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第2話 スティーブン・ホワイトのうわさ

 夜会会場の隅でイザベルはため息をついた。

 まだデイヴィスがあの時何故怒ったのかわからない。

 あの後もデイヴィスは普通に接してくれている。でもふとした時の視線でわかるのだ。彼はまだイザベルを許していない。
 理由がわかれば謝り倒せばいい。だけど、理由が分からなければどうしようもないのだ。

 口からまたため息が漏れる。

「あら、イザベルじゃない」

 意地悪そうな声に振り向くと、ガーソン子爵令嬢のビューラが立っていた。

「ごきげんよう、ビューラ様。私に何か御用でしょうか?」
「デイヴィス様は? 一緒じゃないの?」
「いいえ? 少し挨拶回りに行くと言ってましたわ。それでデイヴィス様に何かご用ですか? 伝言なら伝えておきますけれど」

 こうしてイザベルが一人でいる時にデイヴィスへの伝言を残していく人は少なくない。また逆のこともあるらしい。そういう時デイヴィスは『どうして俺がお前なんかのために伝言なんか……』などとぶつぶつ言いながらも今のところきちんと伝えてくれている。

「そう? じゃあ『わがままな恋人をもって疲れない?』って聞いておいてくれる?」

 つい苦笑してしまう。伝言のように言っているけどビューラはイザベルに喧嘩を売っているのだ。笑顔だから傍目には談笑しているように見える。ここでイザベルを怒らせて評判を落とそうとしていることは見え見えだ。

「わかりました。聞いておきますね」

 何も気にならないわ、と言う事は口調で伝わる。実際イザベルは何も気にしていなかった。その態度にビューラは機嫌を悪くする。

「デイヴィス様の恋人になったからって調子に乗らないで頂戴! そういう風にのんきに構えていたら、とっちゃうからね」

 この人は何を言っているのだろう。イザベルはあきれた。イザベルとデイヴィス以外の人は知らないだろうが、デイヴィスはイザベルの事を愛してなどいないし、イザベルの方も同じだった。

 しかし、他の人は二人が相思相愛だと思っているのだ。ビューラもイザベルの事をデイヴィスに見初められた幸せな女性だと思っているのだろう。それならそういう風に演じなければいけない。イザベルはにっこりと微笑む。

「出来るのなら、どうぞ」

 余裕綽々。幸せだから他の女の人の事なんてまったく気にならないわ。言葉にそういう気持ちを込める。案の定ビューラは唇を噛んだ。まあ、それもそうだ。この国では女から男にアプローチするのははしたない事だと言われている。ビューラもそんな事は知っているのだろう。

 イザベルはもう一度にっこりと笑った。こういう時の笑顔は相手を怒らせるのに最適なのだ。

 悔しそうな顔をしているビューラをそこに残し、イザベルはその場を離れる。しばらく歩くと、後ろからぽんと肩を叩かれた。

 デイヴィスかと思って慌てて振り向いたが、そこにはアシュレイが立っていた。イザベルの表情が途端に和らぐ。

「アシュレイ!」

 アシュレイとは最初に挨拶したし、楽にしていいと言われているので安心して話せる。

「どうしたの? 振り向いた時、不機嫌そうだったけど」

 アシュレイになら話してもいいかと思い、先ほどのビューラとの事を説明する。それを聞くとアシュレイは苦笑した。

「そりゃビューラはデイヴィス様に夢中だもん。当たり前じゃない」
「そりゃそうだけど。ああやって喧嘩売られたら腹立つわよ。私は神様じゃないんだから」
「ところでデイヴィス様は? 一緒にいればよかったのに」

 そう言われイザベルは肩をすくめる。確かにデイヴィスが一緒にいればビューラにあんなふうにちくちくやられる事はなかっただろう。

「挨拶回りですって」
「で、壁の花?」
「意図はしていないんだけどね」

 ちょうどその時、フィオナが二人のところに歩いてきた。手には飲み物のグラスを二つ持ってる。

「ごめんね、アシュレイ。遅くなっちゃった。あれ? イザベルもいたの?」

 驚かれるのも無理ないとイザベルはため息をついた。

「いたの。私だってフィオナやアシュレイとおしゃべりしたい時もあるわ」
「デイヴィスは?」

 またその質問か、と苦笑する。デイヴィスはイザベルにいつもくっついているわけではないのだからそういう質問はやめて欲しい。

「挨拶回り」
「あら珍しい。喧嘩でもしたの?」
「してないよ。何でそういう事言うの」
「フィオナ、イザベルはさっきビューラにちくちくやられてたらしいんだからこれ以上いじめちゃ駄目だよ」

 アシュレイが助け船を出してくれたが、その話題もどうかと思った。まあ、相手がフィオナやアシュレイだからまだいいだろう。もしデイヴィスがこれを知ったらものすごく面白がっていつまでもからかい続けるかもしれない。

「ああ、やられてたね。こっちまで聞こえてたよ」

 イザベルはそれを聞いて頬を膨らます。

「何? じゃあ喧嘩なんかしてないって事知っててからかってたの?」
「ごめんごめん。何となくからかいたくなって。でもイザベルだってちゃんと言い返してたじゃない」

 その言葉にイザベルも笑う。本気で怒っていたわけではない。いつものやり取りだ。

「それより、さっきアシュレイが喜びそうな情報を聞いてきたのよ」

 『情報』と聞いて、アシュレイの顔が輝く。

「何? 何? なんの話? はやく教えて」
「せかさなくても情報は逃げないわよ。ほら、来週コーシー家で舞踏会があるでしょ」
「え? もう来週なの?」

 コーシー家の舞踏会と聞いてイザベルはつい眉をひそめてしまった。それを見て、フィオナとアシュレイが不思議そうな顔をする。無理もない。普通だったら婚約者の家での舞踏会は嬉しいと言う事はあっても、嫌だということはあり得ないのだろう。

 今度のコーシー家の舞踏会の話はイザベルがデイヴィスの仮婚約者になった日からずっと聞かされていたから覚えている。自分の仮婚約者として正式にみんなに紹介するからそのつもりでいるようにと言われていた。もう完璧にデイヴィスの思うつぼだ。そんな行事を忘れられるはずがない。

 イザベルがその話をするとフィオナは慰めるように肩に手を置いた。

「ああ、確かにそれは大変だね。でも大丈夫。デイヴィスは紳士だって事はイザベルも知ってるでしょ」

 どこが紳士なのよ、と言いたかったがこらえた。デイヴィスの本性の事は他の人には言わないほうがいいだろう。デイヴィスの怒りを買うからではない。そんな事は全く怖くはない。でも彼女達の夢を壊さないほうがいいと思ったのだ。もしアシュレイが彼の本性を知ったらショックで一か月くらい寝込んでしまうかもしれない。

「それで? そのイザベルの紹介の話?」
「違うわよ。その舞踏会にスティーブン・ホワイトが奥様と一緒に来るんだって」
「えー。すごい! ホワイト夫妻が来る上に、イザベルが正式にデイヴィス様の婚約者になるなんて!」

 アシュレイはもう興奮状態だ。

「誰? そのスティーブン・ホワイトって」

 イザベルのその言葉にフィオナとアシュレイは目を丸くする。

「ちょ、ちょっと、イザベルったら知らないの? すごく有名な賞金稼ぎじゃないの!」
「そうよ。こないだグラスにも載ってたでしょ。『大泥棒デイビッドVS賞金稼ぎのホワイト氏』って」
「じゃあその人はデイビッドを捕まえに来たの?」

 驚いて思わず声を上げてしまう。この国にデイビッドを捕まえられる人がいるのだろうか。

 賞金稼ぎというのは、貴族から報酬をもらって犯罪者を捕まえる者たちの事だ。他国では国から懸賞金がかけられている犯罪者もいるが、イシアルにはまだいない。それでも別名をわざわざ作るのもめんどくさいらしくそういう報酬や懸賞金目当てで犯罪者を追う者は『賞金稼ぎ』と呼ばれている。

「最近デイビッドが現れないなと思ってたけどそういう事だったの……」
「さすがにあのデイビッドも怖じ気づいたんじゃないの。相手が凄腕の賞金稼ぎさんじゃ」

 それはないとイザベルは思う。デイヴィスはそんな事で怖じ気づくほど情けない男ではない。きっと対策を立てているのだ。もしかしたらイザベルにした時のように挑戦状でも叩きつけるつもりなのかもしれない。

 それにしても、もしスティーブン・ホワイトにデイビッドが捕まったとしたらディアブリーノであるイザベルはどうなってしまうんだろうと考える。デイビッドがイザベルのことを拷問を受けてまで隠してくれるとは思えない。大体、イザベルはデイヴィスを怒らせたのだ。

 その時、その当の本人がやって来た。

「お待たせ、イザベル。おや、こんばんは、レディ・フィオナ、レディ・アシュレイ」

 何でもないように話している。

「どうしたの? 何か疲れているみたいだね」
「あなたのファンにいじめられてたんですのよ」
「フィオナ!」

 さらりと告げ口するフィオナに慌てる。

「それは大変。じゃあちょっと慰めてきますね」

 そういってデイヴィスはイザベルを連れて、空いた小部屋を借りる。

「あの……」
「聞いたんだろ?」

 いつも通り結界を張ってからデイヴィスが単刀直入に聞いて来た。
 何の話なのかはすぐ分かった。

「スティーブン・ホワイトさん……だっけ? やっぱり手ごわいのかな?」
「さあ。お前にとっては手ごわいんじゃないか?」
「どういう意味よ!」

 むっとしたが、デイヴィスはそんなイザベルに気づかないふりをする。

「デイヴィスったら。聞いているの?」

 デイヴィスはイザベルの方をちらりと見るが、すぐに表情をあさっての方向にむける。

「ちょっとデイヴィ……」
「わりとがっしりとした体格の男だったな。顔はいかにも真面目そうで……ありゃ小細工なんてしなさそうだ。真剣勝負を挑んできそうだな。ま、そっちのほうが俺には好都合……」

 小声で、しかしイザベルに聞こえるような声で、独り言のようにそんなことを言う。 
 はっとする。もしかしてそれはスティーブン・ホワイトの情報なのではないだろうか。

「もしかして会ったこと……」

 同じく小声で問い掛ける。今度はデイヴィスも無視はしなかった。

「ああ、このあいだ家に来たから」
「家に来たですって? どうしてまた?」

 思わず大きな声を出してしまった。すぐにデイヴィスに睨まれる。防音はしてあるけど気をつけろ、と言われているのだ。イザベルはあわてて口を押さえる。

「まさかもう疑われているんじゃ……」

 心配になって小声で尋ねるとデイヴィスは呆れたように首をふった。

「んなわけないだろうが。俺を誰だと思ってんだよ。あいつが来たのは、あいつを雇ったのが俺の父親だからだよ。興味があるって言ったらあっさり会わせてくれた。まったく皮肉なものだよな、デイビッドを捕まえようと思っている奴らが、本人に間近で情報を奪われているんだから。使う武器までばっちり聞いちまったよ」

 楽しそうにそんな事を言う。イザベルはもう何を言っていいかわからなかった。

「スティーブン・ホワイトが来るって聞いた時は冗談じゃないと思ったよ。生意気な小娘のお相手だけでも十分面倒くさいのに、凄腕の賞金稼ぎと噂されているやつまで来るなんて、って。普段だったらそういうのは楽しみなのに、その生意気な小娘のせいで……」
「ちょっとまってよ。『生意気な小娘』って私のこと?」

 他に誰がいるんだ、と返され、むっとしてしまう。デイヴィスはそんなイザベルを見て小さく笑った。

「どうしてそんな面倒くさい相手を舞踏会に呼んだりするのよ。招待したのあなたなんでしょ、どうせ」
「さあ、どうしてかな。当日までゆっくり考えておいで」

 どうして内緒にするのだろう。イザベルは考え込む。
 デイヴィスはそんなイザベルの様子を見て小さく笑う。

「で? 話変わるけど、俺を好きな女にいじめられたって?」

 心底楽しそうにそんな事を言う。

「別にいじめられてたわけじゃないわ。ビューラ様からデイヴィス様への伝言を頼まれただけで」
「へぇ。どんな伝言?」
「『わがままな恋人をもって疲れない?』だって」

 イザベルがそう言うと、デイヴィスは吹き出した。分かっていたが、あまりいい気はしない。

「言い得て妙だな」
「何よそれ!」
「そのままの意味だよ。今までの行動を振り返ってみろよ」

 そう言われると何も言えない。

「ま、こういう事はこの俺の婚約者でいる限りまた起きるだろうな。それが嫌だったら……お前はもうわかってんだろ」

 そう言ってから耳元で「小さな悪魔さん」とささやく。

 デイヴィスは絶対に面白がっている。腹が立つが、また怒らせるのは嫌なので黙っておく。機嫌がいいならそれでいいではないか。

 それにしても、イザベルを婚約者にしてデイヴィスはいいのだろうか。そんな事をしたらデイヴィスが結婚をする時に困るのではないだろうか。イザベルだってデイヴィスとずっと一緒にいたいかと言われたら絶対に首を横に振る。
 そう尋ねると、デイヴィスは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「どうせみんな俺の地位に興味があるだけだろ。だからそんなやつらなんか気にしてない」

 イザベルは自分の耳を疑った。女の子達はデイヴィスの地位に興味があるだけ。この男は本当にそんなことを思っているのだろうか。だとしたら女の子達がイザベルを嫉妬するのは、筆頭侯爵家の跡取りであるデイヴィスに見初められたからだと考えているのだろう。随分ひねくれている。

 あなたは自分がもてている自覚がないの、と言ってやりたかったがこらえる。この様子だと自分がかっこいいという自覚すら持っていないのだろう。ここでデイヴィスの鼻を天狗にする必要はない。

「そう。じゃあ今は私を苦しめたいだけ。そういう事?」
「分かってるんじゃないか」

 そう言ってにやりと笑う。そしてポケットから金時計を出して時間を確認した。

「さてと、行こうか」

 黙ってうなずいた。踊りに行こうと言っているのは何も言わなくてもわかる。デイヴィスと過ごす時間の中ではダンスを踊っている時が一番好きだった。元々踊るのは好きだし、リードがうまいので安心して踊れる。

 不意にデイヴィスが振り返った。イザベルは驚いて一歩後ずさる。その様子を見てデイヴィスは意地悪そうに唇をあげた。

「来週が楽しみだな、イザベル」

 それだけ言うと、踵を返しまた扉に向かって歩き出す。一体デイヴィスは何の話をしているのだろう。

「イザベル、はやく!」

 デイヴィスがせかしてくる。

「今行くわ」

 そう答えてイザベルはデイヴィスの所に駆け寄った。

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