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九話

 いつ補助呪文が消えるのかと僕は心配だったが、心配は杞憂だった。
 治癒呪文は何時まで経っても消える気配を見せない。兄上の付け足した雷の能力は別体系であるのだろう。微妙に僕にあった雷術の才能と融合しているようだが。
 兄上に、すまなく思うことがある。
 兄上は、よその家に貰われてしまったのだ。薬仙子は、決して悪い人ではない。
 むしろ、心優しい人だとみんなが言う。けれど、僕の心は晴れなかった。
 あの刺客を撃退した件が原因なのは明らかで、それで兄上を追い出したのだから。
 けれど、当主に兄上がなるのは無理だという思いもある。
 兄上はそんな状態でも、僕を憎まず、変わらず接してくれた。
 僕と薬仙子、二人がかりで言葉を仕込む。
 薬仙子のスパルタと兄上自身の必死の努力により、ようやく兄上は、辿々しく会話を行えるようになってきた。すごい進歩である。だが、未だに筆記は壊滅的だ。
 だが、薬草の種類や調合はすぐに覚えてしまったようだ。
 僕が思うに、きっと食べることや戦いに関することだと思う。
 試しに、戦いの用語を少し教えると、わりと直ぐに覚えてくれた。
 ……兄上の言葉の勉強が進まないのは、やる気の問題なのだろうか。だとしたらとても悲しい。いや、兄上は自分から一生懸命勉強してくれているのだが。
 外からのお客様に、食事を進めようとして「おっぱいうまうま」なんてやられてしまったらとても大変なことなので、やはり僕が当主に選ばれてよかったと思う。
 兄上は未だに「おっぱい」と「食事」の違いをよくわかっていないし、「兄上」とだけ呼ぶと不思議そうな顔をする。「竜虎呼兄上」と言わないと、呼ばれているとわからないのだ。
 逆に、父上の事はおそらく「父上」として覚えていて、名前はわからないだろうと睨んでいる。
 父上についてだが、軍人の家系で申し訳ないと思うのだが、僕は神官になりたかった。
 その才能は兄上のお墨付きだ。だから、僕は必死で神官課程に入れてもらうようにお願いした。それに、人を殺すのは虚しい。僕は幼い頃から、兄上が沢山の人を食らうのを見てきた。
 僕は絶対に軍人なんてなりたくない。この侯爵家を継ぐなら、父上のように側近任せにするのではなく、きちんと執政が出来るようにもなりたい。
 勉強の重要さは、兄上を見ていて身にしみて感じているし、僕は勉強が好きだ。そして、才能もある。
 翻って、軍人としての道は兄上の言葉を信じるなら、どう頑張っても二流なのだから。
 兄上が様々な学校の説明の本を楽しそうに薬仙子に読んでもらっているのを知り、僕の焦燥は高まった。
 そして、その日僕は父上と激しい言い争いをした。
 
「父上! お願いです、私を神官課程に入れてください!」
 
「ならん! ならん! お前のちっぽけな補助魔術なんぞ、我らが崇高な雷の魔術に吸われて消える! お前は雷の軍人課程に行くのだ!」

「そんな! 軍人なんて嫌です! せめて執政課程に!」

「ならん! お前は最前線で我が一族の武を示すのだ!! ぐ、ぐぅ……」

 興奮しすぎた父上は、なにやらくらり、と目眩を起こしたようだ。
 父上が、母上の実家に僕の力のことを必死で隠しているのは知っている。この件については、父上は死んでも意思を変えないことを悟る。というか、僕が神官になったら憤死しかねない。
 それにしても、どこに最前線に突っ込む侯爵家当主がいるというのだ。
 兄上と父上が親子であることを実感し、ため息をついて父の為に医師を呼ぶ。
 ふと振り向くと、半透明の兄上が目をまんまるにして扉の影から顔を出して見守っていた。

「兄上、大丈夫ですから。気になさらないでください」

安心させるように、ニッコリと笑う。兄上に文句を言っても仕方ない。仕方ないのだ。
兄上は、ようやく自分のしてしまった事に気付いたらしく、オロオロとした雰囲気を醸し出していた。

「大丈夫ですから」

 僕は笑う。
 兄上は、とぼとぼと去っていく。
 その姿を見て、僕の心はチクリと傷んだ。悪気がなかった事はわかっている。
 けれど、それでも僕の運命を変えられたことは事実なのだから、肯定してあげる事だけはできなかった。
 兄上が、先ほどの会話を理解した。
 それだけでも、僕は嬉しい。兄上はようやく会話を理解するようになってきたのだ。
 出来れば授業にもついていてあげたいけど、それは無理な話だ。
 兄上がちゃんと授業についていけるといいんだけど。嬉しいのは、父と薬仙子が兄上を学校へ通わせてくれるということ。
 家の恥として閉じ込めてしまう選択肢もあったのに。
 父上のそんなところは、僕は好きだ。
 兄上の味方も、ちゃんといるのだ。











 兄上が、学校に行った日。
 僕の頭に、突如として二人分の視覚情報と聴覚情報が飛び込んできて、びっくりした僕は寝込んでしまった。
 目を閉じれば、少しは楽になるけど……。
 しばらくして、これが授業であると気づく。僕が取りたがっていた、執政課程。それと薬師課程だ。
 兄上的には、薬師課程と神官課程はイコールで結ばれるのだろう。全然違うが、確かに薬草学は神官もやる。
 兄上、またピコンしたか……。
 どう考えても情報を処理しきれるわけが……そこまで考えて、僕は気合を入れて目を閉じ、横になった。
 兄上が、必死になってなんとかしようと考えてくれたのである。
 いいじゃないか、執政課程と薬師課程。
 僕は、頭がいいのだ。きっと出来るはず。これは兄上の与えてくれたチャンスなんだ。
 それに、多分自分のミスを挽回しようと必死な兄上に大丈夫だといっても、聞かないだろうし。
 兄上がこれで気が楽になるなら、これくらい安いものだ。

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