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第32話 ~優しい笑顔~

「大丈夫かえ? 陽之助」
「……はい」
 龍馬さんと陽之助さんが、互いに見つめ合う。

 縋るような目で、龍馬さんを見つめている陽之助さんを見た時、胸の奥に重い痛みを覚えた。

 あたしは陽之助さんが好きなのに、彼は別の人を見ている。

 龍馬さんには敵わないと理解(わか)っていても、やはり彼に嫉妬してしまう自分が居た。陽之助さんのことを、まだ諦め切れていない自分が居た。

「……龍馬さん、実は(ワイ)貴方(オマハン)にお知らせしたいことがあって、此処まで来たんです。海援隊本部が、新撰組に襲撃されたんです……!」
 顔を上げた陽之助さんが、龍馬さんを見て告げる。

「それは……まっことかえ!?」
 陽之助さんが頷き、龍馬さんは立ち上がって辺りを見回した。
 龍馬さんと同じように、辺りを見回す。

 すると、屋敷が集まったこの辺り一帯に、禿(かむろ)達が数人に固まってウロウロしているのが見えた。

「ちっくと今日は、禿の数が多いにゃァ。海援隊本部に()んて、皆ァの無事を確認したいがやけんど、見つかったら面倒なことになるぜよ」

 此処から海援隊本部に行けば、恐らく夜になる。禿達に足止めを食らえば、それより遅くなってしまうだろう。あたしや陽之助さんの体力が、それまで()つかも(わか)らない。

 暫く考え込んでいた龍馬さんが、あたし達を振り返った。
「2人共、此処から近江屋まで行けるかえ? この前みたいに、近江屋で夜を明かすがじゃ。ワシも光秀との会談も終わって、今からは特に予定はないき。近江屋で身を隠すぜよ。外に()るがは危険じゃ」

 政宗様が言っていたように、冥王界の夜は危険だ。特に、新撰組や禿がパトロールしている。今日は昼でさえこれだけ居るのだから、夜はもっと数が増すだろう。
 龍馬さんの言う通り、1度近江屋で夜を明かす方が賢明だ。

「はい、行けます。行くなら早い方が良いので、もう行きましょう」
 そう言って、あたしは立ち上がった。

 陽之助さんも立ち上がり、龍馬さんを見て頷く。
 それに頷き返した龍馬さんが、(きびす)を返して歩き出し、あたし達も彼に続いたのだった――。


 空が、水色と朱色の絵の具で描いたように、美しく広がっている。

 近江屋に着いたあたし達は、以前と同じ2階の部屋に通された。近江屋のあの太った男の人は、龍馬さんを信頼しているのか――あたし達のことも疑うことなく、部屋に通してくれた。

「……龍馬さん、(ワイ)……()()()がするんです。近江屋(ここ)に、誰か襲って来るん(ちゃ)うやろか思て……」
 着物の胸元辺りを掴み、不安げな顔をしている陽之助さん。

 龍馬さんが、障子を少しだけ開けて外を見た。禿達の数は減っていない。

 静かに障子を閉めた龍馬さんが、口を開く。
「けんど陽之助、今日はどういてか禿の数が多いがじゃ。夜になったら、もっと数が増えるろう。今から海援隊本部に()んたら、夜になるき。それに、禿との戦いは避けられん。足止めを()ろうて遅うなるだけやない、ワシ()ァも無事でおれる保証はないぜよ」

 陽之助さんの胸騒ぎも気になるけれど、龍馬さんの言う通り、今は外に出る方が危険だろう。
 それに、この近江屋は狭い。大勢で襲って来ても、それは大して脅威にならないハズだ。

「すんまへん……龍馬さんの仰る通りです。(ワイ)の考えが、浅かったですわ」
 少しシュンとした様子で、陽之助さんが謝罪する。
 すると龍馬さんが、落ち込んでしまった陽之助さんの頭を撫でた。
「そんなことはないぜよ。オマンの言うことにも、一理あるき」

 此処が襲われないことを願いながら、身を隠し続けるしかない。

 もう直ぐで夜が来る。何故、今日こんなに(しん)()(ろう)が動いているのかは判らないけれど、夜が明けて静かになるのを待つんだ。


 やがて外が暗くなり、雨が降り出した。
 狭く薄暗い部屋を照らすのは、行灯(あんどん)の明かりのみ。

 此処に居る全員がそうだと思うけれど、やっぱり海援隊本部で新撰組と戦っている、沢村さん達のことが気になる。
 まだ戦っているんだろうか? 全員無事だろうか? 色んな事を考えてしまう。

 陽之助さんは龍馬さんに体を預けて、ウトウトしている。2人の体格差もあって、華奢な陽之助さんは小動物のように愛らしい。だけど彼もやはり、沢村さん達のことが気掛かりなのか――何処か物憂げな表情をしていた。

 その瞬間(とき)、ドンッという音が階下から聞こえた。

 あたしと龍馬さんは、階段のある方に視線を向ける。陽之助さんも顔を上げ、あたし達と同じ方を見た。
 物音は途絶え、陽之助さんが立ち上がる。

「龍馬さん、(ワイ)が見て来ますわ」
嗚呼(ああ)、頼んだぜよ」
 龍馬さんが頷いたのを見て、襖を開けて部屋を出て行く陽之助さん。

 だけど、陽之助さんが出て行ってから数秒後、今度は2()()()()()()()()()()()()()がした。

「何ぜ……」
 龍馬さんがイラ立ったように、眉を(ひそ)めた。そして、階段の方に向かって叫ぶ。
「ほたえなッ!!」

 次の刹那、襖の向こうから陽之助さんの()()()()()()が聞こえた。
「龍馬さん……ッ!!」

 だけどその直後からは、もう()()()()()()()()()()()()

 何かを察したのか――龍馬さんが、あたしを押入れに押し込んだ。

 スパァンッ!!
 襖が開け放たれる。

「ぐ……ッ!!」
 龍馬さんが呻く声が聞こえ、あたしは押し入れを少し開けて、様子を窺った。

 長身の男が1人立っているけれど、あたしに気付く様子はない。

 ――沖田さんだった。

 あたしの心臓が、ドクドクと音を立てる。

 沖田さんが片手で握っている、刀の切っ先からは――鮮血が滴っていた。対する龍馬さんは、額から血を流している。

 沖田さんに斬られたんだ……!!
 龍馬さんが押入れに押し込んでくれなければ、もしかしたらあたしが斬られていたかも知れない。

 陽之助さんは無事なのだろうか?

 龍馬さんが普段から懐に入れているピストルを出し、天井に向けて放つ。

 ダァンッ!!
 耳の鼓膜が破れるかと思う程の轟音。

坂本(テメェ)()()を持ってやがんのは、知ってんだよ。そんな脅しが効くと思ったのか?」

 沖田さんは少しも怯むことなく、龍馬さんに斬り掛かって行く。
 龍馬さんが咄嗟に2発撃つが、沖田さんには当たらず、沖田さんが着ているダンダラ羽織に穴を開けただけだった。目に血が入って、前が見えていないのだろう。

「……ッ!」
 龍馬さんが、再びピストルの引き金を引く。

 カチッという小さな音だけがした。
 まさか、弾が切れた?

 沖田さんが刀を振り上げている。
 このままでは――()()()()()()()()

 こうなったら……ッ!!

 あたしは覚悟を決め、襖から飛び出した。

「龍馬さんッ!!」
 その名を叫び、龍馬さんと沖田さんの間に入る。

 (まも)りたい――ただそれだけだった。大切な人だから。

 容赦なく、迫り来る(やいば)

 ザシュッ……!
 腕が熱く疼いた。

 激痛に腕を押さえ、あたしは沖田さんを睨み付ける。

「やるじゃねェか、クソガキ」

 強い殺意の込められた()(はく)色の瞳が、あたしを捉える。

 斬られたみたいだし、激しい動きに息が切れたけど、そんなことどうだって良い。
 護らなきゃ、何としても。

「萌華、退()がりやッ!!」
 龍馬さんに、後ろにグイッと押される。

「龍馬さんッ!!」
 突然の龍馬さんの行動に驚き、あたしは彼を見上げた。

 一瞬見えた龍馬さんの顔は、かつてない程に真剣だった。

 彼はあたしに背を向け、抜刀する。以前洪庵先生と戦った際に左手を負傷した為、刀は右手だけで握っている。

「龍馬さん!! ダメです!!」
「何を言いゆう!! 大切な仲間を護るがは、当たり前じゃろう!!」

 沖田さんが、龍馬さんに斬り掛かった。
 (やいば)(やいば)がぶつかる音が、狭い部屋に響く。

「龍馬さんだって、あたしや陽之助さん、海援隊の皆さんにとっても大事な人です!! 今、こんな所で()()()()()()()()()じゃないッ!!」
 あたしは、夢中になって彼の背中に向かって叫んだ――陽之助さんの悲しむ顔を見たくなくて。そして何より、あたしにとっても大事な龍馬さんを失いたくなくて。

「ヤァァァァァァッ!!!」
 気合いの叫び声と共に、陽之助さんが奥の部屋に飛び込んで来た。そして、沖田さんに斬り掛かる。
 彼は、既に(せっ)()になっていた。

 陽之助さんの姿を見て、驚いた――彼の白い胸元が、袈裟懸けに大きく斬り付けられていたから。お腹が見えるくらい短い紫の着物は、真っ赤に染まっている。沖田さんに斬られたものだろうか?

 だけど彼は自分の傷になど目もくれず、沖田さんに襲い掛かって行った。

 ギィンッ!!
 沖田さんと陽之助さんが、(やいば)を交える。

「うッ!」
 苦しげに呻いた陽之助さんが崩れ落ち、激しく肩を上下させて咳き込んだ。

 沖田さんが、再び龍馬さんを見据える。

 あたしがもう1度、2人の間に入ろうとした刹那――沖田さんの攻撃によって、龍馬さんの刀が折れた。

「くッ!」

 ギリッと奥歯を強く噛んだ龍馬さんが、あたしを振り返ったかと思うと、その逞しい両腕であたしを抱き締める。
 そんな龍馬さんの背後に迫る――沖田さん。

「萌華……ッ!」
 耳元で囁かれる、龍馬さんの声。それと同時に、抱き締められる腕の力が強くなる。

 龍馬さんがあたしを見て、フッと微笑んだその時――その背中に、大輪の(あか)い華が咲いた。

 視界が赤に染まる。

 あたしを抱き締めていた逞しい腕が力を失い、龍馬さんが血の海の中に倒れ込んだ……。

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