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第四話 曹操と夏侯惇

 四日後の晴天、昼頃、許昌にて青い甲冑を纏った三十代前半の神を思わせる様な美しい男が義勇兵を募集していた。 

「我が名は曹操! 今、漢は国亡の危機を迎えている名も無き民よ! 武人よ! 賢者よ! 我と共に黄巾賊を討ち果たし、名を挙げて(かん)を! 愛する者達を救うべく馳せ参じよ!」

 その声に覇気や野望が込められていた。

 歓喜に震えた民、噂を聞きつけた武人や賢者は。

「「「おおお――!」」」

「「「曹操様!」」」

 と、馳せ参じた。

 その中には関平、華雄、黄忠、更には韓馥から出奔した沮授や張郃がいたのである。

 曹操は余程裕福なのだろう。

 許昌にて宴を行い更には義勇兵に参加する民や武人、賢者に銭を与えた。

 次の日、武人には武闘大会と賢者には面談して黄巾賊を討伐した後の家臣を得る事を目的に行った。

 関平は武闘大会にて三回戦に青い甲冑を纏った二十代後半の虎の様な殺気を放つ男夏侯惇(かこうとん)と試合した。

「お主が噂の関平か? 儂は曹操様に仕える夏侯惇なり、我が槍を馳走する故、掛かって来い! 先手は取らしてやる」

 関羽の過去の記憶と経験で夏侯惇が黄忠に匹敵する武人だと知っており仕掛けた。

 関平と夏侯惇は互いに武器を合わせ、百合経った時、手数の多いく、青龍刀を落とされ、槍の突きで喉元に突き付けられた。

 完全なる関平の敗北であった。

「確かにお主は俺よりも強い、だが、何か解らぬが違和感があるぞ関平よ。そのままでは一生儂には勝てぬぞ曹操様に仕えぬか?」


「断る! 俺は生きたい様に生き、死ぬのも自由な方が良い。人の下に仕えるならば(かて)として喰らう! 例え曹操だろうがな!」


 試合を見ていた曹操は。

「中々、見所のある若造よ。あ奴は我の覇道に必要なる。いずれ家臣にし娘婿にしようぞ」

 と大変惚れ込んだ。




 決勝戦は黄忠と夏侯惇だった。

「夏侯惇! 儂の主君が世話になった。この黄忠が今度、槍でもてなそうぞ!」

「抜かせ! 若造と同じく負けて吠え面をかくなよ!」

 こうして試合が始まったのだが、夏侯惇の槍が関平との戦いで消耗していたのであろう。

 途中で槍が折れてしまい黄忠が優勝した。

 無論、曹操は黄忠も家臣に欲したが。

「今は関平様に仕えておる故」

 とはぐらかされて叶わなかった。




 沮授は夏侯惇と黄忠の試合を見た後話しかけてきた。

「関平殿。華雄殿。黄忠殿。久しいな。沮授にございます。私を関平殿の軍師にして下され」

「何故、俺の軍師に成りたがる? 俺には禄は払えぬぞ?」

「関平殿は何れ名を挙げ、兵など万は集まります。それに夏侯惇殿の前で啖呵を切ったのは実に素晴らしい。更に名を挙げた事により、慕う兵に困りませぬ。どうしてもいないとなれば、黄巾賊残党を捕虜にし、兵として雇い、財貨を奪い、いずれかの地にて旗揚げするのが良いと思われます」

「そこまで買うからには、俺の軍師として励め」

 こうして沮授が軍師となった。




 そして十日間、関平と華雄、黄忠、沮授は併せて三百の直属兵に加え、五百人の民兵を曹操から借り受け調練を行い黄巾賊との戦いに備えた。 




 十三日後、晴天の明朝、許昌を青い甲冑を纏った曹操軍一万が出発し、近くの平野にて黄巾賊五万と戦いを始めた。

 戦いは一進一退だったが、曹操軍がわざと退却し、誘い込んだ平原にて進軍中、火計にて死傷者を出し、逃走中の波才《はさい》を黄忠の弓で討ち取り、多くの黄巾賊を曹操は二万捕虜にし、関平、華雄、黄忠、沮授、併せて三千人の黄巾賊を与えられ私兵にした。

 その中には周倉(しゅうそう)裴元招(はいげんしょう)がおり、後に関平の武将として働く事になる。

 また物資の三ヶ月の食糧と運ぶ輜重(しちょう)隊、人数分の武器、五百頭の軍馬、銭三千貫も拝領した。

 曹操はこれらを与えると。

「今回は我の仕官は諦めよう。だが、戦う事になるのであれば必ず屈服させ家臣としようぞ」

 関平は過去の曹操を知っていたので呑み込まれぬ様に是迄以上に有能な人材の確保と、一刻も早く本拠地となる領地を探さねば成らなかった。



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