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もしもキーボードが弾けたなら2

 松木咲紀。
 あったぞ。俺の彼女の名前が名簿に書いてあるじゃないか。
「あっ、梶浦くん」
 後ろから聞こえた声は菊ちゃんだった。
 振り返ると、真後ろに立っていた。
「ああ、菊ちゃんか」
「ごめんねー。松木さんじゃなくてさあ」
「いや、別に……」
 これには思わず苦笑いだ。
 確かに正直、咲紀じゃないのかって思ったけどさ。
「同じクラスなの?」
「うん。俺の彼女も、菊ちゃんも、俺も同じクラスだよ」
「良かったねえ。どうなの、松木さんとは?」
「うん。順調だよ」
「デートってさ、どこ行ってるの?」
「クラシックのコンサートと言いたいところだけどね。さすがに行けないよ」
「うん。高校生だからね」
「まあ、別にフツーだよ。創蒙書店とか、コンビニとか」
「ああ、フツーだね。将来的にはさあ、結婚するの?」
「うん。そうなったらいいなあって、俺は思ってるけどね」
「そっか。頑張ってね」
「あっ、祐人、おはよう」
 菊ちゃんの尋問を受けていると、俺の彼女が現れた。
 外見に特に変化はなかった。
 長い黒髪といい、白い肌といい、意外と高い身長といい。
 うん。一年生の頃とそんなに変わってない。相変わらず綺麗だな。
「おはよう。待ってたよ、咲紀」
「ねえ、同じクラスなの?」
「そうだよ。二年生になっても、俺達は一緒だよ」
「そっかー。良かったねえ」
「うん。二年生もよろしく」
「うん。よろしくね」

 父子家庭の我が家の朝食は、もちろん親父と二人きりだ。
 もう慣れたもんだ。
 今日も俺はコーンフレークを食べているし。
 親父はテーブルの向こうで朝刊を読みながら、トーストをかじっているし。
「おい、祐人。駅ピアノだってよ」
 突然、親父がそんなことを言った。
「駅ピアノ?」
 ピアノという単語を聞いて、俺が反応しないわけがない。
 しかも、駅ピアノときたもんだ。
 俺はさ、けっこうあれに憧れてるんだ。
「うん。この記事だよ」
 親父は新聞をひっくり返すと、テーブルに置いた。
 背中を丸めながら、親父が指差す記事を覗き込む。
 創蒙駅に駅ピアノ設置へ。
 見出しには、そう書いてあった。
 ここは日本だというのに、駅ピアノを設置するのか。
「ふーん、創蒙駅に駅ピアノねえ」
「ああ、洒落たことをするじゃないか」
「うん。ヨーロッパでは、よくあるらしいけどね」
 そういえば、NHKのBSで放送してるっけ、駅ピアノの番組。
 映画音楽特集と題して、映画音楽を駅ピアノで演奏する人々を映していた。
 セリーヌ・ディオンのマイハートウィルゴーオンとかさ。
 クイーンのボヘミアンラプソディとかさ。
「祐人、咲紀さんを誘って行ったらどうだ?」
「そうだね。一応、誘ってみるよ」
 とりあえず頷いておく。
 たぶん恥ずかしがるんじゃないかな。
 行けるといいけどな。
 
「へえ、駅ピアノか……」
 朝の教室で早速、話をすると、俺の彼女は興味深そうに頷いていた。
「どう? 行く?」
「うん。行くだけ行ってみようかな」
「弾くの?」
「うん。人が少なかったらね」
 そう答える咲紀の顔には苦笑が浮かんでいた。
 恥ずかしがってる場合じゃないのに。
 いずれは大勢の観衆の前でピアノを演奏することになるだろうに。
「もしかしたら、野澤昌二が見ててさ。いきなし、プロデビューとかあるかもよ」
「えー、そんなマンガ展開ないよー」

 放課後の俺達は早速、創蒙駅へと向かっていた。
 黒いピアノが置いてあった。
 もちろん、黒い椅子も。
「おっ、あれか……」
「うん。誰もいないね」
 そうなんだよ。俺の彼女の言う通り、椅子には誰も座っていなかった。
「弾く?」
「うん。せっかくだから弾こうかな」
 咲紀は笑顔で頷くと、足早にピアノへ歩いていった。
 紺色のスカートを両手で抑えながら、ピアノ椅子に腰掛ける。
 絵になるな。ピアノの前に俺の彼女が座るだけで、こんなにも絵になるのか。
 将来的には背中のざっくり開いたドレスで弾くんだろうな。
 大きなコンサートホールで、大観衆の前でさ。
 だから、緊張してる場合じゃないよ。
 がんばれ、俺の彼女。
「ねえ、何がいい?」
「やっぱり、春だからね。桜の花びらたち、なんかどうかな」
「おっ、いいねえ」
「2008バージョンの方ね」
「ピアノだから関係ないよ」
「ああ、そっか」
 俺のボケは軽く処理されて、咲紀さんはピアノへ向かった。
 空気を読んだ俺は深呼吸をして黙る。
 桜の花びらたちのメロディが響く。
 いいな。桜の歌はたくさんあるけどさ。
 AKBの桜ソングも、いい歌がたくさんある。
「やっぱり、咲紀さんのピアノはいいなあ。弾けない曲とか、ないでしょ?」
「そんなことないよ。いっぱいあるよ」
「あっ、そうなの?」
「うん。なんでも弾けるわけじゃないよ」
「そっか。じゃあ、これから練習していく感じ?」
「そうだね。やっぱり、弾けないと悔しいし」
「おっ、負けず嫌いだね」
「祐人だってさ。将棋、勝つまでやるでしょ?」
「うん。そのせいで疲れ果てることも、しばしば柴ちゃんだけどね」
 いつの間にか、ギャラリーが数人くらい集まっていた。
 設置されたばかりで珍しいんだろうな。
 みんな、遠巻きに眺めている。
 男子高校生も何人かいるけどさ。
 うっかり俺の彼女に惚れるんじゃないぜ。
「おっ、咲紀。チャンスだよ」
「えー、また弾くの?」
「うん。未来のためのリハーサルだと思ってさ」
「じゃあ、もう一曲だけね。何がいい?」
「じゃあ、桜の栞で」
「うん。あれね」
 咲紀は再び鍵盤の上に両手を置く。
 静かにイントロを奏でる。
 あー、いいなあ。心に染みるわあ。
 咲紀が演奏を終えると、拍手が起こっていた。
 俺もみんなと一緒になって手を叩いた。
「咲紀、良かったよ」
 笑顔で褒め称えたけどさ。
 咲紀は恥ずかしそうに微笑んでいたんだ。
「ねえ、祐人」
 その微笑が消えたかと思うと、咲紀はふと顔を伏せた。
 何やら思い詰めた顔で鍵盤を見つめている。
「どうしたの?」
「私さ、しばらく、ピアノに専念しようと思ってるんだけどさ……」
「ああ、集中して練習したいの?」
「うん。まだまだ、弾けない曲がたくさんあるからさ」
「そっか。音大に入るためにも、集中して練習する時期は必要だよね」
「うん。私達、もう二年生だし」
「そうだね。恋にうつつを抜かしてばかりもいられないけどさ」
「あれだよ。別に別れようとかさ。そういう話じゃないよ」
 やっと顔を上げたかと思うと、咲紀は慌てたようにそう言った。 
 苦笑しながら、俺は頷く。
「分かってるよ、そんなこと」
「ピアノと俺、どっちが大事なの? とか言わないの?」
「言わないよ。そんな昔の女の子みたいなこと」
「じゃあ、しばらくはさ、どこかに出かけたりとか……」
「デート禁止ってこと?」
「うん。それで、いいかな?」
「もちろんだよ。俺だってさ、咲紀には音大に入って欲しいし。ピアニストになって欲しいし。ステージに立つ咲紀を見たいし」
「ありがと、祐人」
 やっと笑ってくれた。
 いや、さっき笑ってたけどさ。
 大丈夫だ。少しの間、距離を置くだけだ。
 いや、別に距離を置くわけでもないのか。
 学校で話さないってことでもないし。
 デート禁止ってだけの話じゃないか。
 こんなの、試練でもなんでもないさ。

 駅ピアノが創蒙駅に設置されたからといって、俺達の日常に大きな変化はなかった。
 未来のピアニストやアイドルが弾いていたりさ。
 なんか、話題の人が弾いていたりとかさ。
 そういう展開も期待したけどさ。
 今のところ、そういうニュースは耳にしていない。
 今日も俺はいつも通り、創蒙高校に登校してさ。
 授業の始まりを待っているわけだ。
「そういやさ、祐人。駅ピアノ、知ってる?」
 ぼーっと黒板を眺めていると、百合が話しかけてきた。
「知ってるぞ。創蒙駅のあれだろ?」
「そうそう。もう行った?」
「行ったぞ。もちろん、咲紀と一緒にな」
「へえ、そうなんや。どやった?」
「人は少なかったけどさ。けっこう盛り上がったぞ。みんな、拍手をしてくれてさ」
「いいねえ。楽しそう」
 百合と話し込んでいると、菊ちゃんも会話に参加してきた。
「おっ、菊ちゃんも弾きに行くの?」
「うん。今度、行ってみようかなあ」
「ちょっと、菊ちゃん。俺の彼女に対抗意識を燃やしてるの?」
「ううん。違うよ」
 にやにやしながら聞いてみたけどさ。
 菊ちゃんは真顔で首を横に振っていたんだ。

 テスト返却デイズだけどさ。
 今回は楽しみなんだ。
 だってさ、けっこう手応えがあるんだよ。
 特に得意な英語。
 90点以上は固いんじゃないかな。
 キャサリン先生が教卓の前でテストを返していた。
 そろそろ、俺の番だな。
「ユウト!」
「イエース! ユナイデッドステーイツ!」
 意気揚々と席を立って教卓へ向かう。
 さあさあ、何点だろうな?
「グッドスコア!」
 そう言って差し出されたテストに記されていた点数は……94点だった。
「おっ、やった……」
「ユウト、コノチョーシデ、ネクストモ、ガンバテ!」
「センキュー。センキュー、ミスキャサリン」
 小粋な英会話を終えて席に戻ると、咲紀が首を伸ばしてきた。
「祐人、何点だったの?」
「じゃじゃじゃじゃーん!」
 テストを見せた瞬間、咲紀は両手で口を押さえた。
 そんなに目を大きくしなくてもいいのに。
「おっ、94点?!」
「うん。俺、ベートーベンだから」
「ベートーベンはドイツ人でしょ」
「ああ、そっか。ドイツはドイツ語か」

 さてと、テストも終わったことだからさ。
 今日は息抜きだ。
 俺が向かったのは創蒙デパートではなく、創蒙駅だった。
 相変わらず駅ピアノが気になってしょうがない。
 未来のピアニストとか未来のアイドルがいないかな。
 今のうちに目撃しておいてさ。
 ああ、あの時のっていう経験をしたいじゃん。
 駅ピアノの前には女の子が座っていた。
 でも、知ってる子だった。クラスメイトだ。
 菊田絵梨。菊ちゃんじゃないかよ。
 百合、奈々、美夏、駒ちゃん、美緒。
 おなじみの顔触れが菊ちゃんを囲んでいた。
「とても素敵な演奏でしたよ」
「あっ、ありがとうございます。えっと、あなたは?」
「僕は松浦ゆりおです。林檎高校の貴公子ですよ」
「あっ、林檎高校の人ですか」
「菊田さんですか?」
「はい。そうですけど」
「どこかでお会いしませんでしたっけ?」
「えっ? いやあ、会ってないと思いますけど……」
 菊ちゃんは首を傾げていた。
 ゆりおは顎に手を当てながら考え込む。
「そうですか。まあ、これはナンパの常套手段なんですけどね」
「あー、バラしちゃうスタイルなんですねえ」
 またやってるよ。最近、またエチュードに凝ってるな。
 さくらとか、みさととか、水瀬が劇部だからな。
 一年の時にあっという間に広まって、ブームになってた時期もあったっけ。
 さて、そろそろ声をかけるか。
「いやあ、菊ちゃん。やっぱり来たんだね」
「ああ、梶浦君。うん、テストも終わったらね」
 声をかけながら近づいていくと、菊ちゃんが振り返った。
「何か弾いた?」
「うん。猫ふんじゃったとか、軽くね」
「ああ、お約束だね」
「梶浦君さ、ピアノ、少しは上達した?」
「うん。ブロックコードくらいは弾けるようになったよ」
「へえ、そうなんだ。じゃあさ、弾いてみてよ」
「うん。じゃあ、Cを弾くよ」
 というわけで、菊ちゃんが座っていた椅子に腰掛ける。
 別になんとも思わないさ。俺の彼女は咲紀なんだからさ。
 じゃーん、じゃーん、じゃーん。
 ドとミとソを押さえて、Cを弾いてみた。
 低いほうの音でね。
「どうかな?」
「うん。いいんじゃない?」
「そう? 少しは上達したのかな」
「そうみたいだね。FとGは?」
「まだ弾けないんだ」
「ああ、そうなんだ。スリーコードを覚えればさ。簡単な曲の伴奏くらい、できるようになるんじゃない?」
「そうだね。ロックンロールとかツイストだったらね」
「私、弾いてあげるからさ。みんなで踊りなよ」
「よし、みんな。踊るか」
「せやな」
「おー、楽しそう」
「踊ろう踊ろう!」
 百合と奈々と美夏は乗り気だったけどさ。
「えっ? 駅で踊るの?」
 美緒は、なんだかぽかーんとしていた。
「いいね。踊ろうよ」
 駒ちゃんは真顔で頷いていた。
 てなわけで、菊ちゃんのツイスト演奏が始まった。
 ちゃちゃちゃちゃ、ちゃちゃちゃちゃ、ちゃちゃちゃちゃ、ちゃちゃちゃちゃ。
 8ビートで鍵盤が跳ねる。
「いえええええええええええええええええい!」
 俺達はゴーゴーダンスを踊る。
 腕を揺らしながら、体も揺らしながら。
 右足を上げては下ろし、左足を上げては下ろす。
「駒ちゃあああああああああああああああん!」
「ライブはげええええええええええええええ!」
「生はげのことかあああああああああああああああ?!」
「生はげのことだああああああああああああああああ!」
 俺と駒ちゃんは特にノリノリだった。
「うわあ、ダンスって楽しいわあ」
「うん。生きてるって感じするなあ」
 百合と奈々は夢見心地な顔でトリップしていた。
「えっ? 何これ?」
 美緒は疑問を感じながらも、ツイストはちゃんと踊っていた。
「美緒、考えるな。感じろ」
「ああ、ブルースリーさんスタイルなんだね」
「そうそう。いえええええええええええええええええええい!」
「えっ? なんか、踊ってるよ……」
「ほんとだ。昔のダンスじゃない、あれ……」
 いつの間にか、ギャラリーが集まっていた。
 女子高生たちの囁き声が四方から漏れ聞こえてくる。
 見たか、これが俺達のゴーゴーダンスだ!

「いええええええええええええええええい! ロッケンロールミュージック!」
「イーグアナダンスウィズミー!」
「イーグアナダンスウェイズミー!」
「イグアナちゃうで!」
 翌日の俺達は朝から教室でツイストを踊っていた。
 俺も駒ちゃんも百合も奈々もノリノリだ。
「ねえ、これ、ずっとやるの?」
 美緒は相変わらず疑問を感じながら踊っていた。
 ブルースリースタイルだって、きのう言ったのに。
「えっ?」
 そこへ、咲紀が登校してきた。
 俺は踊るのをやめて振り返る。
「あっ、咲紀、おはよう」
「お、おはよう……」
 朝の挨拶を返してくれたけど、なんだか態度がよそよそしい。
 いや、俺達のツイストダンスに戸惑っているだけかな。
「咲紀も一緒に踊ろうよ」
「いや、私はいいよ……」
 苦笑しながら首を横に振ると、咲紀はさっさと席に着いてしまった。
 教書とノートを急いで仕舞いながら、話しかけないでオーラを発している。
 なんだよ。俺達はツイストを踊っていただけなのに。

「ねえ、祐人」
 休み時間になると、咲紀が俺の席へやってきた。
 背中を曲げながら、何やら小声で喋っている。
「何? どうしたの?」
「駅ピアノの話なんだけどさ」
「ああ、あれがどうかした?」
「また行ったの?」
「うん。行ったよ」
「どうして?」
「どうしてって、別にただの暇潰しだよ」
「あっ、暇潰しなんだ。なんかさ、踊ったって話してたけど……」
「ああ、菊ちゃんたちと?」
「うん。踊ったの?」
「うん。ゴーゴーダンスを踊ったよ」
「菊田さんの伴奏で?」
「うん。楽しかったよ」
「へえ、そっか……」
 咲紀は顔を伏せると、廊下を見つめていた。
 じっと俯いたまま、何やら考え込んでいるらしい。
 なんだろうな。ゴーゴーダンスを踊るのって、そんなに問題なのかな。

 アイドルは、お花を摘みに行かないって言うけどさ。
 俺はアイドルじゃないからさ。
 お花を摘みにいくわけよ。
 すっきりして教室に戻ると、咲紀の姿はなかった。
 あれ、先に音楽室に行ったのかな。咲紀だけに。
 次の授業、音楽だし。
 まあ、いいか。独りで音楽室へ行くか。
「梶浦君」
 廊下を歩いていると、菊ちゃんの声が飛んできた。
「ああ、菊ちゃん。こんにち和田まあや」 
「こんにち和田まあや。ねえ、彼女さんは?」
「一緒に行こうと思ったんだけどさ。いなかったんだよね」
「ああ、そういえばいなかったね」
「うん。まあ、いつも一緒にいるわけじゃないけどさ」
「なんかさあ、最近、あんまり喋ってないよね?」
「うん。距離を置こうみたいなことになってさ」
「えっ? 梶浦君、なんかしたの?」
「してないよ。しばらく、ピアノに専念したいって言うからさ」
「ああ、そういうことね。話しかけないでって言われたの?」
「ううん。そこまでは言われてないけどさ。なんか、自然とこうなってる感じ」
「ふーん、そうなんだ……」
「まあ、俺達も、もう二年だからね。そろそろ、進路のことを考える時期だし」
「うん。松木さんは音大に行くんだっけ?」
「うん。創蒙音楽大学に行くんだって。菊ちゃんはどうするの?」
「私もねえ、たぶん創蒙音楽大学かなあ」
「そっか。そういや、ピアノはどうなってるの? なんか、練習してる?」
「うん。最近はね、ショパンのエチュードを練習してるよ」
「ああ、エチュードか。あれさあ、どの曲も難しいよね」
「うん。革命とか、速いよね」
「どこがエチュードなんだろうね。あれこそ、超絶技巧練習曲だと思うけどね」
「梶浦君、なんか好きな曲ある?」
「エオリアンハープとか、好きだよ」
「ああ、梶浦君、ロマンチストだもんね」
「菊ちゃんもさ、弾けない時は不協和音を鳴らすの?」
「梶浦君、そのネタ好きだよねえ」
「うん。これはさ、お約束だからね」
「うん。私もドラマとか映画で見たような気はするけどさ」
「あっ、映画っていえばさ。こないだ、いい映画を観たよ」
「へえ、どんな映画?」
「愛情物語っていうピアノの映画なんだけどさ」
「ああ、ピアノの映画なんだ。どんなお話なの?」
「エディってピアニストが主役なんだけどさ。この人がニューヨークに来るんだけどさ。ピアニストとして雇ってもらえると思ってたのにさ。雇ってもらえなかったんだよね」
「えー、なんで?」
「まあ、勘違いっていうかさ。オーケストラの人はさ、ニューヨークに来たら寄っていけって誘っただけでさ。別に雇うとは言ってなかったんだよね」
「ああ、そういうことね。それでどうなったの?」
「結局、女の口利きで雇ってもらえたんだけどね」
「あー、雇ってもらえたんだ。良かったね」
「うん。エディはね、カルロス・ゴーンとミスタービーンに似ててさ。とにかく名画だったよ」
「ああ、その二人、確かに似てるね」
 愛情物語の話をしながら歩いていくと、四階の渡り廊下に到着した。
 やたらと重い扉を押し開ける。
 菊ちゃん、レディファーストだよ、なんて言おうとしたけどさ。
 菊ちゃんは先に歩き出していた。
「あっ!」
 菊ちゃんが小さな悲鳴を上げていた。
 前へ倒れていく菊ちゃんがスローモーションに見えた。
 俺だって、野球やサッカーをやっていたからな。
 それなりの反射神経はあるんだぜ。
 俺は咄嗟に菊ちゃんを抱き止めていた。
「あー、びっくりした。ここ、段差があるんだよねえ……」
「うん。菊ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫だよ。骨折してるように見える?」
「ううん。骨折してるようには見えないよ」
「どうしたの?」
「菊ちゃんの目、黒目が多いね」
「うん。私の目なら、何度も見たことあるでしょ?」
「うん。あるけどさ」
「どう、私の目?」
「とても素敵な瞳だよ。吸い込まれそうだ」
「えっ?」
 こんな時に限ってさ。現れるものなんだよ。
 見上げればさ、咲紀が立っていたよ。
「ああ、咲紀。どうも……」
「何、してるの……?」
「いや、これは……」
「これは?」
「別に抱き合ってたわけじゃ……」
「ふーん、そうなんだ……」
 それだけ言うと、咲紀はすたすたと歩き去っていった。
 呆然と見送っている間に、咲紀の背中は重い扉の向こうへ消えていった。
「ちょっと、梶浦君。なんか、誤解されたっぽいんだけど……」
「うん。そうみたい、だね……」
「なんで、ちゃんと説明しないの?」
「いや、言葉が出てこなかったっていうか……」
「ちゃんと説明しなよ」
「そうだよね。菊ちゃん、説明してよ」
「えー、私が言うの?」
「うん。だってさ、俺が言ったら、なんか言い訳っぽくなるでしょ?」
「うん。そうだけどさ……」
「あっ、俺に頼まれたってことは伏せておいてよ」
「えー、私、嘘つかないといけないの?」
「嘘はつかなくてもいいけどさ」
「とりあえずさ、いっしょに弁明しようよ」
「そうだね。とりあえず、行こうか」
 長い話し合いの末、立ち上がった俺達は音楽室へ向かったのだった。
 音楽室へ入っていくと、咲紀は席に着いてじっと俯いていた。
「あのさ、咲紀。さっきの話なんだけどさ。あっ、別にダジャレじゃないよ。その……」
「何? 何が言いたいの?」
 怖いな。怒ってるよ。俺は倒れそうになった菊ちゃんを抱き止めただけなのに。
 避けるわけにもいかないだろう、さすがに。
「だからさ、別にいちゃついてたわけじゃなくてさ。菊ちゃんが転びそうになったからさ。ねえ、菊ちゃん?」
「うん。あのね、本当に転びそうになっただけだからね」
「ああ、そうなの?」
 咲紀は相変わらず顔を上げない。
 細長い机を見つめたまま、動きもしない。
「菊ちゃんはさ、ただのクラスメイトだから。あっ、こんな言い方、失礼かな?」
「ううん。別に大丈夫だよ」
 気を遣って確認したけど、菊ちゃんは平気な顔で首を横に振っていた。
「だからさ、咲紀。えっと、その……」
「もういいよ。もう分かったから」
 咲紀が珍しく大きな声を出したからさ。
 俺も菊ちゃんも揃って押し黙った。
 咲紀は唇を噛み締めながら、じっと俯いていた。
「咲紀、分かってくれた?」
「うん。分かったよ」
「そうか。良かった……」
「私は祐人のこと、信じてるから……」
 本当かな。いや、ここで下手なことを言うとさ。
 また、こじれるだろ。
 沈黙は金、雄弁は銀っていうじゃないか。
 ここは黙っておこう。

「えー、明日から夏休みだけどな。熱中症には気をつけるように」
 滝元先生が教卓の前で大真面目な顔で喋る。
「はーい! 宿題もやりまーす!」
 百合が手を挙げながら叫ぶ。
 相変わらず小学校みたいなノリだな。
 帰りのホー頑張ってるムルームが終わって、クラスメイトは帰っていった。
 俺達は放課後の教室で窓辺に佇みながら、真夏の青空を見上げていた。
「咲紀、夏休みだよ」
「うん。そうだね」
「どうする? まだ、ピアノに専念する?」
「うん。もう少し、もう少しだけ、専念しても……いいかな?」
「もちろんだよ。咲紀がピアノを頑張るって言ってるのにさ。ダメだなんて言わないよ」
「他の女の子といちゃついてたりはするけどね……」
「えっ? 何?」
「ううん。なんでもないよ」
 咲紀は微笑しながら首を横に振っていた。
 顔が引き攣っているようにも見えるけど、気のせいだろうか。
「そっか。じゃあ、夏休みはどこにも行かないの?」
「うーん、一回くらい、どこかに行きたいけど。祐人は?」
「うん。俺も行きたいけどさ」
「うん。どうしようかな……」
「まあ、今、決めなくてもさ。どこか行きたくなったら、連絡してよ。電話でも、メールでもいいからさ」
「うん、そうだね。そうするよ」
 頷く咲紀の顔は笑っていたけどさ。
 心からの笑顔ではないように見えた。
 不安が胸を過ぎった。
 そんな状況の中で、俺達の夏休みは始まったんだ。
 
 サロンドソウモウへ入っていくと、美奈子さんと遥さんの姿があった。
 女性客が来ていたらしい。長めの髪が床に散らばっていた。
 誰の髪だろう。齋藤飛鳥かな。それとも、生田絵梨花かな。 
「あっ、祐人くんじゃん」
「おおっ、久しぶりだね」
「お久しぶりです、美奈子さん、遥さん」
「今ね、見ての通り、すいてるよ」
 美奈子さんが店内を見回しながら言う。
 確かに、俺以外のお客さんはいなかった。
「そうみたいですね」
「どっちを指名するの?」
「えっと、じゃあ……美奈子さんで」
「おっ、私?」
 美奈子さんがうれしそうに笑う。
 ああ、こういう笑顔が男を勘違いさせるんだよな。
 かわいい女っていうのは罪なもんだぜ。
 俺は彼女持ちだから平気だけどさ。
「あー、私、フラれたー……」
 遥さんは不満そうに唇を尖らせると、両手で顔を覆った。
「ぐすん、ぐすん……」
 肩を揺らしながら嘘泣きをしてらっしゃる。
 嘘泣きだよな、絶対に。一滴の涙も流れていないはずだ。
「かわいそうに、遥。ほら、祐人くん。こっちおいで」
「ああ、はい……」
 呆然としながらも頷いてから歩き出す。
 お姉さんたちのノリに翻弄されるイケメン男子高校生(自称)か。
 少女マンガだったら、主人公ポジだよな。
「ねえ、祐人くん。そろそろさ……」
 椅子に腰掛けて青いシートをかけてもらうと、美奈子さんが何かを言いかけた。
 分かっているよ。美奈子さんが何を言おうとしているのかくらい。
「はい。無造作ヘアにします」
「えっ? ほんとにー?」
「はい。美奈子さんのセンスを信じます。俺には無造作ヘアが似合うと思うので」
「えー、別に似合うからやってみたらって言ってたわけじゃないけどさあ」
 違うのかよ。やっぱり、人を実験台と思っているらしい。
「いや、まあいいですよ。とにかくやってください」
「でも、無造作ヘアっていってもさあ。色々なのがあるよ」
「ああ、そうなんですか?」
「はいはーい。フラれた美容師がカタログを持ってきましたよー」
 嘘泣きしていた美容師がばたばたと走ってきたかと思うとさ。
 青いシートの上に、ヘアカタログをぽんと置いてきた。
「おっ、遥さん、心が広いですね」
「当たり前でしょー。私、大人なんだからさー。美奈子を選んだからってさ。別になーんとも思わないよー」
 やけに太い声を作りながら、遥さんは皮肉っぽく言う。
 声色が豊かなお姉さんだな。声優とか向いてそうだな。
「祐人くん、どの無造作ヘアにするの?」
「じゃあ、こいつで」
「この人ね。顔は変わらないよ」
「はい。顔が変わらないのは知ってます」
「じゃあ、始めるよ」
「はい。お願いします」 
「そういえばさあ、祐人くん。咲紀さんとは、どうなってるの?」
 カットを始めて間もない頃、美奈子さんが質問してきた。
 聞かれたくないって程でもないけどな。今の俺達は微妙だよな。
「実は……」
「実は? 何?」
「ちょっと、距離を置こうみたいな流れになったんですよ」
「えー、何があったの?」
「ピアノに専念したいって、咲紀が言うんで。だから、しばらくはデート禁止ってことになったんですよ」
「えー、夏休みなのに?」
「はい。だから、今のところ、一度も会ってないんですけど……」
「ちょっとー、大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。別に別れ話とかじゃないんで」
「そう? でもさあ、そういうことから別れるカップルだっているらしいよ」
「俺達は、そんな展開にはなりませんよ」
「ならいいけどねえ。でも、祐人君だってさあ。本当は色んなとこ行きたいんでしょ?」
「そりゃあ、行きたいですけどね。でも、咲紀の気持ちを尊重して今は我慢ですよ」
「おっ、大人だねえ」
「ええ、こう見えても大人の男なんですよ、俺は」
「そうだよねえ。男の子がさあ、こういう時にごねるのってさあ。なんか、格好悪いもんねえ」
「そうですよ。俺は男の余裕ってやつを見せつけてやるんですよ」
「そっかそっかあ。頑張ってねえ」
 なんて話をしている内に、カットが終わっていた。
 鏡の中に映っていたのは世界中のイケメンが霞む系男子高校生だった。
「おー、なんか、なんかいいかも……」
「うん。美容師の腕がいいからねえ」
「そうですね。美奈子さんのおかげですよ」
「ねえ、祐人くん」
「なんですか?」
「咲紀さんのこと、大事にしてあげなよ」
「当たり前じゃないですか。俺達のラブストーリーは、こんな所では終わりませんよ」

 このまま帰るのも、なんだかもったいないと思ったからさ。
 俺は創蒙駅へ寄っていくことにした。
 今日こそ、未来のピアニストやアイドルが弾いてないかな。
 そう思ったけどさ。
 椅子に座っているのは俺の知っている子だった。
 ていうっか、俺の彼女だった。
 まさに、未来のピアニストじゃないか。
「あっ、祐人……」
「咲紀、今日も暑いね」
「うん。暑いね」
 なんだ、このフツーの会話は。別にいいか。
 久しぶりだからな。なんか、調子が出ないな。
 俺達って、どうやって話をしてたっけ。
「ピアノ、弾いてたの?」
「ううん。何を弾こうか、考えてたとこだよ」
「そっか。来たばっかり?」
「うん。ついさっきね。何か弾いて欲しい曲、ある?」
「夏だからね。あの夏へ、が聴きたいな」
「あー、千と千尋さんの曲?」
「そう。スタジオジブリさんの映画さんの曲」
「ひっしーさんの作った曲だよね」
「そうそう。弾いてくれると、うれしいな」
「うん。じゃあ、弾くね」
 咲紀は小さく頷くと背中を曲げた。
 両手を鍵盤の上にそっと置く。
 静かなメロディが創蒙駅に響く。
 幸か不幸か、人はまばらだった。
 この暑さだからな。
 みんな、家でガリガリくんかパナップを食べているんだろう。
 それか、塩アイスか。
「おー、いいねえ……」
 拍手をしながら、俺は感動していた。
 あの世界へ迷い込んで豚にしてもらった気分だった。
「咲紀、宿題、進んでる?」
「うん。まあ、ぼちぼちね」
 無難な話題を振ってみると、咲紀は俯き加減に頷いた。
 セミの鳴き声が遠くから聞こえてくる。
 ああ、夏だなあ。俺達は今、夏休みなんだ。
 それなのに、まだどこも行ってないのか。
 まあ、しょうがないよ。
 咲紀がピアノに専念したいって言うんだからさ。
「ねえ、祐人」
「何?」
「どっか、行こうか?」
「えっ?」
 耳を疑った。マジか。いよいよ、デート解禁なのか?
 返事はもちろん決まっている。
「うん。咲紀がいいなら、俺はいつでもいいよ」
「ほんと?」
「うん。宿題は順調だし。数学以外は……」
「祐人、相変わらず数学が苦手なんだね」
「うん。数字なんてさ。四則計算さえできれば、それでいいんだよ」
「それ、算数だよ」
「うん。中学から気取ってさ、数学なんて名前が変わるのもなんだかいけすかないよ」
「あはははは、祐人のディスり芸、久しぶりに聞いたな」
「ところでさ、どこに行こうか?」
「うーん、花火大会なんてどうかな?」
「創蒙川の花火大会?」
「うん。隅田川よりはさ、創蒙川でしょ」
「そうだよね。私達、創蒙市民だからね」
「うん。俺は生まれも育ちも創蒙市だからさ」
「じゃあ、行こうかな。私さ、祐人の家に行くよ」
「えっ? マジで?」
「うん。人が多いでしょ」
「ああ、そうだね。いや、どんなに人が多くてもさ。俺は絶対に咲紀を見つけられるけどさ、たぶん」
「たぶんなんだ」
 久しぶりに見る咲紀の笑顔。
「でも、行くよ。一緒に行こうよ」
「そうだね。じゃあ、俺は家で待ってればいい?」
「うん。待ってて」
「分かったよ。何時頃、来るの?」
「じゃあ、七時ごろで」
「七時ね。分かったよ」

 創蒙川の付近は人で溢れ返っていた。
 浴衣姿の女の子、家族連れ、カップルっぽい若者ども。
 見渡す限り、人類だ。今年も大盛況だな。
「咲紀、こいつら、みんな創蒙市民なのかな?」
「えー、どうかな? 他の所から来てる人もいるんじゃない?」
「うん。あの浴衣ギャルなんか、いかにも渋谷にいそうだよね」
「うん。マルキューで買い物してそうだよね」
「あっちのチャラ男は原宿っぽいね」
「うん。ウラハラを知り尽くしてそうだよね」
 ひゅううううううううううううううううう!
 どおおおおおおおおおおおおおおおおおん!
 なんて勝手な想像をしながら話しているとさ。
 一発目の花火が打ちあがったよ。
「おっ、始まったね」
「うん。祐人、あれ言おうよ」
「そうだね。たーまやー!」
「かーぎやー!」
 夜空に向かって、二人で叫ぶ。
 ついこの間まで、ぎくしゃくしてたのが嘘みたいだ。
 別にケンカしてたわけじゃないけどさ。
 なんか、もやもやした気持ちが消えなかったし。
 今夜、こうやって創蒙川の花火大会に来られて良かった。
「おっ、梶浦君と咲紀さんじゃん」
 女の子の声が耳元で聞こえた。
 この声は……
「優子りんりん!」
 振り返れば、優子りんりんが立っていた。
 小島優子。この子も同じクラスだ。
「その呼び方、ずっとだね」
「うん。これでいくって決めたから」
「二人さあ、もう大丈夫なの?」
「別に大丈夫だよ。ケンカしてたわけじゃないからさ。ねえ?」
「うん。大丈夫ですよ」
 振り返って尋ねると、咲紀はなぜか敬語で答えた。
「しかし、すごい大人数だね」
「うん。どうせならさ、みんなで来ようって話になってさ」
 優子りんりんの後ろに居並ぶ面々を見回してみる。
 にゃん。朱里奈。ばやみな、くっちー。その他、多数だ。
「にゃん、スヌおは?」
「うちのスヌおちゃんは、お留守番犬だよ。祐人こそ、連れてきてないの?」
「うん。気を遣ってくれたみたいだよ」
「梶浦君、こんばんわー」
 のんびりした声で手を振っていたのは倉地飛鳥さんだった。
「おっ、くっちー。野球部のジャーマネがこんな所で遊んでていいの?」
「うん。今年は一回戦敗退だったからさ。私、暇だよ」
「そっかそっか。いや、悪気はなかったんだけどね……」
「ちょっと、ちょっとー。梶浦君、髪型、変わってるじゃないですかー」
「おっ、ばやみな。やっと突っ込んでくれたね」
「はい。誰も聞かないんで聞いてみましたよ」
「あっ、ほんとだー」
 朱里奈もようやく気がついたらしい。
 全く、みんな、咲紀さんに気を取られやがって。
 花火は終わらないって言うけどさ。
 さすがに、そんなことはなかった。
 花火はどんどん打ちあがっていって、創蒙花火大会は幕を閉じたのだった。

 二学期が始まってから数日が経過して、教室の雰囲気も落ち着いてきた頃だ。
 俺と咲紀の仲もぼちぼち。最近はちょうどいい距離のような気がする。
「ねえ、祐人」
「ん? なんか、あった?」
「うん。こないださ、創蒙駅の駅ピアノでね。弾いてる男の人がいたんだけどさ」
「へえ、どんな人?」
「茶髪でね、黒いサングラスをかけてたよ」
「へえ、髪を染めたタモリさんかな?」
「ううん。髪を染めたタモリさんではなかったよ」
「いくつくらい?」
「うーん、二十代から四十代くらいかな」
「幅が広いね」
「何を弾いてたと思う?」
「そんなクイズを出されても分からないけどさ」
「祐人の好きな曲だよ」
「ああ、犬学校校歌?」
「それは祐人のオリジナルソングでしょ」
「じゃあ、炭酸スイスイスイミングガールとか?」
「それも祐人のオリジナルソングでしょ」
「うん。きゃりーぱみゅぱみゅふうの歌ね」
「正解はね、Say anytingだよ」
「ああ、Xの?」
「うん。そうだよ」
「へえ、いいなあ。俺も聴きたかったなあ」
「そういえば、もうすぐ文化祭だね」
「そうだね。あっ!」
「どうしたの?」
「そうだよ! 文化祭だよ!」
「うん。文化祭だけど……」
「出ようよ!」
「何に?」
「出し物!」
「ああ、バンドやるの?」
「バンドでもいいけどさあ。俺、咲紀のピアノ伴奏で歌いたいなあ」
「何を歌うの?」
「やっぱり、without youかな」
「あっ、Say anyingじゃないんだ」
「俺はさ、咲紀にこの歌を捧げたいんだ」
「だったら、文化祭じゃなくてもいいじゃない?」
「まあ、細かい話はさ。どうでもいいじゃん」
「うん。そうだね」
「よし! 早速、今日の放課後から練習しよう!」

 ということで、俺達は放課後の音楽室に遊びに来ていた。
 世の中、コネさ。
 俺達はいつでも音楽室を使えるんだからな。
「ねえ、祐人。ユニット名はどうするの?」
「ユニット名か。じゃあ、パフュームとかどうかな?」
「その人達なら、もういるでしょ」
「そっか。咲紀、匂いフェチだからさ。いいと思ったんだけどなあ」
「他になんかないの?」
「咲紀、ラジオが好きでしょ?」
「うん。祐人もラジオは好きでしょ」
「そう。だからさ、アオハルレディオとか、どうかな?」
「おっ、意外といいじゃん」
「意外とって何、意外とって」
「じゃあ、アオハルレディオに決定ね」
「うん。体育館の主役は俺達、アオハルレディオがいただくってわけよ」

 教室に入っていくと、珍しい光景を目撃した。
 さくらと朱里奈が席に座っているではないか。
 菊ちゃんはまだ分かる。
 いつも俺より先に来ているから。
 でも、あの二人に先を越されるとは。
「おっ、珍しいね。君達が俺より先に来てるなんて」
「祐人が遅いんだよ」
「そうだよ。祐人、ノンビリージョエルじゃん」
「よく言うわ。いつも俺の方が先に来てるのに」
 さくらと朱里奈の言葉を軽く受け流しつつ、俺は席に着く。
「ねえ、祐人」
「ん? なんだ、らんぼ」
「文化祭さ、なんかやるの?」
「うん。彼女と一緒に出るぞ」
「えっ? 咲紀さんと?」
「うん。そうだぞ」
「漫才でもやるの?」
「そんなわけないだろ。歌を歌うんだよ」
「誰が?」
「俺が」
「へえ、祐人がボーカルなの?」
「そうだぞ。実はもう練習を始めてるんだよ」
「へえ、そうなんだ。何を歌うの?」
「Xのwithout youだよ」
「えー、祐人、歌えるのー?」
「歌えるよ。俺はマライアキャリーのエモーションの超音波ボイスも出せるからな」
「へえ、ちょっと出してみてよ」
「はあああああああああ! はあああああああああああ! はあああああああああ!」
「いや、出てないから」
「そうか。今日は調子が悪いみたいだな」
「今日も練習するの?」
「うん。そんな流れになると思うぞ」
「じゃあさ、私、見学するよ」
「なんだ。さくらは劇部だろ?」
「みんなで行くからさ」
「いや、稽古でもしてろよ」
「あっ、私も行くよ」
「うん。朱里奈は放課後映画部だからな。暇だよな」
「ううん。暇じゃないけどさ」

 ガールズルールが体育館に響き渡っていた。
 トップバッターはホワイトストーンだ。
 白井さんの歌声にオーディエンスも大熱狂さ。
 さあ、サックスソロだ。
 ステージ袖から覗くと、男がサックスを吹いていた。
 どこかで見たことがあるな、テレビとかで。
「せーの!」
 白井さんの声がマイクを通して反響する。
「ありがとうございました! ホワイトストーンでした!」 
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
 こちらこそ、ありがとう、ホワイトストーン。ステージは早くも暖まったらしい。
「次はチェリーブロッサムです」
 弥生はんのアナウンスが流れて、さくらがステージへと歩き出す。
「頑張ってね、さくら」
「うん。言われなくても頑張るよ」
 背中で素っ気なく答えると、さくらはステージの中央に立った。
「みなさん、こんにちわ。チェリーブロッサムです」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
 さくらがバンド名を言っただけで、野太い歓声が起こった。
 さくらがバンド名を言っただけなのに。
「さくらちゃん、すごい人気だね」
「うん。見た目は綺麗だからね」
 咲紀と話しながら、俺はチェリーブロッサムのステージを見守る。
「それでは、聴いてください。チェリー」
 一瞬、スピッツのチェリーかと思ったけどさ。
 YUIのチェリーだった。
「おっ、チェリーか」
「祐人、この曲、好きでしょ?」
「うん。名曲だよね」
 二曲目はaikoのカブトムシだった。
 さくらがしっとりと歌い上げる。
「うわあ、キラーチューン二連発だね……」
「うん。これは童貞を殺す曲だね……」
「童貞を殺す服なら聞いたことあるけどさ。童貞を殺す曲もあるんだ」
「これでさ、何人か、さくらちゃんに惚れたんじゃない?」
「そうだね。男性生徒の十人くらいはね」
「ありがとうございました! 桜、咲け!」
 チェリーブロッサムのパフォーマンスも終わり、さくらが下手へはけていった。
 さあ、いよいよ次は俺達アオハルレディオの出番だ。
「あー……あー……」
 ところで、俺の彼女は隣で震えていた。
 生まれたての子馬みたいなんて、よく言うけどさ。
 本当にそんな感じだよ。
「咲紀、生まれたての子馬なの?」
「そんなわけ……ないでしょ。ひひーん……」
「おっ、ボケを入れてくる余裕はあるみたいだね」
「祐人は緊張しないの?」
「けっこう、してるよ。でも、咲紀がすげえ緊張してるからさ。おかげで緊張できなくなってきたよ」
「祐人って、意外と度胸あるんだね……」
「そんなことないよ。とにかくさ、あっという間に終わるんだからさ。まあ、気楽にいこうよ」
「そんなこと、言われてもさあ……」
「大丈夫、大丈夫。咲紀なら弾けるよ」
「うん。じゃあ、円陣を組もうか」
「うん。二人しかないけどね」
 俺達は背中を丸めながら肩を組む。
「アオハルレディオ! きゅううううううううううううううん!」
「次はアオハルレディオです」
 弥生はんのアナウンスが体育館に響き、俺達は歩き出す。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
 俺達がステージに登場すると、大歓声が起こった。
 なんだ。俺はそんなに人気者だったのか。
 いや、咲紀への大歓声かな。やたらと声が太いし。
 俺は体育館のステージで歌ってやった。
 Without youを歌ってやった。
 魂を込めて歌ってやった。
「ヨーシキー!」
「ヒデー!」
「パーター!」
「ヒース!」
「トーシー!」
 いねえよ。一人もいねえよ。
 俺達はアオハルレディオだからな。
 しっとりと歌い上げて、次はMCだ。
 せっかくの晴れ舞台だからな。
 爆弾発言でもかましてやるか。
「みんな、聞いてください」
 マイクを握りながら言い放つと、体育館が静まり返った。
「俺と咲紀は付き合ってるんですけど、俺達は将来的には……結婚します!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「きゃああああああああああああああああああああ!」
「大人になった俺はきっと、アジケナージやグータラ・グルドと知り合っているんです。そして、あいつらと一緒にコンサートを見てるんです。ピアニストになった咲紀のコンサートを」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
 盛大な拍手が鳴り響いていた。
 おいおい、歌よりもこっちの方が盛り上がってるぞ。
「みんな、ありがとう!」

「ねえ、なんであんなこと言ったの?」
 教室に戻ってきた咲紀の第一声は、それだった。
「だって、文化祭だからさ。ちょっと、かましてやろうかなと思って」
「もーう、あんなこといってさ。別れたらどうするの?」
「大丈夫だよ。言霊の力ってあるからさ」
「ああやって言えば、結婚することになるの?」
「なるよ、きっと」
「えー、そうかな?」
「まあ、女心と秋の空っていうけどさ。咲紀は……変わらないよね?」
「そんなこと、わかんないよ……」
 咲紀は不安げな顔で俯いていたけどさ。
 俺は信じていた。
 俺達は結婚するんだ。
 咲紀はピアニストになっていて、有名なピアニストと面識があるんだ。
 だから、夫である俺もアジケナージやグータラ・グルドと知り合っているのさ。

「おっ、咲紀。駅ピアノだって」
「駅ピアノ?」
「うん。ほら、この記事」
 新聞を引っくり返して、記事を指差す。
 咲紀がテーブルの向こうから首を伸ばす。
「あっ、創蒙駅のね。また設置するんだ」
「懐かしいねえ。高校生の頃、あったよねえ」
「うん。二年生の時でしょ」
「そうそう。今度こそさあ、出てきたらいいなあ」
「何が?」
「未来のピアニスト」
「もーう、ピアニストなら目の前にいるでしょ?」
「うん。もちろん知ってるよ」
「一人で十分でしょ」
「そうだね。あははははは」
 そうだ。咲紀は駅ピアノ出身のピアニストじゃないか。
 全く知らない子じゃないけどさ。
 朝食を食べ終えた頃、電話の音が聞こえてきた。
 リビングにある固定電話の音だ。
「誰だよ、朝からイエデンにかけてくるのは」
「えー、誰だろうね?」
 俺達はキッチンを出て、リビングへ向かう。
「はい、しもしも?」 
「しもしもハロー、ユウト!」
 陽気な声が受話器の向こうから
 この声は……
「アジケナージ?!」
「イエース! アジケナージでーす!」
「どうした、こんな朝から」
「レーンダーンアルボームを出すことになったからね! 電話してみました!」
「レーンダーンアルボーム?」
「イエース! ワターシとのレーンダーンでーす!」
 別の男の声が聞こえてきた。この声は……
「グータラ・グルド?!」
「イエース! カッテクーダサーイ!」
「そうだね。買わせてもらうよ」
「ところで、ワイフは元気ですか?!」
「うん。今、隣にいるよ」
「そーですか! ちょっと、」
「うん」
 頷いてから咲紀に受話器を手渡す。
「もしもし、アジケナージさん」
「しもしもハロー、サーキ!」
「お久しぶりです。連弾アルバム、楽しみにしてますね」
「イエース! 夫婦で一枚ずつ、どーですか?!」
「いえ、一枚で十分ですよ」
「アーハハハハ! それもそーですね!」
 松木咲紀は今では梶浦咲紀。
 俺の妻なのさ。





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