バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第24話 ~黒き花弁~

 黒い桜の花弁――。
 それを見つけた頃には、海援隊本部に来てから1ヶ月の月日が流れていた。

「何だろう? これ……」
 黒い桜の花弁をそっと手に取り、眺めてみる。

 何だか、何処かで見たことがあるような……?

 黒い桜の花弁を眺めながら、あたしは橋の欄干に寄り掛かっていた。

 ピィー……。
 懐かしい横笛の()が聴こえ、あたしは振り返る。

 横笛を吹いているのは、小柄で華奢な絶世の美少年。

「遮那王君……!」

 美少年――遮那王君が顔を上げ、あたしの方へ近付いて来た。
 遮那王君の美しい黒髪が風に踊る。

 遮那王君を見て、あたしは思い出した。そういえば、冥王界に転移した日の夜、一瞬だけだけどこの桜を見た。

「萌華殿、それは――」
 あたしが手に載せている黒い桜の花弁を見て、遮那王君が口を開いた。

「変でしょ? 桜なのに黒いの」
「……」
 遮那王君が長い睫毛を伏せる。

「これって、何?」
 あたしは訊いた。

 その瞬間(とき)、急に背後から声がした。
「――()(ろう)

 振り返ると、30歳前後の青年が居た。黒い狩衣に烏帽子を被り、口元にはヒゲを生やしている。

 青年は、遮那王君を見下ろしていた。

「兄上、様……」
 大きな目を見張り、遮那王君が呟く。

 ()()()……?

 あたしはもう1度、今現れたばかりの青年を見上げた。

「貴方は……?」
「私は(みなもとの)頼朝(よりとも)。九郎は、私の末弟だ」

 源頼朝!?
 源頼朝といえば、鎌倉幕府の初代将軍だ。
 そんな身分の高い人の目の前で、こうして話して良いのだろうか?

「そなた、名は何と申す?」
 突然頼朝様に話し掛けられ、あたしは驚いて彼を見上げる。
「織田原萌華といいます」
 あたしは咄嗟に名乗る。

 頼朝様はあたしを一瞥すると、遮那王君に視線を戻した。

「織田原萌華、か……。九郎、桜の件は断じて言うてはならぬぞ」
「……はい」

 桜の件? まさか、この黒い桜のことだろうか?

「九郎、何故(なにゆえ)そなたは『私達の元』へ来ぬ? 幕府の将軍と血の繋がりのある者は、此方(こちら)へ味方せよとの命のハズじゃ」

 幕府の将軍と血の繋がりのある者は、此方へ味方せよ?
 一体、誰がそんな命令を出しているの?

「僕には関係ありませぬ」
 静かな口調で言い、遮那王君が目を伏せた。

「僕は……兄上様の御為(おんため)に生きられるのであれば、それで良いのです」

 遮那王君は、お兄さんの為に生きようとしているんだろうか?

 真剣な瞳の遮那王君が、龍馬さんの為に全てを捧げようとしている陽之助さんの姿と、重なった。

 以前、龍馬さんが遮那王君の所属している組織について、「神鬼狼にも乱桜華にも付いていない」と言っていたけど……。

「それはならぬ。()()お1人のお役に立つのが、(しん)()(ろう)の掟なのだ」

 気になる言葉が次々と出て来る。
 鎌倉幕府の将軍となる頼朝様に「上様」と呼ばせるなど、相当な身分だ。
 それに――()()()

 だけど、此処から先はあたしが考えて良いようなことではないような気がした。

「九郎、場所を変えるぞ」

 遮那王君は、頼朝様に連れて行かれてしまった。

 あたしは1人になる。
 そして、黒い桜の花弁をフッと吹き飛ばした。


 数日後、あたしは陽之助さんや龍馬さんと共に、黒い桜の木を見に行くことにした。龍馬さんが、場所を知っているらしい。

「1年中咲きゆう黒い桜で、『(かげ)(ざくら)』ち呼ばれちゅうがぜよ」

 やがて、影桜のある場所に辿り着いた。

「――あれじゃ」

 龍馬さんが指差した先には、真っ黒な影桜の木があった。
 満開で、ヒラヒラと花弁が舞い落ちている。

「あれが……影桜なんですね」
「そうじゃ」

 あたしは龍馬さんと並んで、影桜の木の下まで歩いた。

「何で黒いんでしょうか……?」
 あたしは訊いた。

 龍馬さんが腕を組む。
(わか)らん。けんど、ワシが()()()()()()には既にあったぜよ」

「えッ?」
 あたしは龍馬さんを見上げる。

「此処に来た日って、どういうことですか……?」

 龍馬さんは、最初から冥王界に居たというワケではなく、あたしと同じように、転移して来たんだろうか?

 龍馬さんがあたしを見下ろした。
「ワシは最初から、此処に()ったワケじゃないぜよ。オマンもそうじゃろう?」

 ――そう、あたしは令和の世から此処に来た。
 まさか、龍馬さんは……?

 その瞬間(とき)、あたしの脳裏に陽之助さんの言葉が蘇った。
『切っ掛けは、()()()()()()()3年前のあの日やった』

 陽之助さんがあの日話してくれたのは、『この世界に来る前』の彼の過去だったんだ。
 ということは、陽之助さんも……?

「龍馬さんは……何処から来たんですか? もしかして――」

「ワシは慶応3年の日本から、此処に突然飛ばされたがぜよ。陽之助も同じじゃ」

 慶応3年――つまり幕末の日本から、突然此処にやって来たということ。

 古今東西の人々が暮らす異世界・冥王界。此処に居る歴史上人物達は、皆それぞれの時代から此処に集まって来たんだ。

 そして、あたしも――。

「萌華は、何時(いつ)の世から来たがじゃ?」
 龍馬さんに訊かれる。

 あたしが生きていた世のことを言えば、龍馬さんは驚くだろうか? それとも、何も言わずに信じてくれるだろうか?

「あたしは――令和という時代から来ました」

「れいわ……かえ?」
 龍馬さんが首を(かし)げた。

 あたしは頷く。
「龍馬さんが生きていた時代から、160年くらい後の時代です。令和時代という時代なんですよ。龍馬さんが生きていたのは江戸時代、それから明治、大正、昭和、平成――そして令和。そうやって、時代は流れて行くんです」

 龍馬さんが顔を上げて、影桜の木を見上げた。

「そうかえ……。ワシが生きよった時代から、もう160年も経っちゅうがか。ワシ()ァがどういてこの世界に来たがかは判らんけんど、ワシはオマンと出逢えてまっこと良かったぜよ」
「はい……あたしもです」

 幕末の英雄だから――というよりは、龍馬さんのようなステキな人と出逢えて、本当に良かったなと思った。

 龍馬さんが再びあたしを見下ろす。
 視線がクロスした。

 その大きな手で、あたしの頭をポンポンと撫でる龍馬さん。

 ……あれ?
 あたしは、ふと気付いた。陽之助さんの姿が無い。

「どういた? 萌華」
「陽之助さんは……?」

 陽之助さんを探して振り返ると――彼は、あたし達からかなり離れた所で、1人佇んでいた。

 どうしたんだろう?

「陽之助! オマンもこっちに()ィや!」
「陽之助さん!」
 2人で彼の名を呼ぶ。

 だけど、陽之助さんは動こうとしない。

 あたしは龍馬さんと一緒に、彼の所へ歩いて行った。

「どういたがぜ、陽之助。ずつないがか?」
 と、陽之助さんの体調を心配した龍馬さんが、彼の顔を覗き込む。

 陽之助さんは龍馬さんを見上げ、目の前の影桜を睨むように見据えた。

 次に彼が発したのは、衝撃的な言葉だった。

「……(ワイ)は、()()()()()()()()()()

 この先――というのは、恐らく影桜の木のことだろう。
 だけど、どうして?

「え……?」
 あたしも龍馬さんも怪訝な表情を浮かべる。

 陽之助さんの顔を覗き込むけど、彼は此処から先に行けない理由を話そうとはしなかった。彼自身も理解(わか)らないのか、それとも話せない理由でもあるのか。

 その時、風が一際(ひときわ)強く吹いた。
 舞い上がった影桜の花弁が、あたし達の間を吹き抜ける。

「――ッ!!」
 陽之助さんが、突然胸を押さえてその場に膝を突いた。
 肩で息をしながら、彼は激しく咳き込む。

「陽之助さん!」
「陽之助ッ!」

 俯いていた陽之助さんが、不意に顔を上げる。彼は何かを、ジッと見つめていた。
 陽之助さんと同じ方向――影桜の方に視線を移し、あたしは目を見張る。龍馬さんを見上げると、彼も同じように目を見張っていた。

 影桜の木の下に、40代から50代くらいの男性が佇んでいる。

 オールバックにされた黒髪と、落ち着いた色の着物――()()()は……!

「洪庵先生……!!」

 何故、あの人が此処に……?

「――萌華さん」
「……ッ」
 あたしはビクッと身を固くさせた。

 洪庵先生が、ゆっくりとこっちに歩いて来る。

「私は忠告したハズです、『(かげ)(くれない)のことを誰かに話せば、貴女の首が飛ぶ』と」

 あたしはギリッと歯を食い縛った。
 龍馬さんが、あたしの方を見る。

 なぜ、そのことを知っているのだろう?

 あたしは、「影紅がどんな傷病も治す霊薬だというのは、洪庵先生が()いたウソだ」と――龍馬さんに言った。
 でも、そのことは龍馬さんにしか話していない。あの場に、洪庵先生は居なかったハズだ。聞き耳を立てられていたのだろうか?

「困るんですよねェ、約束は守って頂かなくては」
「……く……ッ」

 どうすれば……?

 あたしが迷っている間にも、洪庵先生は近付いて来る。

「萌華から影紅のことを聞いたがは、ワシですき。洪庵先生は、何が目的ながですか? どういて陽之助に、影紅らァ飲ませたがです?」

 洪庵先生の口が、()を描く。
「影紅を飲むと決めたのは、私ではなく陽之助さんだったハズですが?」
「……ッ」
 龍馬さんが口を噤んだ。

「陽之助さんはともかく――影紅の真相を知ってしまった龍馬さんと萌華さんを、()()()()()()()()()()。特に萌華さん、貴女は」

 まさか、洪庵先生は神鬼狼に所属している人なのだろうか?

 あたしは、拳を握り締めた。
「……ッ」

 このままでは、陽之助さんと龍馬さんを巻き込んでしまう。
 どうすれば良いの……!?

 その刹那、突然白い光と強風が発生した。

 これは――!

「……! 陽之助さん……!」
 あたしは腕で光を遮りながら、彼に声を掛ける。

 陽之助さんが(せっ)()になる際、この現象が起きる。

「何ぜ、これは……!!」
 龍馬さんも、光を遮りながら光と風が発生した方を窺っていた。龍馬さんが、陽之助さんが殺鬼になるのを見るのは初めてだろう。

 やがて、光と風が治まった。

「陽之助ッ!」
 龍馬さんが、彼に声を掛ける。

 陽之助さんは俯いて、暫く苦しそうに喘いでいたけれど、やがてフラリと立ち上がった。そして、洪庵先生の元に歩いて行く。

「陽之助……!」

 陽之助さんがゆっくりと振り返った。

「お2人のことは……(ワイ)がお(まも)りします」

 (から)(くれない)に変化した瞳が、あたしと龍馬さんを捉える。白い着物から覗く薄い胸には、黒い桜の痣が浮かび上がっていた。

 彼の瑠璃色の髪が、フワリと風に揺れる。

 龍馬さんが、陽之助さんの姿を見て目を見張った。
「お、オマン……!」

 陽之助さんが洪庵先生の方に向き直り、刀に手を掛ける。
 微かに、鯉口を切る音がした。

「やる気ですか? お手並み拝見といったところですね」
 と、洪庵先生が再び笑みを浮かべる。自信と余裕に満ちた笑みだった。

 陽之助さんが刀を抜き、剣術の最も基本となる中段の構えを取る。

「陽之助!!」

「……坂本さん、(ワイ)かて貴方(オマハン)のお役に立ちたいんですわ」
「オマンのことはワシが護っちゃる! 下がりや、陽之助!」

 陽之助さんが振り向く。

(ワイ)は……ずっと貴方(オマハン)に必要とされたいんです。ずっと、貴方(オマハン)のお役に立ちたいんです」

 龍馬さんが言い募ろうとするけれど、それより先に陽之助さんが口を開いた。
「……坂本さんは(ワイ)にとって、兄のような人です。いえ、()()()()()()()()()()です」

 龍馬さんと陽之助さんは、師弟関係を超えて兄弟のように親密な関係にあった。否、2人は家族にも勝るといっても過言ではない程の強い絆で結ばれている。

 何時(いつ)でも飛び出せるようにする為か――龍馬さんが懐からピストルを取り出した。

「せやさかい……(ワイ)がお護りします」
 そう言って、陽之助さんが洪庵先生の方に向き直る。

 洪庵先生も短刀を取り出した。
 まさか、()()で戦う気だろうか?

 自信があるのか――洪庵先生の顔から、狼狽や恐怖といった感情は一切読み取れない。
 一体、どれだけ強いのだろう?

「では、やりましょうか。覚悟のないまま私に斬り掛かると――後悔しますよ」

 洪庵先生が恐ろしい笑みを浮かべた。
 陽之助さんが、洪庵先生を鋭く睨み付ける。

 そして、2人は同時に地を蹴った。

しおり