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第10話 ~闇に紛れて~

 耳鳴りがする程の静寂が訪れていた。

 陽之助さん、何処に行ったんだろう?
 あたしは廊下に出る。

「萌華、陽之助はどういた!?」
 と、龍馬さんが現れたかと思うと、真剣な眼差しで彼はあたしの肩を掴んだ。
 スゴい音がしたし、心配して駆け付けてくれたのだろう。

「部屋を出て行きました。なので探していたんですけど、何処にも居なくて……」

 歯軋りする龍馬さんを、あたしは見上げた。

(かげ)(くれない)は飲んだがか?」
 あたしは頷く。

「そうかえ……! これで、陽之助(アイツ)の病が……!」
 少し嬉しそうな龍馬さんを見るといたたまれなくなり、あたしは俯く。

 何も言わないあたしを不審に思ったのか、龍馬さんがあたしの顔を覗き込んで来た。
「どういた?」

 あたしは意を決した。彼にちゃんと()()()()()を言うベキだ。

「……覚悟して聞いて下さい。洪庵先生、『どんな傷病も治る』って言ってたじゃないですか。――でもあれ、洪庵先生が()いたウソだったんですよ」

 龍馬さんが、目を見開いた。
「ま、まっことかえ……!?」
 彼の表情がどんどん険しくなって行く。

「萌華、ウソは言いなや。今やったら許すき。ホンマのことを言うとおせ」
「ウソでこんなこと言えるワケ、ないじゃないですか。本当に、洪庵先生の()いたウソです」

 恐れるような彼の表情が、この上ない怒りの表情に変化(かわ)って行く。

「あの藪医者……!!」
 龍馬さんが拳を震わせた。

 あたしの胸にも、洪庵先生に対する怒りが込み上げて来ていた。

「萌華、あの血は……まさか……ッ」
 部屋には、まるで激闘(たたかい)でもあったのかという程に、夥しい量の血が広がっている。

「あれは全て、陽之助さんの喀血です」
 あたしは、出来るだけ感情を込めないようにして言った。

 龍馬さんが、悔しそうに眉間にシワを寄せる。

「あればァ血を吐いたがやったら、陽之助の命が危ないぜよ! 陽之助、どればァずつなかったがか……!」

 今も彼は、苦しんでいるに違いない。そう思うと、居ても立ってもいられなくなった。龍馬さんも、それはきっと同じだろう。

「龍馬さん、外に探しに行きましょう。まだ、そんな遠くには行ってないと思います」
「外かえ……」

 診療所の中に居ないとなると、考えられるのは外しかない。

 あたし達は外に出た。
 外では祭りが催されており、犬1匹通れないと言っても過言ではない程の人混みだった。

「行くぜよ」
 そう言って人混みの中に入って行った彼に、あたしも続いた。
 ――離れないように、手を繋いで。


「ちっくとスマン! ()んぐに通るき!」
「ちょっと通して貰えますか?」
 そんなことを何度も言いながら、2人は前へ前へと進んで行った。

「あの、若い男の人見ませんでしたか!? 髪を下ろして寝間着を身に着けた男の人を探してるんですよ。女の子みたいにカワイイ顔してて、多分咳をしたり血を吐いたりしてたと思うんですけど」
 あたしは、色んな人に陽之助さんのことを聞いた。
「見たぜ。ソイツなら、今オメェさん達が行ってる方に歩いてった。ヒデェ顔色だったし、確かに口の周りに血が付いてたな。しかも、()()()()()()。ビックリしたぜ」
「そうですか。有り難う御座います」

 ――そうして暫く進んで行くと、やっと人混みを抜けた。

 あたしは、肩で息をしながら俯く。
 そんなあたしを、龍馬さんは何も言わずに――でも何処か悲しげな目で見つめていた。

「……ゴメンなさい。行きましょうか」
 あたしは龍馬さんを見上げ、言う。
 龍馬さんが、静かに頷いた。

 祭りは既に引けている。

 暫く歩いていると、龍馬さんが不意に足を止めた。

「これは……ッ!」
 驚いた声音でそう言った龍馬さんが、足元を見つめている。

「どうしたんですか?」
 あたしも、龍馬さんの足元を見下ろす。
 其処には――(あか)い雫が零れていた。

「これ、まさか……」
 あたしが言うと、龍馬さんが頷いた。
「恐らく、陽之助の血じゃ」

 もしかしてと思い、あたしは顔を上げて前を見る。
 想像した通りだった。道案内をするかのように、血が転々と零れている。
 あたし達は、それを頼りに歩いて行った。


 暫く歩いた頃だろうか?
「――コホッコホッ……ケホッ」
 と、近くで空咳が聞こえた。

 龍馬さんが、ハッと咳が聞こえた方に視線を注ぐ。
「陽之助……? オマン、まさか其処に……」

 咳は、薄暗い路地裏から聞こえている。

 龍馬さんが路地裏を覗き込んだ。あたしも、彼の後ろからそっと見る。

 陽之助さんと断定は出来ないけれど、確かに人が(うずくま)っていた。
 明らかに背の高い青年だった。でも陽之助さんにしては大柄で、肌の色も浅黒いような気がした。
 そんな()()()を覚えながら、あたしはその男を窺う。

 龍馬さんが路地裏に入って行き、あたしは彼の後に続いた。

「ケホッゴホン! ゴホゴホ……くッ」
 男が声を漏らす。

 一瞬唸ったのかと思ったけど、()()()()()()

「く……クックックックッ」
 場違いな程に楽しそうな笑い声。その声は、陽之助さんのものとは違った。でも、()()()()()()()

「!?」
 ジャリ。
 龍馬さんが、砂を踏む音がした。驚いたのか、1歩後退(あとずさ)りしている。

 その時、一瞬何かが光った。
 あれは……刀!?

 男が振り向くと同時に抜刀したのだろう。
 (やいば)の切っ先が、こっちに向けられている。

 暗くて、男の姿が見えない。
 感じるのは、異常なまでの殺気。

「誰ぜ、おんしゃァ」
 龍馬さんが、静かな声で言う。

 男は答えない。
 その代わり、素早い突きをして来た。

「……ッ!」
 龍馬さんは何とか()ける。

 男の殺気に少しも怯むことなく、彼は懐から拳銃(ピストル)を出して構えた。

「誰ぜッ!!」
 龍馬さんの一喝が、空に木霊する。

 やがて、男が出て来た。

 彼の顔を目にし、あたしは驚く。

「沖田さん!!」
 沖田さんを見たのは、初めて龍馬さんと逢った日以来だ。

 龍馬さんがギリッと歯噛みした。
 沖田さんは余裕の笑みで、龍馬さんを見据えている。

 すると、側にある建物の屋根から誰かが飛び降りて来た。

「!」

 現れたのは、長い黒髪をキリッと1つに(まと)めた、色白で小柄な美少年。

 ――遮那王君だった。

「久し振りじゃねェか」
 と、沖田さんが口の端を吊り上げる。

「此処は僕に任せて、お逃げ下さい」
 そう言いながら、遮那王君がスラリと刀を抜いた。

 あたしと龍馬さんは、一瞬躊躇した。
 でも、こうしている間に陽之助さんが――。

「まっことスマン! 頼んだぜよ!」

 先を急ごうと、あたし達が(きびす)を返した刹那、背後で乱闘が始まった――。


 夜も完全に更けた頃、ポツポツと雨が降って来た。
 雨は、2人の着物に水玉模様を描いて行く。

「……降って来たにゃァ」
 龍馬さんが空を見上げながら言った。

 外には、殆んど誰も居ない。

 だんだんと雨は激しくなって行き、あたしも龍馬さんもビショビショになった。遂には雷まで鳴り出した。
 まだ閉店していないお店のお陰で明るいけど、血は雨に紛れて(わか)らない。

 すると、かなり前の方にあるボンヤリとした影が、あたしの視界に入って来た。蹲っている女性のように見える。
 龍馬さんがハッとし、走って行く。

「龍馬さん……!!」

 その瞬間(とき)、心臓に激痛が走った。

「……ッ!!」
 あまりにも激しい痛みに蹲りそうになったけど、何とか耐える。

 そしてあたしも、龍馬さんの元に追い付いた。

 其処に――陽之助さんが居た。

「陽之助さん……!」
「コホッコホッケホッ……ッう……ゴホォッ!!」
 左手で口元を押さえ、陽之助さんは咳き込み続ける。

 彼が咳き込む声は、殆んど降り注ぐ雨に掻き消された。

 彼は髪も体もビショビショに濡らし、白い着物が肌に張り付いている。腰から下や体を支える右手はドロドロだ。しかも、裸足だった。

 龍馬さんが、安心させるように何度も彼の背中を(さす)る。

 あたしは深呼吸をしようと、息を吸い込んだ。
「……うッ!!」
 再び平然を保てない程の激痛に襲われ、あたしは顔を歪める。これまでにも心臓の痛みはあったけれど、これ程までに痛いのは初めてだ。

 龍馬さんが振り返る。
「……萌華?」
「何でも……ないですよ……ッ」
 そう言って、あたしは平静を装った。

「ゲホッ……ゴホゴホッゴホッ!! ……ッ……ゴホッゲホン!!」
「陽之助ッ!!」
 ハッと龍馬さんが振り返り、目を見張る。

 雨が、紅く染まっていた。しかしそれもやがて、次々と降り注ぐ雨に紛れ、薄まって行く。

「うッ……うゥ……ッ」

 突然、雷が光った。

 一刻も早く、医者に診て貰わなければならない。でも洪庵先生は、()()()()()()()()()()

「どういたら……」
 龍馬さんも焦っているようだ。

 心臓の痛みが増して来た。少し息を吸うだけで、激痛が走る。

 陽之助さんは、咳を押し殺そうと呻いている。その(たび)に薄い背中が震えた。

 あたしは、陽之助さんの肩を支える。
 苦しみにキツく閉じられた彼の瞼から、透明な雫が零れた。でもそれを誤魔化すように、冷たい雨が頬を濡らして行く。

「ゴホッゴホッ……ゲホ……ッ! うゥ……」
 咳き込み、陽之助さんは弱々しい苦しみの声を漏らした。

 龍馬さんが、絶え間ない咳に苦悶する彼の背中を強く擦る。
「陽之助……」
「ハァッ……ハァッ……ゴホ……ハアァ……ッ」
 肩を上下させて、陽之助さんが喘いだ。

 雨が激しく地面に打ち付けている。

「は……ッハァ……ハアァ……、うッ……!」
 と、彼が小さく呻く。

 それと同時に、陽之助さんの体がフッと力を失った。

 あたしは咄嗟に彼の体を支える。

「陽之助さん……?」
「…………」
 反応がない。

 ――まさか。

 あたしは、陽之助さんの顔を覗き込む。

 彼は、気を失っていた。

「陽之助ッ」
 やはり反応はなく、目を閉じたままだ。

 ズキンッ!!!
「――ッ!!」
 心臓に激痛が走った。
 あたしは痛みを堪えようと、キツく目を閉じる。
 息を吸う度に、胸に激痛が走る。

「萌華!?」
「……う……ッ」
 顔を歪め、痛みが治まるのを待った。でも、なかなか治まらない。

 ふと、陽之助さんを見た。
 その端麗な顔からは、既に苦しみは消えている。
 消えていないのは、頬を伝った涙痕だった。

しおり