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第33話 ~漆黒の闇~

 足元を濡らす(あか)いモノが、ゆっくりと広がって行く。

 顔を上げると、沖田さんが冷たく微笑んでいた。
()()()()()()、坂本」
 倒れている龍馬さんを見下ろしてそう呟いた沖田さんは、チラリとあたしを一瞥する。

「オレには、女を()る趣味なんざねェ。助かって良かったな、萌華……()()()()()()

 沖田さんが、血を吸った刀を抜き身で空気に晒したまま、去って行こうとする。
 激しく咳き込んで動けずにいた陽之助さんが、顔を上げた。
「待てや……ッ!!」

 ゆっくりと陽之助さんの方に振り返る、沖田さん。

「あ? もうオレの()()は終わってんだよ。テメェなんかどうでも良いんだわ」
 何時(いつ)もと同じぞんざいな口調でそう吐き捨て、沖田さんが(きびす)を返す。

 あたしも、沖田さんを追い掛けようとして――傍らで龍馬さんが動く気配に、視線を落とした。

 龍馬さんが起き上がり、あの優しい笑顔を見せた。

 胸が締め付けられる。

 どうして、どうして笑うんですか……? 何で今、その笑顔を見せるんですか……?

 斬られた腕よりも、今は胸が痛い。
 胸が痛くて、この現実を受け入れられなくて、何も言葉が出て来ない。
 だけど――()()()()を、心の何処かで(わか)ってしまっている自分も居た。

 彼の額と背中に走る、大きな傷。自分の腕の傷なんか、どうでも良い。
 何としても――何としても、あたしが龍馬さんを助けなければ。

 あたしは、1番下に着ている白い肌襦袢の袖を、躊躇なくビリビリと破った。

 でも(こら)え切れなくて、あたしの頬に雫が伝った。
 (おもむろ)に手を伸ばした龍馬さんが、あたしの頭をポンポンと撫でる。

 グイッと目元を拭い、あたしは叫んだ。
「今なら……今ならまだ間に合います……!!」
(かま)んぜよ、萌華……。ワシは、()()()()()()()()……」
 破った肌襦袢を使って止血をしようとすると、龍馬さんが首を横に振ってそれを制して来た。
 その言葉に、あたしは全てを察する。

 再び顔を上げた時には、沖田さんはもう居なかった。

 龍馬さんが、少し離れた所で(うずくま)っている陽之助さんに手を差し出す。

「陽之助……」
「……龍馬さん……ッ」

 殺鬼から人間の姿に戻り、立ち上がった陽之助さんが、急いで龍馬さんの元に駆け寄った。

 龍馬さんが押入れの襖に(もた)れ掛かりながら、血に濡れた手をゆっくりと伸ばし、愛おしそうに陽之助さんの頬を撫でる。
 そして――彼を強く強く抱き締めた。

「……愛しちゅうぜよ、陽之助」

 陽之助さんが目を見張り、震えながら龍馬さんの背中に腕を回す。
 彼の美しい赤銅色の双眸には、涙が揺れていた。

「イヤ……()()()()()()、何処も逝かんといて……ッ!」
 激しく取り乱し、小さな子供のように泣き叫んでいる陽之助さん。

 嗚呼(ああ)、何と無力なのだろう。陽之助さんが――()()()()()()()()()が、これ程までに強く想っている人を、あたしは救うことが出来ない。
 何も出来なかった――何も、何も。

 ただ自分の無力さを嘆きながら、引き離されようとしている2人を呆然と見ているだけ。
 でもそれ以外、何も考えられなかった。自分の無力を嘆くので精一杯で、他のことを考える余地などなかった。

 今――あたしに出来ることは、何もない。

「陽之助……ワシはオマンのことが、誰よりも好きじゃ……」
 龍馬さんが、そっと首を傾ける。
 そして、肩を震わせて泣いている陽之助さんを安心させるように、優しく口付けた。

「んッ……」
 驚いたように目を見張り、僅かに声を漏らす陽之助さん。

 陽之助さんの白い頬を、涙が一筋伝う。
 龍馬さんの瞳が、ゆっくりと生命(いのち)の輝きを失って行く。

 長い長い接吻(キス)の後、龍馬さんが陽之助さんの唇を解放し、再び強く抱き締めた。

「……ッ! イヤ……ッ……イヤです……ッ!」
 そう言いながら、陽之助さんが何度も首を振る。

「まっこと、スマン……。けんど陽之助――」

 龍馬さんが手を上げ、陽之助さんの白く柔らかな頬に触れた。
 彼は親指で、陽之助さんの涙をそっと拭う。

「オマンは、大丈夫じゃ……。オマンは……ワシが、()らんかったち……ッ、生きて行けるぜよ……ッ」

 額と背中に大ケガを負っている龍馬さんが、もう()()()()()()()()のだろうということは、最早誰の目にも明らかだった。
 押入れの襖に凭れなければ、体を起こすことすら出来ないような状態だ。

 悲しげに顔を歪めた陽之助さんが、龍馬さんの居ない未来を――他の何よりも、激しく拒絶する。

「そないなことありまへん……! (ワイ)、まだ……貴方(オマハン)に必要とされたいです……ッ! 貴方(オマハン)が仰ったように……(ワイ)はずっと、貴方(オマハン)の伴侶として……ずっと、ずっと……!」
 陽之助さんが悲壮な声で訴えた。

 龍馬さんの瞳が、だんだんと生気を失って行く。
 それでも彼は、決して笑顔を崩さない――この残酷過ぎる運命に、抗うかのように。

「まっこと、スマンちや……陽之助……。ワシは、オマンに……寂しい想いをさせてしまうにゃァ……。けんど……ワシがオマンを、愛する気持ちは……何があったち、変わらんき……ッ」

 失いつつある生気の中にも、龍馬さんの陽之助さんに対する本気の愛情を、確かに感じ取れた。

 でも、だからこそ憎んだ――この悲しい2()()()()()を、何も出来なかった無力な自分を。

「龍馬さん!!」
 あたしは龍馬さんの名を叫んだ。

 こんなことがあって良いの……!?
 ついさっきまで、龍馬さんは傷1つなかったのに、今は致命傷を負っている。

 龍馬さんは、皆に尊敬されている人だ。
 陽之助さんは、言うまでもなく龍馬さんを慕っている。あたしも龍馬さんには憧れているし、優しいお兄さんとして大好きだった。海援隊の沢村さん達にとっても、龍馬さんは大切な仲間のハズだ。

 それなのに、こんな……。

 倒れそうな陽之助さんの体を支え、あたしは龍馬さんを見つめた。
 目を離したくない。

「龍馬さん、龍馬さん……!!」
 陽之助さんが泣き叫ぶように、最愛の人の名を叫んだ。

 龍馬さんの手が陽之助さんの頬に触れ、やがて力尽きたように落ちて行く。

「……おおきに……。ワシは、ずっと……ッ……2人の幸せを……願い、ゆう……き……」

 そして、幸せそうな笑顔を見せた。
 ――最高の笑顔だった。

 だけどその笑顔も崩れ、龍馬さんが目を閉じる。

「龍馬……さん……?」
 陽之助さんが抑揚のない声で、目を閉じてしまった龍馬さんの名を呟いた。

 まさか、まさか、龍馬さんは――。

「龍馬さァァァァァァァァんッ!!!」
 陽之助さんが龍馬さんに(すが)り付き、号泣した。

 その様子を見て、龍馬さんはもう()()()()()()()()()()と実感する。
 まだ信じられない。受け入れられない。

「あ……あァ……ッ」

 人形のように儚げな美人顔が、涙に濡れている。
 やがて、それを拭って立ち上がった陽之助さんの目には――光が無かった。あるのは、危ういまでの喪失感。

 陽之助さんは何も言わず、フラリと部屋を出て行った。

「よ、陽之助さん!!」
 あたしも立ち上がり、階段を下りる。

 きっと彼は――沖田さんを捜し出して、殺す気だ……!

 沖田さんは、北辰一刀流免許皆伝の剣の腕を持つ龍馬さんを殺す程の天才剣士だ。そんな沖田さんに、陽之助さんが敵うハズがない。
 それに沖田さんを殺せたとしても、陽之助さんも沖田さんと同じく殺人に手を染めてしまう。幾ら仇を討つ為とはいえ、きっとそれは龍馬さんが望んでいたことではない。

 外に出て走って行こうとする陽之助さんを、あたしは後ろから抱き止めた。

「放してやッ!!」
 悲壮な声で叫び、彼はあたしの腕を強引に振り(ほど)く。

 ハッとして陽之助さんを見上げると、長い睫毛の奥で光る深紅の瞳があたしを捉えた。強い殺意と怒りの中に、底知れぬ悲しみの色彩(いろ)が滲む瞳。
 陽之助さんは、(せっ)()になっていた。

 そして彼は、あたしに背を向けたまま歩き出し、数歩先で立ち止まる。

 彼の背中が、何故か何時(いつ)もより小さく頼りなく見えた。
 彼は微動だにしない。ただただ、雨の中で立ち尽くしている。

「……ッ」
 人間の姿に戻った彼は、嗚咽を漏らして肩を震わせた。

 俯いているから表情は判らないけど、とてもとても寂しそうだった。

「……陽之助さん……」
 あたしは彼の名を呼んだけれど、次に掛ける言葉が見つからず、その横顔を見つめることしか出来なかった。

 陽之助さんが、その場にバシャンッと膝を突く。

「――イヤァァァァァァァッ!!!」
 雨の音さえ()き消す程の悲痛な声が、冥王界の空に響き渡った。

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