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4.海老坂クンの正体

 翌日、僕が英会話教室の仕事を終えて、神楽坂の商店街を眺めながら帰路を辿っていると、後ろから声を掛けられた。

「オグマさん」

 振り返ると、麗人・海老坂クンがキラキラの笑顔で手を降っている。

「やあ海老坂クン! どうしたの?」
「昨日の晩、親に連絡してみたんです。そしたらオグマさんとのシェアの話、とても喜んでくれて」
「わあ、本当かい? それは僕も嬉しいなぁ」
「もし良かったら、今日は室内を見せてもらおうと思って来てみたんです」
「ああ、えっと…。まだ引っ越してきた時の荷物が残ってて、散らかってるよ?」
「オグマさんの都合が悪いなら、出直して来ますけど」
「ああっ…ええっ、と…、散らかってるコトを気にしないなら、大丈夫…」

 僕は今朝、部屋を出る時に室内がどうなっていたかを、必死になって思い出していた。
 なにかマズイ物を散らかしたままにしていなかっただろうか?

「急かすようで申し訳ないです。でも出来るなら、ホテル住まいは早いトコ切り上げたいので」
「そうだよね、気持ちは解るよ。じゃあ…」

 僕が麗人・海老坂クンを連れて赤ビルに戻ると、テラス席に柊一サンがだらしない格好で座って、マンガ雑誌を読んでいた。

「コグマ、おかえり〜…って、なんでエビちゃんが一緒にいんの?」
「こんにちは、お兄さん、昨日はどうもごちそうさまでした。俺、オグマさんと部屋をシェアしようと思ってるんです。決まったらまたご挨拶に伺います」

 柊一サンは、しばらく僕の顔を眺めた後で、なんだかものすごく意味深に、チシャ猫の顔になった。

「……ふうん、シェアねェ」
「なんか、物言いたげですね?」

 僕の問いに、柊一サンはますますニイ〜っと妖怪じみた笑みになる。

「世間知らずの坊っちゃんが、シェアなんかしたら危ないんじゃないの〜?」

 まるで僕の下心を告げ口するような発言に、僕は慌てた。

「柊一サン! 曲がりなりにも店子の僕に、それはないでしょう!?」
「ま、ケーサツ沙汰になるよーな事は起こさないでくれよな〜。俺、地元のお巡りと、むっちゃソリ合わないから〜」

 それだけ言うと、柊一サンは雑誌を読む方に戻ってしまう。
 そのまま柊一サンの前を横切ろうとした僕を、柊一サンは雑誌を眺めたままの格好で呼び止めた。

「あ、そーだ、コグマ!」
「なんですか?」
「今、ケイちゃんがレンと一緒に梱包作業してるから。メゾンの出入り口使ったほーがイイぞぉ」
「なぜですか?」
「そりゃ、エビちゃん部屋に連れ込むトコ、ケイちゃんに見られてもイイちゅーなら、俺は構わんケドな」

 チラッと目線を寄越した柊一サンは、その後に声に出さずに「き、を、つ、け、な」と言った。
 柊一サンが何に気をつけろと言ったのかは解らないが、言われてみるとなんだか敬一クンに後ろめたいような気もしてしまったので、僕は柊一サンのアドバイスを受けて、ビル脇の小道を通った。
 幸いにして僕の部屋は、惨憺たる様相…とまではいってなかった。
 僕は片付けが得意じゃないし、そもそも掃除も好きじゃないので、以前住んでいた6帖のアパートの部屋はかなり酷く散らかっていた。
 まだ引っ越しをしてきて一週間で、荷物の梱包を解くだけ解いた後に、本当はきちんと片付けなきゃな…と思ってはいるんだけど、10帖近い居室が3つもあるし、生活の殆どは20帖以上あるLDKでまかなえてしまえるので、そのまま日常が滞りなく過ごせてしまえている。
 だから、麗人・海老坂クンに見せなきゃならなかったのはLDKのみで、引っ越しの荷物をだらしなく散らかしたままの僕の部屋を見せずに済んだからだ。
 そして、LDKもそれなりに散らかってはいたけど、部屋が広すぎてあんまり散らかっているようには見えなかったのだ。
 麗人・海老坂クンは、室内の散らかり具合にコメントはせず、間取りや部屋の広さをじっくりと確かめた。

「部屋割は、どんな感じで予定してますか?」
「ああ、うん。僕が使ってない部屋の好きな方を使ってくれていいよ。それで部屋代と光熱費は、折半でいいかな?」
「そうですね、それで構いません」
「えっと、見ての通り、冷蔵庫やテレビは僕が前の下宿から持ってきたヤツだけなんで、あんまり大きくないんだけど…。あ、ハクビシンが出ちゃった下宿に入居する時に、家電なんかは買い揃えたのかな…?」
「ええ、ひと揃い買っちゃいましたね。まぁ、このスペースがあれば、わざわざ手放す必要はなさそうだけど」
「ああそう。じゃあ、いつから…」
「そろそろトラックが到着するかと」
「え…?」

 麗人・海老坂クンの言ってる意味を理解するより先に、外からクラクションが聞こえてきて、部屋の扉にノックの音がした。

「俺が出ます」

 そう言って、麗人・海老坂クンが僕の前から立ち去ったと思ったら、ドヤドヤっと数人の屈強な男が室内になだれ込んできた。
 どの人物も、麗人・海老坂クンの知り合いにしては微妙…というか、如何にも土木作業風の黄色に緑の十字マークがついてる安全帽が似合いそうなオジサンと、背中にカラフルな昇り龍だの観音様だのが刺青されてそうなニイサン集団だった。
 僕がビックリしている間に、オジサンとニイサン部隊が麗人・海老坂クンの指揮の元に、黙々と仕事に従じて、どんどこどんどこと荷物が担ぎ込まれ、更に窓の外になにか変な影が見えたと思ったら、この細い路地にどうやって入ってきたのか解らないが、デッカいクレーン車のアームが一人暮らしには不似合いな立派な冷蔵庫やら、乾燥機が付いているドラム式洗濯機やら、プラズマクラスター付きのエアコンやら、大画面薄型プラズマテレビやらを、バルコニーの窓から搬入している。
 この部屋はバス・トイレ付きの3LDKで、正直単身者には全く向かない…と言うか、贅沢なアパートで、作り付けのキッチンも大型の冷蔵庫や多機能型のレンジが置けるようになっている。
 だけど、敬一クンが説明していた通り、ビル自体が経年劣化の激しいオンボロだし、エレベーターに至っては敬一クンがメンテナンスをしてはいるが、安全性には不安も残るから、不動産屋の広告には ”お子様の居るご家庭はご遠慮下さい” とか書いてあり、入居時には管理側の免責書類にもサインした。
 僕が前の下宿から持ってきた冷蔵庫や電子レンジは、このキッチンが想定しているサイズよりも二回り以上小さかったのだけど、麗人・海老坂クンが持ってきた冷蔵庫も電子レンジも、まるで誂えたみたいにキッチンにピタッと収まった。
 大画面薄型プラズマテレビとプラズマクラスター付きのエアコンも、サクッと麗人・海老坂クンが選んだ出入り口に近いバルコニー付きの部屋に取り付けられ、部屋に置いてあった僕の荷物はポイポイポイッと隣の部屋に運び込まれて、小一時間も経たないうちに別の部屋と見違えるほどに、麗人・海老坂クンの部屋に様変わりしてしまった。
 作業が終わると、オジサンとニイサン部隊は麗人・海老坂クンに挨拶をして、入ってきた時と同様にドヤドヤッと去って行った。

「なんか、凄く、素早いね…」
「あはは、騒がせちゃってすみません。うちの親が、一日も早く中師のお兄さんの下宿に移った方が良いと言って、引っ越しの手配をしてくれちゃったんです」
「ああ、そうなんだ」
「それで一通り片付いたんで、俺、ちょっと出掛けてきます」
「今から?」
「夕食を食べに」
「店のアタリはつけてあるのかな?」
「いえ、この辺りのコト知らないんで、散策を兼ねて行ってこようかと」

 ここで気後れしている場合じゃない。

「じゃあ案内するよ。どうせ僕も、これから夕食だから」
「そうですか? じゃあお願いしよっかな」

 よし! 上手く一緒に出掛ける口実を作れたぞ。

「なにか、食べたい物はある? 特にないなら、オススメの焼肉屋さんがあるんだけど…」
「俺、美味いモノなら何でもいいです。美味いモノなら、ね」

 麗人・海老坂クンは、その美しい顔にニッコリと笑みを浮かべてみせた。

 夕食を済ませて部屋に戻ったところで、僕はキッチンでお茶を煎れた。
 ガッツリと焼肉を食べた後だから、食後に気分転換のコーヒータイムを…と、画策しているからだ。
 でも本当を言うと、僕が特別な時にしか行かないちょっと値の張る焼肉屋さんの、座布団と呼ばれてる名物のカルビ肉を海老坂クンが僕の倍くらいの量ペロリと食べてしまったのには、正直たまげていた。
 それに支払いの時も、僕の一歩後ろに下がった位置で、麗人・海老坂クンがキラキラの笑顔でニッコリしてるので、なんとなく僕が全額支払ってきた。

「海老坂クン、インスタントだけど、コーヒーどうかな?」

 声を掛けたら、麗人・海老坂クンがリビングに出てきて、笑顔でソファに座った。
 ソファは先程の引っ越しで、麗人・海老坂クンが部屋に持ち込んだ家具だ。

「ありがとう、オグマさんは本当に心遣いのある人ですね」

 くつろぎながらお茶を飲む姿から、キラキラと金粉が零れ落ちそうな美しさで、なんともはや眼福だ。

「ところで海老坂クンのご両親、お仕事は何をしているのかなぁ?」
「うちの父は土木関係の仕事をしてます。今日の引っ越しも、父の仕事を請け負っている人達が手伝ってくれたので、スムーズに進みました」
「ああ、お父さんの仕事関係の知り合いなんだね…」

 年配の人達はいかにも工事現場にゾロゾロ居そうなタイプだったけど、若手の人達は、なんというか物騒な感じの人…みたいだったのだが、一体どの辺の仕事なんだろう?
 あれこれ考えていたら、想像がどんどん恐い方向に進みそうになり、僕はその辺のことは追求するのをやめた。

「あー…、ところで突然だけど、海老坂クンは、好きな人とかいるのかな?」
「好きな人とは?」

 ニッコリ笑いながら、真っ直ぐにこっちを見ている視線が全く揺らがないので、僕の方が動揺してしまう。

「え…だからその、付き合っている人とか…、まだ打ち明けてないけど好きな人とかって…、まぁ、そういう方向の、普通の意味で、だけど…」
「なぜそんなコトを聞くんですか?」
「いやぁ、だって海老坂クンみたいに容姿端麗だったら、引く手数多なんじゃないかと思って…」
「オグマさん、俺にそういう方向の下心があって、シェアを申し出てくれたんですか?」
「ええっ!? いや、その、下心って言われちゃうと、アレなんだけど……」

 年上の僕の方が狼狽えてしまうほど、麗人・海老坂クンは、ストレートにズバズバと切り込んでくる。
 しかも僕が言いあぐねてもじもじしている間に、麗人・海老坂クンは、席を斜向かいから僕の隣に移してきた。
 と言うか、モノスゴク積極的に僕にピタッと身体を寄せてくる。
 色白で目ヂカラのある、モノスゴク魅力的で綺麗な顔が間近に迫ってきて、僕の心臓が跳ね上がった。

「実は俺、オグマさんが言う、そういう方向の、まだ打ち明けてないけど好きな奴がいるんです」
「えっ…そうなの?」
「中師敬一ですよ」
「ええっ! そうなの?」

 確かに敬一クンはハンサムでモテそうだと思ったけど、でも彼はかなり鈍くてダサいので、こんなに魅力的で行動的な麗人・海老坂クンが、まだ告白もせずに黙って傍にいるだけなんて、なんだか信じられない感じだった。
 僕がそんな事を考えてる間に、麗人・海老坂クンはティーカップをサイドテーブルに置き、僕の持っていたカップも取り上げて、コトリとテーブルに置いた。
 そして突如、それまでの美しい動作とは似ても似つかぬ荒々しい動作で僕の肩を掴むと、モノスゴいチカラで僕を突き飛ばした。
 それはもう壁ドンならぬ床ドン(いや、ソファだけど)って勢いで、気付いたら僕の腹の上に馬乗りになった麗人・海老坂クンの顔が、目の前に迫っていて、しかも天井の蛍光灯が逆光になっていて、なんだかモノスゴク怖い!
「オマエは、俺が中師のコトが好きなら、俺の方からしおらしくコクれば、すぐに成就するだろうに、なんて思ってるんだろう?」
「そ…そうかも…ね…」
「それにオマエは、俺のこの小綺麗な顔形が好みで、俺とイイ仲になりたいと思ってんだろう? ええ、そうなんだろう?」
「いや…それは、その…」
「悪いナ、俺はオマエが希望するようなお付き合いは出来ねェよ。なぜなら俺は、食われるより食う方が好みなんだ。中師のコトも食いたいと思ってるが、俺はアイツに惚れてるから、優し〜く舐めしゃぶってやりたいんだ。もしオマエが、ニブチン相手になかなか進展出来ねぇ俺の恋心を慰めてくれるって言うなら、もちろん俺は遠慮なんかしねぇよ? だがその場合は、優しくなんか食わねぇケドな」

 間近に迫った海老坂クンの顔が、その瞬間、僕には悪魔よりもオソロシイ形相に見えて、凍りついた。
 でも暫しの間僕を凍らせた海老坂クンは、スッと僕から離れると、最初に座っていた斜向かいの位置に腰を降ろした。
 そしてテーブルに置いたカップを手に取ると、残っていたコーヒーを美麗な所作で飲み干した。

「ごちそーさん、美味かったぜ。あ、ルームシェアの件、サンキューな」

 キラキラの笑顔でそう言って、海老坂クンは自室に去っていった。

しおり