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第26話 「近所の森」でジャングルクルーズ

 古城ありす所有の迷惑すぎるシャーマン戦車は一旦半町半街の車庫に戻し、三人は恋文ビルヂングに程近い森へ徒歩で向かった。ありすはまた服が変わって、今度は探検隊みたいな格好だった。まるでこのために準備していたみたいだ。何でこんなに場所にあわせて自由にドレスコードを設定できるのか。しかも、その手には山刀が握られている。なるほど、確かに店の骨董品の中には色々と役立ちそうなアイテムが存在していた。
「伊東さんの敷地らしいわね」
 表札を確認すると、「伊東一糖斎」とある。ありすはなにやら真剣に睨んでいる。
「よかった。佐藤さんじゃないんだ」
 ウーは表札に気にも留めず入れそうな場所を見回す。一周したが、完全に周囲は公道で、住宅街の中に忽然と存在する正方形の森だ。私有地なので、ありす達が勝手に入っていい道理はないのだが、四方を囲んだ金網に一箇所だけ丸い穴が開けられていた。
 ここはたかだか半径百メートル四方の個人所有の森だが、一歩足を踏み入れると外の住宅街の気配は完全に消え、太陽の光は高い木々に遮られ、ジャングルとしか言い様がない光景が広がる。たった三メートルも中へ進むと後ろのコンクリートの道路が完全に見えなくなった。
「緑が枯れてない。ここは落葉樹が少ないようだな」
 木々に阻まれ、太陽まで心細い光を落としている。
「道があるわね。誰かが通っているのよ」
 「山」の管理人が確かに森を整理しているための道が存在し、そこを三人は進んでいく。ありすを先頭にうさぎ、そして後尾は時夫の順だ。
「時夫。伊東さんの姿って見たことある?」
 ウーが後ろを歩く時夫に訊く。
「いいや」
 森の中で管理人と鉢合わせする可能性は少ない……と信じたい。
「幻の伊東さんか」
「ウー、変なこと言っちゃダメ!」
「えぇ~? 何が」
「意味論が発動するからよ」
「わぁアケビだ! 懐かしいなァ」
 ウーが木に絡まっているツタの先を見上げると、五メートル上に紫色のアケビがいくつも生っていた。ウーによると皮の方に肉詰めにして食べると美味しいそうだ。
「どっかにマツタケ生えてないかな」
 あまり茸とか探さないほうがいいような気が。
「ストップ! 谷だ。外の道路からは全然見えないけど、中に谷があるんだ」
 深さ三メートルほどの谷があり、そこに丸太がかけられていた。侵入する者を拒むかのような第一の障壁。しかし、壁は乗り越えるためにある! この先に一体何があるのか? キングコングでも出てきそうだ。出てくる訳ないか。
「えぇ~こんな所通れない! ちゃんと帰れるの。山で遭難したらどうするのよ」
「市街地の中の、たった百メートル四方の森よ。そんな訳ないでしょ」
 ウーが一人でギャアギャア言う間、なんとか「谷」にかけられた丸太を一人ずつ渡っていった。するとそこには、予想だにしないハプニングが待ち受けていた! 三人の前にツタの絡まったヘリコプターの残骸が現れたのである。
「嘘……ヘリが墜落してる」
 乗務員の形跡はない。
「そんな馬鹿な」
 と、時夫はこの町で何度思った事だろう。
「そういえばこの辺で、報道ヘリが行方不明になったというニュースが半年くらい前になかったっけ?」
 ありすが独り言のように呟いた。その頃時夫は恋文町に来たばかりだったが、そんなニュースは知らない。
「これがそうかもしれない。まさかこんな近所に落ちていたとは。乗務員たちは何処行ったのかしら」
「遭難したんだよ、この森で」
 探せば白骨遺体くらい簡単に出てきそうな気配だった。
「きっと底なし沼にな」
「マジでジャングルねぇ。一体どこを手入れしてるのか知らないけど、ここに足を踏み入れると、二度と戻れないのかも」
 ありすも心なしか焦りを感じているらしかった。
「今さっき遭難なんてありえないって言ったじゃん!」
「ウー、静かに。ここが危濁所(アブダクション)ならここの管理人もグルに決まってるよ。相手は私達が森に入ったことにとっくに気づいている」
 なぜなら、ヘリが放置されている時点でまともな管理人ではない。
 たとえば外で遊んでいた子供がボールを取りに森に入った途端、二度と戻れなくなる。そんな、たかだか百メートル四方の「森」で遭難とかシュールすぎるが、中に居ると本当にありえない話ではないと時夫は思えてくる。
「危濁所? 確か、場異様破邪道じゃなかったっけ」
「あ、そうそう場異様破邪道」
 ここでの意味論は、きっと「森」だ。千葉には確かに、濃溝の滝などの本物の秘境が存在する。だがここは時夫の家の近所。しかしどんなに狭かろうと住宅街だろうと、この一角だけはジャングル化した空間になっている。異様に大きな蝶が飛んでいたが、きっとありすの科術とは無関係だろう。ここはインファント島か? 他にもどんな生物が潜んでいるのか分かったものではない。日本にも、青大将など危険な蛇も存在する。いいや、今はあまり考えないようにしよう。
「ねぇ、時夫川口広夫の水曜スペシャル探検隊のDVD見たことある? 『気をつけろ、蛇がいるぞ』、って隊長が言った途端蛇が落ちてくんのよ。前人未到なのにカメラが先回りしてたりさ。ありすに教えてもらったんだけど、あれって絶対やらせだよね」
 ウーが時夫に無駄話をしようとする。
「だ・か・ら! ウー、静かにして」
 テケリ・リ……テケリ・リ!
「なんだっ」
 ぎょっとした時夫の横で、ウーがスマフォを取り出している。
「あ……ごめん。携帯切っとくね」
 旧支配者の眷属の鳴き声的な着信音だったらしい。
 ウーは足をツタに絡めてずっこけそうになった。
「うわあ。ツタが……トリュヒルド? そーいえば『ネバー・エンディング・ストーリー』でさぁ、沼地にでっかい亀が」
「や・め・な・さ・いッ!」
 ギャアギャアギャア。
「な、なんだっ?!」
 聞いた事もないような不気味な声が森の中に響く。この世のものとも思えぬ、謎の生物の出現か?
「怪鳥だよ。古代のアルゲンタヴィスとか、きっと何メートルもあるような怪物なのよ。そのうち古代恐竜が出てくるよ」
 またウーが無用心な事を口走る。
「ラン♪ ランララ♪ ランランラン♪ ……王蟲?! 王蟲を殺さないでッ?」
「やめろよ。意味論が支配してるなら、言葉が勝手にいろいろな現象を起こすんだろ? さっきから不用意なこと言うなよ!」
「やめろよぉ♪ まったく、ベタなんだから。ベタ山ベタ夫くん」
 時夫の抗議に、ウーはにやにやと笑っている。こ、こいつはどういうつもりだ? なんだこの、うさぎとチェシャ猫を掛け合わせたような破綻した性格は。
 湿原ならぬウーの失言を通り抜け、住宅街の中のジャングルの奥地は、まるで時間の経過を忘れたかのように静まり返っている。すると突然、ガサガサと音がし、その方向に三人の視線が集中する。すっと首を上げた生き物に、三人は揃って信じがたいという顔をした。
「に、ニホンカモシカ!!」
「う、そ。いるはずがない……こんなところに。いたらマジUMAだよ」
 未知との遭遇……! ありすが興奮するのも無理はなかった。伏木有栖市のある千葉県に、ニホンカモシカは存在しないはずだ。それが、なぜこんな住宅街の一角に過ぎない場所に?
「富士の青木ケ原樹海のど真ん中にさ、ぽつんと小さな町があるんだよね。そこだけ普通の住宅街で。ここは住宅街の中にジャングルがある。その逆バージョンね」
 ありすのいう樹海村には小学校すらあり、その実体は民宿村である。
 足場のせいと、くねくねと東西南北が分からなくなる「道」のせいで、森に入ってすでに十分が経過していた。一行は第二の「谷」へと到着した。
「つ、つり橋?」
「そうね。どう観ても、この谷。さっきより深い。深さが五メートルはあるかしら」
 つり橋は旧くて危険だった。下を覗きこむと、湧き水から染み出た小川まで存在している。ありす以外は完全にドレスコードを間違えていた。すでにジャングルクルーズだ。
「渡っても大丈夫なのかな……」
 今度はウーを黙らせ、三人はつり橋を渡り始めた。
「下の小川、なんかさ。ブクブクしてないか」
 さっきから川の中央からぶくぶくと泡がひっきりなしに浮かんでくる。ウーと時夫は覗き込んだ。下水管に流れ込んだ水のような不気味な音が響いている。
「ちょっと、止まってると危ないわよ!」
 先頭のありすが左手をシュッシュと振って先を促す。泡が次第に激しくなっていく。
「気をつけて。何か出……」
 そういった途端、巨大な口を開けた鰐がつり橋めがけて飛び出してきた。今度はシロワニじゃない、正真正銘の鰐だ。コントラバスみたいな吼え声で、昔の人形アニメーションのようなチャカチャカした動きで襲ってきた。ワニワニパニックか?! ここへ来て、ワニワニパニックなのか?!
「わわわ、ウー早くうさぎビームを」
 ありすは山刀をめちゃくちゃに振り回して指示する。そういう自分はまた無限たこやきをすっかり忘れている。まさしく、絶体絶命のピンチ!
「うさぎビー、ギャアアア」
 つり橋の上で逃げ回るウーの前でありすは、山刀でがっちり鰐の牙を食らわせた。
「しっかり。さっきはちゃんと床ジョーズを撃退したじゃないの」
「だってこいつ足があるんだもん」
 鰐の短い両手がつり橋にへばりついている。
「きっと誰かのペットが逃げ出して巨大化した奴ね。いいや、ここの管理人が飼ってるのかも」
 三人は不安定な釣り橋を降り、小川の近くまで近づいた。鰐が上からダイブしてくる。こうなったら直接対決しかない。
「くそっ」
 時夫は木の枝を両手で持ち、サスマタのように使って鰐の首を押さえ込んだ。
「はっ早く、今のうちに向こう側へ渡るんだ」
「やるじゃないか金時君。……ひっくり返して!」
 時夫は辛うじて指示通り鰐をひっくり返した。するとありすは、鰐のおなかを両手でさすった。ウーも一緒になってさすっている。鰐はぴくりとも動かなくなる。
「ン? なんかコイツ変な感触だ」
「なんだよ、これも科術か?」
「いいえ、これは鰐専用催眠術。前にネット動画で見た事がある。これでももうコイツは動かない。コイツは、きっとこの森の番人ね」
 ネットの知識か。こうして実際の生物を相手にすると科術を忘れる。となると先が思いやられる。だけど俺たちは、もう、引き返せない!
「あ、そうだ!」
「何?」
「今日の晩御飯はワニだよ」
「え~ワニ? 食べたことないし」
「……これ、よく見なよ。苦瓜になってるよ」
「マジ? ほ、ホントだ」
「だから今夜はゴーヤチャンプルだよ」
 なんで巨大な野生の鰐がゴーヤになってるんだ。
「目的地は近い。さて、行こう」
 ありすはポケットにゴーヤを突っ込み、再び三人はつり橋を渡って森の奥へと進む。地球には、未だ解明されていない謎が存在する。だが勇敢なる三人の活躍によって、また一つ、地球の謎が解明されようとしていた! 凶悪な鰐の洗礼を受けながらも、三人はひるむことなく奥地へと進んだ。その強靭なる精神の前に、大自然は必ず真実を語った!

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