼんやりとした顔で雪絵は時夫を見上げた。
「とき……お、さ」
 乾ききった紫色の唇がモノを言おうとしている。
「こんなところで何を。今までずっとここに? もし女王に捕まったら」
「……だって」
「こんなところに突っ立って。寒かっただろ」
「町中の佐藤さんが誘拐されて砂糖になっている。この町の電柱にさせられたりしている。私にも一因があるのかもしれない。だからわたし、いっそ電柱になろうと思った」
 この町で思想統制が起こっていた。逆らえば電柱にさせられるのだ。だからなのか、すでに雪絵の足は石化していた。これは女王の魔学かもしれない。いや、女王に見つかったらこんな所に放置されているわけはない。
「私は、ものだから。私は人形だから」
「いいや、君はもう人形なんかじゃない。ありすが言ってた。いったん、愛情を注がれた以上、人間に近づいていっている。さ、行こう。足はありすの漢方薬で治してもらえばいい」
「おぃ! お前、何やってんだ。ウチの看板に勝手に話しかけるな」
 真っ赤なナポレオンハットをかぶった小太りのパン職人が勢い良く飛び出てきた。年齢は五十代くらい。顔は眉が釣りあがった大村益次郎みたいで、赤ら顔に目がらんらんと光っている。良く見ると雪絵が立っていた場所はパン屋の前だった。黒を貴重とするシックな和装、武家屋敷のような瓦屋根のせいでそれとは気づかなかったのだ。店内を見るとずらりとうまそうなパンが並んでいる。
「彼女は僕の知り合いだ。……失礼します」
 面倒なことに巻き込まれそうだった。女王の配下なのかどうかは分からない。だがこの格好からして、只者じゃないことは確かだろう。
「待てぃ。その手を離せ」
 褐色のパン職人の右手には、巨大なフランスパンが握られている。やや細身ながらその長さは百五十センチは下らない。
「この子はこの店の看板じゃない」
「そんな事は知らんがもうウチの看板だ。この看板のお陰で、ウチの売り上げは倍増してるんだ。邪魔立てするなら斬るぞ」
 一振りするとヴン!と空気を切り裂く音が唸った。本当にこれはフランスパンなのか。そう思うほどの重量感が感じられ、見た目はもうほとんど木剣みたいだった。もし殴られでもしたら、ただじゃすまないだろう。
「そっちこそ待ちなさーいッッ」
 後ろから血相変えた古城ありすが現れた。ようやく着替えて追ってきたらしい。ウーみたいなホットパンツを履いたありすは、ずいぶんと軽装だった。普段着にしてるゴスロリチックな黒ドレスを洗濯して、他に着るものがなかったのかもしれない。しかし問題はそこではない。ありすの手に握られている真っ黒な長いパンの方である。一見ソーセージパンのようだが、一メートル二十センチほどで、刀の鍔に当たるクッキーまでついていた。何時の間にこんな業物を。
「金時君、下がって」
「ほほぅ。小娘。少しは楽しめそうだな」
 小柄な店主はありすより小さかったが、重心を低くしてその長大なフランスパンを構えた。またしても石川ウーの姿が見当たらないが、一体今何処にいるのだろう。
「えぇいッ!」
 ありすの方から斬りかかった。空中でパン同士の剣先が衝突し、火花が飛び散った。時夫は確信した。こんなものはパンじゃない。両方とも完全なる凶器だ。超合金製か? 少なくとも金属で出来ているに違いない。そしてどちらもとんでもなく重い。すでに、古城ありすは何故か冷や汗だらだらだった。
「ムム……お主やるなー!! 何流だ!」
 こんな戯言をいう余裕はあるみたいだが。
「見ての通り、フランスパン工房・お菓子なパン屋さんブーランジェ……。巌塩流よ!」
 店主の口許がにやけていた。良く見ると旅館然とした一枚板に、豪快な筆文字で「お菓子なパン屋さん」と書かれていた。こいつは一体何を言っているんだ。こっちが本物の看板じゃないか!
「お菓子なのかパンなのか、はっきりしなさい!」
 その文字の横に、「六角形に蜂の頭」のマークが刻まれているのを時夫は発見した。
「このアルティメット・バゲットと一太刀交えて欠けなかったとは、初めて出会ったパンだよ! ところでお嬢さん。そういうお宅は?」
 パン同士でちゃんばらなんて聞いたこともないが、アルティメット?
「天然酵母流。……ドイツパンの千代子とレート!」
 まじめに答えたありすの方は「アイアンロングブロート」と名づけられたパンで再び斬りかかった。
「ドイツパン? フフフ、ドイツパンとは聞き捨てならんな。ここであったが百年目。この剣は別名物干し竿。ツバメ返し!」
 店主のアルティメット・バゲットが下から切り上げ、また振り下ろされた。瞬時の出来事だった。
「キャアアッ!」
「ありすっ!」
 ありすの持ったアイアンロングブロートは、剣身が真っ二つに砕けていた。ありす自身は三メートル後方に吹っ飛ばされている。
「ダメだぁあのパン、堅すぎる!」
「まさしくドイツ野郎は我が不倶戴天の敵。だが所詮その堅さにおいて、ドイツパンはフランスパンの敵ではない。不肖、革命通の我輩、不思議有栖市のパン屋というパン屋に軍という軍を送り込み、この町に革命を起こすのだ。我が辞書に不可能の文字はない。フハ、フハハハ!」
 お前日本人だろ。そんな評価基準でパンを食べ比べた事はなかったが、しょうゆ顔の店主がアスファルトをバゲットの剣先でガツンと打ち付けて仁王立ちすると同時に、時夫はありすの手を取ってその場を退散した。
「おとといきやがれィ!」
 店主はありす達の背に向かって盛大に塩を投げつけた。力士か! どうやら「巌塩」をすりつぶした塩らしい。
「巌塩流か……ヤバいわね」
「雪絵を置いてきてしまった! クソッ。まだ奴は、雪絵が何者か知らないみたいだ」
「あの店……来たのは始めてだったけど、シャッターガイの話を聞いてピンと来た。新たな敵の橋頭堡みたいね。それで着替えるついでに味方の店に寄ったのよ。実際行ってみて困ったわ。あそこじゃ、あたしの科術が働かない。白彩と同じ、魔学の特別な結界が敷かれている。あんなものが町中に増えたらたまったもんじゃない」
 「蛾蝶蛾ァ蛾ァ」も、秘儀・「無限たこやき」も封じられ、一体どう戦うのか。
「正式名称は、『蝶声投入』っていうのよ」
「そうなのか、で、どうする」
「もう一度、千代子とレートへ行くわ」
「ドイツパンの店に?」
「そうよ。腕利きのパン鍛冶職人よ。……もっと強力な武器を作ってもらう」
「雪絵を取り戻さないと、もし敵が気づいたら。急ごう」

「何ですと。では敵はアイアンロングブロートを破壊するほどのパン剣を?」
 身長百九十センチの四十代のドイツ人店主レート・ハリーハウゼンは来日十年、半年前に習志野からこの伏木有栖市に越してきたという。シャツに書かれた文字は、大和魂を宿しているつもりなのか漢字だったが、なぜに「日本海」?! どうした、何があった? その横に、謎の笑顔マークの缶バッジが着いている。習志野といえば、第一次世界大戦時にドイツ捕虜の収容所があり、日本のドイツ文化発祥の地とされる。この店でも日本の正統派ドイツソーセージたる、習志野ソーセージが置かれている。レート氏はきれいに整えられた茶色の口ひげを蓄え、こちらはちゃんとしたパン職人の制服を着ていた。小柄な日本人夫人の千代子夫人が紅茶キノコを運んできた。そしてピンクジャージに着替えた石川うさぎが丸テーブルに座っていた。
「おいしいよ。この昆布茶~」
 いつもながらウーはのんきだ。ウーがひょいひょい摘むチョコレートにありすは目の色変えた。
「コンブーハーですよ」
 千代子夫人がにっこり笑って厨房に消える。この店は店名の通り、ドイツパンをメインに、ドイツのチョコレート菓子も扱っている。若いバレリーナ達を描いた絵画が壁にかけられ、静かなクラシックが流れる正統派のドイツパン屋だ。硬い、さすが硬い。質実剛健を旨とするドイツ人らしいといえばらしい。
「遂に、開発したというのか……」
 レート氏は呆然とした顔で毛むくじゃらの腕を組み、沈黙した。
「レートさん。私もあの店のこと、強引な商法をしているパン屋だって聞いたことがあるだけで、知っている事はそれだけなんだけど。あなたが知っている事、詳しく教えて」
 白彩に警戒して恋文銀座に近寄らないでいる内に、ありすの知らないことが増えていた。千代子とレートを訪れたのも久々だった。するとレート氏は口ひげの下の重い口を開いた。
「私も知ったのはごく最近です。あの『お菓子なパン屋さん』は、パン屋の市内制覇を目指している。『我が辞書に不可能の文字なし』などと叫びながら、伏木有栖市のパン屋というパン屋に極端に堅いバゲット剣で殴り込みをかけ、他のフランスパン屋をその堅さで圧倒。逆らう者は閉店に追い込み、恭順する者は次々系列店にしていると私共の業界で噂の武闘派パン屋です……」
 むりやりドイツパン屋からフランスパン屋に宗旨替えさせられた店もあるという。
「堅けりゃうまいってわけじゃないんだけどね……」
 事態は、この恋文町だけに留まらないようだ。
「はい。しかしどのジャンルにもマニアというものは居るもので、ハード系パンマニアの彼らは言います。パンにおける堅さは、ダイヤモンドにも勝る価値だ、と。当然、やつらは私の店にも来ました。特に『お菓子なパン屋さん』はフランスパンという事もあって、私共のドイツパンに格別なライバル意識を持っていました。その時に撃退したのが、ありすに託したアイアンロングブロートだったのです」
 ドイツパンも結構堅い。
「その時は、敵はアルティメットとかいうの持ってなかった訳か」
「はい。以来、ここには姿を見せていません。おそらく敵も改良に改良を重ねたのでしょう。ですから、いずれ襲撃してくるでしょう」
「あいつ、ナポレオンみたいなハットをかぶっていた。他流試合をいとわず、世界征服をたくらむナポレオン気取り。つまりパン皇帝って訳ね」
 だが、市内征服に気を取られ、店先に立っている白井雪絵が女王の所望するスイーツドールである事に気づいていない。灯台下暗し。
「コンビニのシェア争いじゃあるまいし」
「いいえ、奴はコンビニよりも多く店舗を町中に増やそうとしています」
 すなわち敵基地だが、コンビニよりパン屋が多い町って、珍百景すぎるな。
「お菓子なパン屋さんって名前がかわいいな」
 ウーが茶々を入れる。
「それで、頼みがあるんだけど協力してくれない? もっと堅いパンが必要なのよ」
「……分かりました。ドイツパン鍛冶職人の名誉にかけて、敵を打ち破るパン剣を作ってみましょう」
 彼もフランスパンに対するライバル意識は相当なものだ。三人は厨房に入らせてもらった。雪絵を取り戻すべく、新たなパン作りが始まった。
 ドイツパンはブロートと呼ばれるライ麦パン、すなわち黒パンが主である。他にも小麦粉のパンなど豊富な種類があるパン王国だが、ライ麦パンの特徴はグルテンがないので堅くなり、すっぱみがある事だ。そこに干しぶどうや胡桃などを入れた、どっしりとした重量感のあるパンが多い。当然、ドイツといえばソーセージだが、ソーセージパンも種類が多い。わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい!
「ハリーハウゼンさん。ちょっと気になることがあるんだけど、時夫ん家の近くに小さな森があってさ」
 ウーの質問にレート氏の腕がピクッと動いたのをありすは見逃さなかった。
「そこの敷地を持っているのが伊東一糖斎っていうんだけど、なんか知ってる?」
「なぜそれを?」
「……うん、あの森の中って不思議な生物がいろいろ居てね。ニホンカモシカとか、鰐とか、千葉県じゃありえない生き物が沢山居たんだ」
 レート・ハリーハウゼンの腕は完全に止まっている。
「ひょっとして何か知ってるんじゃないかと思ってね」
「何ですって」
 確かに「伊東一糖斎」という名前に引っかかったのはありすも同じだった。
「……ハイ、実はあの動物の一部は私が作ったものです。伊東一糖斎は、フランスパンの流派の一つ、一糖流の開祖なのです。そしてその背後には、おそらく白彩が関係している。それであの『お菓子なパン屋さん』の巌塩流は、一糖流の流れを汲んでいるのです」
「まさか」
「セントラルパークで光るキノコを拝借した私が作ったパンの怪物で、あの伊東氏の敷地に入る者を阻止しようとしたのです。ドイツパンの堅さは中までぎっしり詰まっていることによるので、水につけても堅いんですよ。この町の人々があそこで誘拐されていることは知っていました。たとえ迷い込んだとしても、パンで作った鰐が居れば、驚いて引き返すのではないか、と。それに、森の管理人の活動を妨害する意味もありましたしね」
 そのせいで逆に、ありす達は襲われた訳だが、倒した後、なぜか苦瓜になっていた。何がしかの意味論が働いた結果らしい。
「どうりであの鰐、変な感触だったんだ」
 鰐をさすって寝かせたのは、ありすとうさぎだけだ。時夫はそれに気づかなかった。
「それで、幻のイトウもあなたが作ったの?」
「いいえ、底なし沼には私も近づけません」
 パンで作った鰐か。レート・ハリーハウゼンに操られていたので人形アニメーションみたいなチャカチャカした動きだったのだろう。
「森に近づけなくなった伊東一糖斎は、お菓子なパン屋さんをバックアップして、誘拐を続行しようとしているんだと思います」
 頭にタオルを巻き、汗を流しながら真剣な目つきでレート氏は、パンを捏ね、釜に入れていった。

 その、堅い樫(菓子)の木のような黒光りしたドイツパンはゴトリと音を立て夫人を含む五人の前に置かれた。芯にソーセージが入っており、長さおよそ二メートル。敵の「物干し竿」を上回っている。突貫工事にしては上出来だ。ずっしり重い手ごたえの得物が遂に完成した。
「堅いだけなら、日本の堅パンが世界で一番堅いです。しかしそれだけで良いパン剣は作れません」
 その堅パンは、刀の鍔のところに使われている。
「このパンの名は?」
「こちらが名づけて、『エクスカリカリバーブロート』になります。表面はカリカリ、中はモチモチ。皆さん、三メートル以上離れてください」
 バイト敬語を覚えたレート氏は日本の伝統包丁を左手に持ち、右手に振りかざした長モノブロートを振り下ろした。キン!と甲高い音が鳴り、包丁は真っ二つに裂けた。
「いかがです? カリカリ度がMAXに達し、『超合金』で出来たパン、と言っても過言ではない。このパン剣、この世に斬れぬものなし」
「おぉ~」
「あのさ、パン剣って、そもそも何なんだ? 確認するけど、パンなんだよな」
 時夫は誰も疑問に思わない重大な問題について口にする。空気が一瞬で凍りつくかと思いきや、レート氏は朗らかに答えた。
「パンです。ハード系パンの『堅さ』を競うものです。日本にはもともとパンはありませんが、似たようなものに車麩があります。普通、市販されている車麩は輪切りになっていて、日本人は煮物に入れたりしてふやかした状態で食べます。しかし完成時は、長さ一メートル六十センチ、それを焼けばフランスパンにも勝る立派なパン剣です。さらにはフランスパンに見た目がそっくりな油麩。通はそのまま食べたり、フレンチトーストのように油麩トーストにして食べます。知る人ぞ知る話です」
 日本にもパン剣があったって? いやだからパンは『味』が勝負だろう。
「パンは剣より強し!」
 レートは手に持ったエクスカリカリバーブロートを、ガキン!と音を立て床に突き立てた。
「みんな、外の様子が」
 バタバタと音が響く。何か長モノを持った連中が十、いや十五人は集まって店を取り囲んでいる。
「なんだお前ら!」
 ウーが叫ぶと同時に自動ドアが開き、彼らは入ってきた。何だこの、セサミストリートの人形みたいな連中は。「我が辞書に不可能なし」と叫びながら長バゲットを持ち、押し入った連中は明らかにパンを買いに来たわけではなかった。「お菓子なパン屋さん」が攻めてきたのだ。こうして、市内のパン屋は続々と彼らの軍門に下ったのであろう。
「おお! へなチョコドイツパン野郎か。貴様の店も、今日からフランスパンを作ってもらおう」
 リーダー格が叫んだ。
「それはどうかな」
 レート氏が不敵に笑った。
「レートさん、私とウーに任せて。ここで戦ったら店がめちゃくちゃになる。科術でやっつけてやる!」
「いいえ、ありす。ここは私にお任せください」
 そういうとレート・ハリーハウゼンは轟然とエクスカリカリバーブロートを掴んで、立ち向かっていく。
「くゎかれぃ!」
 右から左から長バゲットで斬りかかった「巌塩流」の手の者達を、レート氏は華麗なパン捌きでバッタバッタとなぎ倒していった。一振りで二、三人がぶっ飛び、敵の長バゲットは砕け散った。あっという間に十五人の刺客は床に転がった。床にキノコが散乱している。彼らはキノコ人間だったらしい。千代子夫人が箒で手際よくキノコを回収していく。この店で千代子夫人に紅茶キノコにされてしまう事は間違いあるまい。……ハッ! さっきの紅茶キノコは、前回撃退したキノコ人たちの成れの果てだったのか。
「美味しいですよー、このコンブーハー」
 千代子夫人の柔和な笑顔が陰って見えた。
「スゴイわね……」
「まさにパンタスティックな状況か」
 見ると店内は全く乱れていない。ありす達が科術の光線を放ったら、かえってめちゃくちゃになっただろう。どうやら敵に、アルティメット・バゲットを持つ者はいなかったようだ。そう簡単に量産できる代物ではないのかもしれない。
「店主に伝えろ。ライバル店に無法者の如くに斬りかかるなど、パン業界総体の恥。もしそちらに、パン職人としての矜持があるならば、それなりの作法を心得ろ、と。正々堂々と受けてやる。決着をつけたくば、場所と時間を決めてサシで決闘をするとな」
 どうやらこのドイツ人店主は、武士道の精神に精通しているらしかった。いいや、彼の場合はドイツの騎士道か。
「ううう……」
 一人のキノコ人が震える手で紙を取り出してレートに渡した。それは果たし状だった。
「もし看板娘を取り戻したくば、自慢の業物を持って、お菓子なパン屋へ午後三時に来い」
「もう過ぎてるよ。このキノコ人、果たし状のお使いだったはずが、勝手に暴走したみたいね」
 しかしこれまでも狼藉を繰り返してきた事を考えると、キノコ人だけのせいとは言えなかった。あの店主がたきつけている。「看板娘」と書いているところを見ると、どうやら敵はまだ雪絵の正体に気づいていない。が、一刻を争う。ほとんどがキノコに戻っていたが、生き残った数人のキノコたちはよろよろと立ち上がり、「お菓子なパン屋さん」の方向へ去っていった。砕けたフランスパンとキノコの破片を千代子夫人が箒で掃いていると、お客が来たのでレート氏は厨房に戻った。
「レートさん、果し合いは私に任せて。そのパン、買わせてもらうわ」
「しかし、勝機があるので?」
「大切な事は、気・剣・体の一致よ! ここを奥さんと一緒に守って欲しい。雪絵さんは必ず取り戻す」
 エクスカリカリバーブロートの価格は時価だという。パンなのに、時価とか怖ぇえ。
「勉強してくれる?」
「ダンケシェーン」
 伝わってない……。値引きを意味する「勉強」は、ドイツ人には難しいだろう。
「お釣りは要らないわぁ」
「ありすさん、足りません」
 カアァ。ありすは顔が真っ赤になった。
「ポイントカードありますか?」
「ねぇし」
 ありすはお金を払うと、レートからエクスカリカリバーブロートを受け取った。ドイツパン特有のずっしりとした重量感は、前のアイアンブロートを上回っている。小柄なありすが重そうに肩に担ぐと、まさに物干竿だ。ついでに、チョコレートをほうばるのも忘れない。

「……遅い! 遅すぎる。『千代子とレート』は卑怯者よの? 天然酵母流とは、卑怯者の兵法か?」
「何が卑怯よ! 勝手に店に襲撃して果たし状渡すの忘れたのはあんたの部下じゃない」
 沈む巨大な夕日を背に、ありすが声を掛けた。
「ム……誰だ?」
 まぶしい夕日のせいで、ありすの姿は掻き消える。
「貴様ぁ……昼間のドイツパンの小娘ではないか。なるほど。やはり、千代子とレートの手先であったか」
「雪絵さんはどこよ。ちゃんと居るんでしょうね」
「ウチの大事な看板娘だ。足も治してやったわ。店のモンについて、貴様らにとやかく言われる筋合いはない!」
 店内を見ると、白井雪絵は中で働かされていた。白ピンクのドレスを着せられている。スカラップトップスの白ロリータのドレスだ。看板から看板娘へと昇進か。石化した足はどうなっているのかここからはうかがい知れないが、魔学の仕業かもしれない。どちらにせよ、店主が手放したくないのは彼女がかわいいからに違いない。まだ女王の下に連れ去られていない以上。
「フランスパン屋郎! 今度こそ、あんたを叩っ斬ってやるわ。このエクスカリカリバーブロートの堅さをかみ締めな! ナポレオン敗れたり」
「ほぅ? どーやらその長モノ。相手にとって不足なしか!」
「鹿じゃないシ!」
「ンな事は言っとらん。問答無用、勝負!」
 アルティメットバゲットすなわち物干し竿が、ありすの身体に向かって、下から上へと切り上げられた。ありすは飛び上がり、全長二メートルのエクスカリカリバーブロートを振り下ろす。衝突した力と力が支えあい、ぎりぎりと刀の刃に相当するパンの外皮が音を立てている。二人はそのまま動かなかった。
(くっ。こっちはエクスカリカリバーブロートだってのに……なんて堅いバゲットなの?!)
 ここまで来て正直、ありすは焦りを感じていた。科術の絡まない純粋なチャンバラなら、百九十センチのレート氏に任せた方が良かったかもしれない。敵は百五十五センチ程度とはいえ、古城ありすは百六十センチ。大差はないし、男の体力というものもある。双方いったん離れて再び切り結ぶと、二度三度と刃を交える音が鳴り響いた。
「そんなナマクラパンなど、この物干し竿の敵ではないわ、フワハハハハ」
(まずい。このままじゃ)

 ンガァアアアアアッッーオォォォ……

 聞き覚えのある怪音が上空に鳴り響いた。突然の夕立が降り注ぐ。といってもこの店の店の上だけが降っている。夕空をサンダーバードが飛んでいた。
「あーっ、アイツあたしがおととい来やがれとか言ったから、来ちゃったかな」
 ウーが指差した。
 雨の中、アルティメットバゲットに異変が起こった。表面が一気にふやけていく。通常フランスパンは、外皮が他の何よりも堅い。しかし中身はふわふわ。そのギャップが美味しい訳だが、堅さを抑えるためにスープに浸して食べる人がいる。つまりフランスパンは水に弱いのだ。対するドイツパンは中身がずっしりと詰まっており、芯からの堅さである。ナポレオン店主に明らかな焦りの色が滲んでいる。
「ナポレオン敗れたり!」
 そのありすの言葉にひるむことなく、店主は自分のパンを信じて突進していった。
「わが辞書に、わが辞書に不可能はないのだぁ」
 店主は懐から小麦粉を一掴み、すばやく取り出すとありすの顔面に向かってまぶした。
「くっ。どっちが卑怯よ!」
 瞬間、太陽の光がナポレオン店主の眼に入った。そう、雨が降っているのは「お菓子なパン屋さん」の上空だけなのだ。雨に加えて太陽の光。相手の動きが見えなくなった隙を見逃さなかったありすの振るった剣先が、ナポレオンハットを捉えた。
「か…………堅い」
 リーチにおいて、ありすの剣は物干し竿に勝っていた。どさりと革命通の店主は倒れ込んだ。
「これは凄い……まさに、パン界のロールスロイスだわ!」
 ロールスロイスはイギリス車だが。
「雪絵!」
 時夫は自動ドアから店内に入っていった。店内は東西の鎧兜がずらりと並んだ異様な内装で、正統派パン屋の「千代子とレート」とは全く趣が違う。
「足は大丈夫か」
「……は、はい」
 店内にはフランスパンとフランス菓子が売られていた。雪絵の話によると店主は、彼女にフランス人形のような格好をさせて、フランス菓子を次々と食べさせることで、足を治療したのだという。
「やっぱり、このお菓子にも白彩の大量の砂糖が使われているわね」
 厨房に入ると、そこにあったのは巨大な窯だった。パン屋のゲートルームだ。動力を手動で落とすと、ありすは科術が使えると言った。科術の結界を張って窯を封印すると、もう一つ気になるものがあった。小さなロケットの形をしたポットである。ロケットバーガーのエレベータに酷似している。
「これだ! ロケットの動力だよ、きっと」
 ロックが掛かっていたので、ありすは解除してコーヒーを勝手に淹れた。
「ダバダ~♪ ダバダバダバダーダバダーバ♪」
 これで「ロケットは使えるようになった」というが、本当か? 古城ありすはずいぶんとロケットにこだわりを見せている。
「今回は、エクスカリカリバーブロートに助けられた。これがなかったら、『お菓子なパン屋』とは戦えなかったな」
 そういうと、古城ありすは右手の長モノをじっと見た。ついでに、立ち去ったサンダーバードのお陰でもある。トーテムポールによって召還されたサンダーバードは神の鳥だけあって、別に、女王の手先という訳でもなかったようだ。
「雪絵。もう二度と君を敵には渡さない。僕らが守ってみせる。君は君だ。伊都川みさえじゃない。世界で唯一の人間だよ」
 時夫は決心していた。
「ありがとう、ございます」
 青白い雪絵の顔が明るいピンクに染まる。
「よかったジャン時夫!」
 ウーはフランス菓子のナポレオンパイを摘みながら肘鉄してそう言った。でもここの食べ物は、あまり食わない方がいいんじゃないだろうか。
「もうすぐ日が暮れるな。あ、そうだ。シャッターガイに報告に行こう」
 もと来た道を戻っていく四人の表情は晴れ晴れとしていた。
「やれやれパンの剣術争いとは。しっかし風変わりな……」
「そう? 人を食べるバーガーよりマシじゃない」
 ありすはなんだか微笑んでいる。
「その基準はおかしいよ。この町で起こる事は、もう普通の超常現象とか起きないのか? ……ああっ!! おい皆見ろUFOだ! やった普通だ! 普通の超常現象だ!」
 夕方の雲間に、はっきりと円盤側UFOが浮かんでいた。時夫は満面の笑顔で三人に指差した。
「UFOじゃないよ。よく見なよ、あれ甘食」
 ありすが当たり前の事のように言ったので、じいっと見ると確かに甘食だった。隣でウーが「超ウマそう」とよだれをたらしている。
 他にも二機飛んでいる。二機はガラス製だった。……よく見ると一つは中に柿ピーが、もう一個は霰(あられ)が入っているじゃないか!
「ど、どんだけだよ」
「普通の超常現象ってのがそもそもおかしいじゃん」
 ありすはクスクス笑った。
「君もモウ、恋文町に毒されてる証拠ね。さ、後で、お店でこのパン食べよう」
 時夫はこの瞬間まで、それが食べものである事を忘れていた。

 食べ物を粗末にしてはいけません!

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