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さつまいも

 母さんは俺を抱きしめて撫で続けてくれる。
 お腹が空いてどうしようもないけど、食べ物はとっても少ないのだ。
 普段は仲のいい父さんと母さんも、最近は良くけんかをする。
 他の家はもう少し食べていると父さんは文句をいい、もう蓄えを食べつくした家もあるのよと母さんは反論する。
 一昨日、耐え切れずにもう少しだけ食べたいといったら、母さんは泣きそうな顔で笑って、お母さんを食べるかと聞いてきた。だから、もうお腹が空いたとは絶対に言わない。
 俺は母さんを食べたくない。母さんと父さんに食べられたくない。

 だから、お腹が空いたとは絶対に言わない。

 意識が薄れてきて、じっと目を閉じているとガラガラガラ、と妙な音が聞こえてきた。
 ドボドボドボ。ガタガタガタ。
 しばらく物音は続き、最後に炎が燃える音がする。
 何気なくその音を聞くことで意識を繋ぎとめていた俺は、いい匂いに気づいて母の腕から抜け出した。
 母と共に戸口からそっと覗くと、魔術師と子供が村の広場のど真ん中で大きな鍋をかき回している。
 その鍋は二つもあって、いい匂いを撒き散らしている。
 隣には、山盛りにされた紫の妙な作物と、小さな車輪のついた板、透明な奇妙な入れ物があった。
 しばらくして、魔術師は器にスープを盛って、子供に渡した。
 子供は笑顔でそれを食べる。
 餓えていた俺は、ふらふらと広場へ出て行った。
 魔術師は、不機嫌な顔をして器にスープを盛って俺のほうに差し出した。
 それを受け取って、すぐに口に入れる。熱さに驚いて、スープを落としてしまう。
 俺は、大切な食事を駄目にしてしまった事と服に掛かったスープの熱さに驚いて泣き出してしまった。
 怒ったのか、魔術師が乱暴に服を剥いで、布でぐりぐりしてきた。
 びっくりしてさらに泣き出すと、魔術師が着ていた上着を着せてくれる。
 風太が、紫の奇妙な作物を二つに割って、片方を頬張った。
 にっこり笑って、もう片方を俺に渡してくれる。
 呆然と見つめると、子供はもう一度作物を頬張って、俺を促した。
 子供を真似て食べると、僅かに温かみがあって甘くて美味しかった。
 子供はそれを見て微笑みながら、自分を指差して風太と言った。
 風太。変わった名前だ。魔術師の子供は、名前も変わっているのだろうか。
 母さんが歩いてくると、魔術師はまた器にスープを持って差し出した。
 村人が家々からそろそろと出てきて、集まり始める。

「何か、この村で実験でもするんじゃないか」
「こんな妙な食べ物、見たことがないぞ」

 大人たちが囁きあって、子供達は魔術師と風太の周りに集まった。
 風太と魔術師は、順番に紫の作物とスープを渡していく。
 大人の一人が子供から紫の作物を取ろうとしたけど、魔術師はその大人に紫の作物を投げつけて威嚇した。
 魔術師のその様子に怯えながら、でも食欲には勝てなくて、大人達も恐る恐る魔術師から食事を受け取る。
 魔術師は、時々鍋をかき回していたもので威嚇をしながら、それでも順番に渡していく。
 魔術師も風太も、勝手に取る事も奪い合いも絶対に許さなかった。
 魔術師も風太も手際よく配ったけど、大人達はそれでも自分の順番が待てなくて、苛立ちを募らせる。
 そんな時、いい匂いに惹かれたのか、人が集まったからか、空から魔物が現れた。
 大人たちの何人かが弓を取りに走ったけど、魔術師は魔物をじっと見つめる。
 魔術師の眼差しは冷たく、鋭く魔物に突き刺さった。
 しばらく睨みあいを続けると、魔物は去っていった。
 大人たちは魔術師様が睨んだだけで魔物を退けた、と囁きあう。
 剣呑な空気は多少抑えらて、どうにか暴動は起こらなかった。

 俺は、魔術師がご飯をくれたのに、どうして皆が苛立つのか、さっぱりわからなかった。

 魔術師は食べ物を配り終えると、さっさと帰ってしまう。
 長老はお礼を言おうとしたけど、魔術師は振り返りもしなかった。

「魔術師様っ風太っありがとう!」

 そういうと、風太は振り返って笑顔で手を振ってくれた。

 それから、魔術師は、冬の終わりから春の間、毎日食事を作りに来てくれた。
 魔術師は寡黙で、いつも不機嫌そうな顔だった。
 魔術師が来るようになって、魔術師の家のほうで激しく物音がするようになった。
 それから、魔物は少なくなっていった。
 春になると、魔術師は料理すると同時に、作物を地中に植えるようになった。
 ディーンが手伝うと、不機嫌な顔のまま、頭を撫でてくれる。
 魔術師が作物を植えるようになって、配られる食事が減った。
 広場に変わった作物を植え終えて、村で作っていた最初の作物が実り始めた時、魔術師は大量の奇妙な作物を持ってきて、それきり来なくなった。
 それから、大人達がどんなに懇願しても、魔術師は家から出てくることはなかった。

 秋が来て、魔術師と風太がまた来た。
 皆が遠巻きに見つめていると、風太が広場一杯に広がった蔦を引っ張る。
 地中から昨年見た作物が出てきて、その作物がついた蔦を近くにいた俺に渡すと、魔術師は帰っていった。
 それから皆で蔦を引っ張って作物を掘り出した。
 広場の土は耕してたわけじゃないから硬かったけど、昨年食べた作物の味が忘れられなくて頑張って掘った。
 皆で作物のお礼を言いに行ったけど、やっぱり魔術師は家から出なかった。
 風太だけが、笑顔で窓から手を振っていた。


 あの時は、幼心に、魔術師とはまったく別の世界に生きる人なのだと思ったものだ。
そして、あの時すでに、俺は心の奥底で師匠の住む世界に興味を抱いてきたのかもしれない。









「どうしたんだ、ディーン」

 ザイルが授業を終えて研究室に戻ってくると、
 研究室の真ん中で、ラキとディーンが鍋をかき回していた。
 おいしそうな匂いに、研究室のメンバーがちらちらと鍋に視線をやる。

「師匠が送ってくれたんだ。さつまいも。いっぱいあるから皆で食べようと思って」

 さつまいもが何かはわからないが、食べ物の名前だろう。
 ディーンは途中から異国の人間に育てられたためか、まともな料理もするが、かなり変わった料理もする。
 恐る恐る覗き込むと、こういうスープに定番のカト虫が入っていない事を除けばまあ普通に食べられそうだった。
 ディーンがスープの味見をすると、ちらちらどころではなく凝視していたミグがげっと声をあげた。

「それを口に入れちゃうんだ、ディーン」

 恐らく調理の過程を見ての言葉だろう。それを聞いたザイルは即座に決断する。

「しまった!大事な約束を忘れていた!」

 回れ右するザイルに、ディーンは声をかける。

「せっかく出来たところなのに。ザイル先生の分は残しておくな」
「無駄ですよザイル先生、材料はいっぱいありますから、いずれは食べさせられます。
早いうちに食べちゃった方がいいですよ。二回目からは口にあわなかったって言えますから」

 ミグの言葉に、ザイルは仕方なく戻ってくる。

「どういう意味だミグさん!ザイル先生も約束があるって嘘だったのか?」

 ディーンがショックを受けた顔で言うと、ラキは慌ててフォローする。

「ディーン!ラキ、たくさん食べるから!大丈夫、余らないよ。ね?」
「ありがとうラキ、はい、ラキの分」

 自分で作ったもののくせに、ラキはスープを渡されると固まった。
 目を瞑って思い切り流し込もうとして、熱いっと悲鳴をあげる。

「あー、ほら。慌てなくてもいっぱいあるから」

 ディーンはたくさんの器にスープを盛って、順に差し出していく。
 一応受け取りはするが、微妙な空気が広がる。

「珍しい料理よね。ディーンの師匠に習ったの?」

 珍しく気を使ったのか、ミグが空気を変えようとディーンに問いかける。

「おぅ。これなー。師匠が、俺が飢え死にしそうな時にご馳走してくれたんだ。
飢饉で村に何も食べ物がなくなってよ。森も食べ物が少なかったらしくて、魔物が森の入り口まで出没するようになって、危なくて森の中に食べ物を探しになんていけなくて。
それどころか村にまで時々魔物が出てくるようになって。このままじゃ飢え死にするって事で、女の子が町に売りに連れて行かれたけど、賊にやられて小さいのだけ逃げ帰ってきて。町までのほんの少しの距離だったのに、魔物と賊で絶望的に遠くなって。師匠が毎日ご馳走してくれなかったら、俺の村は無くなってたか、人食いが起きてたか。
どっちにしろ、小さかった俺は死んでただろうなー。餓えるか食われるかして。
でも、師匠と風太が助けに来てくれた。
師匠、炊き出しの時はこっちの言葉がまだ話せなくて、ずっと無言で通して。
俺や村の皆はそんな事知らないから、そんな師匠に怯えて。
風太が餓えた人間が隣にいるのにご飯なんて食べられないっていうからだって言ってたけど、不作だった時点で炊き出しの準備を進めてた事、風太に教えてもらった。
飢餓状態の村人に襲われる事を考えて、初めて風太に武器持たせたって言ってた。
それでも師匠は来てくれたんだ。
今でも、これを食べると今年も俺は生きてるなって実感する……」

 とてつもなく重くなる空気。そんな事を聞いてしまっては、断るに断れない。
 この料理は、ディーンにとって命の象徴なのだ。

「とっても美味しいから、食べてくれよ」

 ディーンはにっこりと笑ってザイルに器を差し出す。
 そりゃ、飢餓状態で食べればどんなものでも美味しいし食べるだろうなぁ。
 そう思いながら、仕方なくザイルはスープを口にする。
 うわ、と部屋のあちこちから小さな声が漏れた。
 料理の最中に何が起こったのか、非常に気になる反応だ。

「……美味しい」
「だろ!?師匠もすっごく褒めてくれたんだ。自分よりうまく作るって。
村でも育てるようになってから、母さんと料理の研究したりしたしな。
味はいいし、丈夫だし、手が掛からないし。さつまいもって凄いだろ」

 スープは贅沢なほどに具沢山で、食べた事のない肉や、甘くて柔らかい塊が美味しかった。
 食べた事のない肉が何の肉かは考えない事にする。
 世の中、知らなくていい事がたくさんあるのだ。
 美味しくてもなぁとか、あれはなぁ……などと、囁き声がするが、観念したらしく何人かは食べ始めた。
 授業の後でお腹が減っている事に気づき、お代わりをする。
 ラキは甘い塊を気に入ったようで、具を選り分けてお代わりをする。

「さつまいもが気に入ったか?蒸したさつまいももおいしいぜ」

 それを見たディーンが、もう一つの鍋を開けて、紫の皮に黄色の中身の妙な植物を取り出した。
 スープに入っていたもののようだが、こうしてみると一層奇妙だ。
 紫の色の外皮はなにやら危ない食べ物のような気がしないでもないが、ディーンは気にせずに食べている。
 どのみち、もう食べてしまったのだ。
 ほのかな甘みが口の中に広がる。野菜の一種なのだろうか。
 さつまいもの入ったスープは皆が敬遠していたが、蒸したさつまいもは人気だった。
 塩を振ると、甘みが引き立って一層美味しい。
 匂いに引かれて研究室を通りがかった者が顔を覗かせる。
 ディーンに笑顔で器を差し出され、その者は戸惑いながら受け取った。
 術具の研究室なのだ。普通は怪しがって受け取らないだろう。
 ディーンの人懐っこさと人当たりの良さは既に技の域だと思う。
 ディーンの話を聞くと、かなり苦労をしているというのに、刺々しい雰囲気もなく、かといって人の暗い面をわかった上での強い優しさを備えているわけでもない。
 ディーンは優しいと言うよりも、手を差し伸べるのが当たり前で、手を差し伸べられるのが当たり前だからそうしているという感じがする。
 どんな苦境にあっても、愛だけは十分すぎるほどに与えられていて、直接悪い人間と関わる事もなかったのだろう。
 環境と元の性格、ディーンの努力が合わさって作り出された一点の曇りなき笑顔に逆らえるものは中々いない。
 通りがかる人間が、匂いとディーンの笑顔に、ふらふらと引き込まれてはスープを一杯食べていく。
 研究室の面々は、さりげなく自分の器を渡して小さくガッツポーズを取った。
 人が集まってきたのにスープは少なくなってしまったので、ディーンは次の鍋を作り始めた。
 得体の知れない茶色の物体をにょろにょろと搾り出すディーン。

「ちょっと待てなんだその怪しい物体は」
「え?味噌」

 他の材料はまだ見た事ないものが多くとも、食べ物だと認識できる。だがこの茶色の物体は別だ。
ディーンは躊躇なくそれをスープにとかしこむ。

「私はあれを食べたのか…」
 
 ちょっと吐き出してもいいだろうかと思いながらザイルは口を押さえる。
 集まってきていた人間も遠巻きになり始めた。そもそもディーンは、
 あんな得体の知れないものをスープに入れてなんとも思わないのだろうか。
 新たな犠牲者が通りがかって、ディーンはまた笑顔で器を差し出した。

「師匠から貰ったさつまいもはまだいっぱいあるからな。明日は大学芋を作るからなー」

 また異国の料理を作るのか。そして食べさせられるのか。
 戦々恐々とするザイルたちの気も知らず、ディーンはひたすら笑顔で器を配っていた。
 しかし、ザイルは諦めない。このサーデライト魔術学校で、新種の作物なんて珍しいものが、没収されないわけがないのだ。バタバタと駆け込んでくる足音を聞き、研究所の面々はディーンから目を逸らす。
 植物研究をしているトリスが、息を切らして現れる。
 ディーンは、何も知らずに無垢な笑顔でトリスに器を差し出した。


 狭い研究室一杯に広がる喧騒とディーンの泣き声。
 ディーンがハヤトの住む世界に入り込んで数年。
 すっかり馴染んだディーンだが、ハヤトのようになる様子は今の所ない。


しおり