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第49話

 どうして……? と、ナオは一瞬呆然とした。

 大きくて目立っている桜。その前に立っているのに、なぜ澄人は目を向けてくれていないのか? そんな脇役的な、ちんけな花をどうして見ているのか?

 だが、今しがた澄人が口にした名が、想いを告げることでいっぱいだったナオの頭の中にコンマ数秒遅れで届き納得すると、彼の側へと行く。

「……たんぽぽですか」
「うん。ニホン国在来のたんぽぽ。これと同じ種類を、はるは家の庭に植えていたんだ」

 たんぽぽを見ている澄人の笑顔は、ナオが目にしたことがないくらい、にこやかなものだった。

「たんぽぽなんて、道端によく生えている花だから、珍しくも何ともない花なんだけど、はるは大切にこの花を育てていてね。綿毛になった時は、一緒に吹いて空に飛ばしたり、次の春の季節に植えたりしていたんだよ」

 思い出を語る澄人。彼の頭の中には、きっとはるの姿が浮かんでいることだろう。

 それでもナオは、聞かずにはいられなかった。

「……澄人は、今でも姉さんのことが好きなんですか?」
「うん」
「その気持ちは……ずっと変わりませんか?」
「変わらない。僕にとって、はるは大切な恋人……いや、きっと恋人以上の存在だから」
「そう……ですか」

 ナオはわかっていた。澄人がそう答えることを――はるに対する気持が、絶対に揺るがないことを。それでも、もしかしたらという思いを抱いてしまっていた。

 今日までの数ヶ月、側にいたから――。

 不具合だけでなく、食事ができるように治してくれたから――。

 出かけようと言って、誘ってくれたから――。

 今日のバトルで、いいところを見せたから――。

 澄人は自分に優しくしてくれるから――。

 けれど、澄人とはるの絆は強く固い。互いにとってまさに特別な存在だ。そこに彼女が入り込む余地など、もともとなかった。

「ぅ…………」

 目がうるんでいくナオ。

 悲しかったわけではない。二番目でいいから恋人にしてほしいと思いつつ、もっと深いところでは、澄人を姉から奪おうとしていたことに気づき、自分がとても嫌らしい存在に思えてきたのだ。

 涙を流したら澄人を困らせてしまうと、ナオが涙を必死にこらえていると、彼は前かがみの姿勢を止め、ナオの方を向いた。

「ナオ。僕は……君に謝らないといけないことがあるんだ」
「謝らないといけないこと……?」

 何を謝るというのか? むしろ謝るのは自分の方だとナオが思っていると、澄人は重たそうに口を動かす。

「今日、出かけようって誘ったのは、リハビリと動作確認のためって言ったけど……違うんだ。はるにしてあげたかったことを……僕がやりたかっただけなんだ」
「え…………?」
「君にイヤリングを買ってあげたのは、はるにそういうものを自分のお金で、全然買ってあげることができなかったからだ。今日行ったイタリアレストランだって、はるに手を引かれて、初めて一緒に買い物へ行った時に食べたパスタがあったからで……いつかはるを誘って行きたかったレストランなんだ。この植物園だって、はるを連れてきてあげようと思っていた場所だ。はるの好きな、たんぽぽがあるから……」

 澄人はもう一度たんぽぽを見て……それからナオに頭を下げた。

「……ごめん。僕は酷い男だ。君をはるの代わりとして見てしまっていた。結局、今まで君に向けていた優しさも、はるに向けていたものだったんだ。本当にごめん……」
「澄人……」

 ナオの心に傷はつかなかった。

 澄人が言っていることは虚言ではないだろう。だが、それはすべてではないと――他にも何か別の考えが含まれていると思った。それが何なのか……数秒後、彼女はある考えに至る。

(もしかして澄人は、私が告白しようとしていることに気づいているのでは? だから私に嫌われるようなことを言って……)

 ナオは呆れたように息を吐いた。

「……頭を上げてください、澄人」

 姿勢を元に戻し、暗い表情を見せる澄人に、ナオはムッとした顔を作って見せる。

「私をこんな気持にさせて……あなたは酷い人です」
「……君の言う通りだ」
「このままでは、私の気が済みません。罰を受けてもらいます」
「……わかった。どんな罰でも受けるよ」
「では、目をつぶってください」

 言う通りに澄人が目を閉じると、ナオは顔を近づけ……左頬にキスをした。

「――っ!? な……何を――?」

 驚きながら目を開けた澄人に、ナオは微笑みながら口を開く。

「澄人。あなたは優し過ぎます」
「……そんなことない。僕は君のことを傷つけた、酷い男で――」
「あと、嘘も下手です」
「嘘なんて、言ってない……」
「ええ。口では言ってはいません。でも……含まれていた気持ちには、嘘が混じっていましたよ」
「…………」

 澄人は口を閉じて視線を逸らす。

 その彼に、ナオは抱きついた。

「なっ、ナオ……?」
「さっき、罰を受けると言いましたよね? このまま、私の話を聞いてください」
「……わかった」
「澄人。あなたは私を姉さんの代わりとして見て、姉さんにしてあげたかったことをしていたと言いましたが、今日私にしてくれたことは、すべて紛れもない事実です。桜のイヤリングを買ってくれて……パフェを食べさせてくれて……植物園に連れてきてくれて……こんなに楽しくて幸せな一日は、生まれて初めてでした。ですから、また……こうして一緒に出かけたいです」
「けど、僕は……」
「澄人にとって、姉さんが最愛の人だということはわかっています。その気持ちが、決して変わらないことも理解しています。私を姉さんの代わりとしか見ることができないというのなら、それでも構いません。構いませんから……嫌いにさせようとしないでください」
「ナオ……」

 ナオは腕に少しだけ力を入れた。

「……私の想いが叶わないというのは、わかっています。それでも、この気持ちは変わりません。たぶん一生……。ですから……もし、迷惑じゃないというのなら……側にいさせてください……。姉さんと再会するまでで……いいですから……」

 顔をうつむかせ、ナオが涙声を出していると、

「……ごめん。僕が間違っていた」

 澄人は両腕で抱きしめた。

「もう、さっきのようなことは言わない。これからもずっと一緒にいよう。はると再会してからも、一緒に暮らそう。三人……いや、子供達も含めると、五人になるかな」
「いいのですか……?」
「もちろんだよ。僕が立ち直れたのはナオのおかげだし、今日だってナオがいてくれたからペンダントを取り返すことができた。いわば子供達の命の恩人だ。何より君は、はるの妹なんだから。きっとはるも、一緒に暮らすことを賛成してくれるよ。それに……僕も、ナオにはずっと側にいてほしいから」

 ナオがキスした反対側の頬を、照れくさそうにかく澄人。

「……ありがとうございます、澄人!」

 ずっと側にいてほしいと言われたナオは、澄人を抱きしめ直す。

 想いを言葉にして伝えることはできなかったが、もうそれにこだわる必要はないと彼女は思った。澄人の側に、これからもいられるのなら……。

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