バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第19話 ~あさきゆめみし~

 外はすっかり明るくなっており、チュンチュンとスズメの鳴く声が聞こえる。
 昨日の夜、長岡さんが助けに来てくれるまではヒドい大雨だったのに、今朝は晴れているようだ。

 陽之助さんも、明け方はあんなに怯えて龍馬さんの腕の中で泣いていたのに、もうすっかり落ち着いている。

 とても穏やかな朝だ。

(ワイ)……幼い頃からずっと病弱で、体力とか筋力があれへんさかい、剣術が苦手なんや。しかも(おなご)みたいな顔やさかい、幼い頃からイジメに()うとった」
「病弱だったの?」

 陽之助さんが頷いた。
「家族からも周りの人からも、『剣術や柔術やったら出世出来れへん』言われとったんや」

 そんなに体が弱かったんだ……。

 確かに陽之助さんは、日の光をあまり浴びていないのか――とても色白だ。体も、優しく扱わないと折れてしまいそうなくらい、華奢な体格だった。

「それに、藩校に入る前に父上と義兄(あに)上が失脚したさかい、武士としての基本を学ばれへんかってん。せやさかい、もし父上が失脚してへんかったら、(ワイ)も藩校で学問や剣術を学んどったんやろな」

 藩校は皆強制的に入学させられるもので、現代で言う小学校や中学校のようなものだ。

 更に、陽之助さんはこう付け足した。
「紀州藩は、藩士の教育に力が入っとったんか――藩校が多いんや。特に、父上の全盛期やった頃の藩主・徳川治宝公は、藩士の教育に熱心なお方やった。せやさかい……コホッ……(ワイ)は藩校に入る前に、父上や兄上達から剣術の基本だけは教えられたんや」

 藩校に入る前の幼い陽之助さんに、剣術の練習を始めさせる。そうすることで、藩校に入った後に人より早く上達させることが、彼のお父さんやお兄さん達の狙いだったんだろう。
 それなのに家族や周囲の人達に、「剣術では出世出来ない」と言われてしまうなんて……。家族に認められたいと願い、健気に努力して来ただろう陽之助さんにとって、どれだけショックなことだったんだろうか?

 きっと陽之助さんが言っていたように、病弱で女顔だということが原因で、彼はこれまでイジメを受けて来たんだ。
 どんな風にイジメられていたのかな? 江戸で勉強していた頃は、ヤクザに絡まれたこともあったみたいだ。神戸海軍操練所でのイジメは、ヒドいものじゃなかったら良いけど……。

「本題に入るけど、坂本さんをお慕いするようになったんは、神戸海軍操練所に入ってから2年後くらいやった」

 陽之助さんが龍馬さんと初めて逢ったのが、14歳の時。そしてその4年後――つまり、陽之助さんが18歳の時に京で再会し、彼は龍馬さんの誘いで神戸海軍操練所に入る。
 彼が言う「神戸海軍操練所に入ってから2年後」というのは、陽之助さんが20歳、龍馬さんが29歳になった頃だろう。

「剣術が苦手やった(ワイ)は、学問を(きわ)めることにしたんや。せやけど(ワイ)には志もあれへんし、操練所の先輩達とのケンカは日常茶飯事で、人と仲()う出来る自信があれへんかった。何の為に海軍操練所で学んどるんか、理解(わか)れへんかった。それ以上に――()()()()()()()()()()理解(わか)れへんかった。
 ()()()(ワイ)は無意味な日々に限界を感じて、講義に参加せーへんかってん」

 陽之助さん、ずっと生きる意味を探していたんだ。尊王攘夷の志を掲げて、幕府を倒そうと熱くなっていた志士達に、付いて行けなかったんだ。

 それに、講義に参加しなくて大丈夫だったのかな? 講師の人に怒られてしまいそうだけど……。

「陽之助さん、講義の間はどうしてたの?」
「……1人で……()()()()()()()
 陽之助さんが俯き、恥じらうように目を()らす。

 泣いていた……!?

 きっと陽之助さんは不器用で、人付き合いが苦手なんだろうな。
 自ら殻を作って、誰も自分の内面に入って来ないように、自分に関わろうとする人を避け、そして拒絶する。だけど心の何処かで愛を求め、自分を必要としてくれる人を探しているんだ。

「1人で泣いとったら、塾頭の坂本さんが来られたんや。坂本さんは、泣いとった(ワイ)を心配して話を聞こうとして下さった。最初、(ワイ)は坂本さんのことも拒絶してん。せやけど、(ワイ)に対して優しゅうして下さる坂本さんに、(ワイ)は自分の過去を打ち明けたんや」

 あたしが今まで見て来た、クールで毒舌で孤高を保つ狼は、彼が弱さを隠す為の偽りの姿だったのだろう。誰かに愛されたいと願う、繊細で健気な小動物――それこそが、()()()()()姿()なんじゃないかと悟る。

 陽之助さんが軽く咳き込んだ。

「坂本さんは……昔の事を思い出して泣いてしもた(ワイ)を抱き締めて、(ワイ)の過去も(やわ)いとこも、全部受け入れて下さった。それだけやない、こないな(ワイ)のことを必要として下さったんや」

 数十分前、過去を思い出して泣く陽之助さんを、龍馬さんは優しく抱き締めていた。陽之助さんが龍馬さんに心を開いた9年前も、あの時と同じような感じだったのかな?

 名家に生まれたが故に、心理的虐待の過去を持つ陽之助さんは、他人を避けようとして攻撃的な性格になってしまった。だけど龍馬さんに、その心の内に秘めた弱いところを受け止めて貰い、龍馬さんだけには素を見せられるようになったんだ。

「坂本さんは、ステキな夢を(ワイ)に語って下さったんや。坂本さんに拾われるまで、(ワイ)は日本がどないなったかて(かめ)へん思とった。せやけどあの人はキラキラした目で、『日本を幸せな国に変える』『日本を変えた後は、世界を見て回りたい』――そない言われたんや。『付いて()ィや』っちゅうて、(ワイ)に手を差し伸べて下さった。せやさかい(ワイ)はその手を取って、坂本さんに自分の全てを捧げることを、心に(ちこ)うたんや」

 日本がどうなっても良いと、未来を諦めていた陽之助さんだけど――ステキな夢を語る龍馬さんを見て、「付いて来い」と手を差し伸べられて、龍馬さんと共に日本を変えようと決意したんだろう。

「あの人は、(ワイ)()()必要として下さる人で、(ワイ)()()の理解者や。(ワイ)に……生きる意味を与えて下さった人なんや」

 『唯一』という言葉が、胸に引っ掛かる。

 陽之助さんにとって龍馬さんは、きっと()()()()大好きで尊敬していて――だからこそ、ゼッタイに失いたくない人なのだろう。
 あたしも、そんな存在になりたい。大好きな陽之助さんが、あたしが居ることで安らぎを得てくれるなら、それはきっと何より嬉しいことだ。

 今なら、陽之助さんの龍馬さんへの慕情(おもい)が痛い程理解(わか)る。 
 全てを捧げたいと思う程、陽之助さんは龍馬さんに救われたんだろう。

 あたしが想像していたよりも遥かに、2人は強い絆で結ばれていた。
 それはきっと、誰にも引き裂けないくらい強い。それが神様であっても、どんなに残酷な運命であっても、たとえ――死別したとしても。

 嗚呼(ああ)何時(いつ)からだろう? 陽之助さんをこんなにも愛しいと思ったのは。

 思えば、何時(いつ)しか彼と共に居た。そして何時(いつ)しか、大切な存在(ひと)になっていた。

(ワイ)が人生を捧げるんは坂本さんや。……(おなご)なんか興味あれへん』
 陽之助さんのこの言葉が、全ての始まりだった。

 クールで毒舌なのに、何故か龍馬さんにだけは尽くそうとするその姿に、あたしは強く惹かれていた。彼のことをもっと知りたいと――そう思うようになっていた。

「悲しい過去があったんだね……」
「…………」
 あたしの言葉に、陽之助さんが口を噤んだ。

 ――陽之助さんの笑顔が見たい。

 陽之助さんの過去と、龍馬さんへの強い想いを知った今だからこそ、強くそう思った。

「陽之助さん、大好き……」

 自然と零れた、「大好き」という言葉。

 今、確信した。
 この気持ちが――『恋』だと。

「萌華はん……」
 少し目を見張った陽之助さんが、起き上がろうとする。
 彼の背中に手を回して、ゆっくりと起き上がらせた後、あたしはその体を強く抱き締めた。

 彼のことが大好きで、大切で――離れたくない、離したくないと強く思う。

 暫くして、あたしは陽之助さんを抱き締める腕を緩めた。
 女も裸足で逃げ出す程の美人顔が、あたしの目の前にある。

「……おおきに……。(ワイ)も……愛しとる、さかい」

 柔らかそうな唇が紡ぐ愛とは裏腹に――陽之助さんは、()()()()()()をしているように見えた。

 どうして、そんな顔をするの?

 あたしは陽之助さんを見つめながら、そっと彼の白い頬を両手で包み込むように撫でる。
 焦燥感に駆られた様子で、あたしを強く抱き締めて来る陽之助さん。だけど手弱女(たおやめ)のようなその手は、確かに震えていた。

 陽之助さんは女性と接するのが得意じゃないらしく、以前も「女なんか興味ない」と言っていた。そんな陽之助さんが、自分からあたしを抱き締めて来ている。

「……陽之助さん……もしかして、ムリしてる?」

 あたしの言葉に、彼は一瞬だけ目を見張った。
 図星だったのだろうか? だけどこれは、ただの憶測に過ぎない。

「……別に」
 一瞬視線を泳がせてそう言った彼は、突然あたしに口付けて来た。

「……ッ!」
 突然の彼の行動に、あたしは大きく目を見張る。
 鼓動が一気に高鳴った。

 唇に押し当てられる――()()()()()()

 言いたいことは全て、彼の()()に塞がれて、声にならない。
 こんなことしても、陽之助さんが苦しいだけなのに……!!

「……ッ」
 やがて、唇が放された。

 陽之助さんが、何故そんなに苦しそうな表情をするのかは理解(わか)らないけれど――今はただ、彼への想いが募るばかりだった。

 陽之助さんを優しく抱き寄せて、拒絶されないように気を付けながら、あたしはそっと自分の唇で彼の唇に触れる。

 貴方が傍に居れば、望むことなんて何もない。
 本当に大好きで、大切な人だから。

「……愛してる、誰よりも」

 どんな運命が待ち受けていようと、愛しい彼をこの手で(まも)り抜く。
 こんな幸せが、ずっと続いて欲しい――この頃のあたしは、無邪気にもそう願っていた。

しおり