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第7話

「かしこまりました」

 無論、澄人が様付けを嫌がるということを忘れていたわけではない。この後で、今後の呼び方をどうするか聞くつもりだったのだが、

(お部屋の案内をする前に、呼び方についてお話すべきだったのかもしれませんね……)

 マニュアル通りに動いてしまったことを反省しつつ、彼女はあらかじめ考えていた呼び方を澄人に言い始める。

「それでは、柳原さん……もしくは、澄人さんではいかがでしょうか?」

 はるが『澄人さん』と呼んでいたため、彼女はそれが一番良いと思っていた。けれど、

「……すみません。それ以外で、お願いできますか……?」

 彼の声が、落ち込んだものになってしまった。

(私……何か変なことを言ってしまったのでしょうか? もしや『澄人さん』という呼び方は、姉さんだけに使ってほしいということなのでしょうか? 柳原澄人様と姉さんは、かなり特別な関係だったようですし……)

 そうなると、無難な呼び方の方が良いだろうと思った彼女は、

「それでは、マスターではいかがでしょうか?」

 と提案した。マスターであれば、一般的にも広く使われている呼び方だが、

「…………」

 澄人の表情は、先ほどとそう変わらない。

(……どうしましょう)

 君、殿、氏……様々な敬称を考え、澄人の反応を想像してみるが、いずれも首を縦に振ってくれそうにない。

 そうして彼女が、心の中で難しい顔をしていると、

「あの……名前だけで、お願いできませんか?」
「それは、敬称をつけずに、という意味でしょうか?」
「は、はい……そうです」

 澄人は、敬称をつけない呼び方――要は呼び捨てを希望してきたのだ。

(柳原澄人様のことを、敬称をつけずに『澄人』と呼ぶ……姉さんでさえ、『澄人さん』と呼んでおられたのに……私がそんな呼び方をしても、果たして良いのでしょうか?)
 人間がアーティナル・レイスに、呼び捨てを希望するということは、まったくないわけではないが、はるにとって大切な人を敬称もつけずに呼ぶことに、彼女はかなりの抵抗を抱き、さすがにそれはできないと言おうとした。だが……

(しかしなぜ、柳原澄人様は、敬称をつけない呼び方を希望されたのでしょうか? もしかしたら、何か深い意味があるのでは……?)

 そう感じた彼女は、澄人のことを名前のみで呼ぶことにした。 

「わかりました。それでは今後、柳原澄人様のことは、澄人と呼ばせていただきます」
「えっ、いいんですか……?」
「何かご不満でしょうか?」
「い、いえ! てっきり、それはできないって言われると思っていたので……」
「呼び方については、特に制限はかかっておりませんので、問題ありません。他に質問やご要望はございますか?」
「と、とりあえず、大丈夫です」

 これで澄人の呼び方は決まった。けれど、彼の表情はまだ固い。

(これでは、柳原澄人様……いえ、澄人の疲労がたまるばかりです。敬語を使わなくても良いと言って、気を楽にしていただきましょう)

 彼女は、澄人の目をしっかりと見ながら言う。

「では、澄人。私からも一つ、お願いがございます」
「は、はい」
「……私に対して敬語を使わなくても結構です」
「え? あ……もしかして、何か気に触りました……?」
「そうではなく、立場的に使う必要がないと言っているのです」

 彼女は、ぐっと顔を前に出しながら言った。

「そ、そう……なんですか?」
「はい」
「…………じゃ、じゃあ……そうさせてもらいま……もらう、よ」

 澄人がそう言うと、彼女は姿勢を戻した。

(これで、澄人の気が少しは楽になることでしょう。あ……そろそろ、スケジュールをお伝えしないと)

「それでは、これからのスケジュールについて、お話させていただきます」
「お願いしま……」
「…………」
「――じゃ、じゃなくて、頼むよ」

 敬語を使った途端、鋭い目を向けてきた彼女を見た澄人は、慌てて言い直した。

(やはり、慣れが必要のようですね。それにまだ、緊張もされているようですし……なんとかしてさしあげないといけませんね)

 彼女はそう考えながら、澄人にスケジュールを伝え始めた。

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