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第31話

 三時間後。ナオは澄人の部屋へと戻ってきた。

「ただいま戻りました」
「ナオ!」

 ナオがドアを開けると、すぐに澄人が駆け寄ってきた。

「体の調子はどう? 手足はちゃんと動く?」

「はい。(おかげで、異常がほとんどなくなりました! 体がとっても軽くなった気がします!)」

 ナオはその場で、クルッと回ってみせた。

 実際、彼女の体は軽くなっていた。現在量産されている、第一世代の後期型H.Wに使用されている骨格へと変えたことで、体重は十パーセントほど軽くなり、関節部の摩擦も以前に比べ、かなり軽減された。

「ありがとうございます。(まるで生まれ変わったような気分です)」
「それだけじゃないよ。前に約束したとおり、ちゃんと食べ物を食べられるようにもしたし。それと……これで顔を見てみて」
「鏡?」 

 澄人から鏡を渡されたナオは、言われた通り、それで自分の顔を見てみた。

「……えっ。(私……笑っている?)」

 ナオは左手で自分の顔に触れ、鏡に映っているのが、間違いなく自分であることを確かめる。

(本当に、私……笑っている! 笑うことができている!)

 意識したものではない――演技でもない――自然な笑顔。

 それを見たナオは思わず、口を開けたり、目を細めたりした。

「感情プログラムに影響される部分だから、完全じゃないかもしれないけど……前よりも感情を表に出せるようになったと思うよ」
「ありがとうございます、澄人。(私、どうお礼をすれば……)」
「お礼なんていいよ。施術をしたのは僕だけど、ナオを治すことができたのは、僕が提出したリストの申請を通してくれた荒山総主任と、設備と部品を用意してくれた久重重工のおかげだ。僕個人の力だけじゃ、仮に治せたとしても、ここまで完璧に治すことはできなかった」
「ですが、澄人が今回の施術試験で私を治してくださったのは、紛れもない事実です。(ですから、何かお礼をさせてください)」
「そう言われても、ナオには日頃から掃除とか料理とかしてもらっているし……」
「お願いします。(どうしてもお礼がしたいんです。法律に反しないことであれば、私、何でもしますから!)」
「あはは……」

 苦笑する澄人。

 それを見たナオは、はぶらかされてしまうのではないか? と心配になったが、澄人は数秒で苦笑するのを止めた。

「それじゃあ、明々後日(しあさって)の土曜日、一緒に出かけてくれないかな?」
「それは、街へということでしょうか?」
「うん。リハビリというか、動作確認というか……そういうのを兼ねて」
「(ですがそれですと、お礼にならないような気がするのですが……?)」
「僕がナオと一緒に出かけたいんだ。もちろん、無理にとは言わない。嫌なら断ってくれても構わない」
「いいえ。(嫌だなんて、そんなことはありません。喜んで一緒に出かけます)」

 ナオがそう言うと、澄人は安心したように「はぁー」と息を吐いた。

「よかった。さっき注文と予約をしたから、断られたらどうしようかと……」
「注文と予約?」
「あっ、いや、何でもないんだ! 気にしないで」
「はあ……」

 その後、ナオは澄人に、明後日に状態と性能の確認があることを伝えた後、夕飯の用意を始めた。するとすぐに、テーブルに座っている澄人が「ナオ。今晩から食事は一緒に食べようよ」と、彼女に言った。

「お断りさせていただきます。(それだと、私の分の食費もかかってしまいますよ)」
「大丈夫。それくらいの給料は、実習生でも貰えているし……二人で食べた方が、きっとおいしいと思う。それに、ちゃんと食べられるようになっているか、確認しないといけないからね」
「……確認ということでしたら。(じゃあ、とりあえず今晩は二人分用意しますね)」

 ナオは二人分の料理を準備し、それをテーブルに並べた。

「今日はハヤシライスにしてみました」

 デミグラスソースとトマトの香りが込められた湯気が立ち上るハヤシライス。牛肉は値段が少々高かったため少なめだが、代わりに玉ねぎとマッシュルームがたっぷり入れられているため、ボリュームは満点だ。

「おいしそう! いただきます」
「……いただきます」

 澄人は早速スプーンでそれをすくい、頬張った。

 対してナオは、スプーンですくいはしたものの、すぐに口には入れず、それを見つめていた。

「どうしたの?」
「いえ……(食べるということが、かなり久しぶりなので……)」
「もしかして、緊張しているの?」
「…………」

 ナオは緊張しているわけではなく、恐がっていた。

 本当に食べられるようになっているのか?

 味を感じることができるのか?

 施術前に発生していたエラー等は消えているが、もし食べることができずに吐き出したら……もし味がしなかったら……? 

 そうなった時、澄人は責任を感じる。だが食べてみなければ、食事ができるようになったという証明をすることもできない。

「ぱく……っ」

 ナオは思い切ってハヤシライスを口に入れた。瞬間――舌に味が感じられた。

「……!」

 口を動かし、噛み……そして飲み込む。そしてそれは、施術によって設けられた――食べ物をエネルギーへと変換する装置の中――彼女の胃の中へ入っていった。

「おいしい……」

 すると、ナオの目から涙が流れた。

「ナオ?」
「申し訳……ありません。(とてもおいしくて……食べられるようになったのが、嬉しくて……)」
「これからは、毎日食べられるよ」

 澄人はテーブルから立つと、ポケットからハンカチを取り出し、ナオに渡した。

「澄人。(ありがとうございます。本当に……本当に、ありがとうございます)」
「そんなに喜んでくれたのなら、やった甲斐(かい)があったよ。念のため、食事が終わったら、問題ないか一応チェックするからね」
「はい……」

 ナオは感謝の気持ちでいっぱいだった。言葉では伝えきれないこの思いをどうすれば良いか、彼女は涙を拭きながら考える。

(やっぱり、一緒に出かけるなんてことでは足りません。それ以上のお礼をしないと……)

 涙を拭き終わった彼女は、今一度お礼をさせてほしいと言おうと、澄人の方を向いたのだが、

「澄人。(あの……)」
「うん?」

 涙を流したナオを心配したのか、澄人は彼女の様子を見るために、自分の顔を近づけていた。

「あ……」

 固まるナオ。その頬は次第に赤く染まっていった。

「ナオ、顔が赤くなっているけど、どうかしたの?」
「え……?(顔……?)」

 ナオは両手で自分の頬に触れると、澄人の言う通り、いつもより温かくなっていた。そして人工頭脳の処理速度も、なぜか鈍くなっていく。

「まさか、食事をして具合が悪くなっちゃったとか!?」
「……具合は、悪くありません。(これは、その……)」
「いや、どう見たって悪いようにしか見えないよ! すぐにチェックをするから!」

 すると澄人は、ナオをお姫様抱っこした。

「きゃっ……!?(あ、あの……澄人。私、自分で歩けます……)」
「ダメだよ! もし倒れでもしたら大変じゃないか」
「わ……私はアーティナル・レイスです。(ですから、倒れても問題は……)」
「問題あるよ。いくらアーティナル・レイスだからって、具合の悪い女の子を歩かせるわけにはいかない」
「女の子……?(私が……女の子?)」
「大丈夫。何か異常があっても必ず治して、また食事ができないようになる、なんてことにはしないから」
「はい……」

 そしてナオは、メンテナンスベッドのある部屋まで連れてこられ、澄人のチェックを受けた。

 当然異常はなかったが、澄人に今日はこのまま休むように言われたナオは、渋々眠ることにした。けれども、なかなかスリープモードになることができない。

「(私……どうして、あんなふうになっちゃったのでしょうか……?)」

 理由はわからなかった。ただ、なぜか先ほどのことを思い出すと、思考がうまく働かなくなる気がした。

「(ち、違うことを考えましょう! 違うこと……違うこと……)」

 そこでナオは、土曜日のことを考えることにした。

「(明々後日は、どこへ出かけるのでしょうか。私の方も、この近くのお店とか前もって検索しておいた方が……)」

 そうして考えているうちに、澄人の顔が頭に浮かび始めた。

「(澄人……澄人と出かける……私と澄人が一緒に出かける……)」

 澄人と二人で道を歩く姿を想像するナオ。すると彼女は

「これって……デートというものでしょうか……?」

 ポツリとそう呟くと、目をぎゅっと瞑り、ブンブンと首を振った、

「(――っ! わ、私ったら、何を考えて……澄人は、そんなつもりで言ったわけじゃないはずです! そ、そもそも、澄人には姉さんという恋人がいるんです! 土曜日は、ただ出かけるだけ……そう、出かけるだけです!)」

 布団を頭からかぶるナオ。それでも、自分で呟いたデートという単語が頭から離れない。

「(……でも、出かけるということは、事実ですよね。澄人と二人で……)」

 再び頬を赤くするナオ。そして時間が経つにつれ、彼女の思考はぼんやりとしたものになっていき……

「(澄人……私……澄人のこと……澄人……)」

 スリープモードになるまで、ナオの頭の中は、澄人のことでいっぱいになっていた。

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