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 十月十二日水曜日 午後二時十分
 一海寺庫裡(大座敷)

「こんな時に住職らどこ行ったんや」
 腹ごしらえを終え、所在なげに壁にもたれていた村島が不安な表情で座敷内を見回す。
 居眠りしていた日野はその声に目を開け、同じように見回すと「三上も片岡もおらんで。ついでに聖徳も」と言いながらあくびをした。
「よう居眠りなんかできるなぁ。俺は無理。いつあれがここへ来るか思うと怖て怖て――」
「ここにはこやへんの違うか」
「なんでや?」
「うーん。何となく」
「それ理由にならへんやん」
「お前ら漫才やってんのか」
 二人の間に桧川芳が割って入った。
「うるせっ」
 村島が唇を尖らす。
 桧川の眼鏡がきらりと光ったのを見て日野は、やっぱ村島あほやわと胸の中でため息をついた。
 クラスの女子ども、特に桧川にたてついてはならない。男子間では暗黙のルールだ。
 あの我関せずの三上でさえこのルールを守っているというのに。
「なんやと村島っ」
「女のくせに」
「お前一番言うたらあかん言葉言うたな」
「まあまあ。続きは無事に助かった時にしよ」
 桧川に胸ぐらをつかまれあたふたする村島を見て日野は二人を諫めた。
 がらっと勢いよく障子が開き、片岡が飛び込んできた。
「ここら辺りも霧が濃くなってきたで」
「あ、あれが、こ、こ、ここに来るんか?」
 村島の怯えきった声に桧川が右の口角を上げた。
「来るんやろなぁ、真っ先にお前が喰われんちがうか」
「や、やめろやっ」
「もうっ、けんかしてる場合やないでっ。
 で、どうなん?」
 日野は村島の背中をグーで一発殴ってから片岡に訊ねた。
 片岡が首を横に振る。
「どうなってんのかさっぱりわからん。聞いたことない鳴き声も聞こえるし」
 村島が息を呑んだ。
「だんだんこっちに近づいて来てんのやろか」
「それはどうかわからんけど、声が近なったり遠なったり移動してる」
 日野の心配に片岡がそう答え、再び村島が息を呑む。
「お、俺ら、ね、狙わてるんやろか」
「ここに人いてんの気づいたら来るかもしれへんな。ふふっ、もうお前ロックオンされてるで」
 震える村島に桧川が笑い、二人は小競り合いを始めたが日野は不安でもうそれに構う余裕はなかった。
「なあ、三上はどこや」
 片岡がきょろきょろ辺りを窺っている。
「わからん。さっきから姿見えへん。聖徳もおらんし。まさかここから逃げたとかない思うけど」
「三上に限ってそれはないやろ。聖徳は知らんけど」
「何が知らんて?」
 その声に片岡がぎょっとして振り向くと後ろに聖徳が立っていた。
「い、いえなんもないです。それより先生、これからどうするんですか」
「うーん。今、住職らと三上が動いてくれてる」
「策があるんですか?」
 日野は二人の会話に割って入った。村島たちも小競り合いを止めて聖徳に注目する。
「あるかもしれん。まだわからんけどな」
「わからんて――あれ、もうそのへんまで来てんやでっ」
 涙声で抗議する上島の頭を桧川が叩く。
「お前なあ自分なんもせんと、うちの聖徳先生に偉そうに言うな。
 先生。もしかして死ぬかもしれへんから今告白しときます。
 先生のこと好きですっ」
 言ってから桧川はきゃっと両手で赤くなった顔を隠す。
 こんな桧川を見るのは初めてなのと同時に、覚悟を決めている彼女を日野は尊敬した。
「そんな告白されても先生としてはなんも答えられへんというか――ただな、死ぬかもしれへんとか思うな。何としても生き抜くんや」
 聖徳の言葉に桧川は強くうなずく。
「こんな時によう告白できるなあ。俺やっぱお前んこと怖いわ」
 ようやく悟った村島の腹に桧川のパンチが入った。
 織田奈々と東成美が籠を持って日野たちの前にやってきた。
「これみんなにっておばさんが。ご本尊のお供えなんやけど、ちょっとでもご利益あるかもしれんから食べときって」
「一応みんなに配っといたよ」
 差し出す籠の中には様々な種類のお菓子が入っている。
 いち早く桧川がチョコレートに手を伸ばし、日野たちも各々好みの菓子を手に取り封を開けた。
 その時、玄関の辺りで物音がし、大座敷にいる全員が動きを止めた。
「今、音したな?」
 声をひそめ聖徳が誰にともなく訊き、その問いに片岡が唾を呑み込みながらうなずく。村島が急いで菓子を頬張り桧川の腕にしがみついたが払い除けられ日野に抱きつく。織田と東は片岡の陰に隠れた。
 再びがたがたと音が聞こえた。
 確か玄関には鍵を掛けてある。住職が全員を入れた後、しっかり掛けていたのを日野は見ていた。
 だが、玄関は木製のガラス引き戸だ。力まかせに蹴り飛ばせば簡単に壊れるだろう。あの化けもんにそれができるかどうかわからないが――
 三度目の音がした。
 聖徳と片岡が目で合図し、そっと玄関に向かう。
 日野たちも後についていった。
 引き戸を探っているような音ががたがたとまた聞こえ、聖徳がゆっくり三和土に繋がる障子を開ける。広い土間の左にある靴棚には仁子が入れたのか、脱ぎっ放しだった全員の靴が揃えて入れられてあった。
 その横、摺りガラスの引き戸の向こうに人の形にしては異様な影が映っている。
「ひっ」
 声が漏れた村島の口を桧川が抑えた。
 影の手が引き戸を打つ。
「親父っ開けてくれ」
 トーンを抑えた、だが朗々と響く声がした。
「おっ小木原っっ」
 靴も履かず真っ先に聖徳が三和土に駆け下り、もどかしい手つきで開錠する。
 がらがらと開いた引き戸から濃厚で生臭い霧とともに小木原が入ってきた。背中に背負った少女と左脇に抱えた少女を三和土に降ろし、荒い息を整えている。
「生きとったんやなっ、生きとったんやなっ」
 今にも泣きそうに聖徳が小木原をハグした。
「な、なんや、気色悪いな」
 眉をひそめる小木原を見つめ「よう生きてたな」と片岡も涙を浮かべた。
 日野はほっと息をついた。
 片岡、三上、小木原。この三人が揃えばなぜかこの状況を切り抜けられる、そんな気がした。
「なになに? 小木原君めっちゃ可愛い彼女二人も連れて」
 桧川が村島を押しのけ少女たちの前にしゃがみこんだ。織田も東もにこにこと二人を囲む。
 小さいほうの少女が織田の持つ籠の中を物欲しげに見つめ、大きいほうがそっとそれを制した。
「あ、いいんよ。これご利益あるお菓子やからね。どれにする?」
 織田が二人に籠を差し出すのを見ながら小木原が誰にともなく問う。
「そらそうと、親父、今どこにいてるんや」

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