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第11話 ~悲しき運命(さだめ)~

 冷たい雨が銃弾の如く、地面に絶え間なく打ち付ける。

「萌華……!」
「……龍馬、さん……」
 龍馬さんと視線がぶつかった。

「取り敢えず、雨の当たらん場所に移動するぜよ」
 あたしは頷く。

 龍馬さんが陽之助さんを抱き上げ、雨が当たりにくい路地裏に移動した。
 建物と建物に挟まれた路地裏は、少し行くと行き止まりになっている。暗いけれど、建物の屋根のお陰で雨は殆んど当たらない。

「……医者を呼ばんといかん」
 自分の羽織を陽之助さんの肩に掛けながら、龍馬さんが言った。

 暫らく考え込んだ龍馬さんが、何かを思い付いたように顔を上げ、あたしを見る。

「萌華、ワシはこれから医者を探しに行って来るき」
「えッ……」
「陽之助を頼んだぜよ。()んぐに()んて来るき」
 そう言って、龍馬さんが立ち上がった。

「……はい」

 龍馬さんが、路地裏から出て行く。

 あたしはそっと、陽之助さんの肩を抱いた。

 女のあたしも羨ましく思ってしまう程、美しい顔立ち。
 そっと触れた頬はスベスベで、肌荒れなど一切していない。口元のホクロが、彼の色気と美しさに磨きを掛けている。

 ――それから暫らく経った頃、陽之助さんが目を覚ました。

「……ん……ッ」
「陽之助さん?」

 陽之助さんに見つめられる。彼の瞳は、()()()()()に戻っていた。
 ただでさえ女性のように白い肌が、今は雪のように真っ白だ。

「ご、ゴメン!!」
 ずっと陽之助さんの肩を抱いていたことに気付いたあたしは、パッと彼の肩から手を放した。

「ケホッケホッ……ゴホ……ッ!!」
 空咳に痰が絡み、陽之助さんが苦しそうに眉を寄せる。

「うッ……ゲホゲホッゴホッ!! ゴホッゴホォッ!!」
 陽之助さんが口元を押さえ、激しい咳に俯いた。
 彼の蒼い髪が月明かりに照らされ、光っているように見える。その透明感と美しさに、あたしは息を呑んだ。

 咳き込みながら、陽之助さんがあたしに背を向ける。

「陽之助さん……!」

 あたしは、陽之助さんの背中を(さす)ろうと手を伸ばし――振り払われた。
 驚いて、あたしは手を引っ込める。

「……来たらアカン」
 陽之助さんは、静かにそう告げた。

 ()()だ。そうやって彼は、何度あたしを拒絶しただろう? 何度、独りで苦しんだだろう?
 あたしは何度――誰にも助けを求めず、独りで抱え込んで苦しむ彼の背中を見ただろう?

 彼の苦しむ姿は、見たくない。だったら見なければ良いとかそういうことじゃなくて、見たくないから彼の苦しみを少しでも和らげてあげたいと思った。

 少しでも、彼にとって必要な存在になりたかった。

「……労咳(やまい)が……感染(うつ)ってまうやんか……ッ」

 あたしは、唇を噛み締める。
 悔しかった。不甲斐なかった。

「そんな……そんなこと、理解(わか)ってるよ……」
理解(わか)っとるんやったら――」
「でも!」
 あたしは、彼の言葉を遮った。

「それでも……独りで抱え込んで苦しむ人を、あたしはもう見たくない」

 これがあたしのエゴだとしても、もう見たくなかった。

「……おおきに」

 違う。
 そんな言葉が聞きたいんじゃない。そんな言葉が欲しくて、言ったんじゃない。

「違うよ……! あたしはただ、苦しんでる貴方の役に少しでも立ちたいから――」

「……何なん? それ」
 暫しの静寂の後、嘲笑(わら)い声にも涙声にも聞こえる声で、彼はそう呟いた。

 何処かで、雷が鳴る。

「ただのキレイ事やん。(ワイ)かて、そないな言葉が聞きたいんと(ちゃ)うんや」
「そんな、あたしは――!」
 否定しようとして、あたしは口を閉じた。

 きっと、こんなのキレイ事に過ぎない。()()()と同じで――あたしは何も知らない、何も出来ない子供だ。
 陽之助さんを救いたいと思うのも、独りで苦しむ人を見たくないというのも、全部あたしのエゴだった。

「……ッ、……ハァッ……ハァ……ッ」
 陽之助さんが息を切らせる。

 再び心臓がズキズキと痛んだけれど、あたしはキツく目を閉じて耐えた。

「ゲホゲホッゴホッ……ゴホ……ッ、……ゴホッゴホッゲホッ……ゲホゲホッ!! ……うゥッ!」
 背中を向けているけど、彼の足元に危うい(くれない)の華が咲いたのが判った。

「陽之助さん!」
「……()やんといて……ッ」

 激しく咳き込み、血を吐いて肩で息をしている陽之助さん。こんなにも苦しそうなのに、彼はあたしを傍に居させてくれない。決して助けを求めて来ない。

 どうして、そうまでして強がるの……? 龍馬さんには助けを求めて、涙を見せているのに。

「は……ッ……ハアァッ……ッふ……」
 陽之助さんの息が震えている。

 彼は咳き込みながらフラフラと立ち上がり、歩いて行く。それも、()()()()()()へ。

「陽之助さん……」

 雨が当たる所まで行くと、陽之助さんはガクリと膝を折った。
 パシャッと水がハネる。
 雨が当たる所に居れば体調が悪化するから、雨の当たらない所に連れて来たのに。
 彼の肩に掛かっている龍馬さんの羽織は、既にビショビショだ。

「陽之助さん、ダメだよ……! そんな所に居ちゃ……!」
 あたしは立ち上がり、彼の元に行く。

「来やんといて……ッ!」

 もし龍馬さんがあたしと同じことを言ったとしても、彼は今と同じように言うのだろうか?

「もう辞めて……ッ!」
 そう言って手を伸ばすけれど、振り払われたあたしの手は――あたしの想いは、彼には届かない。

「……アカン」
 静かで落ち着いた声。でも、だからこその強さと冷たさがある。

 あたしは、振り払われた彼の(かいな)を掴んだ。

「――……ッ!!」
 陽之助さんが大きく目を見張る。

 あたしは、彼の肩を抱いた。
 雨が陽之助さんの頬を伝い、スッキリとした顎から滴り落ちて行く。

「……ただ、雨に当たりたなっただけやさかい」

 彼の瞳を見て気付いた――彼の瞳を濡らすのは、()()()()()ということに。

 口元に少しだけ()を描きながら、陽之助さんがあたしを見た。
 陽之助さんの大きな目から、ポロリと零れ落ちるものがある。だけど彼は、その笑みを崩そうとはしない。

 陽之助さんは、ムリをして笑っている。それが判るからこそ、彼の笑みはとても痛ましく見えた。

 今の彼が、誰かの助けを必要としていることなんて一目瞭然だ。だったら彼に、少しの間だけでも安らぎを与えてあげたい。
 今、彼を救えるのは――あたししか居ないから。

 おこがましいのは、百どころか千も承知だった。

 あたしは、彼の体をそっと抱き寄せる。

「!」
 陽之助さんがハッと目を見張る。

「もう……ッ! 放してや……ッ!」
 彼は怒気を含んだ声音で、尚もあたしを拒絶する。
 そして、その華奢な肩が小刻みに震えるのを、必死に抑え付けようとしていた。こうして抱き締められていても、彼はあたしから顔を背けている。

 1番苦しいのは彼のハズなのに、あたしは胸が締め付けられる想いだった。この胸の苦しさよりきっと彼の方が、何倍も何十倍も苦しいに決まっているのに……。
 言いたいことは沢山あるのに、僅かに唇を動かしただけで、言葉にならなかった。

 グイッと陽之助さんに肩を押される。
 生まれ付き体が弱い上に労咳で体力が落ちているとはいえ、陽之助さんの方が力は強い。あたしも病気に侵されてから、体力はこれでもかという程に落ちた。

「…………ッ」
 あたしは、バランスを崩しそうになる。
 咄嗟に背後の壁に手を突いて、何とか耐えた。

 心臓に激痛が走る。
 だけど、こんな所で(くずお)れるワケにはいかない。

「……ッ!!」
 陽之助さんが、あたしから逃れようとする。

「放さないから」

 あたしは彼を抱き締める腕に力を込め、そっとその背中を撫でた。
 静かに――だけど嵐のように(すさ)む彼の心を、落ち着かせたくて。

「……ッ」
 陽之助さんが、小さく嗚咽する。

 大丈夫、大丈夫――そう念じて、彼の背中を擦り続けた。
 気付けば、陽之助さんはもう抵抗しなくなっていた。
 だけど、まだ泣くのを堪えているのか――肩が小刻みに震えている。

「大丈夫……大丈夫だから」

 雷鳴(おと)が耳を(つんざ)いた。
 雨はまだ、止む気配を見せない。

「泣いても良いよ。ガマンしないで」
 あたしは、出来るだけ優しく声を掛けた。
「……ッ! ……ふ……ッ」

 彼の体は、細く冷たかった――抱き締めているのが、ツラくなる程に。

「……う……ッ……うッ、うッ……! あァ……ッ! ……ワァァァァン!!!」
 陽之助さんが、堪え切れなかったのか――泣き出した。

 1度泣き叫ぶと、もう堪えたりしなかった。

 あたしの背中に腕を回し、ツラい感情(おもい)を吐き出すかのように慟哭している。
 その薄く儚い背中に、彼はどれだけの苦しみを背負っていたのだろう?

何故(なえで)……ッ……何故(なえで)(ワイ)』なん……!? 何故(なえで)……(ワイ)が……ッこないな病に……ッ」

 あたしは目を見張った。

 あたしも、陽之助さんと同じだった。どうして()()()がこんな難病にならなきゃいけないの? ――と、何度そう思ったか判らない。

 世の中には、健康な人が沢山居る。その何億人と居る健康な人の中で、どうして()()()()()なんだろう? どうして、()()()なんだろう?

何故(なえで)……ッ(ワイ)だけ……、()()()()()()しやなアカンのや……ッ!」

 心が痛くなった。

 陽之助さんが、激しく咳き込む。
 あたしは、彼の背中を強く擦った。

「大丈夫だから……。あたしは貴方の味方だから」

 彼の白い頬を、大粒の涙が転がり落ちる。

 こうして泣いてしまう程、彼は精神的にも限界を迎えていたんだ。きっと、沢山のものを抱え込んで来たんだろう。
 どうすれば、陽之助さんを救えるのだろうか?

「ケホッ……ゴホッゲホッ……ゲホゲホッ!! ゴホゴホゴホッ……ゲホッゴホン!!」
 陽之助さんが、激しい咳に背中をビク、ビクと震わせた。泣いているからか――先程より、咳がヒドくなっている。

 冷たい雨が銃弾の如く、地面に絶え間なく打ち付けていた。

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