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 学校の裏門から二、三分の、苔むした古い瓦屋根の表門と白壁に囲まれた一海寺(いちかいじ)が、小木原の家であった。
 住職の父に早朝から叩き起こされ、門前と境内の掃除に本堂の床拭き。それは幼い頃から今も続く小木原の修行の一部である。
 小学生になった頃には読経を仕込まれた。
 夏休みには朝早くから夜遅くまで本堂の仏前で勤行させられたが、ゲームやマンガ本に心を囚われ、そのたびに痛棒で痣ができるくらい叩かれた。
 よそ見をしたと叩かれ、声が小さいと怒鳴られ叩かれる。
 おかげで人が惚れ惚れするくらいの朗々たる声が出るようになったが、小木原の心には「絶対、寺など継ぐものか」という固い意志が刻み込まれた。目下の夢は高校卒業後、一人暮らしを始めることだ。
「おはよう」
 教室に入ると片岡、村島、日野が小木原を見た。
 村島は顎を突き出すようにして会釈を返す。
 一年次の初め、クラスメートに絡んでいた村島を小木原は大声で注意した。耳のそばで放った頭蓋骨に響く声がよほど応えたのか、村島は小木原に一目置くようになった。
 挨拶代わりに片手を挙げた片岡は、やはり一年次に小木原と持久走で互角に戦い、良きライバルになった。
 二年次で初めて同じクラスになった日野は小木原の声に圧されて最初は戸惑っていたが、今では片岡の次に信頼できるクラスメートとして小木原を認識している。
「あれ、片岡、山ラン(山でランニング)してたんちゃうの」
 小木原は驚いたようにしばらく片岡を見つめた。
「裏山の状況が状況やからきょうは休みや。山ランはいつ始まるかわからんけど、明日からは校庭で練習ちゃうかな? まだちゃんと決まってへんけどな。で、何で?」
「えっ――じゃ見間違いか――今朝、境内掃除してたら、山ん中でちらちら人が見え隠れしててな、顔まで見えんかったけどお前や思て。
 そやけどよう考えたらおかしいな」
 小木原は眉根を寄せて朝の記憶を思い起こしながら、片岡たちに近づき「それ見たんは山の中腹あたりやった。お前が練習するんはもっと下の整備された道やんな?」
「ああ、山の下のほうの遊歩道だけや。そっから上は歩けるような道やないで。山に慣れたもんやったらギリ行けるか知らんけど」
「そこまで行けるゆうたら吉村のじじいかも」
 そう言う村島の尖った唇を日野がぎゅっとつまんで、「吉村のじいさん何してたんやろな?」
 と小木原を見つめる。
 片岡も唇をつままれたままの村島もじっと見つめてくる。
「さあ?」
 小木原はただ首を捻るしかなかった。

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