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燃え上がれ俺達の恋!

「都築絢音です。秋田県出身です。特技はフルートです。趣味はガンプラと飛行機です。よろしくお願いします」
 都築絢音の自己紹介は、そんな感じだった。
 俺の面白い子スカウターは敏感に反応していた。
 この子も面白そうだ。高橋朱里系女子の匂いがする。
 そういえば、声も似てるような。
 そのうち話しかけてみようかな。
 入学式の日の教室で、俺は密かにそう思っていたんだ。

 チャンスは幸運にもすぐに訪れた。
 体験入部で吹奏楽部の練習を見学しようと、音楽室へ足を運んだ時だった。
 小橋彩香や古田奈和と話していると、音楽室に入ってきたんだ。
 都築絢音が入ってきたんだ。
 駒田里奈や佐藤飛鳥と一緒に。
「都築さん、ところでさ」
「えっ? 何?」
「なんでフルートだったの? なんか、憧れとかあったの?」
「私はね、フルートに選ばれたんだよ」
「へえ、フルートに選ばれたんだ」
「ガンプラは?」
「ガンプラもね、ガンダムに選ばれたんだ」
「へえ、選ばれまくってるね。もしかして、飛行機も?」
「ううん。飛行機には選ばれてないよ」
「あっ、そうなんだ。ガンプラ、いっぱい持ってるの?」
「うん。けっこう持ってるよ」
「じゃあ、お台場のあれも?」
「うん。持ってる持ってる」
「どこに飾ってるの?」
「庭だよ、庭」
「へえ、お庭、広いんだね」
 俺に合わせてくれていたのだろうか。
 それとも、バカにしていたのだろうか。
 絢音はずっとテキトークを展開していたんだ。

 夏には、こんなことがあった。
 金管楽器の音色が音楽室から聞こえてきた。
 吹奏楽部も甲子園を目指して、練習に励んでいるようだ。
 髪の毛が抜けないか心配だ。
 髪は女の命っていうから。
「あっ、祐人、またここ?」
 コーラを飲み干した頃、絢音がやってきた。
 紺色のバッグを右肩に掛けて、ばっちり下校モードだった。
「おお、絢音。部活、終わったか?」
「うん。今から帰るとこだよ」
「残念だな。フルートはブラスバンドに参加できないからな」
「しょうがないよ。そういうもんだし」
「今、スイ部で何してるの?」
「適当に遊んでるよ」
「遊んでるのかよ」
「冗談だよ。フルートの練習はしてるよ」
「木管楽器も甲子園で吹いたってさ。いいと思うけどな」
「えー、そう? けっこう、クラシック色が強くなるよ」
「いいんじゃない。いっそのこと、フルオーケストラで応援すれば豪華だよ」
「いいね。いや、さすがにうるさいよ」
「まあ、そうだよな……」
「それよりさ、祐人は部活やんないの?」
「それもよく聞かれるけどさ。俺もさ、入ろうとは思ったんだけどさ」
「吹奏楽部の見学してたからさ。もしかしたら、入るのかなと思ったんだけどさ」
「いや、俺、金管も木管もやったことないんだけど」
「最初からやったことある人はいないよ」
「まあ、そうだけどさ。でも、何かはしたいなあ。変わり映えのない毎日を送ってるからさ」
「じゃあさ、バイトでもすれば?」
「ああ、バイトか」
「祐人、知ってる? 真夏さん、あのコンビニでバイトしてるんだよ」
「ああ、知ってるよ。りんごから聞いたよ」
「一緒にバイトしたらさ。付き合えるんじゃないの?」
「うーん、でもなあ。採用されないことにはなあ……」
 俺は腕組みをしながら首を傾げていた。
 ふと顔を向けると、絢音はにやにやしていた。
「大丈夫でしょ。祐人、働き者なんでしょ?」
「そうだな。働き者の俺が落とされるわけがないよな」
「そうだよ。受けてみなよ」
「うん。真夏云々は別にしてさ。一応、受けてみるわ」
 そう。俺は、まちのほっとステーション創蒙駅前店の面接を受けたんだ。
 でも……

「そっか。落ちたか……」
 その日も、俺と絢音はエデンにいた。
 俺の気持ちを象徴するかのように、空は鼠色の雲に覆われていた。
「うん。俺が落とされるとか、あるんだな……」
「しょうがないよ。人生、そう上手くはいかないって」
「だよなあ。その代わりさ、なんかいいことがあればいいのに……」
「なんかいいことって何?」
「さあ、なんだろ? 彼女ができるとか?」
「祐人、そんなに彼女が欲しいの?」
「うん。せっかく、うちのクラスには、かわい子ちゃんがたくさんいるんだからさ。一人くらい、彼女になってもいいのになあ……」
 茜色の空を見上げながら、俺は青春の溜め息を零していた。
 すると、絢音が不意にこんな言葉を呟いた。
「美緒はどう?」
「美緒? ああ、何度か喋ったことはあるけどさ。そんなに仲良しって程でもないし」
「これから急接近とか、あるかもよ?」
「そうか? 台風じゃあるまいし」

 そう言ってたけどさ。
 そのあとの展開は、絢音の言っていた通りになった。
 俺と美緒はミュージカルガールを通じて急接近していった。
 この日、俺と美緒は昼休みにこんな話をしていた。
「そういや、美緒ってさ。好きな食べ物はなんなの?」
「あっ、定番の質問だね。私ね、ぎょうざが好きなんだよね」
「へえ、ぎょうざか」
「祐人、ぎょうざはどう?」
「まあまあ好きだよ。チャーハンの方が好きだけどさ」
「男の人って、チャーハンが好きな人、多いよね」
「なんか、旨いんだよね、あれ。他には、なんかある?」
「私ね、塩アイスも好きなんだよね」
「塩アイス?」
「うん。塩が入ってるアイスだよ」
「塩アイスってさ、そんなにおいしいの?」
「おいしいよ。祐人も食べてみなよ」
「えー、俺にはなんか合わなさそう……」
「別に変じゃないでしょ? スイカにさ、塩を振って食べたりするでしょ?」
「あるね。俺はやらないけどさ」
「やっぱりさ、祐人には塩アイスの素晴らしさが分からないんだよ」
「じゃあ、聞くけどさ。ガリガリくんに塩を振って食べるの?」
「それはやらないよ」
「ほら、やらないじゃん」

「ねえ、祐人。ちょっと聞きたいんだけどさ」
 次の日、絢音は朝のホームルーム前の教室で話しかけてきた。
「ん? 何?」
「最近さ、美緒とけっこう話してるよね?」
「ああ、まあな」
「どうなの? 今度こそ、いけそう?」
 絢音は身を乗り出しながら、囁き声で聞いてきた。
「どうかな?  あっ、そういえばさ、面接を受けたぞ」
「面接ってバイトの?」
「違う違う。美緒面接だよ」
「美緒面接? 何それ?」
「彼氏に相応しいかどうかって面接だったみたい」
「へえ、そんな面接があったんだ。それで、結果は?」
「まだ分かんない。いつ発表なのかも、よく分からないけどさ。発表があるのかどうかも、よく分からないけどさ」
「ふーん、そっか。じゃあさ、もし結果が分かったら教えてよ」
「うん。合格だといいけどなあ……」

「そっか。落ちたんだ……」
 それから数日後、絢音は教室で溜め息を零していた。
「うん。美緒とはさ、縁がなかったみたいだよ……」
「美緒は私の友達だからさ。祐人が付き合うなら幸せにしてあげなよ、ってさ。そう思ってたのにさ」
「うん。残念ながら、俺じゃなかったみたい」
「ほら、あれがいけなかったんだよ。塩アイス、否定したでしょ?」
「だってさ、俺には良さが分からないし」
「祐人、食べたことあるの?」
「ないよ」
「ないのに否定したらダメだよ」
「そうだな。まあ、食の好みは人それぞれだからな」
「まあ、しょうがないよね。これが祐人の運命なんだよ」
「みたいだな……」

 空前のぬいぐるみ遊びブームの時は、こんなことがあった。
 スヌーピーは、たくさんのぬいぐるみたちを相手に話をしていた。
 そんな中、ぬいぐるみじゃない存在が現れた。
「やあ、スヌーピーくん」
「うわっ!」
 スヌーピーは仰け反りながら驚いていた。
「どうしたんだい?」
「あなた、ガンダムさんじゃないですか!」
「そうだよ。ガンダムだよお!」
「スヌーピーだよお!」
 ガンダムもスヌーピーも右前足と左前足を挙げながら機体を揺らしていた。
「スヌーピーくん、私はぬいぐるみじゃないけど参加してもいいのかな?」
「もちろんだよお!」
「ありがとう。スヌーピーくんはガンダムを知ってるかい?」
「いや、実はですね。あんまり知らないんですよ」
「そうかい。じゃあ、飛行機は乗ったことあるかい?」
「ないんですよ。乗ってみたいんですけどね」
「そうかい。ファーストクラスとエコノミークラス、どっちがいい?」
「うーん、やっぱりファーストクラスですかね」
「ああ、ファーストクラスかい」
「はい。いえね、私、見栄っ張りじゃないんですけどね。私がエコノミークラスに乗ってるとですね。うわあ、スヌーピーがエコノミークラスに乗ってるよって思われませんかね?」
「大丈夫だよ、スヌーピーくん。かえって庶民派だと思われるんじゃないかな」
「そうですか。じゃあ、エコノミークラスに乗るよお!」
 そう。実は、あのぬいぐるみ遊びブームの時、こんなことがあったんだ。
 スヌーピーとガンダム。
 夢の競演が実現してたんだ。

 秋には、こんなことがあった。
「あじゃぱー! おったまげー!」
「はーい! ずばば! ずばば! ずばばばーん!」
 俺と飛鳥は図書室で漫才をやっていた。
 別に観客がいて、漫才を披露していたわけじゃない。
 飛鳥が珍しくふざけたからさ。
 心優しい俺は乗ってあげたんだ。
「えっ? 何してんの?」
 そこへ絢音が現れた。
 二人して振り返ると、絢音が呆然と立ち尽くしていたんだ。
「おっ、絢音。珍しいな」
「見ての通りだよ。祐人と漫才してたんだ」
「えっ? ここ、図書館だよ」
「いや、図書室だぞ」
「うん。図書館じゃないよ」
「あっ……」
 絢音は気まずそうな顔で固まっていた。
「あっ、もしかしてマジボケ?」
「ほんとに間違えたの?」
「うん。今のは、ほんとに間違えたよ」
「あるよなあ。俺もよく図書室と間違えてさ。創蒙図書館に行ってしまうし」
「わかるー。私もよく間違えて行くよ」
「いや、それはさすがにないっしょ」
「うん。冗談だけどな」
「はーい! ずばば! ずばば! ずばばばーん!」
「もう、さっきからなんなの? メイプル超合金に凝ってるの?」
 絢音が笑いながらツッコミを入れる。
「うん。最近、これやりたくなるんだよ」
「だからね、私も祐人に合わせてあげてるんだよ」
「漫才はいいからさあ。本を読もうよ」
「そうだな。ていうっか、絢音って小説を読むのか」
「小説くらい読むよ」
「ちなみに、好きな作家はいるの?」
「私ね、筒井康隆さんが好きなんだよね」
「おっ、有名どころだな。てことは、時かけは……」
「もちろん読んだよ」
「時かけくらい、俺だって読んだことあるぞ」
「えー、どうせ、あれでしょ。アニメ映画のあとでしょ?」
「残念だったな。守の映画が作られる前に読んだしー」
「私なんかさ、筒井先生が書かれる前に読んだよ」
「いや、それはさすがに無理でしょ」
「そうか。飛鳥は未来人か」
「実はさあ、そうなんだよねえ。いっけえええええええええええええええ!」
「はーい! ずばば! ずばば! いっけえええええええええええええええええ!」
「あとね、司馬遼太郎さんとか」
「司馬遼太郎? 渋いな……」
「そう? 祐人、歴史小説とか絶対、読まないでしょ?」
「読まないなあ。みゆきとか佐伯選手が出してるからさ。ちらっと手に取ったことはあるけどさ」
「ああ、宮部みゆきさんねえ」
「そういや、飛鳥は最近、何を読んでるんだ?」
「えー、個人情報を晒すのはちょっとさあ……」
「うわあ、もう、なんも話せねえなあ……」
 そんな感じで俺達は、わいわいがやがやと騒ぎながら本を選んでいた。
 でもさ、図書室では静かにしましょう。 

 冬には、こんなことがあった。
 俺と絢音は放課後の教室で、のんべんだらりと過ごしていた。
「あー、寒いよ。帰りたくないよ……」
 絢音がストーブに張り付いていた。
「そういえば、絢音って冷え性なんだっけ」
「うん。だからさあ、冬はこたえるよ……」
「秋田出身で冷え性って致命的だな」
「うん。今は東京だからいいけどねえ……」
「なんか、やってないの? 対策とか」
「やってるよ。最近さ、サプリを調べてみたんだけどさ」
「ああ、冷え性に効くサプリ?」
「うん。やっぱりさ、しょうがが効くみたいだよ」
「しょうがか。しょうがは暖まるイメージあるな」
「うん。なんか、レビューが書いてあったんだけどさ。飲んだ瞬間から暖まったってさ。そう書いてあったんだよね」
「いやいやいや!」
 ツッコミを入れずにはいられなかった。
 ここでツッコミを入れなかったら、ツッコミキャラでいる意味がない。
「いや、ほんとかどうかは分かんないよ。レビューを見ただけだからさ」 
「ああいうレビューってさ、ヤラセもあるらしいじゃん」
「ああ、なんかニュースとかでやってるよね」
「うん。あんまり鵜呑みにしない方がいいんじゃないの」
「でもさ、しょうがはいいみたいだよ」
「うん。あと、ねぎもいいって言うでしょ?」
「あー、ねぎね。ねぎも暖まるよね」
「今度さ、マフラーの代わりにネギ巻いて登校したら?」
「あっ、それいいね。やってみるよ」
 そんな答えが返ってきたけど、さすがに冗談だった。
 絢音がねぎを首に巻いて登校することは、さすがになかったんだ。

「三年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます」
 菊ちゃんが壇上で喋っていた。
 エコーのかかった声が体育館に響いていた。
 送る言葉ってやつだ。
 一年生代表に選ばれるとは。
 さすがは我らが学級委員だ。
 でも、三年生との思い出とか全くないし。
 そもそも、交流がほとんどないし。俺、帰宅部だし。
 やがて、合唱コーナーが始まった。
 三年生が初音ミクさんの桜ノ雨を歌った。
 いい歌だな。桜ちゃんと春人くんの世直しのテーマソングだっけ。

 卒業式の後、俺達はエデンでまったりと過ごしていた。
 俺はこの缶コーフィーをちびちびと飲んでいた。
 卒業式という日に相応しく、青空は透き通っていた。
「桜ノ雨、良かったねえ」
「元の歌がいいからな。みんな、初音ミクのものまねで歌えば面白かったのに」
「それ、いいね。そういえばさ、祐人って初音ミクさんのものまねが得意だったよね?」
「うん。得意ネタだぞ」
「久しぶりに聴かせてよ」
「らーららーらーらーらーらー♪ らーららーらーらーらーらー♪」
「おっ、似てる」 
 メルトを歌うと、絢音が拍手をしてくれた。
 両手を膝の上に戻して青空を見上げる。
「祐人、いよいよ私達も二年生だよ」
「そうだなあ。あっ……」
「どうしたの?」
「あるかもしれないぞ……」
「何が?」
「下級生とのロマンスだよ」
「えー、そう?」
 絢音は鼻で笑っていた。口元が歪んでいた。
「うん。この一年間、彼女ができなかったのはさ。そのためだったのかもしれないぞ」
「まあ、そうなったらいいね。祐人、ロリコンだし」
「だからさ、俺はロリコンじゃないんだってばよ」
「嘘でしょ。越野さんも真夏さんもさあ、島木さんも好きでしょ?」
「うん。かわいいとは思うけどなあ……」
「菊田さんは?」
「えっ? あの子はロリコンじゃないけど……」
「うん。ロリ系ではないけどさ。菊田さんの送る言葉、良かったね」
「うん。でも、日本文化部に所属しながら修学旅行でサボったらしいぞ」
「えっ? なんの話?」
「修学旅行でさ。お寺を五箇所、回らないといけなかったらしいんだけどさ。二箇所しか回らなかったらしいぞ」
「ああ、修学旅行の話ね」
「うん。で、サボッて何をしてたかと言えばさ。水切りだぞ。鴨川で水切りだぞ」
「水切りって、あの石を投げるやつ?」
「そうそう。ひたすら石を投げてたらしいぞ。これが、かの有名な鴨川さぼりんこ事件だぞ」
「いいじゃん。祐人だって、やったでしょ?」
「うん。小学生の頃、やったけどな」
「最高記録、何回?」
「七回くらいだったかな」
「おっ、けっこういけるじゃん」
「いや、あんなもの運だよ。運が良ければさ。七回くらい、跳ねるんだよ」
 飛行機が飛んでいた。
 青空の中を飛んでいた。
 ぐうううううううううううん!
 そんな音が徐々に遠ざかっていった。
「おっ、絢音の大好きな飛行機だぞ」
「うん。飛行機だね」
「あれ? テンション、上がらないの?」
「いちいち上がらないよ。祐人だってさ、本屋さんとか図書館に行く度にテンション上がったりしないでしょ?」
「まあ、毎回毎回、上がったりはしないけどな」
「祐人ってさ、飛行機、乗ったことあったっけ?」
「うん。あるよ」
「いつ?」
「小四の頃だったかな。ママンの実家に行く時に乗ったよ」
「どうだった?」
「なんかさ、離陸する時に得体の知れない力が体にのしかかってきてさ」
「それ、重力だよ」
「ああ、あれ重力っていうのか」
「そうだよ。なんだと思ったの?」
「幽霊かなと思ったよ」
「幽霊じゃないよ。安心しなよ」
「そういえば、大人になった俺はさ、飛行機に乗ってると思うんだ」
「えっ? なんで?」
「海外出張だよ。海外出張でさ。世界中を飛び回ってるんだ」
「えー、祐人、そんなすごいサラリーマンになってるの?」
「もちろんだよ。いつも言ってるだろ。俺はさ、エリートサラリーマンになるんだ」
 こんな感じで俺と絢音の日々は続いていった。
 たまに長めに話すことはあったけど、ロマンスは始まらなかったんだ。

 あれから時は流れて、俺達は二年生になった。
 この二年A組の教室にいる顔触れは、ほとんど変わっていない。
 相変わらずの美少女エデンだ。
 でも、残念ながら俺に彼女はいない。
 絢音とも付き合ってはいない。
 絢音と付き合うとか、あるのかな。
 沙友里と同じく、漫才の相手のような気もするけどな。
 まあ、しょうがない。
 これが運命なのだと静かに受け入れるしかない。
「祐人、何、たそがれてんのー?」
 その絢音の声が聞こえて、俺は我に返った。
 にやにやしながら、俺の横顔を覗き込んでいた。
「おお、絢音……」
 正直に言うのも恥ずかしいな。適当にごまかしておくか。
「いや、一年生の頃の出来事を思い返していてさ」
「一年の時ねえ。色々あったよねえ」
「うん。俺達も、もう二年だぞ」
「知ってるよ。来年なんかさあ、受験だよ?」
「そうなんだよ。うかうかしてられないよな」
「そうだよ。祐人、大丈夫? 大学さあ、入れるの?」
「入れるに決まってるだろ」
「えー、ほんとにー?」
「俺が本気を出せばな。東大でもハーバード大学でも、どこでも入れるんだぞ」
「えー、それは嘘でしょ」
「いやいや、ほんとほんと。俺はさ、そう思ってるんだ」
「思うのは自由だけどさあ。ていうっか、思うだけなら誰でもできるし」
「まあ、そうだよなあ……」

 夏休み。
 四十日も夏休みがあるのは学生の特権だ。
 だからといって、遊び呆けているわけにもいかない。
 宿題という天敵がいるのだから。
 優等生な俺は今日も自宅の机で宿題をやっていた。
 数学の問題集をずっと解いていると、それこそ偏頭痛になりそうだ。
 ふと思う。絢音は今ごろ、何をしてるのだろう。
 俺と同じように、宿題をやっているのだろうか。
 それとも、ガリガリくんを食べながら、ごろごろしてるのだろうか。
「ふう……」
 シャーペンを机に置いて、問題集を閉じる。
 とりあえず、今日はこれくらいにしておこう。
 さて、息抜きタイムだ。
 スマホを手に取り、電源を入れる。
 何か面白いニュースはないかと、dメニューを見てみる。
「えっ?」
 俺が目を見張ったのは興味があるニュースが載っていたからだった。
 あのアイドルグループの人気メンバーが卒業を発表したらしい。
 そうか。あの子も卒業か。年齢を考えたら少し早いような気もするけどな。
 まあ、人それぞれ、タイミングがあるだろうからな。
 一通りニュースを見てから、電源ボタンを押す。
 電源を切る。機内モード。機内モードをONにする。
 おなじみの文字が画面に並ぶ。
「機内モードか……」
 ぽつりと呟きながら、電源を切るをタップする。
 スマホがぶるっと震えて、画面が真っ黒になった。
 真っ黒になった画面に、自分の鼻と口が映っていた。
 口元が緩んでいるように見えたけど、きっと気のせいだろう。
 さてと、どこかへ出かけようか。
 今日は幸い、そんなに暑くない。
 創蒙図書館にでも行こう。

 そんなに暑くないとはいえ、創蒙図書館に着いた頃には汗だくになっていた。
 額の汗を手の甲で拭いながら、自動ドアを通る。
 とりあえず本を見る前に、自販機で缶ジュースを買おう。
 第二エデンへと歩いていると、思わず足を止めた。
 カウンターの前に知っている後ろ姿があったから。
 どう見ても絢音だよな。
 とりあえず、声をかけてみるか。
「あっ」
 背中に近づいていくと、絢音が振り返った。
「祐人、どうしたの?」
「どうもこうも、図書館に来ただけだけど」
「えー、私に会いに来たんじゃないの?」
「いや、ばったり遭遇しただけだし」
「偶然?」
「うん。もちろん偶然」
「返却したの?」
「うん。これから借りるところ」
「そうか。じゃあ、一緒に回る?」
「うん。そうだね」
 絢音は、にこりともせずに頷く。
 こうして、俺達はなんだか成り行きで本を見て回ることになった。
「ねえ、宿題やってる?」
「うん。やってるよ。毎日、少しずつ」
「へえ、偉いね」
「だって、やるだけでいいんだろ? 答えが全部、間違っててもいいんだろ?」
「えー、それはどうかと思うけどさあ……」
「絢音はやってるの?」
「もちろんだよ。最近、ペース上げたんだよね」
「えっ? なんで?」
「ちょっとさあ、このペースだと終わるか不安になってきたからさ」
「終わらなかったらさ。風邪、引いてたことにすればいいじゃん」
「えー、私、そんなに長いこと風邪だったの?」
「うん。四十日間、ずっとな」
「それはさすがに無理あるっしょ」
「まあ、そうだよなあ……」
「ところでさ、最近、なんか読んだ?」
「読んだよ」
「どんな本?」
「サマータイムトラベラーって小説」
「どんな話?」
「時かけみたいな話だよ」
「タイムリープもの?」
「うん。時かけ好きな人は楽しめるんじゃないの」
「作者、誰?」
「新城カズマって人。ハヤカワSF文庫だよ」
「ああ、ハヤカワね」
 そうやって、俺達は小声で話しながら本棚を見て回った。
 文庫の棚を眺めている時、絢音がこんなことを言い出した。
「ねえ、休憩しない?」
「休憩って第二エデンで?」
「うん。ジュース、飲もうよ」
「うん。じゃあ、行くか」
 というわけで、俺達は第二エデンへ移動した。
 幸か不幸か、ソファーは無人だった。
「あれ? 缶コーフィーじゃないの?」
「うん。そりゃあ、他のジュースを飲む時だってあるよ」
「まあ、そうだよねえ」
 絢音は間延びした声で答えながら自販機のボタンを押す。
 腰を屈めながら、取り出し口へ手を入れる。
 絢音が右手に持っていたのはレモンティーだった。
「おや、レモンティーですか。お目が高い」
「そうでもないでしょ。缶ジュースだし」
「ペットボトルだけどな」
 俺達はソファーに腰掛けながら缶ジュースを飲む。
 喉が潤う。当たり前か。
「けっこうさあ、街中で会うでしょ?」
「ああ、同級生に?」
「うん。会わない?」
「うん。創蒙書店でよく会うよ」
「誰に?」
「飛鳥とか、美緒とか、須賀さんとか」
「ああ、女子ばっかりだね」
「うん。有難いことにね」
「でも、三人ともフラれたけどね」
「いや、フラれてないし。そもそも、告白してないし」
「あっ、そうだ。祐人、見た?」
「何を?」
「あのアイドル、卒業するんだって」
「ああ、見た見た」
「あっ、知ってるんだ」
「うん。スマホのニュース見てたらさ。載ってたよ」
「あっ、dメニュー?」
「そうそう」
「祐人、いつも言うけどさ。みんな、早く卒業するよね」
「うん。やりたいことが見つかったんだよ」
「へえ、未来に帰るのかな?」
「うーん、あのグループに未来人はいないと思うけどなあ」
「まあ、そうだよねえ」
「俺達はさ、いつ卒業すればいいの?」
「来年だよ」
「ああ、来年か」
「うん。来年、三年生だから」
「俺、卒業できるのかな?」
「分かんないよ。祐人の学力次第じゃない?」
「じゃあ、大丈夫だな。俺、勉強星人だし」
「へえ、祐人って勉強星人だったんだ」
「うん。勉強星から飛来したんだよ」
 創蒙図書館を出ると、飛行機が飛んでいた。
 青空の中を昇っていく。エンジン音を響かせながら。
「あの飛行機、どこに行くんだろうな?」
「うーん、沖縄じゃない?」
「おっ、沖縄いいな。あったかいし。冷え性にも効くんじゃない?」
「うん。海も綺麗だもんね」
「そういえばさ、卒業式の日も飛んでたっけ」
「ああ、飛んでたね。菊田さんの話とか、したっけ」
「鴨川さぼりんこ水切り事件な。せっかくの修学旅行だっていうのに」
「あっ、そういえばさ、もうすぐ修学旅行じゃん」
「ああ、そうだな。夏が終わったら修学旅行か」
「うん。広島と岡山でしょ」
「うん。まあ、悪くないかな。頑張らないとな」
「何を?」
「宿題を」
「ああ、宿題ね」
 俺達は遠ざかっていく飛行機を見送りながら、ぼんやりと話をしていた。
 青空には入道雲が浮かんでいて、どう考えても夏だった。

 修学旅行は徒歩で行くわけじゃない。
 さすがに、広島や岡山まで歩いては行かない。
 実はバスで行くんだ。
 創蒙駅前のバス停に集合してさ。
 バスに乗って行くんだ。
 バス停には先客が何人かいた。
 沙友里と菊ちゃんと真夏だった。
「真夏、修学旅行、行ってる場合ちゃうで。バイトせんと」
「バイトはね、もう辞めたから」
「えー、クビになったん?」
「クビになったわけじゃないよ。卒業だよ、卒業」
「えー、じゃあ今ニートなん?」
「うん。ニートだよ」
「あかんて。ニートじゃ生きていけんやんか」
「そうだよ、真夏。働かないと」
「まだ学生だからね。大人になったら働くよ」
 沙友里と菊ちゃんで真夏をいじっていた。
 朝から元気だな。俺はまだ眠気が取れないというのに。
「あっ、ヘンタイや」
「ヘンタイじゃないよ。ロリコンだよ」
「ヘンタイが来たね」
「誰がヘンタイじゃ……」
 ツッコミを返しながら歩いていく。
 歩きながら、バス停を見回してみる。
 絢音はまだ来ていないようだ。
「祐人、誰を探してんの?」
 沙友里がそんなことを聞いてくる。
 にやにやしているわけじゃなくて、ぽかーんとした顔だった。
「えっ? 別に誰も探してないけど……」
 首を横に振ってから、とりあえずリュックを足元に下ろす。
「おっ、祐人」
 首を回していると、絢音の声が後ろから聞こえた。
 なるべく自然に振り返る。
 絢音が歩いていた。
 両手でリュックの肩紐を握りながら。
「おう、絢音。おはよう」 
「おはよう。相変わらずモテるね」
「別にモテてないぞ。ヘンタイやロリコンと罵倒されてただけだし」
「へえ、祐人ってヘンタイのロリコンなの?」
「いや、違うから」

 バスは走っていた。
 もちろん、道路を。
 当たり前だ。バスは道路を走ってもらわないと困る。
 だって、今日は修学旅行だから。
「祐人、修学旅行だよ」
 絢音は窓の外を眺めながら、はしゃいでいた。
 両手こそ着けていなかったけど、窓に映る顔は輝いていた。
 バスはまだ創蒙駅を出たばかりで、窓の外に見える景色は国道や車ばかりだけどさ。
 絢音のテンションは早くも高まっているようだ。
「楽しそうだな、絢音」
「だってさあ、あっ、前、言わなかったっけ?」
「ん? なんの話?」
「私さあ、小学校の修学旅行、熱を出しちゃってさあ。行けなかったんだよ」
「ああ、言ってたな。岩手へ行く途中で熱を出して入院したんだっけ」
「うん。偏頭痛でさあ。点滴、打ってもらったんだよ」
「頭痛が進化して偏頭痛になったんだな」
「祐人さあ、お土産は何を買うの?」
「お土産か。ていうっか、何があるんだろうな?」
「そりゃあ、キーホルダーとかさあ。食べ物じゃないの?」
「ああ、定番だな。でも、キーホルダーはなあ……」
「えー、キーホルダー、買わないの?」
「うん。だってさ、ああいうのがダイソーで売ってたとしてもさ。絶対に買わないと思うんだよ」
「それ、言ってたね。じゃあ、食べ物?」
「うん。俺はさ、敢えて残らない物を買う派だから」
「うん。それもいいかもねえ」
「そういう絢音は何を買うんだ? 飛行機か?」
「飛行機は買えないよ」
「まあ、さすがに無理か。高校生のマイケル・ジャクソンでも買うかどうか微妙だな」
「でもさあ、飛行機を買って帰ったらかっこいいんじゃない?」
「そうだな。でもさあ、飛行機って落ちるだろ?」
「それ、みんな言うけどさあ。そんなこと言ったら、バスだって事故る可能性あるじゃん」
「おいおい、縁起でもないことを言うなよ。リトバスじゃあるまいし……」
「祐人もさあ、そろそろ飛行機かガンダムに目覚めなよ」
「いや、目覚めないなあ。別に嫌いじゃないけどさ。目覚めないなあ」
「でもさ、ガンダムビルドファイターズは見てたんでしょ?」
「うん。あれはさ、八武崎が出てたからさ」
「男の子ってさ、乗り物とかプラモデルが好きなんじゃないの?」
「それは人によるよ。女子だって、ケーキとコスメが好きなんじゃないの?」
「祐人って、いつもコスメだね」
「ケーキに異論はないの?」
「ケーキに異論はないよ」
「あっ、そうだ。思い出した」
「何?」
「俺、嵐の桜井翔君のものまねを練習してるんだけどさ。どうしてもさ、電車の車掌さんの声になるんだよね」
「へえ、どんな感じ?」
「さあ、続いての曲です。いかがでしたでしょうか?」
「ああ、それは車掌しゃんだね」
「いや、言えてないし」
「噛んだだけじゃん」
「うん。だから、噛んだよ。車掌しゃん……」
 笑いが止まらなかった。両手で腹を抱えながら猫背になる。
「よし、今度、祐人が噛んだら、すごい言ってやろうっと」
「うん。言って言って」
「車掌しゃんって言いにくいでしょ?」
「うん。確かに車掌しゃんは言いにくいわ」
「ちょっと、もう一回やってよ」
「次はーこちらの曲です。いかがでしたでしょうか?」
「いや、今のはわざとでしょ」
「いや、わざとじゃない、わざとじゃない」
「あっ、そういえばさ」
「ん? 今度は何?」
「祐人はさ、まだ彼女作りを諦めてないの?」
「当たり前だろ。諦めたら、そこで恋愛終了だからな」
「今はさ、誰を攻略しようとしてんの?」
「うーん、別に誰ってことはないけどなあ……」
「あの子は? ほら、下級生の子」
「ああ、野田ちゃんか」
「うん。あの子、本命なんじゃないの?」
「いや、別にそういうわけじゃないけどな……」
「美月ちゃんは? あの子、絶対タイプでしょ?」
「うん。ああいう、おめめぱっちり系は大好物だけどな」
「でしょー? がんばりなよ」
「いや、あの子も恋愛の対象ではないな」
「うっそだー。絶対、好きでしょ」
「まあ、顔はかわいいと思うよ」
「じゃあ、さくらちゃんは? あっ、江藤の方ね」
「あの子もフツーニかわいいとは思うけどな。でも、違うな」
「ていうっかさあ、祐人ってさ、ロリコンだよね?」
「違うわ」
「だってさあ、越野さんと相合傘で帰ってたじゃん」
「あれか。あれは成り行きでさ……」
「美緒の時は? けっこう本気だったでしょ?」
「いや、それはないわ」
「嘘だー。だいぶ舞い上がってたでしょ?」
「あっ、私達の話してるよ」
「ああ、ほんとだね」
 美緒とみなみちゃんの話し声が後ろから聞こえた。
 あの一番後ろの席はカズしか座ってはいけないはずだけどな。
 ていうっかさ、絢音がでかい声で喋るからサークル聞こえじゃないか。

 やがて、バスがターミナルに到着した。
 バスガイドさんと滝元先生がバスの下からリュックを出していた。
「みんな、取りに来いよ」
 滝元先生が両手を挙げながら呼びかける。
「はーい!」
 真夏と沙友里が真っ先に駆け寄っていく。
「俺も手伝おうかな」
「おっ、祐人、やる気だね」
 絢音が振り返って俺の横顔を見上げる。
「うん。こういうとこで動いたらさ。好感度が上がるかもしれないし」
「うん。力仕事だからね」
「うん。ちょっくら行ってくるわ」
「はい。絢音ちゃん」
 沙友里が絢音のリュックを差し出す。
「あっ、ありがとう」
 絢音はリュックを受け取ると背中に掛けた。
「おい、りんご。俺の仕事を取らないでくれよ」
「えっ? なんで、祐人の仕事なん?」
「俺はさ、こういう力仕事を手伝ってさ。好感度を上げようと思ったんだ」
「えー、今更そんなことしてもなあ。誰もなんとも思わへんと思うけどなあ……」
「そうそう。無駄だよ、無駄」
 さくらが冷ややかな目で見ていた。
 うるさいな。ヘラクレス祐人、素敵とか言ってくれてもいいのに。
「なんかさあ、さっき盛り上がってたなあ」
 沙友里がそう言ったから顔を戻した。
 なんの話か分からなかった。
「えっ? そう?」
「うん。祐人、車掌さんのものまねしてたやんか」
「ああ、あれか。あれは桜井翔君のものまねだぞ」
「桜井君って嵐の?」
「そうそう。桜井君のものまねを練習してるんだけどさ。どうしても、車掌しゃんになるって話をしてたんだよ」
「ああ、それで盛り上がってたんか。二人、付き合うの?」
「えっ? なんで、そうなるの?」
「だって、なんか、ええ感じやったからさ」
「おい、絢音。俺達、いい感じなのか?」
「えっ? わかんないよ」
 絢音は首を横に振っていた。
 顔を赤らめることもなく、真顔で。
 わかんないって、なんだろうな。
 少しは脈ありなのか。
 そうだよな。あり得ないよりは脈ありだよな。

 みそ汁が旨い。
 旅館のみそ汁はなぜ、こんなにも旨いのか。
「この味か……」
 眉間にしわを寄せながら、紫色の座布団の上で呟いてみる。
「祐人、どうしたの?」
 絢音が隣で振り返る。
 みそ汁じゃなくて、白飯を食べている最中だった。
「この味、どうやったら出せるんだ?」
「えー、分かんないよ」
「どうしてもさ、この味を出したいんだよ。料亭っぽい味を……」
「料亭の味って、おみそ売ってるでしょ?」
「うん。もちろん知ってるし、使ってるけどさ」
「赤? 合わせ?」
「合わせ。マルコメのやつ」
「祐人、合わせ派なの?」
「うーん、具材によるかな。大根は赤みそが合う感じがする」
「祐人さ、料亭の味って言葉に弱いよね」
「うん。だってさ、キラーワードでしょ」
「うん。あと、明治創業でしょ。あと、老舗」
「あと、店主こだわりの一品な」
「それ、いつも言うのじゃん」
「祐人って、そんなに、おみそ汁、好きだっけ?」
 さくらが首を伸ばしながら話に入ってきた。
「そりゃあ、俺も日本人のはしくれだからな。みそ汁は懐が深いからな。なんでも合うんだぞ」
「じゃあ、メロンパンも合うの?」
「合う合う。今度、入れてみな」
「うん。じゃあ、入れてみるよ」
「ついでにさ、梅干も入れなよ」
「あっ、いいね。メロンパンと梅干、入れてみるよ」
 さくらは笑いもせずに頷く。
 きっと冗談だろうと思いたい。
「へえ、じゃあ、私もやってみようかな」
 島木さんも珍しく話に乗ってきた。
「えー、じゃあ、ぎょうざも合うの?」
 美緒まで話に入ってきた。
「うん。合う合う。もう、なんでも入れなよ」
「あっ、そういえば、こないださ」
「うん。なんか、あった?」
「ぎょうざを二十個、食べたらさ。お風呂で気持ち悪くなってさ」
「二十個?!」
 大声で反応せざるを得なかった。
 だって、ぎょうざ二十個だぜ。
「何それ? 成人の日の儀式?」
「節分じゃないんだから」
 絢音がなかなかいいツッコミを入れてくれた。
「ううん。違うよ。なんか、たくさん食べたくなってさ」
「びっくりした。美緒、年の数だけ、ぎょうざを食べたのかと思ったわ」
「違うよ。私、はたちじゃないし」
「でも、さすがにさあ、二十個は食べ過ぎでしょ」
「二十個っていってもさ。小さいのだよ」
「小さいのでも二十個は多いよ。そりゃあ、風呂で吐くわ」
 美緒は相変わらず大食いのようだ。
 フラれて良かったのかもしれない。
 美緒と付き合ったら食費がめっさんこ、かかりそうだし。
「祐人さ、夜、何するの?」
 ぎょうざ二十個の話がひと段落した頃、絢音が黒豆をつまみながら聞いてきた。
「えー、別にぼーっとしてると思うけどな」
「トランプは?」
「俺は持ってきてないよ」
「そっか。祐人、将棋派だもんね」
「うん。将棋盤も持ってきてないけどさ」
「枕投げは?」
「いや、高校生にもなって枕投げはやらないなあ」
「でもさ、祐人が室伏さんだったら……」
「うーん、ハンマー投げは尚更やらないなあ。危ないし」
「まあ、そうだよねえ……」

「あー、疲れた……」
 帰りのバス、絢音は隣の座席でぐったりとしていた。
 首をもたげながら、ゾンビに噛まれた人みたいな顔をしていた。
「はしゃぎすぎだろ。そりゃあ、疲れるわ」
「だってさあ、修学旅行だよ。楽しまないと……」
「ああ、小学校の分までな」
「うん。私、寝るからさ。着いたら起こしてね」
「タクシーかよ」
 ツッコミがいまいちだなと思っている間に、絢音は目を瞑っていた。
 のび太ならもう寝ているだろうけど、さすがにまだ意識はあるだろう。
 しょうがないな。俺も疲れたからな。しばらく黙って休んでるか。
「カラオケ、やりますか?!」
 でも、俺の安息はバスガイドの一言で破戒されることとなった。
「はーい!」
「歌いまーす!」
 パリピ系女子が黙っているわけがなかった。
 真夏と沙友里が真っ先に手を挙げていた。
 そんでもって、チーム加野木座中がガールズルールを歌い始めた。
 うん。この歌は好きだよ。
 振り付けもかわいいし。
 サビのボールを投げる振りとか、フレミングの左手の法則みたいな振りとか、いいよね。
 でも、今だけは聴きたくないよ。
 静かにしておくれやす。
「神宮、騒げえええええええええええええええ!」
 白井さんが絶叫しながら煽る。
 いや、ここ、神宮じゃないし。バスの中だし。
 こんな状況だというのに、絢音は寝息を立てながら眠っていた。
 この状況でよく眠れるな。
 カラオケ大会は、ひたすら続いていた。
 喉に覚えのある女子どもがひたすら歌っていた。
 乃木坂やAKBの歌を中心に、ひたすら歌っていた。
 睡眠を諦めた俺は、せめて目を閉じながら、じっとしていた。
 やがて、創蒙駅が見えてきた。
 バスがバス停の前に停車する。
「おーい、絢音、着いたぞ」
 声をかけたけど、返事はなかった。
 依然として目を瞑ったまま、寝息を立てていた。
「あっ、ガチ寝やんか」
 沙友里が絢音の寝顔を覗き込んでいた。
「うん。これは起きそうにないな」
「祐人、揺すってみれば?」
「今の時代、セクハラになるだろ」
「じゃあ、子守唄を歌えばええやんか」
「いや、寝かしつけてどうするし」
「じゃあ、どうすんの?」
「台車で運ぶか」
「台車、ないって」
「うーん、困ったな……」
「もう、お姫様抱っこで運んであげたら?」
「うーん、恋人でもないのに、それはなあ……」
「じゃあ、車内に放置すんの?」
「それが一番、酷くないか?」
「まあ、そうやなあ……」
「しょうがない。運ぶか」
 大丈夫かな。ぎっくり腰にならないかな。
 とりあえず中腰になってみた。
 左手を膝の裏に添えて、右手は腰の辺りに添える。
 ゆっくりと膝を伸ばしながら、慎重に持ち上げる。
「おっ、意外と軽いな」
 沙友里よりも軽いかもしれないな。
 そう思ったけど、もちろんその言葉は口に出さなかった。
「ぱぱぱぱーん♪」
「ぱぱぱぱーん♪」
「ぱぱぱぱーん♪」
 沙友里と玲香と真夏がメンデルスゾーンの結婚行進曲を歌い始めた。
「祐人、おめでとう!」
「お幸せにねえ!」
「結婚式、呼んでね!」
 早いよ。まだ付き合ってすらいないんだってばよ。
 心の中でツッコミを入れながら、俺はバスの外へ出ていったのだった。
 眠れる絢音を、お姫様抱っこしながら。

「うーん、起きないな……」
 バスからお姫様抱っこで運び出したはいいものの、絢音は起きなかった。
 とりあえず、絢音のリュックを枕代わりにして立てかけておいたけどさ。
 一向に目を覚ます気配がない。
「おい、絢音。いつまで寝てるんだ? 柱の前だぞ」
「そうやで。そのリュックの中、鬼が入ってるんやろ?」
 沙友里と二人で鬼滅の刃ネタで話しかけてみたけど、絢音の目は開かなかった。
 返事がない。ただのしかばねではないと思うけどさ。
「祐人、これはあれやで。王子様のキッスで目覚めるやつやんか」
「いや、童話じゃないんだからなあ……」
「おっ、それ、いいね。王子様、さあ、口付けをどうぞ!」
 菊ちゃんが芝居がかった口調で叫ぶ。
 大好きだな、ミュージカル。
 なんて、やり取りをしていると、絢音が目を開けた。
 やっと、お目覚めらしい。
「おはよう、絢音」
「えっ? 私、寝てたの?」
「うん。寝てなかったって言ったら信じるの?」
「祐人、嘘はあかんて」
「うん、そうだな。嘘は良くないよな」
 沙友里の言う通りだ。
 嘘つきは泥棒の始まりだぜ。あーらららら!
「えっ? 祐人が運んでくれたの?」
「うん。まあな」
「そうやで。お姫様抱っこでな。運んだんやで」
「えー、ちょっと何やってんの?」
 沙友里がにこにこ顔で暴露すると、絢音は笑いながら抗議してきた。
「えっ? 車内放置の方が良かった?」
「いや、それはさすがにないっしょ」
「まあ、そうだよなあ」

 二年生になっても、俺は相変わらず放課後読書部だ。
 たまに無性に小説が読みたくなる。
 そんな時は、ここへ来るんだ。
「おっ、また会ったな」
 例によって、もう一人の放課後読書部が本棚の前に立っていた。
 もちろん、飛鳥だ。
 何を言いたいのか予想はつくけど、にやりと笑う。
「もうさあ、私のことは諦めなよ」
「大丈夫。なんとも思ってないから」
「えー、嘘でしょ」
「ほんと、ほんと。恋愛感情とか、欠片もないから」
「祐人さあ、一年生の時、言ってたこと忘れたの?」
「えっ? 俺、なんか言ったっけ?」
「なんか、いいことでもあったんじゃない?」
 俺のものまねで茶化す飛鳥。
 ああ、そういえば、そんなことを言ったような気もする。
「き、記憶にございません……」
「政治家か!」
 さすがは元お笑いクラブだ。
 ばしっと右手をかざしながらのツッコミだった。
「そういえばさあ、愛しの絢音ちゃんとはどうなったの?」
「いや、別に運んだだけだけど」
「今、狙ってるんじゃないの?」
「ううん。別に、そういう仲じゃないよ」
「頑張りなよ。いけそうな感じ、あるでしょ?」
「そうか?」
「うん。まあ、頑張ってね」

 飛鳥が余計なことを言うものだからさ。
 図書室を出た俺は無意識のうちに音楽室へ向かっていた。
 きっと、今日も一生懸命に練習しているだろう。
 四階の渡り廊下のドアを開けると、音楽室のドアが見えてきた。
 でも、さすがに中には入らない。
 廊下に回って、外からこっそりと覗いてみよう。
 絢音はフルートを持っていた。
 でも、吹いてはいなかった。
 バトンみたいに回して遊んでいた。
 してねえし! バトンみたいに回して遊んでるし!
 唖然と立ち尽くしていると目が合った。
 絢音は気まずそうな顔で固まっていた。
 きっと、俺も同じような顔をしているに違いない。
 俺は逃げるようにして、その場から立ち去ったんだ。

「ねえ、祐人。きのう、来たでしょ?」
 朝のホームルーム前の教室、絢音は声を潜めながら、そう聞いてきた。
「ああ、音楽室?」
「うん。なんで?」
「いや、図書室に行ってたんだけどさ。ちょっと寄ってみただけ」
「ふーん、そうなんだ……」
「何?」
「もしかしてさ、祐人、私を狙ってるの?」
「うーん、どうかな?」
「どうかなって何? 私と付き合おうとしてるんじゃないの?」
「まあ、そうなったら悪くないかなとは思ってるけど」
「へえ、そうなんだ」
 絢音は顔色を変えずに頷いていた。
 予防線を張られるのかと思いきや、絢音は思いがけないことを言った。
「じゃあさ、とりあえず、どっか行ってみる?」
「何それ? デートっぽい感じ?」
「うーん、そんな大袈裟なことじゃないけどさ。ほら、どっか行けば始まるんじゃない?」
「ああ、なるほどな」
「どうする? 私は行ってもいいけど」
「じゃあ、映画でも行くか?」
「あっ、映画? いいね。何を観るの?」
「うーん、スマホを腰に差しただけなのに、とか?」
「ああ、あのホラー映画ね」
「絢音、ホラー映画は大丈夫?」
「うん。そんな、きゃーきゃー言ったりはしないけどさ」
「じゃあ、今週の日曜日とかどう?」
「いいね。何時?」
「じゃあ、一時にソウモウシネマの前で待ち合わせでどう?」
「うん。いいんじゃない」

 ソウモウシネマの座席で肩を並べながら映画を観る。
 思春期真っ只中の男女が。
 はたから見たら、カップルに見えるのだろうか。
 まあ、見えるだろうな。
 俺達はカップルじゃないんだけどさ。
「あれ?」
 美緒の声だった。
 俺も絢音も振り返る。
 ちょうど映画館に入ってきた直後だったらしい。
 真後ろの席で驚いていた。
「おお、美緒」
「あっ、美緒じゃん」
 俺も絢音も同時に声を上げる。
「えー、何? 映画デート?」
「ううん。とりあえず映画だよ」
「うん。とりあえずデートっぽい感じ」
「何? その、とりあえずって?」
「まあ、とりあえず映画でも観れば始まるんじゃないって話になってさ。ねえ、祐人?」
「うん。とりあえずでも、なんか始まるかなみたいな」
「えっ? よく分かんないけど……」
「まあ、とにかくさ。俺達は始まってしまったんだよ」
「ねえ、祐人。ちょっと、言っておきたいんだけどさ」
「ん? 何?」
「絢音はね、私の友達だからさ。もし付き合うことになったらね。大事にしてあげてね」
「当たり前じゃないか。下手したら結婚するかもしれないぞ」
「下手したらって何?」
 絢音が笑いながらツッコミを入れる。
「うん。頑張ってね」
 微笑と共に頷くと、美緒は静かに背中を向けて歩き去っていった。
 俺と絢音だけがソウモウシネマの前に残される。
「ねえ、祐人。どうだった?」
 絢音が低い声で聞いてくる。
「この、とりあえず映画?」
「うん。どう?」
「うん。けっこう、楽しかったかも」
「ほんと? 私と付き合いたい?」
「うん。絢音、付き合おうか?」
「えっ? 何?」
「何って何が?」
「今、告白した?」
「うん。したけど」
「祐人、私のこと、好きなの?」
「うん。まあな」
「えっ? いつから?」
「分からないけど、いつの間にか」
「でもさ、私達、趣味が会わないと思うんだけどさ」
「えー、そうか?」
「うん。だってさ、祐人、相変わらずガンダムと飛行機、興味ないでしょ?」
「うーん、確かにガンプラと飛行機でテンション上がることはないけどさ」
「ほら、でしょ?」
「ハイテンションプリーズ」
「ふざけてないでさ。本気なの?」
「うん。別に趣味とかいいじゃん」
「祐人、必死だね。一年生の時、彼女ができなかったからってさあ」
「いや、そうじゃないんだ。別に誰でもいいわけじゃないし」
「えー、そう?」
「とりあえずで始まってもさ。燃え上がる恋もあると思うんだ」
「ああ、それはあるかもしれないけどさ。私達、そうなるの?」
「うん。なるような気はしてる」
「うーん、そうかな?」
 絢音は首を傾げていた。なんだい、なんだい。
 俺だって、けっこう高まってきているのに。
 絢音だって、お姫様抱っこ事件でときめきモードになったくせに。
「とりあえずさ、来週の日曜日はカラオケでも行こうよ」
「カラオケね。カラオケも定番だね」
「うん。とりあえず、カラオケ行こう」

 というわけで、来週の日曜日。
 俺達はとりあえずカラオケに来た。
 俺は早速、マイクを握りながら立っていた。
「祐人、何を歌うの?」
 絢音はソファーの上で俺を見上げていた。
「じゃあ、俺達の恋がどこまでも飛んでいけるように。浪漫飛行を歌います」
「おっ、いいね。飛行機の歌だね」
「うん。俺、ザイルふうに歌うから」
「ああ、祐人の得意技だね」
 俺は歌った。ザイルふう浪漫飛行を歌った。
 絢音はソファーから立ち上がると、体を左右に揺らした。
 どうやら、バックダンサーの役をやっているらしい。
「よし、じゃんじゃん歌うぞ」
「次は何?」
「じゃあ、GLAYのウィンターアゲインを歌います」
 俺は歌った。GLAYのウィンターアゲインを歌った。
 最後の方のうーううーで、ふざけたくなったけどさ。
 ちゃんと真面目に歌ったんだ。
 いつか二人で行きたいと思った。
 秋田県に行きたいと思った。
 よし、新婚旅行は秋田県に行こう。決定だ!
「よっしゃあ! 歌い倒すぜ!」
 調子に乗った俺は歌いまくった。
 ゆずのいつか。
 ケミストリーのマイギフトユー。
 尾崎豊のオーマイリトルガール。
 暖める系の歌をじゃんじゃん歌った。
 だって、絢音は冷え性だから。
「はあはあ、疲れた……」
 飛ばし過ぎた結果、俺はかなり疲弊していた。
 ソファーに背中を預けながら、ミラーボールを見上げていた。
「ちょっと、私も歌うよ。祐人、休んでなよ」
「そ、そうだな。絢音は……何を歌うの?」
「じゃあ、やっぱりガンダムで」
「うん。やっぱり、そうか」
 絢音は歌った。燃え上がれガンダムを歌った。
「よし、私もじゃんじゃん歌うよ。なんか、リクエストある?」
「じゃあ、自惚れビーチとロマンティックいか焼きで」
「乃木坂ばっかじゃん」
「そりゃあ、俺は坂道を転がりまくってるからな」
「今は誰推しなの?」
「今も箱推しだよ」
「あっ、そうなんだ」
 絢音は乃木坂46の曲を歌いまくった。
 俺はマラカスを振り回したり、コールを入れたりして盛り上げていた。
 そして、俺はラストにGLAYのずっと2人でを歌った。
「絢音、結婚しようべ!」
 勢いでプロポーズまでしてしまった。
「いや、早いから」
 絢音は両手で口を押さえながら笑っていた。
 まあ、そうだよなあ。

「おい、梶浦! 詳しい話を聞かせろ!」
 三山が腕組みをしながら仁王立ちしていた。
 相変わらずのでかい顔が目の前にあった。
「お前、二年生になっても暑苦しいな……」
「それより、都築絢音のことだ。交際しているという噂は本当か?!」
 三山がエアマイクを向けてくる。
「ああ、本当だよ」
「はい。私達は付き合っています」
 俺も絢音も記者達の前で堂々と交際宣言をしてやった。
「そ、そうか。とうとう、お前にも新恋人ができたか……」
 三山はそっと顔を伏せると、目を瞑りながら溜め息を零した。
「だから、新ってなんだよ。恋人がいたことはないわ」
「梶浦さん、松浦新聞のゆりんごです! もっと詳しいお話をお聞かせください!」
「白井新聞のまいまいです! カラオケデートされたそうですね?!」
「はい。この間しましたけど……」
「何を歌われたのですか?!」
「えっと、GLAYのウィンターアゲインとか……」
「菊田新聞の菊田です! 新婚旅行は秋田県ですか?!」
「いや、飛び過ぎだから……」 
 菊田記者の質問に苦笑しながらも、俺はいいなと思っていた。
 よし、やっぱり新婚旅行は秋田県に行こう!
 思い出には俺と絢音が歩いた足跡を残してこよう。
「ところで、お前ら。キッスはしたのか?」
 三山が真顔で聞いてきたから、俺も絢音も固まった。
 俺達は顔を見合わせる。
「ああ、そういえば、してなかったか」
「うん。まだだよ」
「なんだ。キッスもまだなのか。さっさとしたらどうだ?」
「そうそう。ここですれば?」
 沙友里がとんでもないことを言い出す。
「いや、さすがに教室ではなあ……」
「うん。そのうち、どっかでするよ」

「ああ、疲れた……」
 放課後、俺はエデンのベンチに腰掛けながら青空を見上げていた。
 新聞部と架空の新聞記者たちの質問攻めですっかり疲弊してしまった。
「祐人は部活やってないでしょ。疲れたらダメだよ」
 絢音が隣で笑う。
「そういえばさ、キスってまだしてなかったよね」
「ああ、そうだったな」
「する?」
「えっ? ここで?」
「うん」
 絢音は、なんでもないことのように頷く。
 なんということだろう。
 こんなに大胆な子だったのか!
「よし、じゃあ……」
 ここで引いたら男が廃るってもんだ。
 絢音の肩にそっと両手を乗せる。
 顔を近づける。
 俺と絢音の唇が触れる。
 絢音の唇はフルートの味がした。 

「うんうん。なるほど……」
 俺はデスクの前で資料に目を通していた。
 大体、分かった。今度の事業も大成功間違いなしだ。
「梶浦君」
 小山課長の声だった。
 資料から顔を上げる。
 大きな体が目の前にあった。
「ああ、小山課長。お疲れ様です」
「君に話があるんだけどね」
「話? なんですか?」
「今度のイギリス出張、君に頼むことになったよ」
「えっ?! イギリスもですか?!」
「ああ、君は英語も堪能だからね。アメリカだけじゃなく、イギリスも頼むことになったんだ」
「ありがとうございます! いつですか?」
「来週の水曜日だよ。準備しておいてくれよ」
「はい。分かりました!」

「ただいまー」
 イギリス出張が決まった俺はハイツドラブに帰っていた。
「おかえりー」
 絢音はリビングでテレビを見ていた。
 ソファーの上で振り返る。
「えっ? なんか、うれしそうだね」
「うん。イギリス出張が決まったんだよ」
「えっ?! また海外出張?!」
「うん。俺の英語力はさ、かなり高く評価されてるみたいだよ」
「そっかあ。祐人、昔から英語は得意だったもんねえ」
「ああ、何せ勉強星人だからな」
「てことはさ、また飛行機、乗れるじゃん」
「そりゃあ、海外だからな。電車は空を飛べないし」
「いいなあ。私も行きたいなあ」
「さすがに無理だよ。遊びに行くわけじゃないんだし」
「でもさ、お土産くらい買ってきてよ」
「いいけどさ。イギリスって何があるんだ?」
「えー、なんだろね? イギリスっていうとさ、サッカー?」
「サッカーボールなんか買ってきても、しょうがないだろ」
「うーん、まあ、なんか食べ物でいいや」
「分かった。なんか、イギリスっぽい食べ物があったら買ってくるよ」
 俺はふと本棚に目を向ける。
 たくさんのガンプラが棚に並んでいた。
 その隣に、スヌーピーがお座りしていた。
「ガンダムさん、元気か?」
 スヌーピーがガンプラたちに話しかける。
「あのな、スヌーピー。俺達はモビルスーツだからな。体調の変化はないよお!」
「そうだな。うんうん、そうだな」
「スヌーピーは元気か?」
「俺も、ぬいぐるみだからな。体調の変化はないよお!」
 スヌーピーは右前足と左前足を挙げる。
「ガンダムだよお!」
「スヌーピーだよお!」
 ガンダムとスヌーピー。夢の競演だ。
「あっ、そうだ、絢音」
「何?」
「冷え性はどう? 改善された?」
「ううん。あんま変わってないよ」
「そうか。じゃあ、こうするしかないな」
 俺は冷え性の妻を抱きしめた。
 がばっと、強く抱きしめた。
「ちょっと、何してんの……?」
「何って、冷え性の妻を暖めてるのさ」
 都築絢音は今では梶浦絢音。
 俺の妻だ。

しおり